青山潤三の世界・あや子版

あや子が紹介する、青山潤三氏の世界です。ジオログ「青山潤三ネイチャークラブ」もよろしく

日記 2021.4.26 「健康マニア」「リスク管理主義」の人々へ~“ザマ見やがれ”と僕しるす

2021-04-26 11:26:37 | コロナ 差別問題と民主化運動 日記




読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。

【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?

【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。

*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。

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「恐怖のマスクマン」ほか、2021.4.8付けの記事が、どんどん後回しになって、いつの間にやら僕の誕生日(今日)が来ちゃいました。

誕生日といえば、斎藤緑雨は、慶応3年12月30日生まれ。“最後の江戸偽作者”という、その評価が正しいか間違っているかどうかはともかく、翌年は明治元年になるので、実際に江戸時代として最後の年の年末に生まれたことになります。

慶応3年と言えば、西暦で1867年です。しかし、西洋暦と日本暦は何日かのずれがあるので、慶応3年の年末は、西暦では1868年に組み込まれます。

夏目漱石、幸田露伴、正岡子規、尾崎紅葉、斎藤緑雨は、いずれも慶応3年生まれですが、西暦で言えば、紅葉と緑雨は、明治元年生まれの山田美妙、内田魯庵らと同じ年になるわけです。

ところで、明治中期の作家の生誕年と元号の関係は、かなり独特です。

例えば(適当にピックアップ)、坪内逍遥は「安政」、半井桃水、三宅雪嶺らは「万延」、広津柳浪、森鴎外、岡倉天心、黒岩涙香らは「文久」、二葉亭四迷は「元治」、小杉天外、後藤宙外、夏目漱石、幸田露伴らは「慶応」、山田美妙は「明治」、、、と、一見大きく時代が異なっているように思えるのですが、逍遥の安政6年と、美妙の明治元年は、西暦に当てると1859年‐1868年ということになり、その10年間に6回年号が変わっている(マックス3年)わけです。その後、明治が45年続くことを想えば、異常な変換速度です。

因みに、中国では今も中国歴(*その定義に関しては非常に複雑な話になるので詳しい説明はパス)が使われています。よって、暦上での誕生日は毎年変わります。スーリンに言わせれば、「中国歴」は「旧暦」ではなくて、こちらの方が「新暦」なのだそうです。中国暦の春節元旦は、毎年変わります。前もっての発表は無くて、直前(数週間前?)に発表されます。それによって誕生日も変わってくるのだそうで、春節元旦のすぐ前(すなわち中国歴の年末)に生まれたスーリンの誕生日も、直前まで分からないのです(いつも直前に調べて教えてくれます、そのレトリックについては僕にはよく理解出来んのですが、ともかく従っています)。

緑雨の小説を読んだことのある人など、どれだけいるのでしょうかね?昔の彼女(?)つながりで言うと、友子さんは学生時代に「(樋口一葉の)たけくらべ」と「(緑雨の)門三味線」を比較した文学評論(卒論だったかな?)を書いています(段ボールのどこかに納めてあるはずなので探してみましょう)。まあ、稀有の例外です。一般の人は、ほとんど知らんでしょう(もっともそれで言えば、鴎外とか露伴を読んだことがある現代人も、どれだけいるのか?現代人で言うならば、漱石を読んだことのある人だって、今や少ないのではないでしょうか?)

ということで、現代における緑雨は、小説家としてはほとんど知られていないのでしょうが、彼のアフォリズムの文章には、結構人口に介しているものがあります。

最も有名なのは、
>按ずるに、筆は一本なり、箸は二本なり、衆寡敵せずと知るべし。

それと、新聞に載せた、自分の死亡広告。
>僕、本月本日を以て、目出度く死去仕り候。

あと、出典は確かめられていないそうなのですが、
>ギョエテとは、俺の事かとゲーテ言い。
は、一応緑雨の言葉とされています(日本のゲーテ記念館の記録にもそうある故)。もっとも(内田魯庵の回想に因ると緑雨の言ったのは)「チョピンとは、俺の事かとショパン言い」となっていますが(笑)。

もう一つ、たぶん結構知られていると思うのが、次の語句。
緑雨とは思想的に対立していた、「太陽」という当時の巨大メディア雑誌から、「読者に寄せる略歴を書け」と依頼があり、渋々書いた(貧乏なので原稿料が欲しかったのだと思う)文の末尾。
>僕は文豪なり。名刺の肩に大日本帝国文豪と書き入れても、諸君は決してこれを拒むの権利を有せざるべし。ザマ見やがれと当人しるす。

「ザマ見やがれと当人しるす」
僕は、このフレーズが大好きでして、、、
目出度く73歳を迎えるに当たって、満を持して使わせてもらうことにします。

・・・・・・・・・・・・・

先日、チャーリー浜さんが亡くなって、年齢「78歳」は若いのか?という議論がありました。日本人男性の平均年齢は70歳代後半でしたっけ?

ジョニーは先週83歳の誕生日。いつも“ハッピー・バースデイ”のメールを送ると、すぐにお礼のメールが届くのに、今年は来ないので心配していました。でも、昨日届いた(いつもより多めの感謝が書かれていた)ので、ほっとしました。

僕に身近なところでは、友子さんのお父さんが88歳です。それを考えると、73歳はまだ全然若いのかも知れません。

でも、もし僕が今くたばったとしても、「若死に」ということはないと思います。まあ、不満は言えない年齢まで来ているのではないでしょうか?

今の僕の体調は最悪なのですが、病気ではなくて怪我によるものです。8年前のドングリ事故で頭部に開いた穴と、一年半前のマクドの深夜清掃で痛めてしまった(S字状にひん曲がった)背骨、そのダメージが主要因です。

とにかく、毎日生きてるのが辛い。早くおさらばしてしまいたいのだけれど、ハード・ディスクも取り戻さねばならんし、資料もきちんと整理して後に引き継げるよう残しておかねばなりません(ブログなんて書いている余裕はないのですが)。

前にも書いたけれど、月2回診察を受けている(というよりも医師との雑談が目的)病院で、いろんな検査をして貰った(普段は「健康診断」とかは全くしない)。血液検査が43項目、心電図、脳波、呼吸器、内臓、、、何処にも(上記2か所と先天的な肺の空洞以外)全く異常がないのです。

主治医の先生曰く「こんな完璧な70代老人見たことがない」のだそうです。

それはそれ(苦しい原因が分からん)で辛いのですが、、、、。

いや、僕が何を言いたいのかというと、、、客観的に考えて、僕ほど「健康に悪い」生活を送ってきた人間は、そうそういないのではないかと。

40歳以降は、中国での生活がメインです。中国の(食を含む)環境が、いかに「健康に良くない」ものであるか、知ってる人は知ってると思います。いやもう、その酷さは、筆舌に尽くしがたい、としか言いようがない。

その滅茶苦茶な衛生環境の中で、30年間余過ごしてきたわけです。なにしろ貧乏なので、日本に比べれば圧倒的に物価の安い中国にあっても、最低限の経費での生活ですから、おおよその実態は察して貰えると思います。

日本に戻っているときは、ある意味、その「悲惨さ」は、輪をかけたものになります。食事は、(僕の嫌いなニンジンさえ入っていなければ)安いものなら何でもいい、という基準で摂っています。栄養とか、様々なリスクとかは、完璧に度外視です。

例えば、お金がない時は水だけ、少々お金がある時は一か月ぶっ通しで三食牛丼(あるいは餃子定食)。まあ、酒・たばこ・甘いものは昔から苦手なので、それがプラス・ポイントになっている部分はあるのでしょうが(その分コーヒーはブラックでガブ飲みするけれど)。

「健康マニア」の人々や、「リスク排除主義者」の人たちにとっては、たぶん信じられないような「食生活」だと思います。食生活以外も滅茶苦茶ですね。標高4000m~5000mの山道を一日中歩いているときもあれば、何か月間も室内に籠ってパソコンに向かっているときもある。ちなみに、冷房は嫌い(環境悪化阻止を実践しています)なんで、真夏にもエアコンは使いません。

でもって、「健康マニア」や「リスク管理主義」の同年輩の一部の方々よりは、健康でいるのかも知れない。

“ザマ見やがれ、と当人しるす”所以です。






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アパートの裏山- Nature of Misty Hill青梅市霞丘陵の自然2021.5.25(上)

2021-04-26 09:00:00 | コロナ 差別問題と民主化運動 身近な自然



 
≪ウグイスとションベンとホトトギス≫
 
今日は、(夜明け前に目が覚めて上手く2度寝が出来ずに、その結果時間を間違えてしまい)朝7時50分出発。
 
*カメラの設定が中国時間なので、前回の表示時間は50分づつ足しておいてください(例/10:00→10:50、前々回以前は合わせてある)。
 
「2021.5.23(下)モンキチョウ」は、今日の観察分ともども次回(たぶん数回に分けて)紹介します。
 
そう言えば、「ダイミョウセセリ(下)」も、2か月前から予告だけして一向に始まらない「謎のキチョウとモンキチョウ」も、まだですね。
 


イチモンジチョウ
レンズが2本とも不安、確かめておくべきだったのだけれど、まあ、途中でチェックすればいいか、と標準レンズを付けたままでいました。丘の入口で、いきなり新規撮影種が出現、慌てて一枚だけシャッター切ったら、飛んで行って戻ってこない。時間はたっぷりあるので戻ってくるのを待っていればよかったのだけれど、また出てくるだろうと思い、先に進んじゃいました(まだ8時過ぎなのに10時台と勘違いしていた)。結局、この一枚だけ。標準レンズで離れた場所からなので、豆粒ほどの写真を拡大しました。
 


ベニシジミ
イチモンジチョウは、今日現れた個体が第1化なのに対し、モンキチョウ、モンシロチョウは、第2化が出現しています。 
ベニシジミとルリシジミ(撮影出来ず)も、今日第2化を初チェックしました。ともに入り口です(前者は往路、後者は帰路)。
 
今日のイチモンジチョウもそうだし、この間のジャコウアゲハもそうです。コツバメ、アオスジアゲハ、アゲハチョウ、キアゲハ、カラスアゲハ、アカタテハ、、、、どれも、入口(すなわち住宅街脇)付近だけでしか出会っていません(アゲハチョウとキアゲハは途中の駐車場脇でも目撃)。どうやら、いわゆる「最普通種」は、雑木林とか草原よりも、むしろ市街地のほうに多いのかも知れません。
 
そう言えば、普通種中の普通種、ほかに蝶が一匹もいないところでもこいつだけはいる、という、ペインテッド・レディ(ヒメアカタテハ)を見ていません。それと同じく再普通種のウラナミシジミも今年は未だ見ていない。たぶん秋に多数出現するのでしょうね。
 
それはともかく、今日の主な目的は、タンポポ草原でのモンキチョウの再チェックです。
9:20~11:00(および12:50~13:10)→前回の分共々次回紹介予定。
一時間半ぐらい観察&撮影したところで、バッテリーの残量が少なくなってきた。確かフルに充電しておいたはずなんだけれど(8時間は大丈夫だと思ったので充電器は持って来なかった)。
 
それで、第二目的の、昨日(偶然撮影したヒメキマダラセセリではなく)キマダラセセリを見たポイントに移動。11: 20~12:35の一時間余、ここで粘りました。これも、キマダラセセリではなくて、ヒメキマダラセセリでした。沢山います。目の前(というか僕の足元)を4~5頭が目まぐるしく飛び交っています。しかし止まらない。正確に言えば、止まった場所が分からない。
 


ヒメキマダラセセリ
途中で、半ば諦めて、ションベン・タイム。すると、目の前にやって来て花に止まった。ションベンしながら写真を写しました(余りに近すぎたこともあって良い写真が撮れなかった)。「何か食べようとしたとき」と「ションベンタイム」に、必ずと言って良いほど(ずっと待っていた)蝶が現れます。
 
その後、一時間以上かけて、意地でもって数枚の写真を撮影しました。
 










ヒメキマダラセセリ
 
この間、人ひとり出会わなかった。聞こえるのは鳥の声だけ。特にウグイス。僕の頭上7~8mの梢で、一時間ずっと鳴き続けていました。いや、本当に良い声です。僕はその声を独占して聴いているので、贅沢といえば贅沢です。
 
ホーホケキョ(ケキョケキョケキョ)。澄んだ、(温かみはあるけれど)鋭い声。以前にも蝉(ヒグラシやツクツクボウシ)のところで書いたと思うけれど、中国のウグイスは、“ホーホへキョ”と聞こえるように思う、、、。
 
自然の音が、そこに住む人間の発音(例えば日本語や中国語)に反映されているのではないか、というのが、僕の意見ではあります。
 
遠くから、ホトトギスの声も聞こえてくる。確かに「テッペンカケタカ」とも「特許許可局」とも「ホトトギス」とも聞こえます。思ってみれば、実に不思議です。
 
あと、たまに聞こえるのが、低空飛行する米軍機の爆音。
日本で(絶滅寸前種などが生き残っている)貴重な自然が残っている場所ベスト3は、
1に、米軍基地の近く(荒れた草地があることが多い)。
2に、ゴルフ場の隣接地(緩衝地に雑木林)。
3に、宗教団体の所有土地(購入したまま手を付けないでいる)。
ここは、その3つに当て嵌まるわけです。




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