ミャンマーが何やら騒(ざわ)ついています。政治のことは僕には分からないのですが。
でも僕は、(香港の場合もそうだけれど)ネット上で勝手なこと(たぶん正論なのでしょうが)言ってるヤフコメ民の、おそらく9割以上の人たちよりも、ミャンマーとの縁が(ほんの少しだけでしょうが)ある、と思います。で、ちょっとだけ触れておきます。
ミャンマー民主化デモの記事に関するコメント、相変わらず「中国攻撃」ですね。お決まりの「悪の原因は全て中国から齎される」に結びつけていく。まあ、攻撃されても仕方がないことはやっていますが、僕は中国擁護です(笑)。森さんの場合と似たようなものです。
大半は、こんなコメントです。
>中国をどうにかしなければ、世界は民主化には絶対に進まない。
>もし、ミャンマーが中国と対立するならば、ウイグル自治区から東南アジアに流れる「川」のダムを締めたら、一巻の終わり、、、。中国は無言の圧力です。
それ(2つ目のコメント)に対して、
>さすがにウイグルから東南アジアに流れ込む河川は無いのでは?メコン川の源流はチベットですが。
というコメントもありました。冷静に見ている人もいるのですね。
驚いたのは、「ウイグル自治区から東南アジアに流れる、云々、、、」に「そう思う」、「ウイグルから東南アジアに流れ込む河川はない、、、、」の方に「そうは思わない」が、それぞれ幾つもついていたこと。一体、、、、確信犯かな?(笑)。
ウイグルからは、一本も外洋に川が流れだしていません(非常に細かくチェックすると西シベリア経て北極海に注ぐオビ川の最源流がウイグル北端部に源を発している)。
ウイグルには、広大なタクラマカン砂漠を挟んで、北に天山山脈、南に崑崙山脈の7000m級の雪嶺が連なり、その麓には世界でも有数の標高の低い(マイナス154m)のトルファン盆地があります。西のパキスタンとの境には、世界第2位の高峰K2が聳え、省内の標高高低差は9000m近くに及び、世界一です。
一方、チベットには、メコン川だけでなく、黄河、長江、サルウイン、イラワジ、ブラマプトラなどの、アジアの大河の最源流が集結しています。ほぼ全域が標高6000mを超すチベット高原に覆われ(低いところでも4000m前後)、南縁は8000m峰を連ねるヒマラヤ山脈です。
アジア6大河の源流が全部集まり、世界最高峰を擁するチベット。
川はほぼ全部内陸に収斂し、世界第四位の低所と世界第二位の高所のあるウイグル。
どちらも、すごいところです。
そりゃあ、中国としては手放したくありません。
面積40万分の1にしか過ぎない尖閣とは、訳が違います。もっとも尖閣の場合は、その先に(そこから宮古海峡を越えた東方に)更に広大な太平洋が広がっているわけですから、地政学的には、そうとも言えないのですが。
ところで僕は、日本(西側社会)と中国のどっちの味方なのか? 「現代ビジネス」に記事を書いていた時、しばしばこんなコメントを貰いました。
>この作者は(日中)どっちの味方しているの?
>立ち位置が明確でないというのは、ジャーナリストとして失格。
、、、だそうです。
(だって、ジャーナリストじゃないもん、笑)
僕は、どっちもの味方です。
さて、ミャンマーですが。
数か月間現地で仕事をしたことがあります。
人生で、唯一度、VIP待遇(ほぼ国賓待遇)を受けました。仕事を終えた後、あやこさんから「このままミャンマーで暮らしたら?」と言われたのですが、いや、そういうわけにもいかなくて(そのためには新しい顕微鏡を購入持参せねばならない)、その後再訪もしていません。その進言を受け入れときゃ良かったと、ちょっと後悔しています。
とにかく、文句なく素晴らしい国です(むろん「裏側」もそれなりに、というか、かなりどっさりあるようですが)。人間 そういった環境(特別待遇)に身を置かれると、道を見失ってしまう、というのが、よく分かります(権力者側の気持ちもちょっぴり分かるような)。でも、そのことを差し引いても、素晴らしい国です。ことに若者が、素直で、努力家で、朗らかで、素晴らしい。
ただ、どうしても一つ引っかかることがあるんですね。学生たちとは別に、助手として働いて貰っていた、奥地の少数民族原住民の若者。アル中で、彼自身に問題は山積みだったとはしても、余りに露骨な差別を学生たちから受け続けていた。学生たちは、とてもそんなことを行うような人間じゃないんですよ。でも、そういう現実があった。
モニカのミャンマーとの縁は、僕よりももっと深いです。
僕と喧嘩していた8年前、その喧嘩が原因で勤めていた昆明の会社をクビになった。どうせなら、もっと給料の良い職場を見つけようと、当時のモニカの身分からすれば破格の月10万円の報酬の、中国/ミャンマー共同国家事業であるメコン川の巨大ダム工事計画の、ミャンマー側スタッフの通訳兼監督として、現地(雲南省中部のメコン川沿いの現場)に赴いた。
その時に、ミャンマー人の彼氏が出来た(後に中国人のご主人と結婚した際「本当はミャンマー人の彼氏の方が好きなんだけれど、でも、しょうがない」とか言ってた)のですが、数か月間に及ぶ仕事が終わってからは(クビになったのかどうかはともかく)「もうミャンマーとは関りが無くなってしまった」そうで、その後どうなったかは聞いていません。
その中国人ご主人も、ちょっと?な点があって、最初に報告を受けた時は、ウイグル(ウルムチ)在住と言っていたのです。実際、ウルムチに行って暮らすのだと(お母さんは賛成で、お父さんは反対している由)。たまたま出発の当日に日本から電話で話したときには「飛行機が遅れていて心細い」とか言っていた。いずれにしろウイグルは遠いし、僕もまあ当分は会えないなあ、と思っていました。
数か月後、次に中国に行ったとき電話したら、なんと深圳に戻っている、と。新婚の旦那さんを紹介してくれました。でも聞いていたウイグルの人(漢民族だそうですが)のプロフィールとは、いろいろと違う(笑)。深く詮索するのもなんだかと思い、詳細は知らないままなのですが、どうやら数か月の間に、何かがあったと言う事でしょう。
そんなわけで、最終的にはウイグルともミャンマーとも縁は無くなったモニカですが、この両地域に対する好感は今も持ち続けているようです。常々「日本には(観光でも仕事でも)絶対に行きたくない」と言っているのに対し、ミャンマーやウイグルには、機会があればぜひ行きたい、と漏らしています。
僕も、ウイグルには、少しだけ縁があります。
上海の、いつもお世話になっている(ただで泊めて貰っている)「芸術家村」(仮称)の実質トップの人が、ウイグル出身の有名画家。なぜか知らないけれど、僕を凄く評価してくれているのです。「是非ウイグルに訪ねて来てください」と言われていて、僕もその気は充分あるのですが、でもその方は一昨年な大きな手術をして、重篤状態にあると。その後コロナで訪中が叶わず、以降の経過は分からないままになっています。
その芸術家村で、ある夕食時、制服にキンキラ★をいっぱいつけた数人の高級お役人と同席しました。いやもう緊張したも何も。別に具体的に何かあったわけじゃないのですが、威圧感というか、半端じゃない。はっきり言って、ひたすら怖かった(夜中に連行とかされそうで)。あとでU氏にその事を話したら、「そりゃ決まっているでしょうが、関わると怖いですよ」と。
この話は、以前ブログで取り上げた事があると思いますが、、、。桂林の街中での出来事です。怪しい(ちょっとインチキな)お菓子売りのウイグル人がいました。いつも通り過ぎる際に「買ってよ!」と声をかけられるのですが、「また今度ね」で毎回やり過ごしてきました。でも一度は買ってあげないと、と思い、(半分インチキで)ちょっと高めなのは、まあいいかと織り込み済みで、購入する事にしました。お金を渡そうとした瞬間、2人の周りを、突然何人もの制服の公安が取り囲んだ。
どうやら、外国人の僕と、そのウイグル人男性が喧嘩になるのを期待しているようなのです。そうなれば彼を連行しようと。僕はその雰囲気を感じ取ったので、大袈裟に彼と握手したりして、公安の人たちに「この人は僕の友達なんですよ」と言って、彼にお菓子代を渡しました。結局、公安の人たちは何もせずに引き上げて行きました。
その時の、彼(ウイグル人のお菓子売り)の情けなさそうな表情は、今もありありと覚えています。覚えている、、、、というのとは、ちょっと状況が違いますね。公安の人たちが2人を取り囲んだ瞬間、とっさにウイグル人と公安の写真を写したのです(それで思い出すことが出来る)。今考えたら、良く写真など撮れたと思います。公安の人が、「この外国人は喧嘩になった時の証拠として写真を撮っている」と都合よく解釈してくれたのだと思います。
そう、中国の各地に住むどのウイグル人も、ずっと公安の尾行を受けているのです。
そのような事実も(事実のひとつも)、確かに存在する、と言う事です。
ただ僕には、だから、、、と結論付けることは出来ません。
例えば、チベット省境の雲南省側の村に住んでる、あるチベット人の友人。彼は、誇り高きチベット人です。であると共に、若い頃、中国共産党で活動していたことを、何よりも誇りに思っています。
中国が、チベットやウイグルに対して、いかに弾圧的な態度をとっているか、また、チベットやウイグルの民が、そのことに対して、どれだけ辛い思いをしているか、分かるんですよ。
分かるんだけれど、でも、そう単純な問題ではない。
立場もスケールも異なるけれど、「沖縄」について、本気で考えてみてください(多くの日本人は、まあ、最初から、分かろうとはしないのだろうけれど)。