ノゾミのマイペースにランニングLIFE

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病気の記録②

2013-03-16 22:34:00 | ノンジャンル
手術が終わり、意識が戻ると太い管が、2本入っていた。

そして、更に意識が戻って来るとまた吐き気が・・・

CTを撮ってから、ICUに移動し、しばらくすると両親、旦那、義母が来てくれた。

やっぱりお母さんは、泣いていた。
『もぉ、終わったから、大丈夫だから』って、慰めて。

そうしていると血栓ができないように足を定期的に圧迫させる器具を取り付けられたり、酸素マスク付けたり、いろいろ取り付けられ、でも動かされる度にゲーゲーしてた。

すると担当の看護師さんが、挨拶に来てくれて、声を聞いて?????と思った。

そう、1回目のカテーテルで、吐き気に襲われてた時に介抱してくれたあの看護師さんだった。

看護師さんが、

『また同じ状態の時に担当になるなんて、偶然ですね』って。

『またお世話になります』などと会話していると看護師さんが

『実は、私もノゾミってゆう名前なんですよ』って。

『またまた偶然ですね』と、何だか、一気に親近感。
具合が悪いのに嬉しくなったりして(笑)



吐き気と一言で、言っても今までに体験した事のない吐き気。

指先をほんの少し動かしたり、足首を動かしただけで、気持ち悪くなり、激しい嘔吐に襲われる。
れる。
だから体をピクリとも動かしたくなかった。

全身に残ってる麻酔に体が拒絶しているからだと言われた。

頭は、右の耳の後ろから、後頭部にかけて、包帯で、ぐるぐるに巻かれてていて、右の後ろの切った部分が、こんもりとガードされていて、寝返りをうてない。
39℃近い高熱も苦しみを増量させた。

体内から、麻酔が抜けない限り、高熱と吐き気の症状が続くからと点滴も大量に入れられ。吐き気止めも同時に入れてくれたけど、まったく効かず・・・


夜中にあまりにも嘔吐が激しいので、座薬も投入して貰ったけど、、やっぱり効かず。

夜中、私も気付かないうちにウーウー唸ってたみたいで、看護師さんに何が一番苦しい?と聞かれ、高熱が苦いと伝えると氷枕を背中に入れてくれた。

そして、前日にカテーテル手術を受け持って下さった須磨先生も夜中にも関わらず、様子を見に来て下さった。

術後から、意識が混濁していないか、住所や電話番号、生年月日などを定期的に効かれた。
寝ていても起こされ、質問された。

朝になると右の後ろにこんもりと巻かれていたカバーと包帯が外された。

その時に

『頭から管を抜くから、痛いよ』と。


『え~頭に管が刺さってたのぉ?』
恐ろしい。

抜く時は、痛くなかったんだけど、その穴にギシギシと何かを詰める時にちょっと痛みが。
怖い怖い。

手術の次の日、吐き気や高熱があったけど、一般病棟の個室に戻る事が出来た。

まだ吐き気があり、あと手術をうつ伏せで受けたので、顔が、パンパンに浮腫んでいた。特に左側が、パンパンに腫れていて、目が開かなかった。


また午後に両親、旦那、義母が来てくれたけど、起きているのも辛く、ほとんど、目を閉じてた。
水を飲む事を許されたけど、胃に何か入ると全部、戻した。

食べれない、飲めないから点滴は、増える一方。



日曜日、吐く間隔も空いて来た。
熱は、あいかわらず38℃台からなかなか下がらない。
脳の手術をしたので、脳が、炎症を起こしてて、首から上が熱い。

高校時代の陸上部のキャプテンが、お見舞いに来てくれた。
でも寝たきりだったし、目が腫れてたから、顔を見る事ができなかった。
うちの両親とも面識があるから、久々の再会に盛り上がっていた。

すると帰ったあとにまた戻しちゃって。
話をしていると脳に響いて、吐き気を催す。
これは、慣れていくしかないと先生にに言われた。

日曜日の夜に両親が、秋田に戻る事になっていたけど、私の状態が、まだ心配だったみたいで、帰るか、もう1泊するか悩んでたけど、『もう大丈夫だから、帰った方がいいよ』って、私が、説得して、帰らせた。

犬も連れて来てたし、両親ももう若くないからね。


月曜日の朝に木曜日から、ずっと入っていたお小水の管が、ようやく外された。

もぉ~これが一番イヤなんだよ。
自由に動けないし、常に変な感じがして、トイレに行きたい感じがして。

管が外されたとゆう事は、自力で、トイレに歩いて行かないといけない。

点滴をぶら下げている相棒をゴロゴロ引いて、歩いて、トイレへ。

個室から、トイレが目の前だったから、助かった。

5日ぶりに立ち上がり、歩くとフラフラ~。

1回目のトイレには、看護師さんが、付いて来たけど、しっかり行けたので、次からは、一人で行ってもOKが出た。

歯を磨くとフラフラして、何かに捕まっていないとフ自分では、立ってららなかった。立つだけで疲れるしで、かなり弱ったなぁ・・・と痛感。

この足では、歩く事もままならないと思い、自分なりの頭に負担がかからない補強をした。

ベットから立ち上がる時トイレに座る時にわざとをゆっくり立ち上がったり、ゆっくり座ったりして、前モモに負荷をかけたり。

これが、効いて、歩く時にも力強さを実感出来た。


こっそりスクワットもして。

そうこうしているとと何故か、生理になった。
終わったばっかりだったから、くるはずがないのに・・・

まだ吐き気もある状態で。。


体が、ピンチだったから、子孫を残すために体が勝手に反応したのかも?!
本当に人間の体は、不思議だね。

これが、また私を苦しめる事になる。。。
手術の時に最小限の出血で抑えてくれたので、輸血をしないで済んだけど、生理で、大量出血で、吐き気も具合悪さも増量され、貧血で、トイレに行くと以外は、寝たきりに。

主治医からは、何でもイイから、差し入れて貰って、とにかく食べるように言われたけど、受け付けない。

飲まず食わずの6日目の昼食で、お吸い物を試しに飲んでみた。


すっごい美味しく感じて、泣けた。

久々に胃が受け付けてくれて、全部飲めた。


あの時のお吸い物の味は、一生忘れられないな。

これを機にゼリーと果物が食べられるようになり、食事もお粥に換えて貰い、少しずつ、食べるようにして。

お見舞に来た旦那が教えてくれた


『そう言えば、手術後に執刀してくれた茂呂先生に会った時、ゲッソリしてたよ』

って。

毛細血管を絶ち切るために顕微鏡を見ながらの手術。
神経を費やしての5時間半。
それだけ私のためにやってくださったと思うと本当に有り難くて、有り難くてm(__)m
感謝感謝感謝ですm(__)m

食事が取れるようになると元気になり、ウロウロ病棟を歩ける範囲も広がり。

その頃、一番ビビっていた抜糸も半分して貰えて、久々のお風呂の許可も下りて、お風呂へ。

頭を洗うのもドキドキで。

緊張しながら、頭を洗うと・・・・


よくドラマなどで見るような手に髪の毛が、抜けて、わっさり付いている。
床に大量の髪の毛が流れている・・・


カテーテルをやった時、放射線を当て、映像を撮しながらやったので、そのうち抜けるから、、と言われてたから、覚悟はしてたんだけど。

結構、衝撃的でした。

そして、初めて、鏡に写った手術の傷口と対面・・・


頑張ったね、私の体。


って、思った。

そして、抜けた髪の毛の範囲も衝撃的で、一番最初は、直視出来なかった。

命が助かったんだから、髪の毛くらい・・・



術後、心配されていた左半身の麻痺も痙攣も入院中は、出なかった。

頭を切ったので、寝る時の体勢にも苦労して、夜中に無意識に傷口を下にしちゃって、痛みで起きた時もあった。

だけど、術後、頭の中の痛みや傷口の痛みを感じた事がなかった。
看護師さんには、「痛み止めも出すから」と言われていたけど、一度も使う事はなかった。

それに麻酔などで、体に負担をかけたから、余計な薬を飲みたくなくて。。。


手術から、一週間で、まさかの退院の許可。
だけど、さすがにまだ怖くて、許可が下りてから、4日間、置いて貰った。
隊退院が決まると更に元気になり、食事も頑張って、食べるように心がけた。


退院。


まで次の検診まで、左半身の麻痺や痙攣の可能性があったから、安静にしてないといけなかった。
1時間置きの生存確認。
旦那が、メールで、定期的にしてくれた。

後遺症として、左目の視野が狭くなった。
視力が落ちた訳じゃないけど、視野が消えた。

これも時間と共に戻って来るとゆう。


この病気が見つかってから、多くの方に心配や迷惑をかけてしまった。

そして、日大板橋病院のドクターや看護師さんには、本当に良くして頂きました。
カテーテルに開頭の手術に何の不安なく終える事が出来たのも信頼の出来るドクターにやって頂けたから。

本当に感謝感謝感謝感謝です。


『怖くなかったですか??』

と言われたけど、“怖い”なんて思った事は、一度もなかった。
漠然とだけど、


『絶対に治る』

とゆう確信が私の中にあって、本当に前だけを向いて、治療出来た。

待っていてくれる人たちが居たんのが、力になりました。

人生、何があるか分からない。
自分が、
まさか、自分が、頭の手術を受けたり、髪の毛がわっさり抜けたり、後遺症の心配をしたり・・・

でも私は、手足も何の不自由もなく、生きている。

生かされた命なので、精一杯やり残した事をやりたい事をやりたい。




最後に皆さん、本当にありがとうございました。


私は、生きています。