恩師のご著書「講演集」より
講演集、 二
東京・沖縄講演のお土産話――懺悔と告白
先の続き・・・
「これをしてはならない」ということは、皆知っております。
しかし、神様は何をしてもお叱りにはなりません。
ただ目覚めてほしいと思って下さいます。
過ちを犯しておれば、自ら苦しまなくてはいけない、罰は自分の想念、
行為、言葉の過ちによって、自分が自分に当てるものです。
過ちを犯す者ほど神様はいとおしく思って下さいます。
そして心に目覚めてきますと、どなた様でもいとおしくなります。
「いとし子よ、目覚めてほしい、そして幸せになってほしい」という神の心が
湧き上がってきます。
すべてはそのようになる為にこの世に生を頂いております。
自分のことばかり考えておりますと、決して幸せにはなれません。
自然界は相互依存、持ちつ持たれつして、バランスのとれている世界です。
現象界はお互いに助け合って調和を保っております。
この調和の中にあって、私たちが自己保存、自我我欲というアンバランスな
生活をしていますと、自然の法則に自ら食み出していきます。
誰も自然から逃れて生きることはできません。
高橋信次先生のご存命中のことです。
和歌山で或る学校の校長先生が自分の過ちに気付くと、
もう恐ろしくなって何とかこのいやらしい自分から逃れたいと強く思って、
和歌山城の近くから和歌山港へ単車に乗って一生懸命逃げたところ、港に着くと、
「あなたが地球の果てまで逃げても逃がしません」と、自分の良心が言ったそうです。
宇宙の果てまで逃げても、監視されているこの良心は、
和歌山城から港まで逃げたとしても、そんなもの逃がしては下さいません(笑い)。
それでも必死になって、その先生は逃げたそうです。
しかし宇宙の果てまで逃げても、自分の心から逃れることはできません。
自分の中にはちゃんと神仏の心がいて下さいます。
孫悟空がお釈迦様に背いてお釈迦様に掴まった時、「私のこの手から逃れたら、
あなたを逃がしてあげよう」と言われました。
あまり悪いことをするものですから、お灸をすえられたのです。
お釈迦様の手などは、小さい手ですから「そんなことはわけない」と言って、
あの觔斗雲(きんとうん)を呼んでパッと雲に乗って逃げたそうです。
あれは時速何万キロという早さで走る雲だそうですね。
そして飛んで飛んで飛びぬいて地の果てまで来たと思って、もうここまで来たら、
いくら偉大なお釈迦様の手でも心配はないと思って雲から下りて見ますと、
五本の指のような大きな岩の柱があり、その柱に「聖天大王孫悟空ここに至る」と、
墨で書いて帰ってきました。
そしてお釈迦様にそう言いますと、「これを見よ、あなたが書いたのはちゃんと
ここにある」と、お釈迦様の手の指に孫悟空の書いた文字がはっきりと書かれていたということです。
つまりお釈迦様の手から逃げることはできなかったのです。
「西遊記」の有名な話しですけれど、これは自分の心から逃れなれないことを
言っているのです。
~ 感謝・合掌 ~