ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「あらまぁ、お元気そう」

2020-12-26 06:37:29 | 日記
日没時刻は今月10日辺りの4時19分から6分遅い4時25分となりました。
その分、と言うわけではありませんが、夜明けの遅いことったら。
目覚ましのアラームは5時40分。
カーテンから覗いた外は、まだ真っ暗。
『明けない夜は無い』と言われますが、明るい朝よ早く来い、です。

安倍前首相は衆院議院運営委員会で、いわゆる「桜を見る会」に関する一連の国会答弁に関して、
「結果として事実に反するものがあった。改めて事実関係を説明し、答弁を正したい」
「私が知らない中で行われていたとはいえ、道義的責任を痛感している」
と、述べました。
あれほど〈夕食会費用補填は無かった〉と強弁していた安倍氏です。
「私は知らなかった」
との言で済ますには、あまりにも軽い責任の取り方です。
知らなかったのだから、ウソをついたわけではない、というリクツで済ますわけには行かないと思います。
「118回」とか。
今年の漢字「密」と併せて「118」も選定してもいいくらいです。
久々に安倍氏の顔を拝見して、
「あらまぁ、お元気そう」
そんな感を抱きました。
持病が良くなっているのであれば結構なことではあります。
しっかり、国民に対しても具体的責任を取っていただきたいものです。

政府による日本学術会議の会員任命拒否問題に絡み、全国の国立大学長86人を対象に毎日新聞がアンケートを実施したそうです。
《6割超の53人が回答せず、回答した33人中22人が報道する際に匿名を希望した。
「『学問の自由』への侵害」ともいわれる任命拒否問題について実名での回答は11人にとどまり、見解を示さない学長は6割を超えた。
この結果に対し、識者は「大学側の畏縮の表れではないか」と指摘する。》
上記は毎日新聞(12/24)からの引用です。
《回答者33人のうち匿名を希望する22人に理由を尋ねたところ「あくまで個人の意見」といった回答が目立ったが「大学名を出せば差別的措置を取られる」と国の「制裁」を恐れる学長も3人いた。》
とも報じられました。
もう「新しい」とは言えない総理大臣・安倍内閣時の官房長官さまの、任命拒否のホンネは、政府の思惑通りに「学術会議」の発言も押さえ込んでしまおうという魂胆なのでしょう。
そんなことが、あってはならないから出来た『日本学術会議』の筈ですのに。
                   〈ゴマメのばーば〉
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雪を被った山並みを望みながら、

2020-12-25 06:30:00 | 日記
24日夜、例年ですと燭火礼拝が教会で催され、クリスマスにちなむ讃美歌をたくさん歌って、クリスマスをお祝いいたします。
本日も教会での燭火礼拝は、いろいろと制約された形で行われましたが、残念ですけど私は参加できません。
でも、ネットで「東八幡キリスト教会」の燭火礼拝に参加させて頂きました。
感謝です。

「ポストコロナ」、そんな言葉が話題にもなる昨今ですが、感染者が増加するばかりの現状では、なかなか先の事が見えて来ません。
ただ、様々な「欠け」のある現状で、今、何を見つめるべきなのか、何を変えて行かねばならないのかと思い巡らしたりもしています

知人のO氏が亡くなりました。
新聞の訃報欄にお名前が載っていました。
お会いして懇談等を重ねた来た方ではありません。
詩人です。
毎年年賀状も下さり、定期的に発行する『詩誌』も送って下さる方で83歳、私と同年齢です。
ひと月前頃でしょうか、お姉さまが亡くなられたとかで、「年賀状は欠礼いたします」とのハガキを頂いておりました。

青く晴れ上がった空に誘われたように散歩に出た私です。
雪を被った山並みを望みながら、O氏の詩を思い起こしました。
    『・・・・・・・・・・
     虹が浮かんでいるあの山のあたりは 多分に
     走り時雨と思われるが 陽が当たっている
     その実像に結びつく 遥か遠くの空の下では
     いまも空爆の硝煙と埃の舞う渦のなかに
     あこがれの虹が架かることなど滅多にないだろう
     ・・・・・・・・・・』
今年の10月、最後に届けられた『詩誌』に掲されているO氏の詩のフレーズです。
「お断りもせずに、ブログに載せたりしてごめんなさい」
そう故人になってしまったO氏に心のなかで謝りました。
さびしいなー。
谷川俊太郎さんの詩をお借りして、私のお見送りの言葉といたします。

    『そのあと』

     そのあとがある
     大切なひとを失ったあと
     もうあとはないと思ったあと
     すべてが終わったと知ったあとにも
     終わらないそのあとがある

     そのあとは一筋に
     霧の中へ消えている
     そのあとは限りなく
     青くひろがっている

     そのあとがある
     世界に そして
     ひとりひとりの心に
(『悼む詩』 谷川俊太郎 詩  正津 勉 編 (東洋出版)より)


長男から、海産物の詰め合わせが届きましたので、冷凍庫に保存しました。
クリスマスイブの日でもありますので、送られた来たホタテの貝柱や、エビを美味しく頂きました。
                      〈ゴマメのばーば〉
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エールを送っている私ではありますが、

2020-12-24 06:25:46 | 日記
《新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、多くの医療機関が休診する年末年始に、発熱などの症状が出ても診察を受けられない「発熱難民」が急増する懸念が出ている。》(毎日新聞 12/23)
と、各地の医師会が警鐘を鳴らしています。
除夜の鐘の音なら心地よい響きですが、「発熱難民」が出る恐れを告げる「鐘の音」には不安をかき立てられます。
それでなくとも、年末・年始等は不測の救急患者が出たりするものですから。
医療機関にかかれないかもしれない、と言う不安は新年を迎えると言う嬉しさも削いでしまいかねません。
私の住む福島県も、複数の医療機関にクラスターが起きていて、新規感染者も増加するばかりという状況です。
県内の病床のひっ迫率は、35・6%
昨日は3人が亡くなられました。
テレビ等でも報じられていますが、各地の医師会などもこの状況を懸念し、様々な対策を考えてはいる様ですが、ここは、やっぱり政府の大局的な対応を望むところです。
私個人にできることは、人との接触を抑え、食料品等の買い物も、買い置きが少なくなればメモをして置き、まとめ買いをしてスーパー等へ行く回数を極力抑える、それ以下でも以上でもありません。

午前中に、散歩へ行きました。
いつもの様に私の好きな「田んぼの在るコース」へ。
雲の広がりはありましたが、寒くはありませんでしたので、ゆっくり歩きました。
本当は、ひ孫のUちゃんの通う幼稚園まで足を伸ばしたかったのですが、帰りにスーパーへ寄るつもりで出かけましたので、風に乗って運ばれてくる園児たちの声を耳にしながら戻って来ました

私が、コロナに関して他人様より関心が高いというか、情報に敏感になるのは、孫が医療従事者という事もあるかもしれません。
情からすれば、一旦退職してコロナが落ち着いたら、また就職を・・・
そんな心情に陥ることが無いわけではありません。
でも、そうした選択は本人が望みはしないでしょうし、やむを得ない個人的事情下にあるならばともかく、今は職務を全うすることを考えて、日々頑張っている様です。
そんな孫の姿にエールを送っている私ではありますが、早くこのコロナの嵐が治まってくれることを祈るばかりです。
              〈ゴマメのばーば〉
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《わずかばかりの/すきまを/空けるだけでよいのに》

2020-12-23 06:27:58 | 日記
穏やかな冬の日でした。
風がないので日差しの暖かさだけが庭にも部屋の中にも充ちています。
こんな日は心も穏やかになるのです。
「ありのままを受容する」などと言いますと、ちょっと自身も引いてしまいそうな表現です。
有り体に言えば、「まぁ、いいかっ」と言う投げやりな無責任さも入っていますから。
でも、冬の日差しには、そんな気分にさせる何かが潜んでいるようです。
明るさの中にでしょうか、温もりの中にでしょうか。

東京在住の長男は、この年末から正月にかけての帰省は致しません。
さびしくはありますが、来るとなると白菜などを食べ頃となる日にちに合わせて漬け込んだり、黒豆を拵えたり・・・とスケジュールを考えなくてはいけないのですが、私たち夫婦だけなら、お正月の準備と言ってもたいしたことはありません。
手抜きも容易です。
58歳を迎える長男ですが、帰省して来るとなれば高校生の頃の好物などを、ついつい用意、準備してしまう私です。
ということで、買い物等もあれこれ普段使わない物も買いこむという事に。
でも、健康に多少の不安はあっても家族が会えるという事が幸せと言うものかもしれません。
コロナで、今年はそうしたことが出来ませんが、まぁ、ゆっくり体を休めるお正月を過ごすことにいたします。
その長男から、美味しいミカンが送られて来ました。
数日後には、青森からの水産物の詰め合わせも送る、との連絡も入りました。
「ありがとう」です。

録画して置いたNHKこころの時代(12月20日放映)を見ました
   『それでも生きる』 旧約聖書「コヘレトの言葉」 第3回
          ――すべての出来事に時がある――
    講師・東京神学大学教授…小友聡,【きき手】批評家・随筆家…若松英輔
私の好きな先生方です。
若松英輔氏の詩をひとつ。

      『遍歴者』
     
     美しいものを
     探して
     おまえは いったい
     どこへ
     行こうとするのか

     目をこらすのではなく
     自分のことで
     いっぱいの
     こころに
     わずかばかりの
     すきまを
     空けるだけでよいのに

     美しいものが
     存在しないのではなく
     おのれのことで
     いっぱいの
     こころには
     世界が 美しく
     映らないだけなのに

     本当のことを
     捜して
     おまえは いったい
     どこへ
     行こうとするのか

     頭に知識を
     詰め込むのではなく
     となりひとの
     痛みを すこし
     感じようとするだけで
     よいのに

     真理が
     存在しないのではなく
     おのれのことで
     いっぱいの
     こころには
     世界が 本当のことを
     告げ知らせないだけなのに
             (詩集「幸福論」若松英輔 著 亜紀書房刊 より)

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『今日と言う日に、リンゴの木を植えよう』と。

2020-12-22 06:31:38 | 日記
娘の連れ合いの実家から今年も美味しいリンゴが送られて来ました。
いつもの年は、もう少し早い時期に送られて来ますので、あちら様で何かあったのかしらと案じていたところでした。
お礼の電話に出て下さった娘のお姑さんが元気なご様子でしたので、ひと安心しました。
10キロの箱入れです。
義妹宅や、知人にもお裾分けしました。

リンゴを見たり食べたりしますと思い起こすのは、
宮城県美術館の庭園に在る『リンゴをもつ少年』(舟越保武 作)という高さ75㎝の優美な少年像です。
時折訪れては作品と暫し〈お喋りする〉という好きな作品の一つです。
今年は、コロナ風が吹き荒れていて、どこへも出かけませんでしたから、この少年像とも会ってはいません。
会っていないせいでしょうか、尚のこと会いたい想いが募っている私です。

少年のもっている「リンゴ」は何なのか、舟越さんが、何故、少年にリンゴを持たせたのか。
いつも、いつも、私は考えます。
そして、それは、新しい『知恵の木の実』『いのちの木の実』のような気がするのです。

旧約聖書の創世記には、こんなことが記されています。
 《主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。
  人はこうして生きる者となった。
  主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
  主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらす、あらゆる木を地に生えい
  でさせ、また園の中央には、命の木と、善悪の知識の木を生えいでさせた。 
  ………………………………………主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、
  人がそこを耕し、守るようにされた。
  主なる神は人に命じて言われた。
  「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べては
  ならない。食べると必ず死んでしまう。」………………………………》

でも、人(アダムとイブ)は、「知識の木の実」を食べ、エデンの園を追われた。と、旧約聖書には記されています。
私は時々考えます。人間の知識は、「両刃の剣」で、人々を救うことだけではなく、とてつもない悪を及ぼすことも。
知識には、疒(やまいだれ)が付くことも多いのではないかと。

そして、リンゴで思い起こす、もう一つの言葉。
  『たとえ明日 世界が滅亡しようとも
      今日 私は リンゴの木を植える』(ルター)
です。
コロナ旋風が吹き荒れていますが、私も、『今日と言う日に、リンゴの木を植えよう』と。
                    〈ゴマメのばーば〉
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