優生思想シリーズの三回目です。このシリーズは5回と書きましたが、4回で終わりのようです。
アメリカ大陸の文明と先住民が白人によって滅ぼされたことは知っていましたが、ここに書かれたその残虐性は、驚くものでした。原住民を人間とはみなしていないから、これほどのことができたのだという話ですが、日本人からすれば、人の姿をしたものを人間とみなさないことにも驚きますが、たとえホントの動物に対してだとしても、残虐なことはできなかったでしょう。
白人種は、神に似せて作られた人間が他の動物を支配するようにと神から言われたとする旧約聖書を、人間の好き勝手にする権利だと解釈しました。その傲慢な考え方と比べて、日本人は自然のもの、山、川、湖、さらには動物まで、神として祀っています。食物さえ、手を合わせて、いただきますと拝んで食べる日本人です。大量虐殺が、日本人にできるとは思えません。
アニミズムなどと幼稚な低い宗教性であるかのように言われたこともありますが、古来から日本人は命の尊さを深く感じ取っていたのではないでしょうか。
だからこそ、南京大虐殺など、実際の証拠は何も出てこないのは、当たり前のことです。
日本でも歴史上殺し合いの戦いはたしかにありましたが、そうした対等の戦い方と、弱いものを虐殺するのとは違います。
戦後の敗戦国に押し付けられた戦勝国のプロパガンダ的な史観、欧米中心の歴史をきちんと検証し、そこから脱却して、是は是、非は非として、正しく見直すべき時だと思います。
(3)500年の侵略史から目を背けるな。
いのちは例外なく尊い。
下記、コピペしましたが
興味のある方は検索して御調べ下さい。
20世紀初頭にセオドア・ルーズベルト政権は軍部に対し、近い将来に国際戦略で利害が対立するであろうと予想される国々との戦争シミュレーションを立案させた。
軍部は仮想敵国を色で区分しそれぞれとの戦争作戦を立案した。これは「カラープラン」といわれるが、日本は色が「オレンジ」に区分されたことから「オレンジ計画」の名が付けられた。
その他では、ドイツは黒、イギリスは赤、フランスは金というように色分けされていた。
日露戦争で日本がロシアに勝ったためにアメリカは日本に恐怖心を抱いてしまったのだ。アメリカは桂・ハリマン仮条約破棄により、日本は支那大陸にアメリカを入れない、日本は支那大陸を独占するつもりだ、などと思い込んだ。こうして支那大陸に進出し、アジアにおける領土を拡大したいと目論むアメリカは、日本を疎ましく思い始めた。
これが白人諸国ならまだ許せた。実際、当時の支那の大部分はイギリス、フランス、ドイツ、ロシアが押さえていた。
ところが、ロシアが押さえていた遼東半島に、日露戦争によって突如、日本が入ってしまったため、アメリカが嫉妬し始めたのだ。有色人種である日本が自分たちより先に支那大陸に拠点を気づいていることが我慢ならなかった。
アメリカは日本を仮想敵国として想定し始めた。オレンジ計画の内容は一変し、日本を打破する具体的な戦術が盛り込まれたのである。
オレンジ計画(獣人計画)
民族の尊厳と誇りを消す計画
(自国の歴史を軽蔑させて
アメリカに憧れる戦後の歴史教育)
御参考(小学生で堕胎が続発)↓クリック
まず、アメリカはまず自国に太平洋艦隊がないということに気づく。そして、日本が太平洋を渡ってアメリカに攻め込んでくるのではないかと妄想し、すぐに軍艦を作り始めた。また大西洋の艦隊を集結して日本を訪問させ、自国の海軍力を誇示する行動に出た。
白船事件(1908年)
その後修正された「オレンジ計画」には、日本の都市を爆撃することや、沖縄を占領することなどの戦略が練られていた。このころから、アメリカは日本との戦争を現実的な問題として考えていた。
明治41年(1908)3月、アメリカは突如として対日威嚇行動に出た。アメリカ大西洋艦隊を大挙して太平洋に回航させ、日本近海に近づけるという行動に出た。日本の連合艦隊の2倍の規模もある大艦隊の接近は日本に恐怖をもたらした。
船は白いペンキが塗られていたのでかつての黒船と区別して「白船」と言われた。
もともとはセオドア・ルーズベルトにとっては、このまま太平洋をほおっておくと、ロシアのバルチック艦隊を破った日本艦隊が覇権を握ってしまうと恐れたための威嚇行動であった。アメリカの海軍力を誇示することで、日本を牽制したのだ。
アメリカのハースト系新聞その他は、日本軍がこれを迎え撃った場合は大戦争が始まるということで、世界に一斉に恐慌の報道を流した。
日本政府とマスコミは白船歓迎作戦に出た。迎合作戦が成功し、何事もなくアメリカ艦隊はサンフランシスコへ去っていったが、その2週間後、日本の連合艦隊は九州の東南沖で大演習を行なった。警戒を怠らなかったのは当然である。
・・・備考・・・・
アステカ帝国滅亡(1521年)
1519年、白人(スペイン人)のコルテスがペラクルスに上陸するとインディオたちは手厚く迎えた。
アステカ皇帝は黄金製の宝物で歓迎した。白人はこの宝を略奪してヨーロッパに帰国すれば大金持ちの英雄になれると考えた。コルテスらは部族同士の争いに乗じ、アステカ皇帝に反抗する部族を手なずけ活用するという常套手段でアステカ帝国を滅亡させた。
当時、原住民たちは銃どころか、鉄鉱製の剣すらなかった。馬もなく、訓練されたスペインの兵士に勝てるわけがなかった。コルテスは近代兵器で首都を攻撃、アステカ皇帝を捕虜として衆人の前で殺害した。
コルテスのアステカ帝国征服はヨーロッパに伝えられ、ヨーロッパ人の武器と勇気と技術の勝利と称賛された。
これが動機となり、ヨーロッパ人の新大陸侵略、略奪の夢を駆り立てることとなった。
インカ帝国滅亡
現在、アンデスの町々の街頭で子供をあやしながら手芸品を売ったり、物乞いをしている、山高帽をかぶった小柄なインディオの女性を見かけるが、彼女らが生き残ったインディオの子孫である。
わずかの兵でアステカ帝国を滅亡させ、莫大な黄金を得たコルテスのニュースは、カリブ海を探検中のピサロにも届いた。
1531年、アンデス山中にたくさんの黄金を持つインカ帝国があることを聞きつけたピサロは、180人の手兵と27頭の馬を連れてインカ帝国に向かった。
エクアドルからボリビアまで広がるインカ帝国は、建国してまだ100年足らずだったが、道路、貯蔵庫、農業台地、鉱山都市と驚くべき偉業が遂げられていた。
ピサロはインカ帝国の王を家臣と共に広場へおびき出した。ピサロの従軍司祭の神父は通訳を通してキリスト教への改宗を要求した。それを王が拒否すると、司祭はピサロに王を攻撃するよう促した。司祭はまた、ピサロとその兵たちに、これからの流血の事態に対するいかなる責めからも、神の名において免ぜられると告げた。
ピサロの合図で歩兵に支援された騎乗兵が隠れ場所から現れ、非武装のインディオたちに襲いかかり、多数の貴族を含む数千人をあっという間に殺害してしまった。王は人質にされ、ピサロは帝国の支配権を握った。
インディオたちの相手を疑わない寛容な善意の対応を裏切っただまし討ちだった。このような白人の残虐非道な手は、5世紀後の大東亜戦争まで一貫して使われる常套手段である。
捕らえられたインカ帝国の王は、白人が欲しがっているのが黄金であるのを知っていたので、釈放してくれるならば部屋一杯の黄金を差し出すと申し出た。
その大量の黄金が出された途端に、ピサロは約束を破って王を裁判にかけ、ロープで絞め殺した。
ピサロは王の腹違いの弟にインカの王位を継がせた。その最後のインカ王トゥパク・アマルも結局は捕らえられ、中央広場で斬首された。
1996年末の、ペルーの日本大使館公邸人質事件で、ゲリラ集団が名乗ったのもトゥパク・アマルであった。
インカ帝国から得た富を主因としたスペイン黄金時代、文学や宮廷美術の全盛期は1550年から1680年までの長きに及ぶと考えられる。
カリブ海のインディオ絶滅
コロンブスがアメリカに到達したのち、白人(スペイン人)はまず西インド諸島にやってきて、エスパニョーラ島(現在ハイチ島)のインディオ(原住民)に対して皆殺し作戦を行なった。女、子供も逃がさず、強姦して殺戮した。
1496年までに、この島は完全に白人に制圧された。同様な襲撃は、キューバやカリブ海の他の島々に対しても行なわれた。征服者達は国王とキリスト教の名においてやってきたのだ。教会は、しばしば侵略者の手先として、進んで新しい土地の略奪に参加した。
司祭は兵士と一緒に先住民のに現れ、キリスト教を受け入れろと命令した。それを受け入れないと兵士に殺されたのだ。殺されなかった先住民は家を追われ、鉱山労働者、農奴、荷役動物になることを強制された。
カリブ海で白人は身の毛もよだつ残虐行為を行なった。インディオの母親から乳飲み児を奪い、連れていた腹を空かせた犬に投げ与えたり、インディオの子供の足をつかんで岩に投げつけたり・・・。白人はインディオの女と寝るのを習慣としていた。女が既婚であろうと未婚であろうと関係なかった。
1540年までにカリブ海のインディオは事実上絶滅させられたのである。
中南米の虐殺
白人のアメリカ到達以降、中南米では白人により数千万人といわれる大虐殺が行なわれた(ヨーロッパ人がもたらした伝染病の天然痘による死者を含む)。
エスパニョーラ島(現在のハイチ・ドミニカ)300万人のほぼ全員が虐殺された。
現在のプエルトリコとジャマイカで100万人。キューバ80万人、ニカラグア50~60万人、メキシコ400万人、ホンジュラス200万人、グァテラマ400~500万人、ベネズエラ4~5万人、ペルー400万人の原住民を死滅させた。
少し遅れてブラジルに入植した白人(ポルトガル人)は原住民200万人を虐殺してほぼ死滅させた。
白人は、白人以外は人間として認めていなかった。それゆえこのような大虐殺を行なえたのである。
白人の虐殺は、20世紀半ばの日本に対するアメリカの原爆投下や都市無差別空襲、ソ連の満洲侵略の暴挙といったホロコーストまでつながっている。
インディオたちが受けた被害は人的犠牲だけではない。大量の金、銀など宝物がヨーロッパに持ち去られた。
白人の新大陸征服の目的の一つが黄金の獲得だったからである。1660年までにヨーロッパへ持ち去られた金はわかっているだけで181トンである。インディオたちが長い間かかって勤労して営々と貯めた宝物を、白人は何の努力もせず、所有者を殺また、インディオたちをプランテーションで強制労働させて砂糖の収奪も行なった。
砂糖はヨーロッパにとって中世以来の貴重品だった。砂糖は食品だけでなく医薬品でもあり保存料でもあった。砂糖のために新大陸の海岸地帯は、サトウキビ一色のプランテーションに置き換えられ、インディオに強制労働を強いた。
さらにヨーロッパ人が味を占めたコーヒー、ココア、茶もプランテーションとして農地を拡大させた。これらの嗜好品は寒いヨーロッパではまったく産出しないものだった。白人の贅沢を支えるために、「新大陸」の先住民たちの生活は破壊され、残虐な労働を強いられたのである。
奴隷貿易
奴隷とは、人間としての権利・自由を認められず、家畜や物と同じように所有され譲渡・売買され、他人の支配の下に労働を強制される人々のこと。
日本には、古代から奴隷と言う言葉も奴隷制度などの風習もなかった。日本では、同じ人間を牛馬と同じ感覚で家畜のようにこき使い、商品として売買するなどという非人間的なことはとても考えられなかったのである。
ヨーロッパの白人たちが有色人種を奴隷にして罪の意識を感じなかったのは、旧約聖書に都合のよい解釈があったからである。
造物主の神は、その代理人としてまず人間を作り、その下に被造物の動物、その下に万物を作られた。人間は神の代理人であるから、動物を家畜として支配し殺し、食べてもよい。奴隷は家畜と同格だから人間のためすべてを捧げるのは当然とする。
キリストの神の教理による奴隷制度の正当化により、南北アメリカやアフリカ大陸で、白人の人間家畜としての奴隷の大量貿易、大量酷使、大量殺戮が行なわれたのである。
最初にアメリカ大陸に到着したスペイン人は、先住民から金銀宝物を略奪し、反抗する住民を殺戮しまくった。そのため鉱山の採掘を行なう労働者や、砂糖、コーヒー、タバコといった白人に都合のよい植物耕作のための人手が足りなくなった。そこで白人が思いついたのが、アフリカから黒人奴隷をアメリカ大陸に連れてくることだった。
16世紀から18世紀にわたる奴隷貿易は、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸の三大陸にまたがる三角貿易によって欧州に莫大な利益をもたらした。これに参加した国はポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスである。最も巨利を博したのはイギリスとフランスである。
奴隷商人たちは、ヨーロッパから安物のビー球、銃器、木綿の工業製品を持ってアフリカ・ギニア海岸に行き、黒人奴隷と交換し、奴隷をブラジルや西インド諸島に売り飛ばした。それで得た金で砂糖、綿花、タバコ、コーヒーなどを買って船に積みこんでヨーロッパに帰った。
推計では16世紀は90万人、17世紀は300万人、18世紀は700万人、19世紀は400万人が奴隷として売買されたと言われている。概算1500万人だが、1人の黒人を新大陸に連れて行くまでに5人の黒人が船の劣悪な環境により死亡したという推計があるから、アフリカから働き盛りの黒人が数千万人から1億人近くが連れ出されたことになる。
黒人奴隷を一番多く移入した国はカリブ諸島で約40%、次に砂糖のプランテーション労働などのためにブラジルへ38パーセント、残りはアメリカ南部のプランテーションである。
その後、ヨーロッパ列強によってアフリカは分割され植民地支配される。
現在のアフリカの貧困、民族紛争も、すべて白人の勝手な収奪、不合理な民族分割の結果である。
なお、16、17世紀に新大陸から大量の金銀がヨーロッパに略奪された。その過酷な鉱山労働に、インディオと黒人奴隷が酷使された。ヨーロッパにもたらされた金銀は、やがて産業革命からヨーロッパ資本主義の原資となった。
また、この金でヨーロッパ商人はアジアから香辛料、茶、ゴムなどを大量に買い入れて儲けた。これもヨーロッパに巨万の富をもたらした。
アメリカに連れてこられた奴隷
奴隷船から荷揚げされた奴隷たちは、奴隷承認に売り渡され、奴隷市場で家畜のように売り出された。奴隷承認は鎖で数珠つなぎにして町に乗り込み、目抜き通りで競売を行なった。奴隷たちは競売台に立たされ、品定めをされ、親子兄弟をばらばらにして売られていった。
当時のアメリカ人にとって、奴隷の競売は財産作りの重要な手段だった。後の南北戦争のときの南軍の将軍たちの中には、奴隷商売で巨利を博したものが多かった。
近代に入ってから、これほど大掛かりに組織的に
200年にわたって人間の売り買いを行なってきた国は、世界広しといえどもアメリカだけである。
1860年、アフリカ人奴隷の総数は400万人になっていた。奴隷の大半は綿花生産の労働者として投入されていた。
奴隷たちの悲惨な実態は、ストウ夫人の
「アンクル・トムの小屋」で世界に知れ渡った。
キリスト教徒の正当戦争の根拠
16世紀より、白人は世界中の有色人種の土地を侵略し征服しまくったわけだが、ローマ教皇の文書(もんじょ)には非常にしばしば異教徒の原住民に対する残忍な措置を許す内容が認められる。
異教徒の土地を武力占拠し、原住民を奴隷化してもよいというキリスト教徒にとって正当戦争の思想上の根拠とは何であるのでしょう。疑問です。
人間のいのちは
皆、尊いのです。
いのちに線引きすると言う
発想が「戦争」なのです。
転載元: ■いのちを守る社会教育家■ 大熊良樹理事長の「實相円満完全」日記