ノゾミのマイペースにランニングLIFE

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ガーミン投入

2013-03-18 23:24:00 | ノンジャンル
昨夜もハナと一緒にネンネです
最近は、だいぶ暖かくなったので、布団をしっかりかけて、私に密着してネンネではなく、布団から、かなり上半身を出して、私のマクラにその上半身を乗せて寝るので、ハナのふかふかな体に顔をうずめて、眠りました
あ~幸せだなぁ

そして、明け方、目を覚ますと増量していて、私とハナの間にリンが、ぎゅうぎゅうになって、寝ている

毎日、いつのまに入っているのか、分からないんだけど、3人で、仲良くネンネするのです

今朝は、昨日、一日中、活動していたので、疲れ果てて、9時間睡眠しました
それでもまだまだ寝たくて、起きたくなくて、グズグズ~
先に起きていたハナを呼んで、呼んで、呼んで、迎えに来て貰って



今日も会社に行き、お仕事~

細かい作業で、目があんまり良くないから、いつも以上の時間がかかりました
気を使うから、余計に疲れる・・・

今日は、強風だったから、練習に行くか悩んだけど、走りに出ました

コーチ業の復帰も近付いているので、真面目に練習しないと

とゆう事で、自分がどれくらいのペースで走っているのか、把握するために久々にガーミンと投入して、走りに出てみました

最初の1kは、5分20秒で、あとは、5分30~50秒位で走ってました
風が強くて、大変
それにニット帽をかぶっているので、熱い熱い

シューズもまだボテボテとソールの厚いシューズを履いているから、キレもないしねぇ

もうちょっと身軽に走ろうかなぁ


そんな私のハゲ具合だけど、、、、旦那には、“落ち武者”とか“モヒカン”とか言われる
そんなハゲにハナは、自分の頭をこすり付けをして来る
しかも傷口のある部分が好きみたいで。
私は私で、ハナのふかふかが気持ち良くて、ハナちゃん、もっとこすってぇ~って思うの

まぁ、そんなんで、ハゲとは、仲良くしてます


さぁ、疲れを溜めないように寝るべ寝るね


≪旦那が眠っていたら、娘達が集合≫


≪パソコンの前に座るとハナかリンが、やって来る≫


NACK5

2013-03-17 22:43:00 | ノンジャンル
今日は、久々に忙しい一日でしたlight

午前中に陸上競技の陸連公認審判の講習会に行って来ましたpencil
一年に一度、講習を受けないと更新されないので・・・
退院がこんなに早くになると思ってなかったから、今年は、更新出来ないかもと思ってたんだけど、無事に更新してこれました

トラック競技のスタートの変更があり、その説明に1時間以上かかりました
途中、もう眠たくて、あくびが止まらなくなりました

そして、12時半に終えて、帰宅すると13時半。
ご飯を食べて、少しのんびりするともう次の用事で、出発しなければならなくて
少しだけでも仮眠したかったんだけど


次に向かったのは、大宮のJACKビル

24日のさいたまシティーマラソンに向けてのコースの特徴やアドバイスをさせて頂きました
レッズランドのヘッドコーチとゆう事と前回の優勝者とゆう事で、生意気にもラジオからランナーの皆さんにアドバイスを

事前に文章を書いて、原稿にしたものがあったんだけど、直前の打ち合わせで、原稿に無かった文章も追加する事になり、ちょっとパニックになってて

スタジオに入って、少しするともう本番で


椅子に座り、座った椅子の前にマイクがあったので、“これに向かって、話せばいいのね”と理解して、ドキドキ

やっぱりプロは、凄い←当たり前

最初は、原稿通りに進んでいたのですが、時間が経つにつれ、原稿に無い内容になり、タジタジ

どんどん汗だく

もぉ~体が熱くて、ボーボーボーボー

でもそんな緊張の時間もあっとゆう間でした

小笠原さんにうまくフォローして頂きながら、無事に()終える事が出来ました

本当に貴重な経験をさせて頂きました
ありがとうございました


終わった直後に送迎をして、車でラジオえお聞いていた旦那から、『良かったよ』とメールが

安心しました

他にも聞いて下さっていた方があり、スグにメールを頂きました
ありがとうございました


そして、興奮冷めやらぬまま、鴻巣の陸上競技場にgo~

高校生の記録会の観戦

若い子達の走りを見ていて、“私も走りたい”と強く強く思いました


頑張ろう

そんな訳で、今日は、頭も使い、初体験もして、熱い気持ちにさせて貰い、充実した素敵な一日になりました


明日からの仕事も頑張ります



≪ゴミ袋を漁る飼い猫・・・止めて欲しいんだけど≫


≪審判は、アナウンサーとスターターです≫


≪NACK5≫


病気の記録②

2013-03-16 22:34:00 | ノンジャンル
手術が終わり、意識が戻ると太い管が、2本入っていた。

そして、更に意識が戻って来るとまた吐き気が・・・

CTを撮ってから、ICUに移動し、しばらくすると両親、旦那、義母が来てくれた。

やっぱりお母さんは、泣いていた。
『もぉ、終わったから、大丈夫だから』って、慰めて。

そうしていると血栓ができないように足を定期的に圧迫させる器具を取り付けられたり、酸素マスク付けたり、いろいろ取り付けられ、でも動かされる度にゲーゲーしてた。

すると担当の看護師さんが、挨拶に来てくれて、声を聞いて?????と思った。

そう、1回目のカテーテルで、吐き気に襲われてた時に介抱してくれたあの看護師さんだった。

看護師さんが、

『また同じ状態の時に担当になるなんて、偶然ですね』って。

『またお世話になります』などと会話していると看護師さんが

『実は、私もノゾミってゆう名前なんですよ』って。

『またまた偶然ですね』と、何だか、一気に親近感。
具合が悪いのに嬉しくなったりして(笑)



吐き気と一言で、言っても今までに体験した事のない吐き気。

指先をほんの少し動かしたり、足首を動かしただけで、気持ち悪くなり、激しい嘔吐に襲われる。
れる。
だから体をピクリとも動かしたくなかった。

全身に残ってる麻酔に体が拒絶しているからだと言われた。

頭は、右の耳の後ろから、後頭部にかけて、包帯で、ぐるぐるに巻かれてていて、右の後ろの切った部分が、こんもりとガードされていて、寝返りをうてない。
39℃近い高熱も苦しみを増量させた。

体内から、麻酔が抜けない限り、高熱と吐き気の症状が続くからと点滴も大量に入れられ。吐き気止めも同時に入れてくれたけど、まったく効かず・・・


夜中にあまりにも嘔吐が激しいので、座薬も投入して貰ったけど、、やっぱり効かず。

夜中、私も気付かないうちにウーウー唸ってたみたいで、看護師さんに何が一番苦しい?と聞かれ、高熱が苦いと伝えると氷枕を背中に入れてくれた。

そして、前日にカテーテル手術を受け持って下さった須磨先生も夜中にも関わらず、様子を見に来て下さった。

術後から、意識が混濁していないか、住所や電話番号、生年月日などを定期的に効かれた。
寝ていても起こされ、質問された。

朝になると右の後ろにこんもりと巻かれていたカバーと包帯が外された。

その時に

『頭から管を抜くから、痛いよ』と。


『え~頭に管が刺さってたのぉ?』
恐ろしい。

抜く時は、痛くなかったんだけど、その穴にギシギシと何かを詰める時にちょっと痛みが。
怖い怖い。

手術の次の日、吐き気や高熱があったけど、一般病棟の個室に戻る事が出来た。

まだ吐き気があり、あと手術をうつ伏せで受けたので、顔が、パンパンに浮腫んでいた。特に左側が、パンパンに腫れていて、目が開かなかった。


また午後に両親、旦那、義母が来てくれたけど、起きているのも辛く、ほとんど、目を閉じてた。
水を飲む事を許されたけど、胃に何か入ると全部、戻した。

食べれない、飲めないから点滴は、増える一方。



日曜日、吐く間隔も空いて来た。
熱は、あいかわらず38℃台からなかなか下がらない。
脳の手術をしたので、脳が、炎症を起こしてて、首から上が熱い。

高校時代の陸上部のキャプテンが、お見舞いに来てくれた。
でも寝たきりだったし、目が腫れてたから、顔を見る事ができなかった。
うちの両親とも面識があるから、久々の再会に盛り上がっていた。

すると帰ったあとにまた戻しちゃって。
話をしていると脳に響いて、吐き気を催す。
これは、慣れていくしかないと先生にに言われた。

日曜日の夜に両親が、秋田に戻る事になっていたけど、私の状態が、まだ心配だったみたいで、帰るか、もう1泊するか悩んでたけど、『もう大丈夫だから、帰った方がいいよ』って、私が、説得して、帰らせた。

犬も連れて来てたし、両親ももう若くないからね。


月曜日の朝に木曜日から、ずっと入っていたお小水の管が、ようやく外された。

もぉ~これが一番イヤなんだよ。
自由に動けないし、常に変な感じがして、トイレに行きたい感じがして。

管が外されたとゆう事は、自力で、トイレに歩いて行かないといけない。

点滴をぶら下げている相棒をゴロゴロ引いて、歩いて、トイレへ。

個室から、トイレが目の前だったから、助かった。

5日ぶりに立ち上がり、歩くとフラフラ~。

1回目のトイレには、看護師さんが、付いて来たけど、しっかり行けたので、次からは、一人で行ってもOKが出た。

歯を磨くとフラフラして、何かに捕まっていないとフ自分では、立ってららなかった。立つだけで疲れるしで、かなり弱ったなぁ・・・と痛感。

この足では、歩く事もままならないと思い、自分なりの頭に負担がかからない補強をした。

ベットから立ち上がる時トイレに座る時にわざとをゆっくり立ち上がったり、ゆっくり座ったりして、前モモに負荷をかけたり。

これが、効いて、歩く時にも力強さを実感出来た。


こっそりスクワットもして。

そうこうしているとと何故か、生理になった。
終わったばっかりだったから、くるはずがないのに・・・

まだ吐き気もある状態で。。


体が、ピンチだったから、子孫を残すために体が勝手に反応したのかも?!
本当に人間の体は、不思議だね。

これが、また私を苦しめる事になる。。。
手術の時に最小限の出血で抑えてくれたので、輸血をしないで済んだけど、生理で、大量出血で、吐き気も具合悪さも増量され、貧血で、トイレに行くと以外は、寝たきりに。

主治医からは、何でもイイから、差し入れて貰って、とにかく食べるように言われたけど、受け付けない。

飲まず食わずの6日目の昼食で、お吸い物を試しに飲んでみた。


すっごい美味しく感じて、泣けた。

久々に胃が受け付けてくれて、全部飲めた。


あの時のお吸い物の味は、一生忘れられないな。

これを機にゼリーと果物が食べられるようになり、食事もお粥に換えて貰い、少しずつ、食べるようにして。

お見舞に来た旦那が教えてくれた


『そう言えば、手術後に執刀してくれた茂呂先生に会った時、ゲッソリしてたよ』

って。

毛細血管を絶ち切るために顕微鏡を見ながらの手術。
神経を費やしての5時間半。
それだけ私のためにやってくださったと思うと本当に有り難くて、有り難くてm(__)m
感謝感謝感謝ですm(__)m

食事が取れるようになると元気になり、ウロウロ病棟を歩ける範囲も広がり。

その頃、一番ビビっていた抜糸も半分して貰えて、久々のお風呂の許可も下りて、お風呂へ。

頭を洗うのもドキドキで。

緊張しながら、頭を洗うと・・・・


よくドラマなどで見るような手に髪の毛が、抜けて、わっさり付いている。
床に大量の髪の毛が流れている・・・


カテーテルをやった時、放射線を当て、映像を撮しながらやったので、そのうち抜けるから、、と言われてたから、覚悟はしてたんだけど。

結構、衝撃的でした。

そして、初めて、鏡に写った手術の傷口と対面・・・


頑張ったね、私の体。


って、思った。

そして、抜けた髪の毛の範囲も衝撃的で、一番最初は、直視出来なかった。

命が助かったんだから、髪の毛くらい・・・



術後、心配されていた左半身の麻痺も痙攣も入院中は、出なかった。

頭を切ったので、寝る時の体勢にも苦労して、夜中に無意識に傷口を下にしちゃって、痛みで起きた時もあった。

だけど、術後、頭の中の痛みや傷口の痛みを感じた事がなかった。
看護師さんには、「痛み止めも出すから」と言われていたけど、一度も使う事はなかった。

それに麻酔などで、体に負担をかけたから、余計な薬を飲みたくなくて。。。


手術から、一週間で、まさかの退院の許可。
だけど、さすがにまだ怖くて、許可が下りてから、4日間、置いて貰った。
隊退院が決まると更に元気になり、食事も頑張って、食べるように心がけた。


退院。


まで次の検診まで、左半身の麻痺や痙攣の可能性があったから、安静にしてないといけなかった。
1時間置きの生存確認。
旦那が、メールで、定期的にしてくれた。

後遺症として、左目の視野が狭くなった。
視力が落ちた訳じゃないけど、視野が消えた。

これも時間と共に戻って来るとゆう。


この病気が見つかってから、多くの方に心配や迷惑をかけてしまった。

そして、日大板橋病院のドクターや看護師さんには、本当に良くして頂きました。
カテーテルに開頭の手術に何の不安なく終える事が出来たのも信頼の出来るドクターにやって頂けたから。

本当に感謝感謝感謝感謝です。


『怖くなかったですか??』

と言われたけど、“怖い”なんて思った事は、一度もなかった。
漠然とだけど、


『絶対に治る』

とゆう確信が私の中にあって、本当に前だけを向いて、治療出来た。

待っていてくれる人たちが居たんのが、力になりました。

人生、何があるか分からない。
自分が、
まさか、自分が、頭の手術を受けたり、髪の毛がわっさり抜けたり、後遺症の心配をしたり・・・

でも私は、手足も何の不自由もなく、生きている。

生かされた命なので、精一杯やり残した事をやりたい事をやりたい。




最後に皆さん、本当にありがとうございました。


私は、生きています。

病気の記録①

2013-03-13 22:04:00 | ノンジャンル
今夜は、ちょっと時間があるので、記憶が鮮明なうちに病気のまとめを記しておこうかな。


2012年10月30日に寝起きにシャワーを浴びたあとに後頭部が重たく感じ、同時に吐き気。
午後になると激痛に変わったので、近所の病院に薬を貰いに行ったけど、休診していて、義姉に車で、違う病院に連れて行って貰うと“脳内出血”している事が分かり、その時に『脳動静脈奇形』よゆう病気が発見された。義姉に連れて行って貰った病院にたまたま脳外科の医師が外来で来ていたのが、幸いで、CTなどを撮ってくれたために早期発見につながった。

でも聞いた事のない病名にポカーンとするしかないまま緊急入院。そこからネットで、どんな病気なのか、そして、どんな治療法があるのかを旦那が調べてくれました。

1回目の入院は、脳内出血の治療(点滴のみ)と今後の治療をどうするか??と話し合うだけで、脳内出血も3日で、良くなったので、3回入院した中で、一番ヒマで、たいくつで、緊急入院で、自宅とネコが心配で、早く帰りたいなぁと思っていた。

脳動静脈奇形を治すためには、3つの方法があり、

・放射線治療
・カテーテルで、太くなった血管を塞ぐ
・開頭手術で、その部分を除去する

どれもリスクはあった。
 手術以外は、リスクがあるのに完璧に治らなかったり、完治までに時間がかかったりした。

旦那にどうするか考えろと言われ、調べてくれた資料読んで、、、読んだ時から私の中には、『手術』とゆう選択肢しかなかった。

確かに頭を開き、脳に手を加えるんだから、大きなリスクがあるのは、分かっていたけど、完治するには、手術する事が一番の近道だった。

でも私の決断が、あまりにも早かったから、お医者さんには、「そんなにスグに結論を出さなくてもいいよ」と言われたけど、私の決断は、揺るがなかった。

一番最初に入院していた病院では、治療を受けられなかったので、日大板橋病院に転院する事になった。

しかし、ここからが長かった。

大きな病院だけに手術室の空きがないので、空きを待たなければなからなかった。

開頭手術の前に手術時の出血を減らすためと太くなった血管ばかりに流れていた血液を毛細血管にも行き渡せるようにカテーテルで、太くなった血管を塞ぐ手術を2回受ける事になった。

2013年1月17日に明後日のカテーテル手術の備えて、入院。


1回目のカテーテルは、6時間の予定。
カテーテルの時は、意識を朦朧とさせる麻酔を使って、意識はあるまま行なったんだけど、この意識を朦朧とさせる麻酔が合わず、投与直後から、吐き気に襲われた。
『動かないで下さい』と言われていたので、吐き気がある事も伝えられず、冷や汗が止まらず。ドクターの会話も全部聞こえる状態で、5時間半、あっとゆう間に時間が過ぎた。


カテーテルが抜かれると我慢していた吐き気に耐えられず、激しく嘔吐。
ちょっとでも動くものなら、ゲーゲー吐いていた。

終わった時、ドクターが、『今日は、楽しかった』と。主治医も『尾池さん、順調に終わったからね』と。順調と言っても5時間半かかっているからね。

カテーテル室から、ICUに移動して、一晩を過ごしたんだけど、吐き気は、治まらず、胃の中に何も入っていないし、胃液も吐ききり。更に高熱も出て、苦しさを倍増させた。

そんな時、ICUの看護師さんが、吐き気に襲われ、ゲーゲーしているとさっと来てくれて、背中をさすってくれた。うがいをさせてくれた。

一晩中、何度も何度も背中をさすってくれた。

あの苦しい時に温かな手は、本当に有難かった。

次の日、予定通りに一般病棟に戻れた。おしっこの管も外して貰えたけど、吐き気が治まらず、食事が取れない。けど、自力で、トイレに行かなければならないから、フラフラしながら、なんとか、トイレへ、必死に。


吐き気で、食事が取れない日が、3日間続いた。
けど、食べられるようになると回復するのは、早かった。どんどん回復し、カテーテル手術から、1週間で、一時帰宅が許された。

1月29日。
3回目の入院。

これが、一番、苦しい入院生活になる事を覚悟して。

この日に開頭の手術を執刀してくださる茂呂先生と初対面。
そこで、開頭の手術の説明を旦那と共に聞きました。
茂呂先生の穏やかな口調と面白さにどんどん引き込まれていきました。
太くなった血管に付いている毛細血管を1本1本、断ち切って行くとゆう。

『何があっても諦めないから、頑張ろう』と言って下さった。

最後に髪の毛をどの位、剃るのか決める時にナースステーションも巻き込む程、笑いを取って、説明を終了。大きな手術を控えているようには、思えない程、緊張感がなかった。



1月31日 カテーテル回目。
この日、秋田から、両親が出て来てくれた。2日間、手術が続くからね。
両親は、心配で心配で、あと“万が一”に備えて。
2回目目のカテーテルでは、1回目に朦朧とさせる麻酔が合わなかったので、違う薬を使ってくれたので、最後まで、余裕で、終える事が出来た。
でも1回目に無かった、カテーテルが、頭の血管を通る時に痛みを感じたので、「痛いです」と何度か訴えた。

2回目も順調に終わって、3時間で、終了。CTを撮ってから、ICUに入り、両親と旦那ちゃんと義母が、会いに来てくれた。

余裕だったので、『オナカ空いたぁ』と話をした。


2月1日、いよいよ開頭手術。

ICUから両親、旦那、義母に見送られて、手術室へ。



スグに弱い麻酔を吸わされた。






『尾池さん、尾池さん、終わったよ』


と肩を叩かれ、目を覚ます。

麻酔のドクターが、『心拍数が34まで、下がったから、ダメかと思ったぁ、焦ったよ』と話をしているのが、聞こえた。

意識が戻ってくると喉に酸素を送る太い管が、2本入っていた。






続きは、また明日



食欲

2013-03-13 00:00:00 | ノンジャンル
昨日、70分近く走ったので、さすがに今日は、ドッと疲れが・・・
どうやら、手術をしたあとは、体のいろんな免疫力が低下するから、疲れ易かったり、病気にかかり易かったりするらしい

でも確実に手術した直後や退院した直後に比べたら、体力も付いて来たし、体も思うように動いてくれるし

今もまったく走れないけど、これから、インターバルとかしたら、ますます走れない自分を思い知らされるんだろうなぁ

まぁ、そんな自分をもしっかり受け止めて、どんどん走れるようになって行くのを楽しみたいと思ってます

そんな走れない今も楽しい
人生で、一番、走れてないなぁ



最近、食欲が、凄い

食べたい要求が一日に何度も


そうです、わたしじゃなくて、ハナちゃんが

ハナは、うちに来た時から、食には、興味がないネコちゃんなんたけど、、、

春だからかなぁ、寝て起きては、ご飯で、また寝て起きては、ご飯・・・

まぁ、運動量も増えるから、食べたいだけ、食べさせてあげても一日にあげても良い量よりも少ないから、いいんだけど

それが、ハナは、いつも自由に食べれるようにしているご飯じゃなくて、“シーバ”とゆう、ちょっと高い、どこのネコも絶対に好きなご飯があるんだけど、それを要求して来て

いつもは、夜にしかあげるやつなんだけど、朝でも昼でもシーバをしまってある棚の前に座って、こちらを見つめて、


『シーバが、食べたいんですけど、ちょーだい』

って、目で訴える

私の入院中に旦那が、甘やかして、あげてたらしい

でもそこで、私もぎゅっと締めて、あげなきゃイイのにあの可愛い目に見つめられるとついあげちゃうのです

まぁ、ハナが、美味しく食べてくれて、満足してくれたら、それで、イイのよ

リンちゃんは、いつも食欲旺盛で、食べ過ぎて、オナカが、ダランダランしている

走らせないと


そんなこんなで、早く寝ます


《姉妹でないお外監察中先に見ていたのは、ハナだけど、リンちゃん、遠慮なくズイズイ前へ》