読者の方々に質問です(僕は頭が悪いので、教えて頂ければ幸いです)。
【Ⅰ】
マスクは、なぜ必要なのですか?
【Ⅱ】
「沖縄に対する日本」
「台湾・チベット・ウイグルに対する中国」
の違いを教えて下さい。
*ブログ記事の冒頭に、この質問を繰り返し続けます。
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「恐怖のマスクマン」ほか、2021.4.8付けの記事が、どんどん後回しになって、いつの間にやら僕の誕生日(今日)が来ちゃいました。
誕生日といえば、斎藤緑雨は、慶応3年12月30日生まれ。“最後の江戸偽作者”という、その評価が正しいか間違っているかどうかはともかく、翌年は明治元年になるので、実際に江戸時代として最後の年の年末に生まれたことになります。
慶応3年と言えば、西暦で1867年です。しかし、西洋暦と日本暦は何日かのずれがあるので、慶応3年の年末は、西暦では1868年に組み込まれます。
夏目漱石、幸田露伴、正岡子規、尾崎紅葉、斎藤緑雨は、いずれも慶応3年生まれですが、西暦で言えば、紅葉と緑雨は、明治元年生まれの山田美妙、内田魯庵らと同じ年になるわけです。
ところで、明治中期の作家の生誕年と元号の関係は、かなり独特です。
例えば(適当にピックアップ)、坪内逍遥は「安政」、半井桃水、三宅雪嶺らは「万延」、広津柳浪、森鴎外、岡倉天心、黒岩涙香らは「文久」、二葉亭四迷は「元治」、小杉天外、後藤宙外、夏目漱石、幸田露伴らは「慶応」、山田美妙は「明治」、、、と、一見大きく時代が異なっているように思えるのですが、逍遥の安政6年と、美妙の明治元年は、西暦に当てると1859年‐1868年ということになり、その10年間に6回年号が変わっている(マックス3年)わけです。その後、明治が45年続くことを想えば、異常な変換速度です。
因みに、中国では今も中国歴(*その定義に関しては非常に複雑な話になるので詳しい説明はパス)が使われています。よって、暦上での誕生日は毎年変わります。スーリンに言わせれば、「中国歴」は「旧暦」ではなくて、こちらの方が「新暦」なのだそうです。中国暦の春節元旦は、毎年変わります。前もっての発表は無くて、直前(数週間前?)に発表されます。それによって誕生日も変わってくるのだそうで、春節元旦のすぐ前(すなわち中国歴の年末)に生まれたスーリンの誕生日も、直前まで分からないのです(いつも直前に調べて教えてくれます、そのレトリックについては僕にはよく理解出来んのですが、ともかく従っています)。
緑雨の小説を読んだことのある人など、どれだけいるのでしょうかね?昔の彼女(?)つながりで言うと、友子さんは学生時代に「(樋口一葉の)たけくらべ」と「(緑雨の)門三味線」を比較した文学評論(卒論だったかな?)を書いています(段ボールのどこかに納めてあるはずなので探してみましょう)。まあ、稀有の例外です。一般の人は、ほとんど知らんでしょう(もっともそれで言えば、鴎外とか露伴を読んだことがある現代人も、どれだけいるのか?現代人で言うならば、漱石を読んだことのある人だって、今や少ないのではないでしょうか?)
ということで、現代における緑雨は、小説家としてはほとんど知られていないのでしょうが、彼のアフォリズムの文章には、結構人口に介しているものがあります。
最も有名なのは、
>按ずるに、筆は一本なり、箸は二本なり、衆寡敵せずと知るべし。
それと、新聞に載せた、自分の死亡広告。
>僕、本月本日を以て、目出度く死去仕り候。
あと、出典は確かめられていないそうなのですが、
>ギョエテとは、俺の事かとゲーテ言い。
は、一応緑雨の言葉とされています(日本のゲーテ記念館の記録にもそうある故)。もっとも(内田魯庵の回想に因ると緑雨の言ったのは)「チョピンとは、俺の事かとショパン言い」となっていますが(笑)。
もう一つ、たぶん結構知られていると思うのが、次の語句。
緑雨とは思想的に対立していた、「太陽」という当時の巨大メディア雑誌から、「読者に寄せる略歴を書け」と依頼があり、渋々書いた(貧乏なので原稿料が欲しかったのだと思う)文の末尾。
>僕は文豪なり。名刺の肩に大日本帝国文豪と書き入れても、諸君は決してこれを拒むの権利を有せざるべし。ザマ見やがれと当人しるす。
「ザマ見やがれと当人しるす」
僕は、このフレーズが大好きでして、、、
目出度く73歳を迎えるに当たって、満を持して使わせてもらうことにします。
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先日、チャーリー浜さんが亡くなって、年齢「78歳」は若いのか?という議論がありました。日本人男性の平均年齢は70歳代後半でしたっけ?
ジョニーは先週83歳の誕生日。いつも“ハッピー・バースデイ”のメールを送ると、すぐにお礼のメールが届くのに、今年は来ないので心配していました。でも、昨日届いた(いつもより多めの感謝が書かれていた)ので、ほっとしました。
僕に身近なところでは、友子さんのお父さんが88歳です。それを考えると、73歳はまだ全然若いのかも知れません。
でも、もし僕が今くたばったとしても、「若死に」ということはないと思います。まあ、不満は言えない年齢まで来ているのではないでしょうか?
今の僕の体調は最悪なのですが、病気ではなくて怪我によるものです。8年前のドングリ事故で頭部に開いた穴と、一年半前のマクドの深夜清掃で痛めてしまった(S字状にひん曲がった)背骨、そのダメージが主要因です。
とにかく、毎日生きてるのが辛い。早くおさらばしてしまいたいのだけれど、ハード・ディスクも取り戻さねばならんし、資料もきちんと整理して後に引き継げるよう残しておかねばなりません(ブログなんて書いている余裕はないのですが)。
前にも書いたけれど、月2回診察を受けている(というよりも医師との雑談が目的)病院で、いろんな検査をして貰った(普段は「健康診断」とかは全くしない)。血液検査が43項目、心電図、脳波、呼吸器、内臓、、、何処にも(上記2か所と先天的な肺の空洞以外)全く異常がないのです。
主治医の先生曰く「こんな完璧な70代老人見たことがない」のだそうです。
それはそれ(苦しい原因が分からん)で辛いのですが、、、、。
いや、僕が何を言いたいのかというと、、、客観的に考えて、僕ほど「健康に悪い」生活を送ってきた人間は、そうそういないのではないかと。
40歳以降は、中国での生活がメインです。中国の(食を含む)環境が、いかに「健康に良くない」ものであるか、知ってる人は知ってると思います。いやもう、その酷さは、筆舌に尽くしがたい、としか言いようがない。
その滅茶苦茶な衛生環境の中で、30年間余過ごしてきたわけです。なにしろ貧乏なので、日本に比べれば圧倒的に物価の安い中国にあっても、最低限の経費での生活ですから、おおよその実態は察して貰えると思います。
日本に戻っているときは、ある意味、その「悲惨さ」は、輪をかけたものになります。食事は、(僕の嫌いなニンジンさえ入っていなければ)安いものなら何でもいい、という基準で摂っています。栄養とか、様々なリスクとかは、完璧に度外視です。
例えば、お金がない時は水だけ、少々お金がある時は一か月ぶっ通しで三食牛丼(あるいは餃子定食)。まあ、酒・たばこ・甘いものは昔から苦手なので、それがプラス・ポイントになっている部分はあるのでしょうが(その分コーヒーはブラックでガブ飲みするけれど)。
「健康マニア」の人々や、「リスク排除主義者」の人たちにとっては、たぶん信じられないような「食生活」だと思います。食生活以外も滅茶苦茶ですね。標高4000m~5000mの山道を一日中歩いているときもあれば、何か月間も室内に籠ってパソコンに向かっているときもある。ちなみに、冷房は嫌い(環境悪化阻止を実践しています)なんで、真夏にもエアコンは使いません。
でもって、「健康マニア」や「リスク管理主義」の同年輩の一部の方々よりは、健康でいるのかも知れない。
“ザマ見やがれ、と当人しるす”所以です。