日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

こんな時代だから、”生活の余白”を大事に育てたい

2022-03-21 16:44:32 | ライフスタイル

3月も半ば過ぎ、1月はじまりのテレビドラマなどは、最終回を迎えている。
テレビが無い我が家ではあるが、TVerを見ることで、世間の話題に何とかついていくことができている。
「ミステリと言う勿れ」のような、人の本質に迫るようなドラマも良いのだが、時には「癒し系」のドラマも見たくなり、テレビ朝日系の深夜帯のドラマ「鹿楓堂よついろ日和」を見て、癒していた(笑)。

先週末に最終回を迎えたのだが、ドラマの中のセリフに「今のような社会状況だからこそ、生活の余白」となるモノ・コトが必要なのでは?という、気がしたのだ。
セリフそのものは、「鹿楓堂」という古民家喫茶店の若い店主が、「コロナ禍」を通して感じた「喫茶店の社会的な立ち位置」を話している。
そのセリとは「喉の渇きを潤すだけなら、水でも良い。でもお茶やコーヒーを飲む為の喫茶店は、心に豊かさを感じるためにある非日常的な場所」という趣旨の言葉だ。

連載中の漫画を原作にしているドラマなのだが、最終回となった今回は、ドラマオリジナルだったようだ。
「コロナ禍」以前の喫茶店が軽食やコーヒーなどを飲食する場所、あるいは待ち合わせで利用する場所だとすれば、「喫茶店が提供する時間の豊かさ」という点に着目しているという点で、「喫茶店」という場所の再定義をしているようにも思えたのだ。
それだけではなく、「コロナ禍」で失われた「心を豊かにしてくれるモノ・コト」は、些細な事で失われているコト。
だからこそ「守り・育てていくこと」の大変さや重要性のようにも感じられたのだった。

お茶やコーヒ―を飲む「合理性」という点だけを追求するのであれば、喫茶店やカフェである必要はない。
もちろん、コストパフォーマンス重視のお店があることは知っているが、たとえそのようなお店であっても、単に飲食を提供しているだけなのか?といえば、決してそうではないだろう。
出勤前のひと時、ザっと新聞に目を通す時間であったり、仕事に向けて気持ちを切り替える場所として、カフェを利用していた人もいらっしゃったのではないだろうか?

喫茶店やカフェのような飲食店に限らず、「コロナ禍」によって大打撃を受けた業種の多くは「生活の余白」となっていたモノ・コトだった。
美術館や映画館、ライブや観劇など、「日々の生活に必要不可欠なモノ・コトではない」業種が打撃を受けたのだ。
それらは「文化」と呼ばれるモノ・コトであった、ということでもある。
先日、「個性のある旅」というテーマでエントリをしたが、それは「その土地に行くことで感じられる、その土地の文化や歴史」という個性を楽しむ時代が「コロナ禍」後に来るのでは?という、考察でもあった。

今ウクライナを戦禍に巻き込んでいるロシアだが、このような行為は、ロシアそのものの文化すら破壊している行為である、ということにプーチン氏には気づいて欲しい。
それは、新疆ウイグル自治区やチベットの人たちを「漢民族化」することで、民族の文化を破壊しようとしている中国についても同じだ。
一度失われた文化を復活させ、再び育てる為の時間と労力は果てしないモノがある。
そのことに政治は責任を持つことはできない、ということをプーチン氏や中国指導者たちは、示しているようにも思えるのだ。

「生活の余白=文化」を育てることができる社会は、寛容性がある豊かな社会だろう。
「コロナ禍」によって、失われた時間以上の時間をかけ、再び育てていくことがこれからの社会には必要なのではないだろうか?





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。