熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ダロン アセモグル , ジェイムズ A ロビンソン「自由の命運  国家、社会、そして狭い回廊」(4)

2021年09月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アセモグルの「自由の命運」を、あっちこっち、飛ばし読みして楽しんでいるのだが、主題が、「自由」であるので、人類の歴史上展開されてきた自由への弾圧ストーリーに満ちあふれていて興味深い。

   この本を読んでいて、民主主義の権化として、世界中の人権擁護の守護神を標榜しているアメリカが、如何に、黒人などのマイノリティの人権を無視した人種差別を行っているかという現実を示されると、アメリカが、中国に、ウイグルやチベット、香港問題に、大きな口がたたけるのかという疑問を感じるのである。

   まず、最近のジョージ・フロイドの死によって再び脚光を浴び始めたブラック・ライブズ・マター (Black Lives Matter)だが、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義の運動だが、特に白人警官による無抵抗な黒人への暴力や殺害、人種による犯罪者に対する不平等な取り扱いが典型的で、2012年2月にアメリカフロリダ州で黒人少年のトレイボン・マーティンが白人警官のジョージ・ジマーマンに射殺された事件に端を発し、2013年、各SNS上で#BlackLivesMatterというハッシュタグが拡散されたのだという。

  アセモグルは、第10章 ファーガソンはどうなってしまったのか?で、2014年8月9日にアメリカ合衆国ミズーリ州ファーガソンにおいて、18歳の黒人青年マイケル・ブラウンが28歳の白人警察官ダレン・ウィルソンによって射殺されたマイケル・ブラウン射殺事件(Shooting of Michael Brow)を取り上げて、アメリカの黒人への理不尽な人権弾圧の恥部を活写している。
   では、何故、ファーガソン市警は、黒人市民に残虐であったのか、アセモグルは、それは、お金と人種差別の入り交じったものだという。
   まず、一つは、市は警察を利用して財政を補っていた。罰金を科すためならどんな口実を使っても良いと言うことで、警官は市の財源を増やすために、出来るだけ違反切符を切るように指示されていた。
   もう一つは、市民の権利を守る権利章典は、その保護は州ではなく連邦政府の行為のみに適用されていて、州は、ポリスパワー(規制権限)と呼ばれる広範な裁量権で処理されていて、表現の自由を制限する法律や、不合理な捜索や押収を行うことを認める法律など、不合理な法律でも、州が制定できるとされていた。
   南北戦争の敗北時に、権利章典に対する見解に終止を打つべき筈であったが継続されて、最高裁は、権利章典の条項が、州のポリスパワーに優越しないと言う決定を繰り返していた。

   公民権法の施行により法的側面からの人種差別撤廃を前進させたが、その後、半世紀を経ても、反人種差別団体は人種差別の解消に向けて戦い続けることを余儀なくされている。
   アセモグルは、合衆国憲法の不備や官民パートナーシップによるアメリカの社会制度の欠陥などアメリカの病巣を克明に分析して、アメリカの自由について論じているが詳細は略する。

   最近、ジョージア州で選挙法が改正され、有権者の本人確認が厳格化されたことに対し、黒人などマイノリティーを選挙から排除するものとして激しい論争を巻き起こしている。
   バイデン大統領も、このように、トランプの口車に乗って、野党・共和党が先の大統領選挙で不正があったとして全米各州で進めている、有権者の本人確認を厳格化することなどを盛り込んだ法改正の動きについて、黒人などマイノリティーを投票から排除することがねらいだと強く非難し、投票権を守るための連邦法の制定を呼びかけた。と報じられれている。日本と違って、アメリカでは、自分から申請しないと選挙権は与えられないので、エヴィデンス不備の黒人などははねられるのである。
   党利党略、選挙に勝つためには、基本的人権でもある筈の選挙権さえ妨害する保守党が、アメリカの権力の半分を抑えていて、トランプに煽られて民主主義さえ危機に追い込む、このアメリカの現実をどう見るのか。
   
   しかし、勿論、中国のチベットに始まり、ウイグルや香港などに対する弾圧や人権問題については看過するわけにはいかない。
   更に、中国の専制国家体制が益々強化される徴候を帯びてきている。
   時事通信が、「中国、広がる「文革再来」懸念 習氏3期目と関連か 官製メディア掲載文が発端」と報じている。
   習近平国家主席が慣例を破り来年の共産党大会で3期目入りすることが確実視される中、習氏を毛と並ぶ指導者に位置付けようとする動きで、建国の父、毛沢東が発動した文化大革命のような激しい政治運動が始まるのではないかという観測が出ている。と言うのである。

   アメリカにはアメリカの国是があり目的がある。中国も同様である。
   しかし、アセモグルが説くように、強力で民主的で健全な国民パワーが炸裂する社会が台頭して、国家に足枷を嵌めて国家の暴走を制御する足枷のリバイアサンへの狭い回廊を突破することを祈りたい。
   弱体化したとは言え、長い歴史と伝統に培われて育まれてきたヨーロッパのシティズンシップ社会には学ぶべきことが多いと思う。
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