豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2021年02月13日 15時22分25秒 | 日記
 ( Vol 2729 ) 年齢を重ねるごとに 人は保守的になる あの時は 若かった と回想する  改革には 若い力が必要である

若いときは リスクを省みずに 積極的に行動する

しかし 年を重ねるごとに 体力 気力は 若いときに比べて 劣り 行動もリスクを負わないように 行動し 保守的になる

自分の経験してきたことを ベースに考えるようになる

いままでの常識を持ち出して 思考

新しい考え方を 受け入れがたくなる

年を取ったことを 指摘されれば 自己肯定感が強くなり 否定に対して  むきになって 指摘に対して 批判するようになる

年を重ねる 年を取る ということは 保守的になる ということである


これは 日本の会社組織の 職能主義という 年功序列からも 見てとれる

若いときには 改革する意欲が旺盛だったが 管理職になっていくと 保守的になる


これが いまの 日本の会社の組織である


改革は 若いときの力が必要である

改革は 若い世代の力 勢いが必要である


年老いた者には 時代にあった 未来にあった 改革はできない

なぜならば 年老いた者の思考は 保守的だからである


年老いると 「年老いた者を労れ」「年老いた者の意見を聞け」と主張する

さも 賢者のような振る舞いをする


それは 錯覚である

完璧な賢者など存在しない


改革には 若者たちの チャレンジする力が 必要なのである


残念ながら 年老いた者には チャレンジする力は 若者ほどない 保守的に走る


年老いた者の 悔しい叫びは 余計に 年老いたことを実感させ

老いては 子に従え という言葉があるが  改革するときには 若者に委ねる ことである


明治維新によって つくられた 明治政府は 若者たち(40台前の)よって築かれた ことは知られることである


改革するときには 若者に任せるべきである

明日 明日の人合った明日にするのは 明日を生きる 若者に任せることである










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豊前善三のつれづれ日記

2021年02月13日 13時59分04秒 | 日記
 ( Vol 2728 )  人は 他人のことは気になるが 自分のことについては 無頓着 それ故に 他人とのトラブルが起きる  自分を見てほしいものである

国家間の紛争 国内の紛争 も同じようなことから起きている

自分の欲望を満たすために 他人を批難する


米中間の問題もしかり

日韓関係の問題もしかり

ミヤンマー国家の問題もしかり

すべてが 自己満足のため

相手のことは 考慮にいれていない



人は 他人のことは 気になってしょうがない

ましてや 自分の欲望通りでなければ 余計に気になる


自分を満足するためには 何でもあり


相手の立場などは 無視



自分がやっていることは気にしないのに  

同じことを 他人がやっていると 気になり 批難する



外野から見ていると 自分のことは 棚にあげて 何を言っているのか と言いたくなる


報道は その点を問題にせずに 批難している ことを 大衆を煽動するかのように 報道


力あるものは その煽動を使う


報道によって  大衆を 自分の思うように操ろうとする


それ故に 問題は 絡みついた糸のように 複雑になり 大事に


自分のことが見えない そこが問題である



自分の欲望を満たすことばかりでなく  他人のことも考えてほしいものである



争いを回避するためにも  自分を見てほしい


自分が正しい と思っていることは 本当に 正しいのか


多くが 欲望に任せたもので 正しいとは言いがたい

自己を満足させるのは 自分の中だけに納めてほしい

他人にまで 及ぼしてはならない












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2021年02月12日 06時58分52秒 | 日記
 ( Vol 2727 )  森会長の辞任でも 森会長を相談役に就任させるのは 組織の改革にはなっていない  東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の改革をするには 若手を起用するすべきではないか 若手のオリンピック経験者を 会長に選出すべきではないか


森会長は 辞任を表明

その後任に 森会長は川渕氏を指名

川渕氏は 森会長を相談役に就任させる構想

これでは 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の改革にはなっていない


オリンピックの運営が 政治的になっている

オリンピックは スポーツの祭典である


組織の刷新を図るのならば 若手を配置すべきである

川渕氏の年齢は 80歳を越えている


改革には 若い世代の力が 有効である

東京オリンピックに関わる メインの世代は 若い世代である

その世代が 主体となって 運営を引っ張っていくことが 必要である


政治的な経験豊富な高齢者を起用しようとする行為は 保守的

政治的な経験豊富な高齢者は 陰に回って 若手が自由に行動できる環境の中で 手助けすることに徹するべきである

高齢者は とかく 保守的になる

すべての思考が 経験則から 思考

その点 若手は 未来を優先

若手の立場から 思考


高齢者と若手の間には 思考の年代の格差がある


改革には この格差が問題になる

安全 無難 を目指して 高齢者を起用することは 結果として

東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の 組織内の空気の刷新はできない

森会長の発言から 女性蔑視のような時代に則さない思考が 東京五輪・パラリンピック大会組織委員会内に 蔓延している ということが示されたといえる

ここには 若手主導の組織ではない ということを表している


時代に提言できる 未来を提言できる 組織とするためにも 若手の起用が必要である


このことは いま 日本全体に言えるこことである

人間は どんなに優秀でも 高齢になってくると保守的になる リスクを嫌う

若いときのような 積極的な姿勢は衰える


後手 後手の対応が起きている 原因は 若手が主導していないことが原因である


その意味でも 会長選出は 若手の起用をすべきである


せめて 50歳以下にしてもらいたい


本当ならば 30歳台が理想である


リーダーシップは 年齢が若いからという理由で 否定するようなものではない


改革する牽引の力は 若手の方がある


いま 求められるのは 改革する牽引する力である


故に 会長には 若手を起用すべきである

オリンピック出場選手経験者の 中から選出することで 本来のオリンピックのあり方を問うことができるのではないか

オリンピックは スポーツの祭典である

政治家の祭典ではない

スポーツ選手経験者による 運営が望ましい


その上でも 若手で オリンピック経験者を 会長に選出してもらいたい





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2021年02月10日 07時29分50秒 | 日記
  ( Vol 2726 )  WHOのコロナウイルスに関した 中国武漢への 調査は 有効に機能を発揮できるのか それはNoである
WHOのパフォーマンス にすぎないのではないか

中国武漢市での 新型コロナウイルスの発生 から一年経過している

このことは 発生当時の現状維持がなされていない

その中で 現地に調査に入っても 何も得られないのではないか

いろいろなところへと 現地調査しても

発生当時の状態は どこにもない

すべてが 変えられている


調査チームの報告は 発生当時の現状を知る術がない中での調査となる


新型コロナウイルスは どのように 爆発的な感染を起こしたのか

その経緯も 探ることはできない

すべてが 想像の中


データとしての 検証ができない


このような中の WHOの中国武漢への 調査は パフォーマンス になっている


WHO新型コロナウイルス調査団の意義は 何もない といえる


ただ WHOのパフォーマンス といえるのではないか




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豊前善三のつれづれ日記

2021年02月08日 10時38分23秒 | 日記
 ( Vol 2725 )  ワクチン証明の発行には 疑問感じる


ワクチン接種で 完全に コロナの発症は防げるのか

残念ながら 100%防ぐことはできない

ワクチン接種の証明書発行は 感情的なもの 

感染を防ぐには PCR検査による チェックが より安心感を得られるのではないか


もし 経済を優先をするのならば

「なにもしない」ということがよいのではないか


感染者数 死亡者数 などをみてみると

インフルエンザと あまり変わらない


とするならば 

コロナに対して 過剰な反応をしている といえる


ワクチン接種 マスク お互いの距離をとる などなど

個人が努力する ことで感染の拡大は 押さえることができるのではないか



すべての 規制は撤廃する 勇気を持つことではないか


コロナへの恐怖は ある種人為的につくられた 情報発信 によって煽られた といえるのではないか



ワクチン接種で 安心 と思わせることも 問題である



肝心なことは 一人一人が 防衛と免疫力をつける 行動をとることではないか


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