田原総一郎氏と近代史専攻の坂野潤治東大名誉教授の対談です。
従来の「大日本帝国憲法=軍国主義」という通念を覆し、明治時代・大日本帝国憲法下でも民主主義について語った面白い本です。
曰く、
・象徴天皇制は鎌倉時代の頃からのもの(「なあなあの世界」だからこそ教育勅語を持ってきて、万世一系を憲法に書き込んだ)。
・戦争はメディアが煽ったのではなく、新聞は国民の感情に従っただけ。
・明治以来の「海外雄飛」の方針はすべて欧米との了解の下で(日本より弱い)アジアに出て行こうという合理的なもので、欧米とも戦うという発想はもとからなかった。
・なので欧米と戦うとなったときに腹を決めなければいけない、というので武士道のような合理的でないものを前面に押し出す「守り」のナショナリズムがはじめて出てきた。
この本を読んで改めて思ったのが、私自身の近代史についての知識のなさです。
知識のなさ、というよりは司馬遼太郎などの小説や評論などをベースにした知識しかないな、というものです。
その結果、どうしても日中戦争・第二次世界大戦という「悪」に至った昭和史と、明治維新から日露戦争くらいまでの近代国家に脱皮した過程の「善」の時代(そうそう、日露戦争ってけっこうpositiveな評価が多いですよね)という二つのイベントが不連続な知識として頭の中に入ってしまっているみたいです。
なので私は批判的に検証する能力がない「目からウロコ」系の本ですが、書いてあることはけっこう説得力があって面白いと思います。
対談形式ですぐ読める本でもあり、詳細は本書をお読みいただくとして、直接テーマには関係ないですが印象に残ったところをご紹介します。
(田原)
実は僕はずっと前に、東条英機の娘さんに取材させてもらったことがありました。(中略)柳行李にいっぱい、東条が首相になってから戦争を始める前に、手紙、はがき、全部「ばかやろう」と「腰抜け」と。東条は戦争回避に全力を挙げた時期がありましたから。
(坂野)
さっさと戦争をやれと。
(田原)
何でやらないんだと、「死ね」、みんなこうなんですよ。なんで国民はそうなんでしょう。
(坂野)
日本国民だけのそろばん勘定だと思うんですよ。最悪の事態は起こらないと。
(中略)
(坂野)
アメリカたるものが、まさか日本と本気で戦争なんてしないだろうと、日本人は思った。せめぎ合っても、どっかで終わるだろうと。
(田原)
なるほど
(坂野)
だって、昭和19年の末から20年の初めに集団疎開に行ってた小学六年生は、受験だからといって疎開先から全員が帰ってきて、受験勉強やるんですよ、中学校受験の。もうあと何ヶ月で広島・長崎でしょう。それなのに、みんな集団疎開から帰ってきて、受験勉強してた。いまみたいに義務教育ではないんですから。東京大空襲、深川で一万人死のうと、それが自分の明日だっていう感じには誰も。
(田原)
ならない。
(坂野)
ちょっとノーテンキな国民でしょう。
(田原)
戦争突入しろ、といいながら、そんなことありえないと、みんなで思ってしまう。それで、いよいよ戦争だと。戦争中もいつかは終わると。そうしているうちに、どんどんエスカレートしていったと。
郵政民営化とか「小泉改革」とかにも通じるような・・・