日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

メディアを疑う

2011-10-14 12:06:42 | マーケティング
新聞の下に、雑誌や書籍の案内がある。
特に書籍の場合、必ず「キャッチコピー」となる様な、目を引く言葉が書いてある。
このコピーや著名人の推薦文の一部を読んで、「読んでみようかな~」という気持ちになる方も多いと思う。
私なども、書店で見かけた帯文に惹かれて随分本を買った。
もちろん、おもしろい本もあれば「・・・(´・ω・`)」で終わった本もある。

そんな書籍案内を見ていたら、チョット気になる文面があった。
それは「国民的アイドルに成長したAKB48・・・・」と言う文章だった。
本の内容はおそらく「AKB48がヒットした分析」というトコロだと思う。
その内容では無く、コピーの一文「AKB48が国民的アイドルなのか?」という点に、引っかかったのだ。

ファンの方々には大変申し訳無いのだが、私自身はAKB48が国民的アイドルだとは思っていない。
アイドルだとは思うが、「国民的」だとは思わない。
では「国民的」というのは、どのような状況・状態であれば「国民的」というのだろう?

かつてのように、家庭にテレビが1台か2台しかなく、家族そろって見るテレビ番組があり、その中に登場するコトで「国民的」と呼ばれるアイドルや歌手が登場した時代があった。
それは幼稚園に通う子供からおじいちゃん・おばあちゃんまで、そのアイドルや歌手の存在を知っており、少なくとも顔と名前が一致する程度の認知度があるとすれば、それは「国民的」だと思う。

では、AKB48の場合はどうなのだろう?
元々彼女たちが登場する様なテレビ番組を見ない、と言うコトもあり、メンバーの殆どの名前と顔が一致しない。
一致しない以前の問題として殆ど顔も名前も知らない、と言うのが現実だ。
もちろん、話題となったメンバーだけはかろうじて、名前と顔が一致はするがその程度。
その程度では、「知っている」とは言えないだろう。
その意味で「国民的」とは言えないだろう。

実は、この様な「メディアが言うコト」と自分の実感と大きくかけ離れていると感じるコトが、ここ数年多くなってきた。
その理由の一つは、情報源の多様性があるだろう。
AKB48のファンの方たちが得る情報源を私は持っていないだろうし、その情報源のある場所も知らない。
そしてこの様な「情報源」は、ネット上などではたくさんあるはずなのに、それをあえて選ばない場合も多い。
その理由は「興味が無いから」だ。
興味の対象が多種多様となり、それに合わせるかの様に情報源も多種多様になり、自分の興味の無いコト・モノに対しては、なかなか情報を得るコトが難しくなってきている。
上述したように、テレビや新聞と言ったメディアが情報の中心で、家族そろってその情報を得るのが当たり前だった頃と今とは、全く違う社会となってしまったのだ。

そのことを考えると「国民的」と、宣伝文句に使うコト自体「・・・・」となってしまうのではないだろうか?
「メディアが大きく取り上げるコト・モノが、社会の中心」という時代では無いし、それに押し流されるのでは無く、自分の感覚と照らし合わせて、疑うコトの方が重要な気がするのだ。




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