池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

老犬

2018-06-20 23:30:32 | デイサービス池さん

いつもお弁当を配達する道中にある一軒の家。

アジサイの咲く庭に古い犬小屋があって、鎖に繋がれた老犬がいる。

おそらく目が見えないのだろう。

いつも鎖に繋がれたまま、くるくると回っている。

くるくるくるくる、自分のお尻を追いかけるように、回っている。

くるくる回っている老犬を見ると、あ~今日も生きてるな~頑張ってるな~という気がした。

でも最近老犬は、くるくる回らなくなった。

水の入った大きなボールを抱え込むようにして水を飲んでいたり、おかしな格好で横たわっていたりするようになった。

犬は年をとっている。

毛並みも悪く、ふらふらしながら立っている時もある。

老犬はくるくる回る元気もなくなり、犬小屋で寝ていることが多くなった。

ご飯を食べているのだろうかと余計な心配をしてしまう。

犬小屋から顔が見えると「あ~生きとる」と安心する。

よその家の犬を心配してもどうにもならないけれど、老犬が向かう先に、遠くない時間の先に、確実に死があることが目に見えて、私はいつもこの老犬が気になってしまう。

雨が降り続く。

アジサイの花は綺麗に咲いてはいるけれど、その木の下にある老犬の犬小屋は、寂しい気配が漂っている。

今日は汚れた尻尾だけが犬小屋から見えていた。

雨に濡れていた。

生きているのだろうか。

誰かに頭を撫でてもらっているのだろうか。

優しい声をかけてもらっているのだろうか。

雨で冷え込む夕方。

濡れた尻尾を拭いてあげたいけれど。

死が訪れた時、老犬は独りぼっちなのだろうか。

「きなこ」に似たきなこ色の老犬。

おそらくあと少しの命しかない老犬は、今夜もあの古い犬小屋で濡れたままで眠っているだろう。

老犬の姿は、私の中で老人の姿と重なっていく。

1人で暮らせなくなってもなお、独りぼっちで暮らすしかない老人の姿。

家族がいても、家があっても、結局独りぼっちの老人。

命の終わりに近い時でさえ独りぼっちの老犬の姿は、家族がいても心から想ってもらえない老人の姿と重なって、寂しい想いがこみ上げてくる。

アジサイの美しさに反して、老犬の命の揺らぎが私の心を締め付ける。

老人の心の揺らぎが、私の心を締め付ける。

 

 

コメント
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