ノゾミのマイペースにランニングLIFE

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あれから一年

2014-02-01 23:14:00 | ノンジャンル
1年前の2月1日に開頭手術を受けましたlight
昨日、1月31日には、カテーテルの手術でした
2日間連続の手術に耐える体力はあるだろうか・・・??
なんて、心配は、微塵も要らない私だったので、病院も何の心配もなく、手術に挑めた事でしょう

カテーテルは、2回目だったから、3時間位で、ちょちょっちょって、終わり、ICUに

何かあった時のために秋田から出て来ていた両親との会話も覚えている
今、思い出しても尿道に入っていた“管”は、嫌な物でした

手術の朝、看護師さんに体を拭いて貰い、『まさか、こんな若さで、看護師さんのお世話になるとは・・・』と会話して、笑われ

手術に向かう時も余裕な感じでした
行って来ます

麻酔で、眠ったら、私は、寝ているだけだから、あっとゆう間だからね。。。。

『尾池さん、終わったよ』って、麻酔の先生に起こされ、医師達の「焦ったぁ~もうダメかと思った」と心拍の低下により、けたたましい危険を知らせるアラームが鳴ったそうで

すんません、スポーツ心臓なので

術後、両親との会話も涙する母の顔も覚えている
まだ頭から管が何本か出ている姿は、両親には、見せたくなかったね
全身麻酔に体が拒否して、ゲーゲー吐く姿も脳が炎症しての高熱に苦しむ姿も見せたくなかった

自分が、苦しんだり、痛かったりするのは、自分が、我慢すれば良いだけだから、いいのだけど、両親が悲しむ姿は、見たくないもんね

半年の闘病生活で、一番、病人らしかった手術からの2週間(笑)
麻酔が体から全て排出されるまで、吐き気に襲われ、水も飲めない状態で、点滴は、増える一方
脳の炎症での高熱も普通の熱と違うくて、苦しかったぁ~

私は、大変な事をしたとゆう感覚はなく、誰もが経験出来る事じゃないから、いろんな経験が出来て、良かったかなぁとも思ってるし、、、、不謹慎かもしれないけど。

病名を聞いた時も“絶対に治る!!大丈夫”って、思えたから、辛い時期も乗り越えられた

一番、ショックだったのは、術後、起き上がっても良い許可が出て、トイレに行こうと立ち上がった時に何かの捕まらないと立てない程、体力も脚力も落ちていた事かな

立つ事さえ、ままならない状態だったので、走れるようになるまでは、かなりの努力が必要になると。。。。。


とにかく何より、たくさんの方々に支えられ、私は、元気になれました

待っていて下さった方々には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです

あっ、勝手に待っていてくれていると思っていたけど
私の回りには、温かい心の持ち主がたくさん居るなぁとも実感



ありがとうって、言葉だけでは、足りないけれど、

たくさんの『ありがとう』を



≪退院直前の私≫


≪この前の私~変わらない≫


ネムムムム

2014-02-01 07:37:00 | ノンジャンル
今日は、これからランドだ、ニャン

昨夜は、旦那が、こたつで寝たため、ハナリンもこたつの中で、就寝・・・

ほんとうに止めて欲しいんだけど、ジュータンをフカフカにかえてから、リビングで寝る事が増えた

フカフカ過ぎるのも考えものだな

昨日も会社は、踏み場のない状態の中、とりあえず空いている机で、仕事途中まで、一人でやっていたから、終わらず、17時過ぎに

そのあとは、仁の宿題を見ていたから、帰りが遅くになり、そのまま会社で出前を取り、みんなで食べて、21時に帰宅・・・


ハナリンちゃんに淋しい&寒い想いをさせてしまいました

来週からは、早く帰ります

今日は、体脂肪測定もあり、マラソンコースでもあり、コーチ2人しか居ないから、どうしよう・・・ってもあり、、、でも頭が働いてくれない

明日のランジョウカイの総会でのスピーチも考えてないし

今日は、スクール後、マンションの配水管の掃除があるから、終わったら、さっさと帰らないとなぁ

しかし、最近、電車を利用する度に人身事故で、電車が狂ってる


さぁて、今日も風は冷たいけど、頑張りますか