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続き 楠木正成公 「湊川の戦い」  「七生報国」の誓い

2011年10月18日 03時39分49秒 | 歴史

サイタニのブログからの転載です。楠木正成公のお話を三回分まとめて転載しました。これで完結です。

 

 

 「湊川の戦い」

 
正行(まさつら)の姿が見えなくなると、正成(まさしげ)は軍勢を率い、兵庫へと
向かいました。
兵庫に着くと、先に兵庫に着いていた新田義貞(にったよしさだ)と対面しました。
ここしばらく、敵の城を落とせず気持ちの沈んでいる義貞を見て、正成は言い
ました。
 
「新田殿、鎌倉の北条氏を滅ぼしたのは、あなたではありませぬか。戦の
わからぬ者達の言うことなど、お気になさることはありませぬ!」
正成の力強い励ましに、義貞の心も次第に晴れていきました。酒をくみかわし、
共に語り、和やかな一夜でありました。しかし、これが義貞との最後の対面と
なりました。
 
激戦、湊川の戦いは、もう目前に迫っていたのです。
 
朝焼けの紅が次々変化する美しい暁の空を、正成は神戸湊川の陣から、
じっと見つめておりました。澄み渡る大気…。延元元年(一三三六年)五月
二十五日。決戦の朝でありました。
 
午前八時、渺々(びょうびょう)とした海の彼方の水平線に、おびただしい数の
船が現れました。足利尊氏(あしかがたかうじ)が九州四国勢の大軍を率い、
攻めのぼって来たのです。兄の足利尊氏が海から海軍を率い、尊氏の弟の
足利直義(あしかがただよし)が陸路から大軍を率いて、海と陸の両方から
攻めて来たのです。
 
尊氏を大将とする海軍を新田義貞軍が、尊氏の弟直義を大将とする陸軍を
楠木軍が迎え撃つこととなりました。正成は、五十万とも言われる直義軍に、
わずか七百騎の楠木一族の兵だけで当たることを決めたのです。
 
午前十時、天地に轟く鬨の声が両軍から上がりました。いよいよ戦いの始まりです
。尊氏軍の内七百隻が上陸しようと東へ船を進めました。和田岬で陣を張って
いた新田義貞軍は、上陸させまいと船を追って浜東へ走りました。途中、
義貞は正成の陣と離れてしまったことに気づき、
 
「しまった!」
と唇をかみました。義貞と正成の陣の間に残りの敵船が上陸して来たら、
正成は前と後ろに敵を受けることとなってしまいます。
 
案の定、がら空きになった和田岬から敵兵が続々と上陸してしまったのです。
義貞は尊氏軍をくい止めようと必死に戦いましたが、力及ばず、総崩れとなって
しまったのでした。
一方、前に足利直義の軍、後ろに足利尊氏の軍と、前後の敵に挟まれることと
なった楠木軍では、正成が命を下しました。
 
「敵に前後を遮られ、もはや逃れる術はない。まず前の敵、直義軍を追い散らす
!いくぞー!」
「オオー!」

「楠木軍は一丸となって直義軍に突撃しました。」
 
直義軍は、菊水の旗を幾筋もなびかせて突撃して来る楠木軍に浮き足立ちました
。足利軍全体が最も恐れたのは楠木正成だったのです。以前の赤坂城、千早城
での戦は、あまりにも有名でした。直義軍は五十万という大軍でありながら、
すっかり陣形を乱してしまったのです。その中に、まるで矢の様に攻め込んで来た
楠木軍は直義軍をさんざんけ散らし、大きな痛手を与えると、……

・・・・・・・・・・・

「皆の者、最後の決戦じゃ!我らは、日本の国の真の安泰を願われる 
帝(みかど)のため、命を賭して戦う!今こそ、楠木一族の志を天に向かって
掲(かか)げようぞ…!」
楠木軍七百騎の兵達は、正成と一つ心でありました。もはや、生きて帰ろうと
思う者はありません。一人一人の兵の胸には、烈々たる炎が燃えておりました
いよいよ最後の決戦の時が迫っていました。
 
 
続く
 
                                   
 
 「七生報国」の誓い  前編
 
天空に翻る幾筋もの菊水の旗…。楠木正成と足利軍との湊川での戦いは、
決戦の時を迎えようとしていました。正成が命を下しました。
 
「目指すは、陸手の大将、足利直義ただ一人!いくぞー!」
「オオー!」
 
楠木軍は一直線に足利直義の軍に突っ込んでゆきました。
足利軍五十万に対し楠木軍わずか七百。けれど正成は兵を三隊に分け、
正面、側面と機に応じて攻撃を仕かけました。縦横無尽な攻撃は次々足利軍を
打ち破り、ついに陸手の大将足利直義に迫りました。直義は慌てました。
 
「まさか…あの小勢でここまで攻め込んで来るとは…正成、恐るべし…!」
「殿!早く馬へ!」
 
ところが退却する途中、直義の馬が矢尻を踏み走れなくなってしまいます。
遥か後方、全力で追って来た楠木軍が、直義を見つけました。

「足利直義だ!」「おう!前方におわすは直義殿と見つけたりー!」
楠木軍は土煙を巻き上げながら、あっという間に、直義まであと十メートルと
迫りました。
「直義殿、お覚悟ー!」

直義は、顔から血の気が引くのを感じました。
その時です。足利軍の武者が馬から飛び降り、大薙刀(おおなぎなた)をブルン
ブルンと振り回して、楠木軍の馬を次々なぎ倒してしまいました。楠木軍の
勢いが止まった、そのわずかな間に、直義は馬を乗りかえ、走り去って
しまったのです。
 
「直義殿!敵に後ろを見せるとは卑怯なりー!」
楠木軍は、地団駄ふんでくやしがりました。
正成が唇をかみしめて言いました。
「無念じゃが、いたし方あるまい…」
「何の!兄者、今一度…。」
 
正李が言いかけた時、地をゆるがす地響きと叫び声が聞こえて来ました。
直義が危ないことを知った足利尊氏が、六千騎の援軍を送り出して来たのです。
 
じっと大軍が迫る彼方を見ていた正成は正李と目を合わせ、ゆっくりと頷きました
。ー最後の決戦の時でありましたー
 
正成は太刀を抜き天に向かってかざしました。
「最期の決戦ぞ!我らは、国の真の安泰を願われる 帝のため、命を賭して
戦う!今こそ、我らが正しいと信じた志を天に向かって真っ直ぐに立てる時…!
いくぞー!」
「ウワァー!」
 
楠木軍は、刃の様に六千騎を突き破ってゆきました。しかし、後方には
直義の大軍…。
 
正成も正李も矢衾(やぶすま)の中、太刀を振い、時に敵の武将と組んで馬から
転げ落ちました。楠木軍の激突は十六度に及び、正成と正李は七度会い、
七度別れました。正に奮迅決死の戦いでありました。

完  「七生報国」の誓い  後編
 
夕日が西の空を赤く染め始めた頃、正成は楠木軍を集めると、林の奥の空家に
入りました。楠木軍は、七十三名にまで減っていました。
 
「皆よう戦ってくれた…もはやこれまでじや。」
部屋の中に二列に並び、皆で念仏を唱えました。
 
その時、一人の男が駆けつけて来たのです。
「某(それがし)、菊地武吉(きくちたけよし)と申す者。兄、菊地武重(たけしげ)に
正成殿のご様子を見て参るよう、言いつかって参りました。」
 
正成が家の戸を開けました。
「何と…敵陣の中を、よくぞここまで…!」
 
菊地武重、武吉兄弟は、鎌倉幕府を倒す戦で討死にした菊地武時の息子です。
父の菊地武時は、周りの武将が 天皇側から幕府側に寝返った時、ただ一人
天皇側について最後まで幕府軍と闘いぬき、討死にした勇猛果敢な武将です。
建武中興の時、正成が討死にした菊地武時を、帝の一番の忠臣だと皆の前で
言ったので、菊地一族の功績は武将達をはじめ、後醍醐天皇の知るところと
なったのでした。
 
今回の湊川の戦で新田義貞についていた息子の菊地武重が、孤立した正成を
心配し、弟の武吉を遣わしたのです。正成が言いました。
「我ら楠木七十三名ただ今より自刃(切腹)いたすところじゃ。兄上の武重殿に
呉々も宜しく伝えて下され。痛み入るお心遣い、正成が心より感謝申していたと
…義の志(こころざし)厚いそなたの父上と、生前一度お会いしたいもので
あった。…武吉殿、呉々もお気をつけて帰られよ…」
 
正成が家に入ると、武吉は部下に言いした。
「正成殿の…何と涼やかなお顔であろう…お前は急ぎ帰り、兄上に正成殿
今の言葉を伝えよ。私は…ここに残る…正成殿のお陰で、わが菊地一族
どれ程栄誉を賜ったことか…その正成殿が自刃する場に望み、どうして
私一人が正成殿を見捨て、おめおめ生きて帰れよう…!」
武吉の眼から大粒の涙がこぼれ落ちました。
 
「正成殿!菊地武吉、お供仕る!」
武吉は家に火を放ち、家の前で自刃したのです。
家の中では、楠木の者達が次々自裁(切腹)していきました。
正成の胸の内には、これまでの様々なことが思い出されては消えました。
最後に正成は、弟の正李と向かい合いました。
 
「お前と刺し違えるという…約束であったな。」
「正李…人間は死ぬ前の最後の一念が大事だという…今、お前は何を思っている…」
「兄者、わしの今の願いはな…七回までも、ただ同じ人間界に生まれ
変わって、朝敵(帝の敵)を滅ばしたいということじゃ!」
 
その言葉に正成も心から嬉しそうに笑いました。
「わしも全く同じじゃ。朝敵を滅ぼし、真に平和な世の中となるよう力を
尽くしたいものじゃ。」

「再び二人で、帝のため国のため力を尽くそうではないか!兄者、約束じゃぞ。」
「正李…約束ではない。これは…誓いじゃ…!」
正成と正李は、がっしりと腕を組み合いました。
「正李…さらばじゃ。それぞれ七度までも生まれ変わって、この志を貫こうぞ…!」
 
二人の目がピタリと相まみえたのと、二人の刃が互いの胸を貫いたのは、
ほとんど同時でありました。

 
正成の死は、一つの時代の終わりを示していました。
 
しかし、
正成兄弟が最後に残した誓いは、後に「七生報国(しちしょうほうこく)」
(七度生まれ変って国のために尽くす)と呼ばれ、この「七生報国」の
志は、時を超えて、その後の歴史に大きな影響を与えることとなったのです
(完) 楠木正成
 
 
楠木正成
後藤久子著より抜粋
 
 
 
 
 
 
 

転載元 転載元:サイタニのブログ


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