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伝統行事ですら、視点を変えると意味まで変わる‐節分‐

2022-02-03 19:20:58 | アラカルト

毎月、和楽Webに掲載される、三笠宮彬女王のエッセイを楽しみにしている。
今月は「節分」がテーマだった。
和楽Web:節分は年越しの行事だった!旧暦を意識すると違って見えてくる、日本の行事

彬子女王が書かれている通り「立春を年の初めとして考える」、という暦の見方がある。
いわゆる「旧暦」で見たときのことだ。
といっても今の若い方などは「旧暦」といわれても、ピンとこないかもしれない。
例えば、仙台の七夕は7月ではなく8月に行われる。
旧暦の7月7日に、七夕まつりをしているからだ。
もっと一般的なところでは、「盂蘭盆会」かもしれない。
いわゆる「お盆」だ。
関東などの一部の地域を除くと、日本のほとんどの地域では「お盆=8月」のはずだ。
これは旧暦の7月に行われていたため、現在の8月に行っている、というわけだ。
逆に7月にお盆行事をする地域というのは、新暦をもとにして行っている、ということになる。

このように、日本人は旧暦と新暦を上手に使いこなしている。
使いこなしているはずなのだが、彬子女王が書かれている通り、自然の移り変わりと新暦があっていない、ということがままとしてある。
上述した「七夕」などは、その一例だろう。
新暦の7月7日の頃は、ちょうど梅雨のシーズンに入っているので「織姫と彦星は、年に1度の逢瀬もなかなかできない」。
それが新暦の8月になれば、梅雨も明け暑い毎日が続く頃になっている。
縁側や縁台などに座り、団扇などを扇ぎながら満天の星々を、眺めることができる。

旧暦と新暦の違いは、季節や自然の移り変わりに沿った暦か否か、ということになるだろう。
ただ、そのような視点で周囲を見回すと、これまでとは違った意味が見えてくる。
それは旧暦の行事に記された意味だ。
今日の節分で言うなら、鬼(=邪)を払い、心新たに新しい年を迎える、という発想もわかるような気がする。
それは、大みそかに行う「除夜の鐘」と同じような、意味を持っているようにも思える。
あるいは、東北地方の「なまはげ」も「節分の鬼」と同じような意味を持ち、「邪を払う」ための鬼のようにも思えてくる。

これと同じように、私たちは「あたりまえ」ということを、疑うことをせずにいる。
その「あたりまえ」に疑問を持った時、彬子女王のようにそのいわれを調べたりすることで、「あたりまえの風景」が全く違ったモノに見えてくるはずだ。
「あたりまえの風景」が、これまでと違ったモノに見えたとき、その「あたりまえ」の意味も変わるのではないだろうか?
彬子女王のエッセイは、そんな気づきを下さったように思う。