は~とnoエース

かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂。(吉田松陰)

10/5 ジョブズ七回忌、、、、

2017-10-31 23:02:43 | おくやみ

 


 時の経つのは早いもので、今日はジョブズの七回忌、、、
小生が使用してるAndroidのバッテリが最近ヘタって来たので、新しいのに換えようかと?目下迷ってるところ、、、、
噂によれば、11月にも次世代型iphoneのXが登場するという話も、、、
ジョブズの残したアイデアも何れ枯渇するのは間違いないところなれば、この辺りで一回iphoneを体験しとくのも功徳かな?などと考えてみたり、、、

ご命日の今日、生前のご功績を忍びつつ、ちょっとシンミリしている次第、、、、
改めて、心からのご冥福をお祈りします。。(v_v)

 

 


「鉄腕!DASH」で農業指導していた三瓶明雄さん亡くなる。。

2014-06-07 10:43:17 | おくやみ

日本テレビ系の番組「ザ!鉄腕!DASH(ダッシュ)!!」の看板企画「DASH村」で、農作業を指導してきた福島県浪江町の三瓶明雄(さんぺい・あきお)さんが6日、同県伊達市の病院で死去した。84歳だった。
DASH村は、人気アイドル「TOKIO」のメンバーが浪江町の荒れ地に山村をつくり上げる企画で、2000年に始まった。地元で農業を営んでいた三瓶さ んは開始時から指導役として登場し、米や野菜の作り方、ヤギの飼い方などをメンバーに伝授。「農業の達人」として慕われていた。
浪江町は東京電力福島第一原発事故で全域が避難指示区域となり、三瓶さんも福島市の借り上げ住宅に避難した。その後もメンバーと一緒に全国の優れた農産地 を訪ねる企画などで番組に出演していたが、最近は体調を崩し、入退院を繰り返していたという。告別式は10日正午、同市泉下镰15の1さがみ福島ホール。 
【読売新聞 YOMIURI ONLINE 2014年06月06日 21時17分】

「鉄腕!DASH」で農作業を指導されて来た浪江町の三瓶明雄さんがお亡くなりになった。。

享年、84歳。。

一視聴者として画面から受けて来た印象では、、、、

経験に基ずく地域農業の深い知識もさることながら、東北人らしい木訥感の漂う、人の良さそうな人柄に好感が持てた。。

あんな事があって、企画自体は一時中断を余儀なくされ、ご自身もまた避難生活を送られる事になるなど、充実してたかに見えた晩年は一転して波乱波乱を窺わせる内容に代わってしまったが、、、、

それでも企画に対する、「成すべきことはなした」、という一定の自負はお持ちだったと思われ、、、、

今回はそれを携えての「お旅立ち」と受け止めたところ。。
心からご冥福をお祈りしたい。。

 

 

 

 

 

 


五月の花壇、(2)

2014-05-07 19:40:32 | おくやみ

紫蘭(シラン)です。。
派手さは感じませんが、実に端正です。金木犀の根元にヒッソリと咲いてます。。

こちらはクレマチス、・・・・
この花は他にも色があるようですが、我が家のは青のみです。。
現在、10個くらい咲いてます。。

お次はラベンダーです。フレンチタイプ他、全部で3種類あります。。
目下、それぞれが花盛りです。。

そして、こちらはバーベナ、・・・・
他にも色は幾つかあるようですが、我が家のは全て青のみです。。

という事で、今回は青系の花を中心にアップしてみましたが、油断してると何時のまにか咲き終わっていた?なんて種も多々ありしまして、・・・・
何時ものことですが、この辺りは、いやはや何とも、、、でありますね。。
春の花は駆け足で変わって行きます。。(^^ゞ

 

 

 


セゾングループの創業者「堤清二」氏が亡くなられた。。

2013-11-28 14:08:05 | おくやみ

西武百貨店の社長を務めるなどセゾングループの創業者で、作家・辻井喬としても著名なセゾン文化財団理事長の堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日死去していたことがわかった。
86歳だった。東京都出身。西武鉄道元会長の堤義明氏の異母兄で、父は元衆院議長の康次郎氏。
(2013年11月28日13時07分  読売新聞)

>堤清二(つつみ・せいじ)氏が25日死去していた・・・・(;゜0゜;)

86歳でねぇ、・・・・そうなんだぁ、・・・・(ーー;)

或る意味、悲運な運命を背負っておられた方、・・・・

その為か父の後を継いだ堤義明氏には殊のほかライバル心を燃やしていたと言われる。。

激しいライバル心は、やがて堤清二の経営手法にも表れ、彼の率いるグループを大きく伸ばした半面、経営に対する力みが高じ、後々に災いしてしまった感も否めなかった。。

最後まで本家筋としてのプライドを忘れることなく、力いっぱい時代を駆け抜けられたその御生涯は、同じ時代を生きた多くの経営者の心と魂を激しく揺さぶったことだろう。。

謹んでご冥福をお祈りする。。m(_"_)m

 

 

 

 

 


島倉のお千代さんがお亡くなりになられた。。

2013-11-08 18:47:26 | おくやみ

「からたち日記」など数多くのヒット曲で知られ、「お千代さん」の愛称で親しまれた歌手の島倉千代子(しまくら・ちよこ、本名同)さんが亡くなったことが、8日わかった。75歳だった。
(2013年11月8日16時10分  読売新聞)


島倉のお千代さんがお亡くなりになられたと?・・・・う~む。。

75歳という年齢でのご逝去は、今の時代ではかなり若い部類・・・・まことに残念。。

若いころから色々あって波乱万丈の人生を送られた方としても知られる。。(v_v)

そういえば、昔、通ってたスナックのママが、お千代さんの「人生色々」を替え歌にして、・・・・

・・・・♪人生エロエロ~♪、男もぅエロエロ~♪、女だぁってエロエロ咲き乱れるのぅ~~♪・・・・

って歌ってた。・・・・(^。^;)/~

年齢とは別に幅広い支持層を持つ歌手でおられたお千代さん。。

謹んでご冥福をお祈りします。。。

 

 

 

 

 


吉田昌郎(よしだ・まさお)元所長、逝く。。

2013-07-09 20:42:18 | おくやみ

2011年3月に発生した東京電力福島第一原発事故当時の所長で、同社執行役員の吉田昌郎(よしだ・まさお)さん(58)が9日、食道がんのため、都内の病院で亡くなった。東電が同日、発表した。
吉田氏は事故当時、原子炉建屋が水素爆発などを起こす中、現場で陣頭指揮を執りつづけた。11年末に所長を退任し、食道がんを治療していた。12年7月には、脳出血で手術を受けた。
(2013年7月9日17時50分  読売新聞)


また一人、心に残る惜しい人が亡くなられた。。(;´Д`)アゥゥ・・・

それこそ、吉田昌郎(よしだ・まさお)元所長の犠牲的采配がなかったら・・・・今の日本はない。。

残念ながら、メルトダウンは防ぎ切れなかったが、それでも、どうにか東日本は守り抜いた。。

首都圏も無事でいられた。。

全ては元所長を中心とする、関わった多くのスタッフのお陰である。。

有り難うございました。。
謹んでご冥福をお祈りします。。

 

 

 

 

 

 


元日銀総裁、三重野康氏亡くなる。。

2012-04-18 20:48:13 | おくやみ

元日銀総裁で、バブル経済と格闘し「平成の鬼平」と呼ばれた三重野康氏が15日、心不全のため東京都内の病院で死去した。88歳。大分県出身。
1947年東大法学部を卒業し、日銀へ入行。早くから「日銀のプリンス」と呼ばれ、営業局長、理事などを経て84年に副総裁。89年12月、第26代日銀総裁に就いた。
就任直後から1年足らずの間に公定歩合を3度引き上げ、バブル退治の「平成の鬼平」と一時は喝采を浴びた。
しかし行き過ぎた引き締めが土地・株価急落を招きバブル崩壊不況を深刻なものにしたとして、その後一転して「不況の元凶」などと批判された。 東京新聞 TOKYO WEB 2012年4月18日 15時16分

バブル期、・・・仇花として生まれた「ハイパーインフレ」を、「力技」で抑え込もうとした政府と日銀の姿があった。。
 
その為に取った策が、今では知らぬ者がいない・・・「総需要抑制策」・・・これを徹底した訳。。
 
確かに、暴走している列車を止めるのは並大抵なことでは無理。・・・打てる策は「すべて打った」と言うのが実態である。。


ただ、あまりに力を入れてバルブを締め過ぎた結果・・・その後の景気の失速を招くこととなり、今日に至る平成の大不況の元凶を作ってしまったという訳・・・

 
その時の日銀側の立役者が、今回お亡くなりになった「三重野康」氏、その人である。。
 
では、何がいけなかったか・・・ここは色々な意見があると思うが、私が思うところ、多分・・・「ヤリッパ」・・・が一番の問題ではなかったかと・・・
 
総需要抑制を進めた方向性は正しい判断だったと、誰もが思っているハズ・・・
 
問題は・・・力の入れ加減・・・そして抜くタイミング・・・それをミスった。そこが問題。。
 
つまり、やりっ放しで、後の検証や確認が等閑になっていた・・・のでは?・・・と考えられる点。。
 
勿論、当人たちは国会答弁でも、「やってましたよ」といっていたが、結果的に言えば・・・「やってなかった」・・・とされても仕方がないところ。。
 

もっと早く緩和策を開始すべきだった。それが実態ではなかろうか・・・

しかしそれを後押しすべき当時の世論はというと、これが・・・ほぼ真逆・・・

当時の世論は、今のマスコミを先頭に、現下のハイパーインフレを如何にして止めるかを最大の眼目に置いていて、政府も、日銀も、そこに全精力を傾けざるを得ない状況にあった。。

 

それを今になって・・・「ダメ出し」・・・するのは、「後出しジャンケン」にも等しく、私としては少々「気が引ける」ところ。。

おそらく、亡くなられた三重野元日銀総裁も胸中は同じに違いない。。

 
まぁ、バブルがあんな形で弾けてしまうとは、当時の殆どの経済学者も政治家も、そして大半の国民も、それこそ、誰もが皆、分かっていなかったんだから・・・仕方がない、といえば、仕方がない・・・のである。。
 
目下、バブル期にあるとされる中国も、日本の「痛い」経験を踏まえて、バブル崩壊後の後遺症を如何にして緩和し、穏やかな軟着陸に導くか、手さぐりによる慎重な対応をされているところ。。
 
亡くなられた三重野元日銀総裁も、おそらく、バブル期を収束させた達成感と、その後の忸怩たる思いが、相半ばと思われるところだが、・・・
 
今はただ・・・「お疲れさまでした」・・・と労をねぎらわずにはいられない。。
 

謹んでご冥福をお祈りする。。。(v_v)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


森ビルの森会長が亡くなられる。。

2012-03-12 22:36:37 | おくやみ

不動産大手の森ビルで、六本木ヒルズなど都市再開発事業の先駆者として活躍した森稔(もり・みのる)会長が8日午前6時52分、心不全のため死去した。77歳。通夜、葬儀は近親者で執り行った。森ビルは後日、お別れの会を開くことにしている。 MSN産経ニュース 2012.3.12 19:10

六本木ヒルズを始めとする数々の都市再開発事業を手掛けられた森ビルの森会長が、去る、3月8日、心不全にて急逝されていた。。

享年は77歳・・・喜寿を迎えての御旅立ちであった。。

今の時代は、ご高齢でも尚、元気なお年寄りが世の中に満ちている。。

77歳という若さは、・・・早過ぎる・・・ということはないにしても、・・・

もう少し遅く逝かれても良かったような・・・
そんな印象・・・

兎角、この世は、ままならぬモノである。。

気になって、この日の月齢を調べたら・・・3月8日は満月で大潮に当たっていた。。

昔から満月とか大潮とか、そういう特別な日や夜は、出産や臨終に密接な関わりを持っているとされている。。

ウミガメや、エビ、カニなどの産卵が多いのは良く知られるところ。。

その逆に・・・満月の夜に「黄泉の国」への入り口が開く・・・などという民話もある。。

人々が月の満ち欠けと共に起こる生命の不思議な営みに・・・古くから注目していた証拠である。。

実際に、それらがどの程度の関わりを持っているのか、科学的な証明は成されていないものと思うが、少なくとも、満月の夜は精神が高ぶる傾向が強いとされ、事故や犯罪などが多いとされている。。


その為か、アメリカでは月齢を気にする人が多い。。

まぁ、人間にしても、体内には体重の大半を占める血液が流れていて・・・

潮の満ち引きと同じように、・・・月の引力を受けやすい・・・という説があるが、分からぬ話ではない。。

いずれにせよ、森ビルの森会長は、そういう特別な日を選んで・・・あの世へと旅立たれた・・・ということである。。
謹んで、ご冥福をお祈りしたい!・・・

 

 

 

 

 


転がり出した石は止められない。。

2012-01-04 22:54:00 | おくやみ

「残念なことだ。絆が薄かったかなと思う」。野田佳彦首相は4日午後、三重県伊勢市内で記者団に、民主党に離党届を提出した内山晃氏ら衆院議員9人が「新党きづな」を結成したことについて、党名に引っかけて皮肉った。 【時事通信 jiji.com 2012/01/04-18:20】

離党届を提出した内山氏ら9人が「新党きづな」を結成したことについて記者から聞かれ、・・・

野田総理は、>「絆(きづな)が薄かったかな と思う」・・・・などと語った。。

確かに「絆(きづな)」の本来の意味からすれば・・・犬や馬をつなぎ止めておく綱という意味といわれ、後に転じて「断つことの出来ない人と人との結びつき」・・という風に意味が変遷したとされる。。

つまり総理のいう「絆が薄かった」・・・ということは、・・・総理が、つなぎ止めておくべき『綱』をシッカリ持っていなかった・・・という意味にもなり・・・

野田総理による・・・「手綱(たづな)捌きが悪かった」から・・・とも受け取れ、この部分は、管理者として、リーダーとして、資質を厳しく問われても仕方がない。。

その事に関連して、私は、その昔、豊臣と徳川が雌雄を決っして戦った「関ヶ原の戦い」を思い出していた。。

あの時は石田三成が率いる豊臣側が、家康率いる徳川側に敗れてまう結果を招くのだが、その敗因の一つとして、良く引き合いに出される事柄に、見方であったハズの「小早川秀秋」の「裏切り」がしばしば指摘される。。

戦場での「寝返り」は、単に味方の痛手となるばかりか、相手側を勢いづかせることにもなり、戦場での「流れ」を一変させてしまう危険を孕んでいる。。

目下、消費税の増税に向けて「不退転の決意」で臨むと表明している野田総理・・・

審議拒否ならば、・・・「解散」も辞さず・・・と、強気の姿勢を崩していないが、「関ヶ原の戦い」に学べば、今回、9人もの造反者を出した影響は「決して軽からず」・・・

ことの重大さに、総理としても、内心穏やかならぬものを感じているものと見られる。。

ちなみに・・・「関ヶ原の戦い」で徳川方に寝返ったとされる「小早川秀秋」だが、・・・戦いの後、周囲の視線は厳しく、秀秋自身は戦いの2年後、僅か21歳という若さでこの世を去っている。。

まぁ・・・「因果応報」・・・と片付けてしまえば、それまでの事ながら・・・

今回造反した9人の議員の内、特に比例区で当選した議員に向けられる視線は、先の小早川秀秋同様に厳しいものが予想され、前途は決して明るいものではない。。

いまや「進むも地獄、引くも地獄」・・・と化した9人衆。。

そしてボロボロとなり、いつ沈没しても可笑しくない「野田丸」・・・

「転がり出した石は止められない」・・・の例え宜しく、運命の歯車は音を立てて動き出した。。。\_(-_- 彡

 

 

 

 

 


小泉元首相が金正日総書記の死去に際し弔電を送った。。

2011-12-23 22:27:56 | おくやみ

朝鮮中央通信は23日、小泉元首相が同日、 金正日 ( キムジョンイル ) 総書記の死去で弔電を朝鮮労働党中央委員会に寄せたと伝えた。
小泉元首相は弔電で哀悼の意を表した上で、「今後、諸般の懸案が包括的に解決し、日朝関係が正常化することを期待する」と表明したという。
小泉元首相は2002年9月、金総書記と会談し、日朝平壌宣言に署名した。04年5月にも訪朝し会談した。 (2011年12月23日19時38分  読売新聞)


これで良いんですよ!・・・これで・・・

いいと思いますよぅ。。

あとは向こうが どう反応するか?・・・である。。

反応が有ればあったで、またよし・・・

なければ、ないで、・・・それもまた致し方がなく・・・という訳で・・・

つねに泰然自若の姿勢を崩さないこと・・・これが大事。。

その昔、敵の難儀を見兼ねて塩を送った上杉謙信ではないが、日本人の心とは、かように尊大なものなのだと・・・世界に示した意味は大きい。。

流石は小泉さん・・・ダンディズムを感じさせてくれる。。

これからもどうか、お身体を大切にされ、いつまでもお健やかに、お過ごし頂きたいと願う。・・・・

 

 

 

 

 

 

 


日吉ミミさん、お亡くなりになる。。

2011-08-11 20:37:53 | おくやみ

「男と女のお話」などのヒット曲で知られる歌手の日吉ミミ(ひよし・みみ=本名・黒岩和子=くろいわ・かずこ)さんが10日午前5時半、すい臓がんのため死去した。64歳。葬儀・告別式は親族のみで済ませた。喪主は夫、黒岩慶三(くろいわ・けいぞう)氏。
昭和22年、埼玉県浦和市生まれ。42年6月、池和子としてデビュー。44年に日吉ミミに改名し、シングル「おじさまとデート」を発表。翌年、「男と女の お話」「男と女の数え唄」が大ヒットし、この年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。その後も、TBS水曜劇場「ムー一族」の劇中歌「世迷い言」や、 CMソング「北風ぴゅうぴゅう」などが話題を呼んだ。
平成20年、すい臓がんが見つかり入院。手術を経て仕事復帰を果たしたが、今春、再び体調を崩して入院していた。 MSN産経ニュース
2011.8.11 18:32

あのシャガレたような独特の声と節回し・・・
「男と女のお話」は彼女の代表作だった。。

歌詞の中には、♪世の中変わっているんだよ~、人の心も 変わるのさ~♪・・・といフレーズが登場する。。

最近の世の中を見ていると、・・・つくづくと、そうだなぁ・・・と、感じること・・・しばしばだった。。

享年64歳・・・若過ぎる死には、いつも心を痛まされるが、記事によれば、今回、ミミさんは「すい臓がん」でお亡くなりになったとか・・・

「すい臓がん」というと、・・・あっちの方も、かなり「いける口」だったのかな・・・などと・・・つい連想してしまいがちになるが・・・実際はどうだったのだろうか・・・その点も気になる。。

いずれにせよ、・・・味のある昭和の歌い手が・・・また一人、この世から去ってしまわれたということに他ならず、残念なことである。。
謹んでご冥福をお祈りする。。。

 


 

 

 

 


サッカー元日本代表 松田直樹選手、逝く。。

2011-08-04 18:08:09 | おくやみ

サッカー元日本代表で、日本フットボールリーグ松本山雅FCに所属する松田直樹選手(34)が4日午後、長野県松本市内の病院で死去した。2日の練習中に倒れ、意識不明となっていた。(共同)
東京新聞 TOKYO WEB 2011年8月4日 13時36分


一昨日に突然倒れられてから、心肺停止状態が続いていたサッカー元日本代表の松田直樹さん・・・

ファンの期待もむなしく、本日午後、帰らぬ人となってしまわれた。。

「急性心筋梗塞」だったとされる。。

この病気、一般的には、松田さんのような若い方が罹る病気ではなく、或る程度の年齢に達した・・・高血圧気味の方に多いという。。

そういう意味では異例のことといえ、更に不運だったのは、倒れた現場にAEDがなかった、・・ということ。。

それがあれば・・・或いは助かった?・・・という期待もある。。

まぁ、人間、生まれた時から、それぞれに固有の運命を背負って生きており、栄光の人生を贈って来たサッカー選手といえども、持って生まれた運否天賦には逆らえない・・・ということである。。

という訳で・・・真に残念な結果に終わってしまったが、松田選手は、これからもファンの心の中に栄光の記憶ともに、いつまでも輝き続けるに違いない。。。

謹んでご冥福をお祈り申し上げたい。。。\_(-_- 彡


 

 

 


元ヤンキースの投手だった伊良部秀輝さんが亡くなる。。

2011-07-29 19:46:17 | おくやみ

プロ野球のロッテ、阪神や、米大リーグのヤンキースなどで投手として活躍した伊良部秀輝さんが27日、自宅のある米国・ロサンゼルス近郊で亡くなったことがわかった。
関係者が明らかにした。42歳だった。
香川・尽誠学園高から1987年のドラフト1位でロッテ入団。96年オフにはヤンキース入りを果たした。エクスポズ、レンジャーズを経て、2002年オフ に阪神入りし日本球界に復帰。03年には13勝し18年ぶりのリーグ優勝に貢献。通算成績は、日本のプロ野球で72勝69敗11セーブ、大リーグでは34 勝35敗16セーブ。04年でいったん現役引退後、09年に現役復帰。四国・九州アイランドリーグの高知で、2試合に登板したものの、再び引退した。  (2011年7月29日04時50分  読売新聞)


あの伊良部がねぇ。・・・どうしてまた・・・

男42歳・・・やっぱ厄年なのかなぁ。。

生前は、持ち味であるアクの強い個性を前面に押し出し、ヒール役が嵌まっていた伊良部・・・

しかしスポーツは実力が全てとされる世界・・・マスコミから、どれほどのバッシングを受けようが、一向に意に介さず、その都度、力で跳ね返して来たのは・・・流石だった。。

伊良部が大リーグ行きを希望していた時に、「入団先はヤンキース以外にない」と固辞していたのは有名な話・・・それを伝え聞いたヤンキースのオーナー、スタインブレナー氏は、伊良部に対し、・・・「シビレル」・・・との賛辞を贈り入団への弾みがつくことになる。。

ところが入団して一年目、思ったほどの成績が出てないことを知るや、怒って、逆に「ヤツは太ったヒキガエルだ」とコケ降ろした。。

幸い、二年目以降は、懸案とされた体重も絞ることができ、チームにも大きく貢献出来たが、晩年は成績を落とし、移籍したチーム先での怪我を境に・・・次第に転落への人生が始まった。。

まっ、人生、山あり谷あり・・・それが世の中、それが人生・・・と言ってしまえばそれまでながら、・・・兎も角も、子供の頃からの夢を、自身の努力と強運で実現させることが出来たのは、伊良部にとっても幸せな人生だったと思う。。

突然の死・・・彼の身に何が起きいてたのかは気になるところだが、心からご冥福をお祈りしたい。。。\_(-_- 彡



 

 

 

 


小松左京氏・・・亡くなる。。

2011-07-28 19:01:31 | おくやみ

「日本沈没」などで知られる作家の小松左京氏が26日、肺炎のため死去した。
80歳だった。1931年大阪市生まれ。「さよならジュピター」など作品は多数にのぼる。
(2011年7月28日15時09分  読売新聞)


小松左京氏というと、私ら世代は・・・やはり「日本沈没」・・・

当時、内容の奇抜さがユニークで、センセーショナルなタイトルとともに、読者を夢中させた名作である。。

確か・・・映画も見に行ったっけ・・・それも何度も・・・

今回、東日本大震災を受けて、その余波と見られる地震が全国各地に頻発している。そしてそのどれもが巨大なものばかり・・・

つい「日本沈没」を髣髴させる。。

専門家は関連がないと説明するが、私ら世代は「日本沈没」の擦り込みがキツイせいか・・・直ぐにそっちを連想してしまいがちになる。。

ちなみに、顔が思い出せない作家が多い中で、小松さんの場合は、トレードマークの銀縁メガネが強い印象になっていて、不思議と直ぐに顔が想い浮かぶ。。

多分、メディアへの露出も多かったという理由もあろうし、作家活動以外にも多方面でのご活躍があったからではなかろうか・・・

80歳とはいえ、今の世では、まだまだお若い部類の世代、・・・残念なことであった。。
謹んでお悔やみ申し上げたい。。。

 

 

 

 

 


NECの元社長で名誉顧問の西垣浩司さんが亡くなる。。

2011-03-04 09:31:48 | おくやみ

NEC(東京都港区)元社長で名誉顧問の西垣浩司さん(72)が練馬区の自宅で首をつって死亡していたことが3日、警視庁石神井署への取材で分かった。同署は現場の状況から自殺とみて調べている。
同署によると、2日午後4時35分ごろ、同区関町北の自宅で、階段の手すりにシーツを掛けて首をつっているのを帰宅した妻(69)が発見。病院に搬送されたが死亡した。死因は窒息死だった。
 西垣さんは妻と2人暮らし。遺書などは見つかっていないが、体調が悪く、入院する予定だったという。 【時事通信 jiji.com 2011/03/03-22:31】

NECの元社長で名誉顧問の西垣浩司さんが自殺?・・・・う~む。。

折しも昨日の別なるニュースで、警視庁からの公表として、自殺者が13年連続で3万人を超えたことが分かった。。

自殺に繋がった動機には、経済的事情、就職に関するもの、職場の人間関係などと多岐に渡っているが、それらを横断的に関連付けているのが、うつ病や健康問題という。。

西垣さんの場合も、記事によれば “体調が悪く、入院する予定だった” ・・・とあり、お身体が悪かったご様子が窺える。。

はたして何が理由で、この方をそこまで追い詰めてしまったのか、真相は定かではないものの、功なり名を遂げた方の最後としては・・・あまりにもお寂しい旅立ちであった。。
ご冥福をお祈りしたい。。。