面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

二足のわらじ

2010年05月15日 | ニュースから
参院選出馬も…谷にロンドン五輪“最後通告”(スポーツニッポン) - goo ニュース


ロンドン五輪もまだ先のことであるし、ヤワラちゃんのこれまでの日本柔道界に対する貢献度から言っても、そんな目くじら立てて怒らなくてもと思うのは甘いか?
それにしても、もし当選して議員となった暁に次の五輪に出場したとして、果たしてメダルを獲れるだろうか。
橋本聖子の例もあり、国会議員と五輪選手という二足のわらじは、並大抵の努力で両立できるものではなかろう。
ぶっちゃけた話が、“プロの政治家”としての活躍・活動を期待されているわけではないのは明らかなこととはいえ、国会議員の活動というのは生半可なことでは務まるまい。

若くて強い選手も育てていかなければならないし、また現に育ってきている(はず…よく知らないが)ことを勘案すれば、柔道連盟の委員長の発言もうなずける。
しかし、柔道一本で戦ったうえでの“潮時”であれば納得できるが、選挙が発端となっての引退となってしまっては、彼女の実績から考えれば惜しいことだ…


仁義

2010年05月14日 | ニュースから
G渡辺会長「谷から挨拶ない」と激怒!亮子出馬に不快感(夕刊フジ) - goo ニュース


コテコテ自民党のナベツネからしてみれば、読売の選手の奥さんとはいえ、関係者が民主党から出馬すると聞けば怒るのは火を見るよりも明らか。
なので、事前に話をしたとしてもどうせ蹴飛ばされたのだろうから、別にエエやん的な感じもするが、とりあえず“仁義”だけは切っておいて事前に情報を入れるだけでも入れておけば、“読売グループの社員”としてはよかっただろう。

しかし谷自身もオリックスから来た「外様」であり、純粋な読売の人間ではない。
また、どれだけ活躍してもレギュラーとして固定されることもなく、昨年からは特にベンチウォーマーとして扱われているだけに、“読売グループ社員”としての意識も薄いだろう。
ナベツネにとって「寝耳に水」だったという今回のヤワラちゃん出馬劇も、さもありなんというところではなかろうか。

ナベツネも、そない拗ねんでもええやろうに。
もうエエ歳こいた“大物”なんやし。
いくつになっても、ケツの穴の狭い話題に事欠かない御仁である。


「てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~」

2010年05月13日 | 映画
金城健司(岡村隆史)は、いつも友達と遊びに行く浜辺で、磯だまりに首を突っ込んでは時を忘れて海の生物を見ている少年だった。
そんな健司の姿を見るのが好きだった、幼なじみの由莉(松雪泰子)。
健司は様々な職業に就くが、何をやってもうまくいかない。
事業の失敗で抱えた借金を返すために名古屋で働いていたが、海が恋しくなり、同じく名古屋で働いていた由莉を連れ、結婚するために故郷の沖縄へと帰ってきた。

母の花江(原田美枝子)に、
「結婚は、男が一生を賭ける仕事を見つけてからだ!」
と大反対された健司は、珊瑚を入れた水槽のあるバーを開くことを思いつく。
友人の啓介(伊藤明賢)が経営するダイビンングショップの倉庫を勝手に改装して立ち上げたバーは思いのほか大繁盛。
健司は晴れて由莉と結婚する。

二人の子供にも恵まれた健司は、順調に店を増やすことができ、事業が軌道に乗った頃、啓介を手伝って久しぶりにダイビングをして愕然とする。
海底の珊瑚が、真っ白になっていたのだ。
「白くてキレイ!」と珊瑚を見て喜ぶ観光客を横目に、健司は呆然としていた。

借金返済完了と4号店オープンを祝う席で挨拶を促された健司は、集まった仲間や家族を前に宣言する。
「今日で店を全部やめます。」
順調だった事業からいきなり手を引いて、今度は珊瑚を養殖して海に移植するという計画を決意したのだった。
「子供たちに、きれいな海を見せてやりたいわけよ。」
母は激怒して健司をぶん殴り、バーの開店からずっと応援してきた友人達は唖然とするが、由莉だけは「健ちゃんなら、きっとできるよ」と優しく微笑むのだった…

「キレイな珊瑚の海を、愛する妻と子供たちに見せてあげたい」という、ただそれだけの思いで、それまでの事業を転換し、誰もやったことのない珊瑚の養殖と移植に挑んだ、金城浩二氏の実話を基にしたストーリー。
海洋学者でも海洋生物の専門家でもない、生まれ育った海が大好きなだけのごく普通の男が、世界初の養殖珊瑚の移植・産卵を成し遂げた奇跡を描く。

久しぶりに故郷へ戻ってきた健司。
子供の頃と全く変わっていない様子に友人達は呆れつつも、いい大人になっても子供の頃と全く変わらない、海の生物がとにかく大好きで、沖縄の海をこよなく愛する真っ直ぐな姿に惹かれ、支援する。
自分の夢に向かってひた走る健司に、自分達が失った夢を託しているのだろう。
しかし健司は、事業の途中でうまい話に踊らされた挙句に騙され、再び多額の借金を作って家族を困窮の極みへと陥らせたことで自責の念に駆られる。
そして打開策としての開発計画に乗り、美しい海を取り戻すことを断念するという“オトナの判断”をしようとしたとき、妻の由莉にぶん殴られる。
「珊瑚は、あんただけの夢じゃないんだよ!」
健司の夢を一番信じ、夢を追う姿を一番愛していたのは、いつも近くで見守ってきた由莉だったのだから。
子供の頃から見てきた後ろ姿そのまんまの健司のことを、ずっと見てきて愛してきたのだから。

世界初の奇跡は、周りから愛された雑念の無い“少年の心”と、周りを動かす純粋で一途な思いがたどった軌跡だった。
子供がそのまま大きくなったオトナという健司の雰囲気に、岡村隆史がそっくりそのまんま見事にマッチしていて、まるで「うちなんちゅ」ではないかと思うくらいの好演。
とても茨木のコとは思えないほどのハマり具合で、好演・熱演というよりも、「健司そのもの」がそこにいる。

雑念なく純粋に健司を見守ることで、自分の心もほんわか温まり、心の中が「てぃだかんかん(太陽がかんかん照り)」になる佳作。


てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~
2009年/日本  監督:李闘士男
出演:岡村隆史、松雪泰子、吉沢悠、國村隼、長澤まさみ、渡部篤郎、原田美枝子

「アリス・イン・ワンダーランド」

2010年05月12日 | 映画
1855年ロンドン。
6歳のアリス・キングスレーは、不思議な生き物達が出てくる奇妙な夢におびえていた。
自分の正気を疑ったアリスに、先見の明に富み、冒険心に満ちた有能な実業家でアリスの良き理解者である父チャールズ・キングスレー(マートン・チョーカシュ)は言う。
「優れた人は、みな頭が変さ。」

その後父は他界し、想像力豊かな美しい娘に成長した19歳のアリス(ミア・ワシコウスカ)は、貴族の御曹司ヘイミッシュ・アスコット(レオ・ビル)から求婚される。
こんな良縁は無いと考える周囲は、アリスが二つ返事でOKを出すと思っていたが、退屈な男からのプロポーズに困惑して、その場から逃げ出してしまう。
すると、彼女の前に懐中時計を持った不思議なうさぎが現れた。
うさぎのあとを追ったアリスは、森の中にある大きな穴へと転がり落ちてしまう。

アリスがたどり着いた先は、穴の底にある小部屋。
テーブルの上にあった鍵で開けられるドアはとても小さいものだったが、アリスはそこにあった縮み薬やケーキを口にして、部屋から抜け出すことに成功する。
外へ出たアリスの目の前に広がっていたのは、アンダーランドと呼ばれるワンダーランド。
その「不思議の国」は、独裁者・赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)によって支配されていて、そこに暮す奇妙な住民たちは、現在の「暗黒時代」を終わらせる救世主の登場を待ちわびていた。
そして彼等は、アリスこそがその救世主だという…

多くの傑作を世に送り出してきた、ティム・バートン監督とジョニー・デップのコンビによる最新作は、お得意の(?)摩訶不思議な世界。
ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」のヒロインであるアリスの、“その後”を描いたものなのだからそれも当然。
CG映像の発達した現在なればこそのワンダーランドがスクリーンに展開し、原作の“言葉遊び”を踏襲した奇奇怪怪なセリフや、珍妙な登場人物(動物?)たちが、スクリーンいっぱいに溢れ、踊りまわる。

あまりの奇妙な出来事に、アリスは夢を見ているのだと考えて頬をつねるが、アンダーランドは消えない。
夢か現か現か夢か。
アリスと一緒に、「不思議の国」からの脱出に向けた冒険活劇を、CGと3Dの世界にドップリと浸って楽しむファンタジー。

にしても、本作におけるジョニー・デップ演ずる「マッドハッター」は、「チャーリーとチョコレート工場」における工場長よりも“突き抜け度”が低い。
それは、「アンダーワールド」で孤立無援となりそうなアリスを、常に信じて守ろうとする“ナイト”な役まわりだからなのだが、予告やCMで窺い知れなかったことから意表を突かれた感が(ていうか若干物足りない!?)
また、ワンダーランドを“卒業”したアリスの成長ぶりも驚くべきものがあるが、これは不思議の国で時を過ごしたから何でもアリということで。
(「何でもアリス」とかオヤジギャグは封印)
いやはや、父上はやはり「先見の明」がおありで。



アリス・イン・ワンダーランド
2010年/アメリカ  監督:ティム・バートン
出演:ミア・ワシコウスカ、ジョニー・デップ、ヘレナ・ボナム=カーター、アン・ハサウェイ、マートン・チョーカシュ、レオ・ビル

「プレシャス」

2010年05月11日 | 映画
ニューヨーク・ハーレムに暮らす16歳の黒人少女クレアリース・プレシャス・ジョーンズ(ガボレイ・シディベ)は、二人目の子どもを妊娠していた。
二人とも、実の父親に性的虐待を受けてできた子どもで、一人目を産んだときはまだ12歳だったために引き取ることもできず、子供と別れて暮らしている。

父親が行方をくらましてしまった家庭では、母親のメアリー(モニーク)から肉体的、精神的に虐待を受ける毎日。
台所で食事の用意をすれば、背後からモノを投げつけられ、
「学校なんて行くのはムダ!お前のような能無しは何の役にも立たない!」
と毒づかれる。

ある日妊娠の事実が学校に知れ、プレシャスは退学になるが、彼女を心配する校長から代替学校(オルタナティブ・スクール)を紹介される。
始めは反発していたプレシャスだったが、とりあえず行ってみたことから、人生が大きく動き始めた。
自分と同じように、何らかの問題を抱えて通常の学校に通えないような、辛い境遇にある仲間達とともに、愛情をもって粘り強く、プレシャスとしっかり向き合って作文を教えてくれるレイン先生(ポーラ・パットン)。
今までできなかった読み書きも次第にできるようになり、文字で自分の思いを伝えることを知ったプレシャスは、感じたことのなかった確かな思いを巡らせ始めるようになる。

こうしてようやく、劣悪な環境から抜け出すための希望の光が見えてきたプレシャスだったが、更に過酷な運命が待ち構えていた…

「愛しい、貴い」という意味のミドルネームを持つプレシャスだが、愛情溢れる名前とはうらはらに、彼女が生きている現実は過酷極まりないものだった。
実の父親にはレイプされ、母親からは罵られ、太った黒人である彼女は学校でもいじめの対象となる。
彼女はいつも、辛い現実から逃避するために空想の世界に浸る。
そこでは、自信に満ち溢れ、人々から喝采を浴び、イケメンに愛される自分がいるのだ。

そうすることで精神的なバランスを保っている彼女は、ある意味まだ力強い生命力を持っていると言えよう。
そしてそれこそが、オルタナティブ・スクールで彼女が生まれ変わっていく原動力となるのである。
自分のように辛い境遇にあるスクールの仲間達との、クラスメートとしての連帯感。
レイン先生から注がれる、厳しくも温かい愛情。
今まで感じたことのなかった感情を受け、プレシャスのささくれ立った心が丸みを帯びていくと、あとはレッスンを通じて教わることが、スポンジが水を吸収するように彼女の中へとしみこんでいく。

愛されることで愛することを知り、読み書きを教わることで自分を表現する術を知ると、プレシャスの人格が確立していく。
愛情と教育が、いかに一人の人間を前向きに大きく育てていくものであるかを、改めて教えてくれる。
親から自立しつつ、周りからの支えもしっかり受け止めて子供を自らの手で育てていこうと歩き出すプレシャス。
その勇気と希望に溢れた姿に心を打たれる。

プレシャスだけでなく、彼女を虐待する母親メアリーの、物語終盤に見せる凄まじい独白も心に刺さる。
自分の夫がわが子を妊娠させるという残酷な現実に心を蝕まれたメアリー。
そのセリフは当事者にはとても口にできないものであろう。
役として演じるモニークの口を通すことで、我々はその事実に触れることができる。

ハル・ベリーに黒人女性初のアカデミー主演女優賞をもたらした映画『チョコレート』でプロデューサーを務めたリー・ダニエルズの初監督作品にして、ヒューマンドラマの傑作。


プレシャス
2009年/アメリカ  監督・脚本:リー・ダニエルズ
出演:ガボレイ・シディベ、モニーク、ポーラ・パットン、マライア・キャリー、シェリー・シェパード、レニー・クラヴィッツ

「タイタンの戦い」

2010年05月10日 | 映画
まだ星座が生まれていなかった頃のこと。

地上を支配していたのはタイタン族だった。
しかしその王の息子達であるハデス(レイフ・ファインズ)、ゼウス(リーアム・ニーソン)、ポセイドン(ダニー・ヒューストン)によって世界は変わる。
ゼウスは、兄のハデスに、自分達の親を倒すための怪物を創るよう頼み、ハデスは自分の肉体の一部を使ってクラーケンという恐ろしい魔物を創り出す。
親を打ち負かしたゼウスは天界の王となり、ポセイドンは海の王となったが、ハデスはゼウスの企みによって冥界の王として闇の世界へと追いやられてしまう。
ゼウスは人間を創り、人間から「神」として崇められることによって不老不死の力を保った。

時が経ち、人間は大いに繁栄したが、やがて彼らは神に対して疑問を持ち始め、ついに戦いを挑む。
人間の王を貶めるためにゼウスは、王になりすまして妃を騙し、子供を産ませる。
王は妃と共に子供を海へと流すが、棺を拾った漁師によって助けられ、生きながらえた神の子は、ペルセウス(サム・ワーシントン)として育てられた。

古代ギリシャ時代。
傲慢で自らの欲望を満たすためには何でもやる神々に対して反旗を翻した。
神々の王・ゼウスの石像を打ち壊すという暴挙に出た人間達だったが、冥界の王・ハデスの復讐にあう。
家族と共にその場に居合わせたペルセウスは、ハデスによって育ての親を殺されてしまったことから、神になる“資格”を持ちながらも、人間の味方につく。
人間に対して怒りを滾らせるゼウスの命を受けたハデスは、アルゴス国の王女・アンドロメダを生贄に捧げねば、アルゴス国をクラーケンに襲わせて滅ぼすと人間に告げる。
ペルセウスは王女を救うため、仲間と共に旅立った!

ギリシャ神話を映画化した1981年のカルト的名作「タイタンの戦い」を、最新のデジタル技術を使ってリメイク。
星座や銀河など、宇宙に瞬く星達の名前となった登場人物達が出てくるのが面白い。

また、メデューサ、クラーケン、スコーピオンといった魔物達が、スクリーン狭しと暴れまわる。
メデューサが完全に“大蛇”化していたり、タコやイカの化け物というイメージがあるクラーケンが、「クローバーフィールドHAKAISHA」で出てきた怪物のようなブサイクな姿だったりと、独創性に富んだ造形美術も楽しい。

それにしてもゼウスとは、全知全能の神として、「神の中の神」というイメージがあったが、本作ではとんでもないただのワガママオヤジでしかない。
日本における「八百万の神」とは一線を画す、妙に“人間くさい”神々には少々違和感を感じる。
人々の尊敬を集めてこその神であるならば、本作における神々は、果たして尊敬に値するのだろうか!?と疑問符がつく。
神は自分を超えるような存在は創らないであろうし、やはり自分に似たものしか創れないだろうから、神々が人間くさいのではなく、人間の素行が神々に似たものであるということか。
ならば神を崇めることは正しいことなのか?と、神の存在意義がよく分からなくなってくる。
なんにしても、神が人間の王妃をたぶらかしてはいかんだろう。
そんなことをしておいて「我を敬え」と言われても、敬えるワケが無いというもの。
なんなんだ!?ゼウスとは。

ある程度ギリシャ神話を知っていると、より楽しめるが、全く知らなくても、その迫力ある映像で十分に楽しめる娯楽活劇。


タイタンの戦い
2010年/アメリカ  監督:ルイ・レテリエ
出演:サム・ワーシントン、ジェマ・アータートン、マッツ・ミケルセン、アレクサ・ダヴァロス、ジェイソン・フレミング、レイフ・ファインズ、リーアム・ニーソン、ダニー・ヒューストン

「第9地区」

2010年05月09日 | 映画
1982年、正体不明の巨大宇宙船が、突如として南アフリカ・ヨハネスブルグ上空に現われた。
攻撃をしかけてくるのか?はたまた友好を求めてくるのか?
宇宙船は空中に静止したまま何も動きが無い。
南ア政府が偵察隊を派遣すると宇宙船の内部には、不衛生極まりない環境で、弱り果てたエイリアンの大群。
彼らは、故障した宇宙船に乗って地球へとたどり着いた難民だったのである。

南アフリカ政府はヨハネスブルグの「第9地区」に仮設住宅を作り、彼らを住まわせることにする。
言葉も通じず、野蛮で不潔なエイリアン達が一般市民と折り合うはずもなく、その風貌が甲殻類に似ていることから「エビ」という蔑称で呼ばれるようになる。

何の進展もないまま月日が流れ、エイリアン達の管理事業は世界的規模を誇る民間企業のマルチ・ナショナル・ユナイテッド社(MNU)に委託された。
民間軍事企業でもあるMNUだったが、エイリアンの世界に介入することはなく、いつしか「第9地区」にはナイジェリア・ギャングも入り込んで犯罪の巣窟のようになり、スラム化していく。
ヨハネスブルグ市民達とのいざこざも絶えず、対立が激化していく中、MNUはエイリアンの強制移住を決定。
現場責任者にヴィカスを任命すると、傭兵部隊と共に「第9地区」へと派遣した。
ヴィカスは、エイリアンたちに立ち退きの通達をし、新しい居住区への移住に同意を求めて回ることになるのだが…

SF映画に登場するエイリアンといえば、人類を凌駕するパワーを持ち、地球侵略を企てたり人類を滅亡の危機に陥れたりする存在と相場が決まっている。
ETやトランスフォーマー善玉のように、地球人の味方の場合もあるが、いずれにせよ敵か味方かのどちかの存在として、地球へやって来るものだ。
しかし本作におけるエイリアンは、敵でも味方でもなく、前代未聞の「難民」。
このエイリアンのあり方自体が斬新で面白く、大いに興味をそそられ、楽しみにしていた。
面白かろうと期待して観に行くと裏切られるケースが多いのだが、本作は期待に違わず、存分に楽しめた♪

エイリアン達は総じて知的レベルが低く、粗暴で不潔。
居住区である第9地区から出てきては一般市民とトラブルを起こすため、醜悪な見た目から「エビ」と呼ばれて差別の対象となっている。
更に第9地区にはナイジェリア人ギャングが拠点を置いてスラム化し、一般市民の彼らに対する排斥感情が激しくなっていく。
…話を追ううちに、ふと気付く。
これは、他国の難民が押し寄せて来たときに一般市民が持つ感情や行動を、エイリアンの姿を借りてデフォルメして見せているのではないか?
また、かつてアパルトヘイトが施行され、人種隔離政策をとってきた南アを舞台にしているところが、また何とも皮肉な設定だ。

またこの“難民”の管理という難事業を、民間企業に委託しているというのも、イマドキな設定。
今や兵士でさえも、委託を受けた民間企業が雇った傭兵が派遣されるご時世だが、本作に登場するMNUも軍事企業でもあり、傭兵を擁している。
更にMNUは、“難民”の移転という極めて困難な業務の責任者として、とりたてて輝かしい実績も無い平凡な社員であるヴィカスを起用、「抜擢」という名ばかりの名誉とささやかな出世をエサに過酷な現場へ放り込む。
誰もが嫌がるキツイ仕事は、上層部に傷がつかないように“下へ下へ”と切り出されていく図式は、これも今日の社会のあり様を描くもの。
そしてMNUが、ヴィカスの人格も人権も人生も何もかも全てを無視し、企業利益のために利用し尽そうとする様子もまた、自社の社員を守ることの無い今日の企業体における真の姿を現すようで、彼を応援せずにはいられない。

物語は荒唐無稽ではあるが、物語の導入部分で、第9地区に関する識者からのコメントや、ヴィカスの関係者へのインタビューを織り込み、ドキュメンタリータッチになっているところも面白い。
特に、エイリアン達の素行や第9地区の存在についてのコメントで嫌悪感を示す一般市民のインタビューシーンがリアル感たっぷりなのだが、実際に自国へ流入してきた難民に対するコメントを求めるインタビューを行ったものを撮影したものというから、生々しいのも当然。
更にニュース映像もうまく取り込んで、本当に南アにエイリアン難民がいるかのような錯覚を覚える。
新人監督で無名のキャストを起用した“マイナー作品”にも関わらず、口コミで評価を集め、全米興行収入1億ドルを突破、本年度アカデミー賞で作品賞をはじめとする4部門にノミネートされる話題作となったのも納得。

随所に笑えるシーンのある娯楽作品でありながら、人種差別と偏見、企業や国家のモラル、格差社会といったテーマを内包する、新機軸の傑作SF映画。


第9地区
2009年/アメリカ  監督:ニール・ブロムカンプ
製作:ピーター・ジャクソン
出演:シャルト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コーブ

「ハート・ロッカー」

2010年05月08日 | 映画
2004年、イラク・バグダッド。
駐留米軍のブラボー中隊・爆弾処理班は、様々な仕掛けの爆弾を処理する日々を送っていた。
その日も、うだるような暑さの中、処理作業中に爆発が起き、班長のトンプソン軍曹が爆死してしまう。

トンプソン軍曹の代わりに派遣されてきたのは、ウィリアム・ジェームズ二等軍曹。
彼はこれまで、873個もの爆弾を処理してきたエキスパートだが、型破りで無謀な行動が目立った。
部下のサンボーン軍曹は彼に反発するが、不意に訪れた武装勢力との戦闘をきっかけに打ち解け…

のっけから観客は、爆弾処理現場のヒリヒリとした緊張感にのみこまれる。
そしてトンプソン軍曹の処理が無事に終わるかと思った矢先、思わぬ展開から爆弾が大爆発、逃げ切れずに軍曹は即死する。
防護服に身を包み、爆弾の配線を確認して信管を取り除くという、爆発物処理班の任務の過酷さが、いきなり脳ミソに強烈にインプットされてトラウマのようになる。
そのめ、この後様々な爆弾処理シーンがスクリーンに登場するが、その度に否が応でも緊張感が高められる。
この臨場感の与え方が抜群で、登場人物と共に爆弾を処理している気持ちになり、彼らが生きる戦場という名の地獄に引きずりこまれるのである。

作品の雰囲気は決して暗く重いものではない。
イラクの強い日差しによる単純な明るさもあるが、ジェームズ軍曹の肝っ玉がすわっている一方でアッケラカンとした行動や、軍隊組織のもつ“体育会系ノリ”的な雰囲気に因るものだろう。
全編にわたって兵士たちの緊張感や虚無感、高揚感といった心の動きが生き生きと伝わってくるところは、脚本家マーク・ボールが実際に何週間もイラクで爆発物処理班と行動を共にしたというだけのことがある。

それにしても、“生き地獄”といえる戦場だが、そこでは一種独特の強い高揚感が得られ、その感覚が快感となって麻薬のように兵士の心に染み込むというのだから人間の心というものは計り知れないものだと、今さらながら考えさせられる。
そしてふと、「地獄の黙示録」における戦闘ヘリによる爆撃シーンでの上官の異様なハイテンションを思い出した。
そんなハイテンションではないが、ジェームズ軍曹が無防備で爆弾を処理する姿は、正に戦争によって得られる高揚感という麻薬にとりつかれた男そのものだ。
873個もの爆弾を処理していれば、そんな世界に入り込んでしまうものなのだろうか。

しかし、この作品を女性監督であるキャスリン・ビグローが撮ったのはすごい。
いや、女性が撮ったからこそ、より“男臭い”仕上がりになったのかもしれない。
それは、ニューハーフのオネエさま方の仕草に男性が色気を感じてしまうのは、男が色気を感じる仕草をオネエさまは知っているから、というのと同様か。

2010年の第82回アカデミー賞で6部門を受賞した話題の作品。
戦争特派員クリス・ヘッジの著作「戦争の甘い誘惑」からインスピレーションを得たというビグロー監督が、ハンディカメラによって不安定な画面を作りだすことで、よりリアルな映像で兵士たちの姿を描ききった、新しいタイプの戦争映画の傑作。


ハート・ロッカー
2008年/アメリカ  監督・製作:キャスリン・ビグロー
脚本・製作:マーク・ボール
出演:ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティ、レイフ・ファインズ、ガイ・ピアース、デヴィッド・モース

「シャーロック・ホームズ」

2010年05月07日 | 映画
19世紀末のロンドン。
不気味な儀式を思わせる手口で、若い女性が次々と殺害される怪事件が勃発。
名探偵シャーロック・ホームズ(ロバート・ダウニー・Jr)は犯人を突き止め、邪悪な黒魔術を操るブラックウッド卿(マーク・ストロング)を捕まえる。
だが彼は、「処刑されても自分は復活する」と宣言。
絞首刑に処されたはずの彼は、予言した通り墓場から甦る。
そして議会を乗っ取り、イギリスを我が物とするために画策を始めるが、ホームズは相棒のワトソン(ジュード・ロウ)と共に、陰謀を阻止するべく立ち向かう!

子供の頃、親に勧められるまま、子供向けに翻訳されたシャーロック・ホームズを読んだ。
自分の中のホームズ像は、その時に作られたものだ。
あまり血色のよろしくない青白い細面の顏に、スラッとしたいうよりはヒョロッとした細身の体格で力強さはあまり感じられず、冷静沈着に、まるでミスター・スポックのように理路整然と淡々と、論理的な話をやや皮肉をこめて語る。
チェック柄の帽子に肩からマントを羽織り、パイプ煙草を離すことはない…
勝手に思い描いていたそんな人物像を、本作はものの見事に吹き飛ばしてくれた。
スクリーン狭しと躍動するホームズは、自分の中では全くの別人のよう。
しかしそれは決して悪いことではなく、良い意味で新しいホームズ像が構築されることになった。
自分は知らなかった、ホームズの“熟練した武術家”という一面をクローズアップしながら、頭脳派の彼ならではの、緻密に計算されたファイトシーンが面白い♪
相手の倒し方まで論理的なのだから恐れ入る!

もうひとつ、シャーロック・ホームズというキャラクターの人物設定としてイメージにあるのは、女性には惑わされないというもの。
しかし本作のホームズは、「ルパン三世」の峰不二子ばりの小悪魔キャラであるアイリーン・アドラー(レイチェル・マクアダムス)に心を乱される。
これもまた既成概念を打ち砕き、ホームズの新たな一面を見せてくれて愉快♪

ホームズが対峙するブラックウッド卿が仕掛けたトリックや、最期となるシーンは、何やら横溝正史を思い起こさせるようなオドロオドロしさが漂うのもまた一興。
ライバルのモリアーティ教授の登場の仕方も、今までのシャーロック・ホームズの物語が持つ雰囲気とは趣を異にして不気味。
これらの描写もまた、従来の「シャーロック・ホームズシリーズ」が持つイメージを塗り替える効果をもたらしている。

探偵小説の古典とも言えるシャーロック・ホームズに新たな命を吹き込んだ、痛快娯楽活劇。
新たなキャラクターを獲得したロバート・ダウニー・Jr。
アイアンマンに次ぐシリーズモノとして、“定期収入”を得ることができるのだろうか!?
(大きなお世話ではあるが)


シャーロック・ホームズ
2009年/イギリス  監督:ガイ・リッチー
出演:ロバート・ダウニー・Jr、ジュード・ロウ、レイチェル・マクアダムス、マーク・ストロング、ケリー・ライリー

「月に囚われた男」

2010年05月06日 | 映画
いまや地球に不可欠なエネルギー源となっているヘリウム3採取のため、月の裏側へと派遣されたサム・ベル(サム・ロックウェル)。
世界最大の燃料生産企業ルナ産業との契約により、3年間の“単身赴任”生活を送るサムの仕事は、自動採掘機が月面を削り取り、抽出・精製したヘリウム3を、ロケット推進式のポッドに格納して地球へと送ること。
あとは機械のメンテナンスが主な業務で、日々の生活は退屈なものだった。
唯一の楽しみだった、妻テス(ドミニク・マケリゴット)とのテレビ電話での交信も、通信衛星の故障により途絶えて久しい。

話し相手は人工知能のガーティ。
基地内の全てを制御・管理し、サムの業務や日常生活を支援するだけでなく、彼の生命そのものを守る存在だ。
何かとサムを気遣い、声をかけてくる頼りになる相棒ではあるが、会話によって寂しさが癒されるものではない。

そんな孤独な毎日も、いよいよあと2週間を切ったある日、サムは月面車の操縦を誤り、事故を起こしてしまう。
気がつくと、そこは基地内の医務室。
どうやらガーティが救出してくれたようだが、目覚めたサムが目にしたのは、ありえない光景だった…

たった一人の人間と人工知能の“ペア”によるストーリーは、「2001年宇宙の旅」を彷彿とさせる。
任務期間の満了が近づいてきたサムの身に、これまでに無い奇妙な現象が起こるのだが、それに関与しているはずのガーティが、何かを隠しているかのような様子をみせるところなど、HAL9000の再来か!?と思える。

しかし、本作における人工知能ガーティは、確かにその応対は無機質なものではあるのだが、「サムを助ける」という任務を全うするために最善を尽くす姿は、非常に人間味が感じられる。
それは、「2001年宇宙の旅」が作られた頃には無かったような、コンピューターが日常生活に溶け込んでいる昨今の状況も、多分に影響しているのではないだろうか。
人工知能の発達も目覚しく、人間との“距離感”が近くなっていることの現われと言えよう。
SF作品も時代と共に進化するのである。

デヴィッド・ボウイの息子であるダンカン・ジョーンズが監督・脚本を務めたことも話題となったが、ナショナル・ボード・オブ・レビューで新人監督賞を受賞するなど、多くのアワードで絶賛されたのも納得。
月面基地という閉ざされた空間で繰り広げられるシチュエーション・スリラーの傑作。


月に囚われた男
2009年/イギリス  監督・脚本:ダンカン・ジョーンズ
出演:サム・ロックウェル、ドミニク・マケリゴット、カヤ・スコデラーリオ、ベネディクト・ウォン、マット・ベリー、マルコム・スチュワート