面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「タイタンの戦い」

2010年05月10日 | 映画
まだ星座が生まれていなかった頃のこと。

地上を支配していたのはタイタン族だった。
しかしその王の息子達であるハデス(レイフ・ファインズ)、ゼウス(リーアム・ニーソン)、ポセイドン(ダニー・ヒューストン)によって世界は変わる。
ゼウスは、兄のハデスに、自分達の親を倒すための怪物を創るよう頼み、ハデスは自分の肉体の一部を使ってクラーケンという恐ろしい魔物を創り出す。
親を打ち負かしたゼウスは天界の王となり、ポセイドンは海の王となったが、ハデスはゼウスの企みによって冥界の王として闇の世界へと追いやられてしまう。
ゼウスは人間を創り、人間から「神」として崇められることによって不老不死の力を保った。

時が経ち、人間は大いに繁栄したが、やがて彼らは神に対して疑問を持ち始め、ついに戦いを挑む。
人間の王を貶めるためにゼウスは、王になりすまして妃を騙し、子供を産ませる。
王は妃と共に子供を海へと流すが、棺を拾った漁師によって助けられ、生きながらえた神の子は、ペルセウス(サム・ワーシントン)として育てられた。

古代ギリシャ時代。
傲慢で自らの欲望を満たすためには何でもやる神々に対して反旗を翻した。
神々の王・ゼウスの石像を打ち壊すという暴挙に出た人間達だったが、冥界の王・ハデスの復讐にあう。
家族と共にその場に居合わせたペルセウスは、ハデスによって育ての親を殺されてしまったことから、神になる“資格”を持ちながらも、人間の味方につく。
人間に対して怒りを滾らせるゼウスの命を受けたハデスは、アルゴス国の王女・アンドロメダを生贄に捧げねば、アルゴス国をクラーケンに襲わせて滅ぼすと人間に告げる。
ペルセウスは王女を救うため、仲間と共に旅立った!

ギリシャ神話を映画化した1981年のカルト的名作「タイタンの戦い」を、最新のデジタル技術を使ってリメイク。
星座や銀河など、宇宙に瞬く星達の名前となった登場人物達が出てくるのが面白い。

また、メデューサ、クラーケン、スコーピオンといった魔物達が、スクリーン狭しと暴れまわる。
メデューサが完全に“大蛇”化していたり、タコやイカの化け物というイメージがあるクラーケンが、「クローバーフィールドHAKAISHA」で出てきた怪物のようなブサイクな姿だったりと、独創性に富んだ造形美術も楽しい。

それにしてもゼウスとは、全知全能の神として、「神の中の神」というイメージがあったが、本作ではとんでもないただのワガママオヤジでしかない。
日本における「八百万の神」とは一線を画す、妙に“人間くさい”神々には少々違和感を感じる。
人々の尊敬を集めてこその神であるならば、本作における神々は、果たして尊敬に値するのだろうか!?と疑問符がつく。
神は自分を超えるような存在は創らないであろうし、やはり自分に似たものしか創れないだろうから、神々が人間くさいのではなく、人間の素行が神々に似たものであるということか。
ならば神を崇めることは正しいことなのか?と、神の存在意義がよく分からなくなってくる。
なんにしても、神が人間の王妃をたぶらかしてはいかんだろう。
そんなことをしておいて「我を敬え」と言われても、敬えるワケが無いというもの。
なんなんだ!?ゼウスとは。

ある程度ギリシャ神話を知っていると、より楽しめるが、全く知らなくても、その迫力ある映像で十分に楽しめる娯楽活劇。


タイタンの戦い
2010年/アメリカ  監督:ルイ・レテリエ
出演:サム・ワーシントン、ジェマ・アータートン、マッツ・ミケルセン、アレクサ・ダヴァロス、ジェイソン・フレミング、レイフ・ファインズ、リーアム・ニーソン、ダニー・ヒューストン