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女性マーケターから見た日々の出来事

「感動ポルノ」と同調圧力

2018-08-27 19:27:57 | 徒然

あくまでも個人的なことなのだが、やっと「8月最終週末が終わった」という気がしている、週明けだ。

ご存じのように、8月最終の週末には「24時間テレビ」がある。
テレビが無い我が家では、関係が無いはずなのだが、近所のスーパーには「24時間テレビを応援しています」という趣旨の広告が目に付き、買い物をした商品をレジ袋に詰め替えるテーブルには、募金箱が置かれ「募金をしましょ」と、訴えかけている。
これでテレビを視聴したら、嫌でも「募金をしなくては!」という、気になるだろうな~と、感じている。

そして同じ週末、名古屋では「にっぽんど真ん中祭り(通称「ど祭り」)」が開催される。
ソーラン祭りとよさこい祭りが合体したような、パフォーマンスを特設舞台でチームごとに競う、というお祭りイベントなのだが、参加される方々はもちろん、お祭りを見に行かれる方も「感動する」というお祭りらしい。
いうなれば、8月最終の週末の名古屋は「感動の嵐が吹きまくっている」という、状況なのだ。

ただ、このような「感動するでしょ!」的イベントが苦手で、なるべくなら参加はもちろん、見たくないと思っている。
一言で言うなら「感動しない」ことを、否定されているような気がするからだろう。
もう少し違う言葉で言うなら、「感動の同調圧力を受けたくない」ということになるかもしれない。

一昨年からだと思うのだが、NHK・E-テレの「バリバラ」が、「24時間テレビ」に対抗する放送をしている。
NHKE-テレ:バリバラ「障害者はテレビを救う」
今年は、アニメ映画「聲の形」を「24時間テレビ」の開始時間後に放映するなど、昨年の「バリバラ」とはやや攻め方を変えてきた。
NHKのE-テレでこのようなアニメ映画が放映される、ということは過去になかったように思う。
今回の「聲の形」を「バリバラ枠」として考えてよいのか分からないが、「聴覚障害」や「いじめ」というテーマを軸にした作品であると考えると、「24時間テレビの感動」とは違う「感動」を与えることになったのではないだろうか?

それは「感動」は、とても個人的なものである、ということなのでは?
「どまつり」や「24時間テレビ」で感動するのは構わないが、「どうだ!感動的だろう」という雰囲気の中で感じる「同調圧力」は、ごめんなさい、なのだ。
「募金」をすることが嫌なわけではない。
ただ「募金先」の選択肢は、自分で決めたいし、タレントさんがこの酷暑に走り続ける姿を見せられても「大変だな~」と思うだけで、「感動」はしない。そして「感動しない」ことに対して、「感動的でしょ!」という演出をされると、困ってしまう。

もうそろそろ、「感動の同調圧力」から解放して欲しい、と感じているのは私だけなのか?と、思う週末だった。