浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「講演集」より。

2014-08-23 01:33:55 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の「講演集」より ~


           講演集、 一


      「神の使徒としての決意」


お釈迦様は、弟子を布教に出される時、
「あなた達はあなたの赴くところの天と地と、
その地の多くの人々の幸福と利益の為に赴きなさい」
といって弟子を出されたのです。
私も頭は坊主ではありませんが、
お釈迦様の直弟子の一人としてどこへ行かせてもらいましても、
その地の天と地、
多くの皆さんの利益と幸福の為に少しでもお役に立てたら、
仏の弟子として自分の使命が果たせるのではないかと思って、
あちこちに行かせてもらっています。

次にお話するのは、人のあるべき行いについて、
或る光の大指導霊(シルバーバーチ)の
言霊です。私達の心掛けるべき言葉だと思います。
「自分自身の日々の生活の中で数多くの体験から、私は大人の霊、
つまり霊的に成人した人間の魂に訴えようと。
決意しました。
真理をできるだけ分かり易く説いてみよう、
常に慈しみの心をもって人間に接し、決して腹を立てまい、
そうすることによって私がなるほど神の使者であるということを
身をもって証明しよう、そう決心したのです。

同時に私は過去世の姓名は絶対に明かさないという
重荷を自ら背負いました。
仰々しい名前や称号や地位や名声を捨て、説教の内容と、
私の思いと、行いだけで勝負しようと決心したのです。
結局私は無位無冠、神の使徒であるという以外の何者でもないと
いうことです。
私が誰であるかということが一体何の意味があるのでしょう。
私がどのような程度の霊であるかは私のやっていることで
判断して下さい。
私の言葉が、私の誠意が、そして私の判断が、
暗闇に迷える人々の灯となり慰めとなったら、
それだけで私は幸せなのです」
高い高い光の霊が、
こんな風にして私達人間の生き方を思って下さるということですね。
よく「私の過去はお釈迦様である」とか
「私の過去はイエス・キリストである」とか
言われる方がありますね。

ほんとうの高い意識の霊魂は自分の名称を明かされることなく、
ただ説かれるもの、また霊的現象としてあらわれる現証の中に
神の子としての証をされます。行いをもって証をされるのですね。
私達も皆神の子です。神の子として自分の行いを行じた時、
みんな神の子として証ができるわけです。
先程の決意の言葉を福山の会場で話していました間に、
いろいろ病気を持った方が、その話を聞くだけで治っていかれました。


             ~ 感謝・合掌 ~




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