元日銀総裁で、バブル経済と格闘し「平成の鬼平」と呼ばれた三重野康氏が15日、心不全のため東京都内の病院で死去した。88歳。大分県出身。
1947年東大法学部を卒業し、日銀へ入行。早くから「日銀のプリンス」と呼ばれ、営業局長、理事などを経て84年に副総裁。89年12月、第26代日銀総裁に就いた。
就任直後から1年足らずの間に公定歩合を3度引き上げ、バブル退治の「平成の鬼平」と一時は喝采を浴びた。
しかし行き過ぎた引き締めが土地・株価急落を招きバブル崩壊不況を深刻なものにしたとして、その後一転して「不況の元凶」などと批判された。 東京新聞 TOKYO WEB 2012年4月18日 15時16分
バブル期、・・・仇花として生まれた「ハイパーインフレ」を、「力技」で抑え込もうとした政府と日銀の姿があった。。
その為に取った策が、今では知らぬ者がいない・・・「総需要抑制策」・・・これを徹底した訳。。
確かに、暴走している列車を止めるのは並大抵なことでは無理。・・・打てる策は「すべて打った」と言うのが実態である。。
ただ、あまりに力を入れてバルブを締め過ぎた結果・・・その後の景気の失速を招くこととなり、今日に至る平成の大不況の元凶を作ってしまったという訳・・・
その時の日銀側の立役者が、今回お亡くなりになった「三重野康」氏、その人である。。
では、何がいけなかったか・・・ここは色々な意見があると思うが、私が思うところ、多分・・・「ヤリッパ」・・・が一番の問題ではなかったかと・・・
総需要抑制を進めた方向性は正しい判断だったと、誰もが思っているハズ・・・
問題は・・・力の入れ加減・・・そして抜くタイミング・・・それをミスった。そこが問題。。
つまり、やりっ放しで、後の検証や確認が等閑になっていた・・・のでは?・・・と考えられる点。。
勿論、当人たちは国会答弁でも、「やってましたよ」といっていたが、結果的に言えば・・・「やってなかった」・・・とされても仕方がないところ。。
もっと早く緩和策を開始すべきだった。それが実態ではなかろうか・・・
しかしそれを後押しすべき当時の世論はというと、これが・・・ほぼ真逆・・・
当時の世論は、今のマスコミを先頭に、現下のハイパーインフレを如何にして止めるかを最大の眼目に置いていて、政府も、日銀も、そこに全精力を傾けざるを得ない状況にあった。。
それを今になって・・・「ダメ出し」・・・するのは、「後出しジャンケン」にも等しく、私としては少々「気が引ける」ところ。。
おそらく、亡くなられた三重野元日銀総裁も胸中は同じに違いない。。
まぁ、バブルがあんな形で弾けてしまうとは、当時の殆どの経済学者も政治家も、そして大半の国民も、それこそ、誰もが皆、分かっていなかったんだから・・・仕方がない、といえば、仕方がない・・・のである。。
目下、バブル期にあるとされる中国も、日本の「痛い」経験を踏まえて、バブル崩壊後の後遺症を如何にして緩和し、穏やかな軟着陸に導くか、手さぐりによる慎重な対応をされているところ。。
亡くなられた三重野元日銀総裁も、おそらく、バブル期を収束させた達成感と、その後の忸怩たる思いが、相半ばと思われるところだが、・・・
今はただ・・・「お疲れさまでした」・・・と労をねぎらわずにはいられない。。
謹んでご冥福をお祈りする。。。(v_v)