恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より
あとがき
この書の出版に至るきっかけとして、私を知る方々から、
どうしても長尾弘の生きざまを世に著わしてほしいという強い
希望がありました。
しかし、私は自分の人生を人に知られず生える野の雑草の一本として、
世に知られぬままに、人々の下僕として生き抜こうと思っておりました。
この実践を守り通して、この世を静かに去れたなら、大満足の人生であったと
思っていたからです。
何回もお断りしました。
今の世に受け容れられにくいであろう法を世に訴えても、労多くして益少なき
ことではないかと思っておりました。
しかし、たとえ一人でもいい、まことの心を求める求道者があるならば、
その方の参考としていただけるかもしれない。
こういう望みを託して、とうとう出版社との契約に踏み切ることになりました。
この書はあくまで一個人の人生における体験談です。
人に説法したり、人に聞かせるような意志はまったくありません。
自分に与えられた人生に悔いなき花を咲かせよう、人生の終末に喜びの果実を
収穫しようと、一生懸命に生きてきました。
私の生活実践は完全に自分を捨てて(不惜身命)、己を忘れて他を利する
(忘己利他)を理想としてきました。
この世の肉体の五官煩悩におおわれ、自己保存、自我我欲にとらわれ、地位、
名誉、名声、財産、金銭の追求に明け暮れる方々にとっては、まことに愚かな、
哀れな生活実践であると思います。
この生活実践を通してこそ、煩悩の炎が消え去った心の状態を
味わうことができます。
涅槃寂静の心境かもしれません。
涅槃はどれだけの知識を得ても、座しても、悟れるものではなく、
生活実践の中に悟るものだと思います。
しかし、第三者に強要はしません。
それは言うに易く、行うにあまりにも難しいからです。
また、弟子、後継者は、敢えて望みません。
それは自然にまかせます。
故高橋信次先生との出会いによって、私の人生は大きく変わりました。
もし、先生との出会いがなかったならば、今の私はありえないと思っています。
それは心に目覚めをいただいたからです。
心の目覚めがなかったならば、おそらく苦悩の中をさまよって人生を
終わっていたでしょう。
私が先生との出会いによって目覚めたように、この書との縁にふれた方々が、
結果として一人でも多く目覚めていただいたならば、幸甚であり、喜びであります。
また、このことによって、私個人の人生がはじめて存在する意義を持つことに、
心から感謝いたします。
この書の出版にあたり、ご尽力、ご協力をいただきました方々に対して、
心から感謝を申し上げます。
平成十年 十月吉日
長尾 弘 識す
~ 感謝・合掌 ~