へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

オカヤドカリの命

2007年01月13日 19時04分11秒 | Weblog
以前或るサイトで、オカヤドカリの命とゴキブリの命を同列に評価したところ、大変なブーイングを受けたことがある。
オカヤドカリとゴキブリを一緒にするとは何事だ。と言うのである。
これでは昨日書いたように、自分が可愛いと思うものの命は大事だが、嫌いなものの命はどうでもよい。と教えているような物ではないだろうか?。
命の大切さを教えると言う事はそんな生易しい事ではないはずです。
また私の多頭飼育にも批判を受けた事がありますが、これとてもナンセンスと言うしかないのでは?。
適正飼育、適正って誰が決めるのでしょうか?。
どなたか@たちに確認したのですかね?。
あくまでも飼育する人間が、自分の生活空間の中で決めたものに過ぎません。
容器が小さいから、数が多いから、と言って、ダメだと言う資格が誰にあるのだろうか?。
ペットを飼う。という事は、あくまでも人間の身勝手なのです。
30センチよりは45センチ。
45センチよりは60センチ。
60センチよりは90センチ。
90センチよりは120センチ。・・・・・・・・・
大きくなればその分だけ@たちにとっては生活条件が良くなるのは確かですが、それだけで適正だと言えるのでしょうか?。
いろいろな人のコメントなどを読むと、大きな水槽に対する気持ちは、憧れ、羨望、そして所有した時の優越感、等が本音ではないのだろうか?。
振り返るに、我々人間だって、大きな豪邸に住んでいる人もいれば、狭い部屋で仕方なく生きている人もいるのです。
何処の世界にも格差は存在するのです。
格差がある以上、一律に物事を考える事は出来ないはずです。
その上に、運、相性(@同士だけではなく、飼育者との)なども絡んでくるので、結果だけで判断するのは危険です。
脱皮事故にしても、単独なら大丈夫とは言えません。数が多くなればそれだけ危険はふえますが。
共食いの場合も、単独以外は危険がありますが、どのような理由で共食いをするか分からないので防ぎようがありません。
我が家では、ネオンテトラが時々産卵をしていますが、孵化した仔魚の殆どは親魚の餌になってしまいます。
水草を沢山入れても、状況はあまり変わりません。
残念ながらこれが自然界の掟なのです。
かわいそう。と言っても、見つけ次第採取して隔離する以外に方法がありません。隔離しなくても大丈夫なほど、大きな水槽を設置するスペースなんて有りません。
その上、一々助けていては大変です。無限に水槽が必要です。
割り切る事も必要になります。
命の大切さを教えるのであれば、自分の命が無数の生き物の命によって支えられている。と言う事を教える事のほうが大事なのでは?。
ゴキブリだって悪い事ばかりしているとは限らないのでは?。
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2 コメント

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goo.dm t.m-td.xad (河原真)
2007-12-24 09:52:15
どんな生き物にしたところで、生きる事の価値は同じだと思う。人間も動物も虫も魚も…。そして死ねば皆土に帰るのも同じ。この大きな宇宙から見れば、人間なんて本当にケシ粒以下の小さな存在でしかない。それなのに、自分の命や、自分が大事にしているペットの命は大事だけど、他の生き物の命はなんて差別する方がおかしいと思う。おじさんの意見に賛成します。
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有難う (へそ曲がりおじさん)
2007-12-24 22:43:26
人間は所詮「自分勝手な生き物です。
各地にある「動物愛護協会」も、「自分達が愛玩する動物を愛護する協会」と書き改めるべきだと思います。
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