1日に発表された、新元号に関するニュースが、続いている。
「新元号」というだけで、どこかで「新しい時代になる」社会的雰囲気があるように感じている。
それは新年をむかえた、元旦のような気分をもっと深く大きくしたような感覚なのかもしれない。
とはいうものの、4月30日と5月1日との間には「時間的連続」があるだけで、時間的は変化があるわけではない。
「(大きく)変わる」とすれば「(大きく)変える」という意思のある人達が、動かしていくことになるのだろう。
ただ「変わる=変化」というものは、ある日突然起きるものではない。
ゆっくりと多くの人が感じないような速さで変りながら、ある時何らかの切っ掛けで爆発的に「変化」することが多いのもまた、事実だろう。
そしてその変化を起こすのは、若い人たちだけとは限らない。
先日、日経のCOMEMOに「ヒトの知能は60歳まで伸び続ける」というコラムがあった。
COMEMO:ヒトの知能は60歳まで伸び続ける。いかに学び続けるかが将来を決める。
コラムで紹介されていた統計グラフを見ると、言語理解に関しては67歳くらいまでは伸び続ける、ということがわかる。
とすれば、50歳を超えたミドルエイジの人たちは「経験・言語」という部分では、若い世代よりも有利な面を持っている、ということになる。
問題となるのは、「過去の経験にしがみついて、新しいことを受け入れない」という、柔軟性のある思考と発想力の低下だろう。
逆に若い世代は、「未経験」という強みを持っている。
経験が無いからこそ、大胆でユニークな発想や思考を持つことができる。
何より、平成という30年はそれまでとは全く違う「新しいツール」を多くの人たちが手にした時代でもあった。
「新しいツール」とは、PCの普及やインターネット、スマートフォンの登場による、様々な新しいサービスの提供だ。
このような分野については、年齢が高くなればなるほど苦手意識が強くなり、若い世代からは「そんなことも分からないの?」と、言われることにもなる。
このような若い世代の「知ってて当然」という、自分たちの考えを押し付けることもまた、ある種の「硬直した考え方」なのではないだろうか?
先日発表された「幸福度ランキング」で日本は先進諸国の中でも低い58位だった。
「健康寿命」などは、上位であったにもかかわらず「他者への寛容さ」などが、低かったからだ。
この「他者への寛容さ」こそ、社会を大きく変える力なのではないだろうか?
そのために必要なことは世代を超えた「心の若さ(=柔軟なものの見方)」と「(他者から)学び続ける」ということのような気がしている。
新しい時代の幕開けとなる今だからこそ、一番大事な「変化への原動力」となると思うのだ。
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