一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『橋本治と内田樹』

2009-07-07 | 乱読日記

書名のまんま二人の対談本です。

対談といっても橋本治氏の自由奔放な話の展開に、これをどうにか対談として成り立たせようとしている内田センセイが相槌も打てない、というところが随所にあり、そのへんがまたお互いの性格とこの対談での役割が出ていて面白かった。

「考える」とか「わかる」とか「楽しむ」ということが独特の輝きを持って感じられるところが橋本治の魅力なんだな、とあらためて思った次第です。


いろんな話があるのでまとめてしまうのはもったいないのですが、気に入ったフレーズをいくつか

(橋本) ・・・オリジナルに勉強する、高を括るっていう、優越感て持たないとだめですよね。それがないと、「えーっ」て人の後ついていって平均点のノート取るだけになっちゃう。


(橋本) ・・・教養というのは、くだらないことを分かるためのパーツだという考え方をしなくなったのも、ひとつの問題かも知れない。


それから、面白かったのが「官討(かんうち)」「位討(くらいうち)」という言葉。
平安時代の末期に源氏などの武家の侵略者に対して、朝廷の方はこれを受け入れて短期間にどんどん侵略者の身分を上げてしまう。そうすると成り上がり者がうっかり高いところに行ってしまって、分不相応なことをしでかして自滅する、という朝廷だけが持っている人事権を武器として戦うという手法のことだそうです。


最近で言うと東国原宮崎県知事と自民党の関係ってこういう部分があるのかな、とふと思ったわけです。
ただ、「位討」が成り立つにはエスタブリッシュメント側の責任感と美意識と誇り、橋本治言うところの「美しい偉そうさ」がなければいけない(そうでないと何をやっても「分不相応」「不始末」にならない)わけで、それが今の自民党にあるかというとそれはそれで疑問なわけです。
まあ、もともと自民党にそういう「美しい偉そうさ」があったかという話もありますし。

コメント
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