名古屋に来て以来、ず~~~~~と利用していた書店がある。
地下鉄の駅そばにある書店だ。
その書店が、今月いっぱいで閉店するという。
ほぼ毎日のように、その書店へ出かけていた私としては大げさではなく、死活問題。
書店で平置きしてある本を眺めるだけでも、その時々の情報のようなものを知るコトができたからだ。
もちろん、雑誌の見出しタイトルを見るだけでも、十分その価値はあった。
今年、書籍取次企業の一つが倒産をした。
そして、Amazonが、本の値引き販売をすると、話題になっている。
Amazonの値引きは一部に限られるようだが、Amazonはすでに「古本」も扱っているので、値引き書籍といっても、利用者側から見れば「古本」程度にしか思っていないかもしれない。
そして、丸善とジュンク堂が一緒になったりして、書店そのものが大型化してきている。
大型書店と言えば、丸善+ジュンク堂、紀伊国屋書店、三省堂の3書店だろう。
もちろん、地方に行けばその地域の一番と言える書店もある。
そのような書店は、出版事業や教室運営なども行っており、地域の文化を担っているという場合も多い。
ところが「町の本屋さん」は、Amazonのように「古本」を扱っているわけではないし、地域の一番店のような出版事業を行っているわけでもない。
多くの本は、取次店から取り寄せ「委託」のような形で、販売をしている。
岩波新書のように、ほぼ買い取りという本も無いわけではないが、売れた本に対するマージンで設けている、というのが書店の経営になっている。
そのため、一時期「万引き」や「雑誌の一部を切り取る」という心無い客によって、問題になったコトがあった。
そのような苦難?を乗り越え、長い間「町の本屋さん」が無くなってしまう、というのは残念でしかない。
今回閉店する書店以外にも、ここ数年「町の本屋さん」が次々に無くなっている。
確かに、大型スーパーにも書店コーナーはあるし、Amazonで本を購入するコトだって、今では当たり前のコトになってきている。
Amazonと「町の本屋さん」とでは、取り扱っている書籍の量が雲泥の差だ。
それでも「町の本屋さん」というのは、その町の「文化的バロメーター」のような気がする。
決して閑古鳥が鳴いているような書店ではなく、いつもお客さんがいるような書店でも、時代の流れには抗うことができなかった、ということだろうか?
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