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へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

日産と三菱

2016年05月21日 03時58分31秒 | 毒舌(皮肉)
三菱自動車による燃費偽装問題が発覚し、三菱自動車が倒産の危機に晒され、急遽日産が筆頭株主となり、三菱自動車は日産の傘下に入って再生を図ることに。


が・・・・。

本当に再生が可能なのであろうか。

日産が筆頭株主になっても、三菱自動車の根本的な体質を変えることは困難ではないだろうか。


三菱自動車。

三菱財閥の流れをくんでいる。


そう、私が大嫌いな「岩崎弥太郎」が作った財閥である。




そして・・・・。


もう一つ問題点があると思うのだが・・・・・。


その問題点は、三菱自動車にではなく、日産自動車のほうにあるのだ。


今を去ること半世紀前の話である。



それは、今は消滅してしまったが、そのころ有名だった「サファリラリー」で日産ブルーバードが優勝を果たしたころの話である。

日産は大々的に宣伝材料として使ったが、ヨーロッパでは「嘘つき日産」「騙しの日産」と糾弾されていたことを知る人は少ないであろう。


そのころのサファリラリーのルールは「市販車をベースにしたもの」と言った程度の決まりしかなく、「紳士協定」と言った漢字であったらしい。

そこに日産が目を付け、1600CCだったブルーバードのエンジンを、4トン車のエンジンと付け替えたのである。


ルールが曖昧なので違反ではないが、明らかに「紳士協定違反」である。


その翌年も優勝をしているが、これもまたルールの抜け穴を突いたもの。



その後も、「技術の日産」などと自称して宣伝していたが、これも殆んど根拠のない話で、その後は「先進技術の日産」と称していたが、それも今は封印している。



とまあ、どちらも似た様なものなのだから、この先どうなることやら。



「技術なき技術の日産」「日本で一番技術のないメーカー」などと陰で言われていた時期もあるのだが・・・・。
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オバマ大統領が広島を訪問すると言うが・・・・

2016年05月12日 03時34分53秒 | 毒舌(皮肉)
日本としてはもっと早くに訪問して欲しかったのだろうが・・・・。


今回はそのこととは関係ない?話を。



日本としては「世界で唯一の原爆による被爆国」だと言うことを強調したいのだろうが、仮の話し、「広島、長崎への原爆投下がなかったとしたらどうなっていたか」を考えたことがあるのであろうか。

アメリカが原爆投下を正当化したがるのも、ここにあるのだと思う。


が、だからといって、原爆の使用が許されることでないことは確かである。



しかし・・・・。

広島、長崎への原爆投下をアメリカが躊躇したとしたら・・・・。


これはあくまでも「仮定」の話ではあるが、原爆による被爆はなくなるだろうが、その結果として「新たな別の形の被害」が発生することを忘れてはいけないと思う。



あのころの日本は、「本土決戦」「最後の一兵まで」「1億玉砕」などとまで言っていたのだから、日本と言う国そのものが消滅する危険さえあったのである。


現実の話として、「日ソ中立条約」を破棄したソ連軍は、あと少しで北海道への進軍を始めるところまで来ていたのだから。



ソ連軍が北海道に上陸して攻撃を始めていたら。



アメリカ軍は絨毯爆撃を続行していたであろう。




中国軍も日本を攻撃していたかもしれない。





また、戦争が終った後も、ソ連、アメリカ、中華民国。イギリスの4カ国による「日本の分割統治」が検討されている。







さあどうするか。



こんな言葉もある。


「2つの悪のうち、より軽い悪を選ぶ悲しさ」





どう転んでみても、日本にとって良い結果などありえないのである。


私だって原爆の投下が良くないことだとはわかっているが・・・・。




そのことを問題にする前に、冷静になって考えるべきことがあると思うのだが・・・・。



それは・・・・。






「何故もっと早く敗戦を認めなかったのか」である。



広島、長崎に原爆が投下される前に敗戦を認めていれば・・・・。





問題の根源にあるのは、「勝ち目のない無謀な戦争を始めた日本」にあるのだから。
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話半分

2016年04月30日 23時00分54秒 | 毒舌(皮肉)
話しの半分は嘘や誇張で占められている話のことで、転じて「信用できない話し」と言う意味もあると思う。


1割や2割のゴマカシなので、三菱自動車の燃費偽装はそれよりは程度が軽い?。



が・・・・。

自動車メーカーが公表している燃費は「自社で計測したデーターを基にしている」と言う事で、ごまかそうと思えばいくらでもごまかせるのではないだろうか。



ハイブリッドカーの燃費は非常に高い数値が公表されているが、現実には「その半分くらい(以下)しか走らない」と言う人が非常に多いように思う。


なので、「燃費詐欺」と言う人も多いのである。


そう、実燃費がメーカーが公表する数値の半分程度では、「話半分」と似たようなものではないだろうか。



が・・・・。

そのことが公に問題になることはない。



エコカーの軽減税率にしても、各メーカーの自己申告による数値だけが基準になっている。






自己申告。

ごまかす気になれば、いくらでもごまかせるのでは?。



大きなメーカーほど多額の政治献金をしているのだろうから、お目こぼしもあると思うのだが・・・・。




正直者が馬鹿を見るのである。
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新聞にこんな記事が載っていた

2016年04月29日 22時27分13秒 | 毒舌(皮肉)










土曜日の朝日新聞別刷りに掲載されていたのだが・・・・。


たまにではあるが、私のブログを読んでいて書いているのではないかと思うことがあるが・・・・。



そんなことはどうでも良い。


が、私と同じようなことを書いている。






賞味期限。


これは「雑草」と言う言葉と同じようなもので、人によって考え方には違いがある。


更に・・・・。

賞味期限と言う言葉は、雑草と同じように、特別な決まり(基準)などないのである。



なので、極端な場合は「消費者が決めている」と言いたくなるケースまであるのだ。




これは何年か前の話である。


ある納豆メーカーが、賞味期限を長く設定して売りに出したところ・・・・。

売れ行きが悪くなり、あわてて元に戻したのだとか。




他にも似たような話しはいくらでもある。


缶詰や瓶詰めだって、元々は長期保存を目的に作られているので、長期の保存が可能なのだが・・・・。





かつては「製造後1年くらい経った方が味がしみて美味しい」と言っていたのに、最近は1年経つと「古い」と言う人が増えている。



その一方で・・・・。


ワインやウイスキー、ブランデーなどは、古いものほど珍重される。



長期間保存することで「熟成」されるためだが、これは漬物にも言えるのでは?。


今の私は、舌癌の手術の後遺症で刺激の強いものが食べられない。



が、手術前はキムチが好きで良く買ったものである。

買うのはいつも「半額」のシールが貼られたものばかり。


そう、賞味期限が切れる直前のものばかりである。



が・・・・。

これで驚いていてはお話にならない。


半額になった物を買ってきたキムチ。

この後、早くても2ヶ月(長い時は半年近く)位は冷蔵庫の中で熟成させる。


すると・・・・。

乳酸醗酵でかなり酸味が強くなるが、味は抜群に良くなる。



かつて韓国の人も言っている。

「日本のキムチはキムチではない」と。


そう、キムチは醗酵食品である。



日本の漬物もその多くは醗酵食品である。


が・・・・。

現代人は醗酵する前に食べている。


それでいて、「植物性乳酸菌」を使った食品に高いお金を払っている。

乳酸菌と言えば「ヨーグルト」が有名だが、これは動物性乳酸菌のこと。


漬け物が酸っぱくなるのは、植物性乳酸菌の醗酵によるものなので、「漬物は日本のヨーグルト」とも言われる。

それに、醗酵食品は長期保存が出来るものが多い。



なので、私は漬物だけでなく、ヨーグルトや納豆なども余り賞味期限にこだわらずに食べている。




まだまだ書きたいことは山ほどあるが・・・・。


頭の中が混乱していて整理が付かない。





と言う事で、また何かの機会を見つけて書くことにしよう。
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三菱自動車の燃費偽装(詐欺)が発覚    追記しておきます

2016年04月23日 23時15分09秒 | 毒舌(皮肉)
相手先ブランドで生産納入していた日産の指摘で発覚したらしいが、何ともドジな話である。

何かと問題の多い三菱自動車。

その根底にあるのは、岩崎弥太郎によって作られた「三菱財閥」と言う組織にあるのではないだろうか。


岩崎弥太郎。



私が嫌いな人間の一人である。




若い頃勤めていた会社でも、三菱銀行との融資話で嫌な思いをしたことがある。


が、それはごく当たり前の話らしい。



と言う事で、間違っても私が三菱の車を買うことはありません。


2016.04.20.




追記です


三菱銀行との融資話で嫌な思いをした話。

今日ある人からも同じ類の話を聞いたので書いておきます。


その人はある小さな町工場の経営者です。



で、新規事業を始めることになり、設備投資の融資を申し込んだ。

事前の話では簡単に融資が受けられそうな感じであったが・・・・。


いざ正式に融資を受けるに当たり、銀行で融資の書類を書いていると・・・・。

突然車に関する話しが始める。



かつての私のときと同じで「なんでこんな時に車の話を?」と思い、車を買い換える意思がないことを伝える。

そして、書類を書き上げて提出。



事前の話では「支店長決済なので大丈夫です」と言っていたのに・・・・。


数日後に伝えられた結果は「大幅な減額」での融資である。


担当者の話しによると・・・・。



支店長の決済で決まるはずが、それが出来なかったとの話し。


が、これは単なる口実であることが後日判明する。



と言うのも、同業他社の人から「車の話しが出ただろ?」と言われ、「それを断ったからだよ」とも言われたのである。



要するに、直接的には言わないが、「金を借りたければ三菱の車を買え」と言うのである。





かつて「デボネア」と言うどうしようもない車が売られていたが、この車の大半は「融資の見返るり」として買わされたと言う話もある。


大型トラックのリコール隠しも、このような三菱財閥の体質に原因があるのです。
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馬に水を飲ませる方法

2016年04月05日 23時25分27秒 | 毒舌(皮肉)
古来より「馬を水辺に連れて行く事は出来るが、水を飲ませることは出来ない」と言われているように、馬に無理やり水を飲ませる方法はない。

無理に飲ませることは出来たとしても、その後は馬が暴れて大変なことになるだろう。


これは人間にも当てはまるだろう。



夏の暑い日に喉が渇いていれば飲むだろうが、喉の渇きが収まればそれ以上は飲まない。




冬の寒い時などは、冷たい水など飲みたいとも思わない。

温かい飲み物であれば飲むことはあっても、それも程度問題である。



前置きが長くなったが、これからが本題である。


安倍総理と日銀の黒田総裁が結託をして、何とか景気を回復させようと躍起になって色々な手立てを講じているのだが・・・・。




そのやり方は、ただ単に「馬(国民)を水辺(消費)に追い込もう」としているだけである。


だが・・・・。



どのような手段を講じたとしても、「物余り」の時代である。


高度成長期のように「どうしても買いたい」と思うものが無い以上、いくら金融を緩和しても無駄なのである。




それを顕著に現しているのが、今回日銀が表明した「1万円札の大量増刷」であろう。


1万円札以外は殆んど増刷しないという。



これは「たんす預金」が増えたことを意味する。

銀行に預けても殆んど利息がつかない。


それどころか・・・・。




「マイナス金利」になる可能性も否定できないのである。


「銀行に預けたらお金が減る」


庶民のお金にまでマイナス金利が適用されることはないだろうが、「絶対に無い」とは言い切れないだろう。




毛利元就の「三本の矢」の意味を取り違えて、一の矢、二の矢、三の矢と立て続けに矢を放ってみたが・・・・。


一向に戦果は上がらない。



安倍総理や黒田総裁がやろうとしていることは・・・・。


「柵を作って無理やり馬を水辺に追い込んでいるだけ」に過ぎない。






今日私はボーリングに行って来た。

その帰り、久しぶりにホームセンターに行って見た。


駐車場はガラガラである。

当然だが、店内は閑古鳥が鳴いている。


何か掘り出し物でもないかと探して見るが、めぼしいものは何も無い。


以前であれば、今の時期はにぎわっていた「園芸コーナー」も、品数が少なく、お客も殆んどいない。

ザット一回り見て回ったが、結局は何も買う物がない。




最近はこんなことばかりなのです。
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学者とは

2016年04月04日 20時23分19秒 | 毒舌(皮肉)
電子辞書で調べてみると、①学問に優れた人、②学問を研究する人、と出てくる。

別な言い方をするなら「研究者」と言う言い方も出来る。


が・・・・。

私は読んで字のごとく「学ぶ者」(人)」と解釈している。


が、ただ単に学ぶ人ではなく、「人並みはずれて学ぶ人」のことを言うのであって、私は該当しない。


そもそも、「学者」と言う表現自体も曖昧で、「雑草」と同じ「普通名詞」である。

「○○学者」と言うこともあるが、これも固有名詞とは言いがたいだろう。


更に、学者になるためには、国家資格も必要ないのです。



そう、周りの人が漠然と「あの人は○○の分野に詳しい」と言うことで、尊敬の意味を込めて「○○学者」と言うことが多いのだが、尊敬に値しない学者もいる。




「学者」とは言うものの、悪い言い方をするなら「オタク」と似たようなものではないだろうか。


オタクと学者。


共に、得意とする分野には詳しいが、それ以外となると一般常識を知らない人も多い。




その境界は非常に曖昧で、オタクは「学者を蔑視した言い方」と言えなくもないと思うのだが・・・・。



更に、同じ分野の学者であっても、考え方は人それぞれで、正反対のことを言う人だっているのです。

それではどちらが正しいのであろうか。


それを決めることは困難だと思う。




そう、意見には個人差があるのだから。
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学者と言う名の困った生き物

2016年04月02日 23時01分36秒 | 毒舌(皮肉)
昭和天皇が「雑草と言う名の草はない」と言う記事を書いたことにコメントを頂いたのだが、学者とは一体どんな生き物なのであろう。


学者も雑草も共に普通名詞で、「生物学者」と言うと固有名詞のようにも思えるが、固有名詞と言うには少々無理があると思うが・・・・。




で、肝心な「学者」に関する疑問だが、学者とはどのような生き物なのであろうか。


私は何人もの学者と言う生き物を見てきている。


彼らの多くに共通することは、「やたらと難しい言葉を並べ立てる」と言うことではないだろうか。



難しい言葉。

「専門用語」とも言う。


専門用語。

その道に長けた人でないと理解不能なことが多い。


そう、理解不能な言葉を並べ立て、「俺はこんな事を知っていて偉いんだぞ」と威張る材料にも使う。



そして、学者などが言うことを「学説」と称することもあるが・・・・。


「論文」として書かれていることも有る。



が・・・・。


その一方で、「学説が覆される」と言うことだっ珍しい事ではないだろう。


「論文が間違っていた」と言う事だってある。


ひどいケースでは「捏造」と言う事だってある。



が・・・・。

一般の人にとっては、「学説」だとか「論文」を持ち出されると引き下がるしかないのが実情であろう。



以前、「宣伝はハッタリだ」と言う言葉に関して書いたことがあるが、「学者」と言う言葉も一種の宣伝材料であろう。




と言うことで、私は「学者」と言う言葉を使う人間を信用しないことにしている。


これはある大学の教授も言っている。




若かりし頃にある大学の教授と話をする機会があったのだが、その教授も「学者はいい加減なことを言うことも多いので、学者と言う言葉は安易に信用するな」と。


「難しい言葉を使いたがる人ほど危ない」とも。



その教授は難しい言葉は使わず、こちらの質問意は丁寧に答えてくれた。


更に「学説」は「後からのこじつけ」の場合も多く、「実情とかけ離れていて、正しいとは限らない」とも。



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今日は4月1日

2016年04月01日 22時39分29秒 | 毒舌(皮肉)
「エイプリルフール」の日と言って、「嘘をついてもよい日」と言われているが・・・・。


古い故事による言い伝えが起源らしいが、「嘘をつかなくてはいけない日」ではない。



が・・・・。


現代社会は嘘で満ち溢れている。


オレオレ詐欺も、嘘をつくことで成り立つ犯罪である。




政治の世界だって、その多くは嘘のつき合いである。


経済界も産業界も嘘で満ち溢れている。



我々庶民の世界でも嘘は絶えない。





良く「人のせいは善である」と言う人が多いが、本当にそうなのであろうか。


これはあくまでも「そうであって欲しい」と言う願望によるものでは?。






少なくとも、私はそう思っている。


もし本当に人のせいが善であるなら・・・・。





規制や法律の多くは必要ないはずである。


が・・・・。





現実には、次から次へと新しい規制や法律が作られる。
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雑草と言う名の草は無い      少し追記をしておきます    追記の追記あり    更に追記します

2016年03月30日 23時09分56秒 | 毒舌(皮肉)

タイトルは、昭和天皇が口にしたことで有名な言葉だが・・・・。

私も何度か口にしてはいるのだが、口にするたびに何か違和感を感じてならない。

こんな事を今ごろになって書き始めたのは、今日のお昼過ぎに近所の人たちの話を聞いたことがきっかけである。

昭和天皇が口にした言葉にいちゃもんをつけるのは「不敬極まりない」と考える人もいるだろうが、私はむしろ「不敬極まりない」と考える方がより「危険な考え方」だと思っているが、この件に関しては後から書くことにしよう。

さて。

「雑草」と言う言葉にはどんな意味が含まれているのだろうか。

昭和天皇が口にした言葉だけを考えれば「間違った話ではない」とも思えるのだが、もっと広く考えを及ばせると「チョットおかしいのでは?」と言うことにならないだろうか。

「雑草」と言う言葉には「人間にとって不要な草を卑下している」と言う意味合いが強いので「雑草と言う名の草は無い」と言う言葉になったのだろうが、世の中には「雑」と言う漢字が付く言葉は結構ある。

「雑木」「雑誌」「雑用」「雑貨」「雑談」「雑学」・・・・・と、書き出すとキリがないほど沢山あるのだが、どれをとっても「普通名詞」であって、特定のものを表す「固有名詞」ではない。

だが、しかし・・・・。

「雑草」以外でこのように話題になったものはないだろう。

これは、昭和天皇が「雑草」と言う言葉を、誤って?「固有名詞」として使ったことに原因があるだろう。

通常、「雑草」を固有名詞と使うのは誤りで、特定のものを表さない「普通名詞」として使うべきだろうが、そのことに気が付く人はほとんどいないのである。




さてここで最も肝心な「本題」に入るのだが、これからが最も重要な話なのである。

実は昼過ぎの話の途中で「天皇陛下のお言葉にケチをつけるとは不届き千番」と言われたのだが、これってなにかおかしくないだろうか?。

かつては「神のような存在」として崇め奉られていたのだが、今現在は「日本の象徴」(悪い言い方をすれば、飾り物)でしかないだろう。

今でも天皇を「神のような存在」として崇め奉る人がいるのだが、これには大きな危険をはらんでいると思っているのだがね。

それは、天皇を神のように崇め奉る精神をかつての軍部が悪用して、アメリカに勝てる見込みの無い「無謀な戦争」に引きずり込むきっかけにもなっているからである。

天皇といえども、所詮は「一人の人間」である。

間違いは「間違い」として正す必要があると私は思うのだが・・・・。

こんな事を書くと、昔なら「不敬罪」として逮捕されているだろう。

2012.09.02.




追記です。


雑草。

非常に曖昧な言葉で、その人によっても雑草は違いがあります。

一口に「雑草」とは言っても、同じ植物を、ある人は「雑草だ!」と言うこともあれば、「雑草ではない!」と言う人もいるので、一体どれが雑草なのか。


話は個人的なことになるが、一般的には「園芸植物」として扱われているものでも、状況次第では「雑草扱い」になることもあるので。

我が家では、「トレニア」「インパチェンス」「オオハンゲ」などは雑草扱いで、トレニアは見つけ次第抜いています。


クリスマスローズだって、勝手に出来た種があちらこちらで芽を出すため、邪魔なものはどんどん抜き捨てています。



正直な話し、天皇陛下だからのんきな事が言っていられるのです。


貧しい庶民とは別の世界に住むお人なのだから。




2015年12月2日に書いた追記の追記です。

「庶民とは別の世界に住むお人なのだから」と書いたように、何事に置いても、我々とは別次元でものを見ているのです。

「皇居」と言う広大に敷地に住み、諸事万端は全て「他人任せ」と言っても過言ではない。

生活自体も国によって全て保障されている。

と言うより、国民が支払っている「税金」で生活しているのである。


そして・・・・。

昭和天皇に限らず、皇族たちは常に「上から目線」でしか物を見ていない。



「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」とも言うが・・・・。


頭を垂れるのは一般庶民ばかり。




「格差」が問題になっているが、その元凶のひとつがここにもあると思うのだが・・・・。


毎日のように閲覧する人が何人かいるので、あえて書いてみました。



2016年1月21日の追記に追記します。

相変わらず誰かが毎日のように閲覧しているようだが、改めて別の角度から考えてみた。


事の起こりは昭和天皇が「雑草と言う名の草はない」と言う言葉からだが、これは当時の侍従長が美化して書いたもので、文法的に大きな間違いがあることは始めに書いているのでここでは省略する。


この話も、雑草を刈った人が黙っていれば何事もなく終っていた話ではなかろうか。


そして・・・・。



これは仮定の話しではあるが、もしもこの雑草が「日頃昭和天皇が歩く通路」に生えていたのだったらどうであろうか。


仮の話し、日頃昭和天皇が歩く通路に雑草が生えていたとしたら・・・・。




小さな雑草であれば問題も起きないかもしれないが、刈り取らなければいけないレベルの雑草が生えている。


担当者は「職務怠慢」で厳重な処罰を受けるのでは?。



天皇が行く先々の雑草は綺麗に刈り取られている。




が・・・・。


それは全く問題にされない。




所詮世の中はこんなものなのである。


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