いつもお弁当を配達する道中にある一軒の家。
アジサイの咲く庭に古い犬小屋があって、鎖に繋がれた老犬がいる。
おそらく目が見えないのだろう。
いつも鎖に繋がれたまま、くるくると回っている。
くるくるくるくる、自分のお尻を追いかけるように、回っている。
くるくる回っている老犬を見ると、あ~今日も生きてるな~頑張ってるな~という気がした。
でも最近老犬は、くるくる回らなくなった。
水の入った大きなボールを抱え込むようにして水を飲んでいたり、おかしな格好で横たわっていたりするようになった。
犬は年をとっている。
毛並みも悪く、ふらふらしながら立っている時もある。
老犬はくるくる回る元気もなくなり、犬小屋で寝ていることが多くなった。
ご飯を食べているのだろうかと余計な心配をしてしまう。
犬小屋から顔が見えると「あ~生きとる」と安心する。
よその家の犬を心配してもどうにもならないけれど、老犬が向かう先に、遠くない時間の先に、確実に死があることが目に見えて、私はいつもこの老犬が気になってしまう。
雨が降り続く。
アジサイの花は綺麗に咲いてはいるけれど、その木の下にある老犬の犬小屋は、寂しい気配が漂っている。
今日は汚れた尻尾だけが犬小屋から見えていた。
雨に濡れていた。
生きているのだろうか。
誰かに頭を撫でてもらっているのだろうか。
優しい声をかけてもらっているのだろうか。
雨で冷え込む夕方。
濡れた尻尾を拭いてあげたいけれど。
死が訪れた時、老犬は独りぼっちなのだろうか。
「きなこ」に似たきなこ色の老犬。
おそらくあと少しの命しかない老犬は、今夜もあの古い犬小屋で濡れたままで眠っているだろう。
老犬の姿は、私の中で老人の姿と重なっていく。
1人で暮らせなくなってもなお、独りぼっちで暮らすしかない老人の姿。
家族がいても、家があっても、結局独りぼっちの老人。
命の終わりに近い時でさえ独りぼっちの老犬の姿は、家族がいても心から想ってもらえない老人の姿と重なって、寂しい想いがこみ上げてくる。
アジサイの美しさに反して、老犬の命の揺らぎが私の心を締め付ける。
老人の心の揺らぎが、私の心を締め付ける。