『貝と羊の中国人』『漢文の素養』の著者である加藤徹氏の著書です。
上の2冊が面白かったので購入してみたのですが、著者自らあとがきで、大学での「中国文学の世界」という講義を下敷きにした本で「学生を相手に噛んで含めるような口調がまだ残っているのではないかとおそれます。」とあるように、口調はさておき、ちょっと総花的な感じになってしまっているのが残念でした。
ただ、著者の幅広い関心と教師としての魅力は十分に伝わってきます(広島大学の学生は幸せですね)。
ということで、ブログのテーマや日常に関係ある言葉で引っかかったものをいくつか。
子曰「道之以政、斉之以刑、民免而無恥。道之以徳、斉之以礼、有恥且格」。(『論語』為政第二)
(子の曰はく「之を道びくに政を以ってし、之を斉(ととの)ふるに刑を以ってすれば、民免れて恥づる無し。之を道びくに徳を以ってし、之を斉ふるに礼を以ってすれば、恥づる有りて且つ格(ただ)し」と。)
先生(孔子)は言われた。「民を導くのに政治をもってし、整えるのに刑罰をもってするなら、民は方の網の目をくぐって恥じることはない。民を導くのに道徳をもってし、整えるのに礼儀をもってするなら、民は恥を知って正しくなる」
こういう考え方は日本にも浸透していると思うのですが、最近会社法や金融商品取引法で求められている「内部統制システムの構築」は、金融商品取引法のその部分が「日本版SOX法」と言われているように、アメリカ流の「ルールとチェック」を基本にしています。
結局どんなにルールを整備しても悪い奴は出てくるけど、ルール・チェックとのイタチゴッコ(P(lan)-D(o)-C(heck)-A(ction)サイクルなどと気取った言われ方をしています)をきちんとやりましょう、そうすれば免責してあげますよ、というのがアメリカ流に「説明責任を果たす」ということなんだと思います。
つまり、説明責任というのはダニセンサーつき掃除機のようなもので、使う方もそのような限界をわかって使う分にはいいと思います。
まあ「日本型経営」サイドから批判する側の人々だって「徳」と「礼」の経営をしているかといえばそうでもないですからね。
故上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城。(『孫子』謀攻篇)
(故に上兵は謀(ぼう)を伐(う)ち、其の次は交を伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻む)
最高の戦略とは、敵にも見方にも、そもそも戦争する気を起こさせぬことだ。次善の上策は、巧みな外交で戦争を未然に封じ込めること。その次の策は、敵の軍事力を叩くこと。最低の下策は、敵国に侵攻することである。
「上兵伐謀」は企業同士の取引("BtoB"などと言うようですが)においては最近の流行り言葉では「"Win-Win"の関係を築く」などと言いますね。
これは個人対企業の関係にもあてはまります。
大概の場合、企業側に落ち度がある場合は、冷静に事情を説明されたほうが(よほどひどい会社でない限りは)丁寧で手厚い対応をされるのが普通です。
しかし最近の「訴えてやる!」系のテレビ番組の影響か(はたまた企業一般が信用されていないためか)、最初からやたら喧嘩腰の方がいらっしゃるようです。
これに対して企業側も(不愉快な気持ちの表明以上に)攻撃的になられると対応に慎重にならざるを得なくなるので、結果的にお互いに手間ひまがかかった上に感情的にしこりが残ることになってしまいます。
問題解決という目的がどこかに行ってしまい「勝った負けた」に意地になってしまっては何も生みません。
孫子の子孫で同じく兵法家である孫臏(ビン)の言葉にも
「然夫楽兵者亡、而利勝者辱。」
(然るに夫れ兵を楽しむ者は亡び、勝ちを利とする者は辱めらる)
そもそも、戦争を楽しむものは滅ぶし、戦勝の利益をむさぼるものはいつかは屈辱を味わう
というのもあります。
外国からそのまま導入される制度や概念を捉えなおすひとつの軸として、日本に文化の背骨、教養として根付いた『漢文力』や『漢文の素養』は確かに必要かもしれません。