きまぐれ発言

日々変化する世の中をみて、私はこう思う。

1年3か月経って原子力事故は何だったのか

2012-06-12 11:23:47 | Weblog
1年3か月経って原子力事故は何だったのか      (012.06.12.)

事故から1年3か月が経ち福島の原子力事故は我々人類にどの様な教訓を与えたのであろうか。原子力事故調査が、全ての反省の原点を示す最も重要な資料として、その結果が待たれている。その結果の内容が、夫々に、当時の政局問題や、各部局の責任問題によって、違った解釈が示され、肝心の今回の様な事故を二度と起こさないと言う反省点を明確にする資料になって居ない事である。

「事故調」と言われる物は、三つあって、東電が社内の幹部を集めて作った「事故調」・政府側が官僚や、専門家で作った「事故調」・それに国会が第三者的な立場から作った「事故調」の3つである。
そして夫々違った見解を示している。国会事故調はまだ結果が出て居ないので、噂の段階でしか推測できないが、特に東電の社長が事故中に「全員撤退」を申し出たと言う事は、会社の事故調では「全員撤退は言っていない、一部を残して撤退だ」と言っている、政府事故調は全員撤退と受け止め、菅総理の逆鱗に触れた事まで、言われている。
この辺の執り方で、菅総理の過剰な介入が、事故を大きくしたと言われる原因になって居る。

また、「ルトダウン」に至った問題も“海水を注入する”、“しない”“注入が送れた”等々で菅総理の指示を待っていた等々、責任の擦りあいが顕著に見える所もあり、夫々の部署が立場立場で責任回避的発言を、その立場を代弁するような事故調の報告書になって居る。

当時の総理であった、菅さんには「総理として過剰介入であった」と総括的に批判されている。確かに総理は最高責任者で有ったのであるが、私は結局、各部署が与えられた責任を全うする知識と力が無かったからだと思われる。
「メルトダウン」は絶対起こしてはならない事で、専門家であればイチイチ菅さんの指示を待つまでも其の部署の人が遣るべき事であるのではないでしょうか。

私は今回の事故による「菅さん避難」は、当時の政局がらみから「菅おろし」に関連する東電一派の反感からで、「全員退避」の問題もそれに絡んだ、東電幹部の造反と勘繰る他には考えられない事であると思う。

東電は、その意味では恐ろしい会社で、東電に不利となるものには、周りの環境から“じわじわ”と締め付けられるような圧力が掛かるようになっているのではないでしょうか。

東電は、「電力供給」と言う武器を持って、今後も執拗に挑戦してくるだろうと思います。
「電気料金問題」「送電力分離問題」「代替エネルギーへの抵抗問題」「原発推進問題」等々彼らのバックには隠れた、「原子力ムラ」が存在し暗躍している様に思います。
(えびなたろう)