多摩川の河川敷の川崎側、丸子橋の少し下流にあるこの碑文、少々見つけにくいかもしれません
碑文の内容はここには江戸時代から丸子の渡し場があったが昭和初期に丸子橋ができて人の流れが変わったという趣旨のことが書いてあります。渡し場の碑文のパターン通りの展開です
ところで江戸時代には人馬の往来が盛んで夜間でも通行できたとも書いてあります。それを読んでハッとしたのは渡し船のあった昔のほうが便利じゃなかったかということ。渡し船は廃止されたが橋ができたならともかく、渡し船が廃止されたが橋もなく対岸には遠回りして行かなければならなくなった所のほうが多摩川沿いでは圧倒的に多いのではないか
やはり渡し船がなくなると不便になったのでは
ご意見・お問い合わせは→ golijaf@mail.goo.ne.jp
碑文の内容はここには江戸時代から丸子の渡し場があったが昭和初期に丸子橋ができて人の流れが変わったという趣旨のことが書いてあります。渡し場の碑文のパターン通りの展開です
ところで江戸時代には人馬の往来が盛んで夜間でも通行できたとも書いてあります。それを読んでハッとしたのは渡し船のあった昔のほうが便利じゃなかったかということ。渡し船は廃止されたが橋ができたならともかく、渡し船が廃止されたが橋もなく対岸には遠回りして行かなければならなくなった所のほうが多摩川沿いでは圧倒的に多いのではないか
やはり渡し船がなくなると不便になったのでは
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