ノゾミのマイペースにランニングLIFE

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同期の仲間宅へ

2015-04-15 00:26:00 | ノンジャンル
昨日は、パスポートを受け取りに有楽町へ

いよいよワーイワイ

そして、そのまま新宿から懐かしの京王線に乗り、秋田から上京して住んだ町へ

最寄りの駅だった分倍河原から思い出の道を歩いて、同期との待ち合わせの中河原駅に向かおうと思い、降りたんだけど…

ザーザーザーザー

また改札に戻り、電車で、中河原へ

同期の紗代に会うのは、紗代の二次会以来だから、7年ぶり…

もう二度とNEC陸上部のあった場所へは行けない。

行きたくない。

でも同期が住んでいるなら、仕方ない

紗代のうちからは、ホームコースだった多摩川が見えた
これまた懐かしい
よくこんな所に住んでられるね(笑)と言ってやったよ

あの時の記憶がどんどん甦って来た。

NEC に在籍した2年間、たった2年間なのにとてつもなく辛く苦しい時間で、何十年も過ごしたような気がしている

正確に言えば、1年目の12月の全日本実業団で怪我をしてからだから、1年ちょっとの生き地獄。

今でもあの場所に行くと今だに涙がこぼれる。

孤独で、孤独で、、一人ぼっちで、淋しかった

自分の味方をしてくれる人は、そばには、居なかった。

私は、透明人間だった。

私も笑顔を無くし、話す事も出来なくなった。

何度も死のうと思った。
生きていても辛いだけで、死んだ方が楽だと思えた。

あの日々にだけは、戻りたくない、絶対に

今は、生きていて、良かったと心底、思う

私の忘れられない光景。

2年目の正月休み、秋田から東京に戻る新幹線が発車する時。

家族が見送りに来てくれて、姉が

『いつでも帰って来てイイんだよ』
『頑張らなくて、イイんだよ』

と言ってくれた

私には、帰れる場所があると思うから、どんなに辛くても頑張って、耐えて、ここまでやって、来られた

帰れる場所がある人間は、強いのよ

でもね、今の自分があの時に戻れたら、あんな風には、ならなかった。
完全なうつ状態だったからね。

今なら、乗り切れる事も笑い飛ばせる事も全て、マイナスにしか捉えられなかった。

若かったんだね、私。

NEC が廃部になり、選手の半分以上は、喜んで、ホッとしただろう。

寮が解体され、みんなが、無くなって良かった…と思っただろう。

今は、幸せだよ~

あの時、こんなに笑顔で暮らせる日々が訪れるなんて、想像も付かなかった

本当に幸せだ

今は、私に関わって下さる方々が、優しくて、温かくて、あの孤独だったじかんがウソのよう

幸せだ

自分一人では、作り上げられない幸せな時間にこれからも感謝して、前を向いて、歩いて行きますワ

私にもあった闇の時間の思い出話でしたチャンチャン

さぁ、明日は、ランドだ、寝よ~