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劇場版 空の境界 BD-BOX その3

2011年02月05日 03時19分28秒 | ゲーム:アニメ:TYPE-MOON関連
調子に乗ると文章がまとまらなくて長文になるクセがあるようで^^;


アニメの感想・原作含めての解説をネタバレありで。

申し訳ないけど3分割、完結編。




終章「空の境界」


まさかのアニメ化。

幹也と両儀式が会話するだけの内容。

アニメでは、美しい背景作画とBGMでその様を彩っている。

キャラクター作画が武内崇の絵そのまんまなので驚くかもしれない。

これを劇場でも公開していたというのだから更にびっくり。

BD-BOXではスペシャルディスクに収録されている。


両儀式は、式でも識でもない人格だと言う。

第三の人格と言うよりは、肉体に元々在った人格と言っているので

作中で何度か説明されて来た、起源や根源に近いものなのだろう。

起源は虚無。

根源はあらゆる事象の始まりと終わり。

なんでも出来る神のような存在だが、何もする気はなくて、式という人格に肉体を任せていると言う。

第五章「矛盾螺旋」では、起源は無価値なもの。大切なのは人格の形成。というテーマが濃く描かれていたが

それを言葉で説明しているのが、終章「空の境界」ということなのだろう。

一見、非常に退屈そうな内容だが、本作を原作、アニメと七部作ずつ全てを乗り越えて来た我々ならこの章の大切さを理解出来るはず。


第五章「矛盾螺旋」の解説で、臙条巴が螺旋を抜け出したのは奇跡だと書いたが

両儀式の言葉をしっかり理解すれば、それは奇跡ではなく当たり前に出来ることだと分かる。

起源や根源は無価値。

起源や根源は『 』なのだから。

『 』はカラと読む。

空(カラ)は未来を夢見ることが出来る肯定的な意味で使うが

『 』(カラ)は未来を形成する上では無意味なものという否定的な意味で使う。

人格は肉体がなければ宿らないものだが、肉体の起源とは無関係に未来を形成することが出来る。


黒桐幹也という人間。

両儀式が根源に近い存在だとすると、幹也は魔術師でもないのに根源に近付いたことになる。

荒耶宗蓮でもそこまでは至れなかった。

しかも幹也が最初に出会っているのは4年前。

第二章「殺人考察(前)」の冒頭に登場する少女だ。

高校の入学式で幹也が式に声をかけたとき、式は幹也と面識がない素振りだったが、覚えていないのではなく本当に知らなかったのだ。

式ではない両儀式という少女との再会。

幹也は特別なものは望まない。

幹也は、空(カラ)を十分に満たした人間なのだと言える。

幹也が両儀式に惹かれたのは、両儀式の『 』(カラ)を満たしてあげたいと思ったからだろう。

しかし、両儀式の『 』(カラ)は起源そのものなので満たすことが出来ない。

両儀式に宿った式という人格には空(カラ)があったので、満たしてあげることが出来た。

そんなあやふやな境界線を「空の境界」と呼ぶのではないか。




各シナリオを俺の解釈によって解説したものは以上だ。

最後に、アニメとしての総評を。


・画質

モニターがフルHDではないので、ちゃんとした評価が出来ないが、普通に綺麗だという印象。

DVDが手元にないので比較は出来ない。


・音質

オーディオマニアではないのに音声のクオリティの高さが理解出来るレベル。

本ソフトの設定でステレオと5.1chを切り替え出来るのだが、デフォルトがステレオになっているので注意すべし。

俺は5.1chになっていない状態でずっと視聴していたというかわいそうな人。


・シナリオ

第六章以外は原作のテーマを丁寧に描いている。

アニメ作品である以上、尺の都合でカットされる部分は仕方ない。

それでも一つの物語として完成度が高いと思えるのは、制作スタッフも原作が好きだからなのだろう。


・作画、音楽

何度でも言うが、作画が本当に素晴らしい。

動きを見せる部分と、静けさを見せる部分の緩急の付け方が上手すぎる。

それに梶浦由記の音楽がBGMとして加わると、言葉では表現出来ないくらいの感動を得られる。

エンディングの主題歌も、各章限定のテーマが歌詞に込められているし、言うまでもなく音楽としても素晴らしい曲だ。

第五章「矛盾螺旋」の「sprinter」が一番好き。

「sprinter」は巴のことなんだよな・・・。

歌だけでも泣けるというのに、「Remix -Gate of seventh heaven-」では「sprinter」をBGMに本編の映像が流れるので、涙を堪えるのに必死になる。

音楽を聴くためだけにBD-BOXを買ってもいい、というレベルの作品なので、音響設備を整えてから視聴することを強く奨める。


原作を超えるアニメというのは本当に貴重。

ただし、誤解しないで欲しいのはアニメが原作に勝るとか原作がアニメに劣るとか、そういうことではない点。

アニメとしての魅力を映像と音声で伝えるのは、当たり前なこと。

それが出来ない作品はそもそもアニメである必要がない。

その最低条件を満たしつつ、原作の良さをアニメを通して視聴者に伝えられたならば、それでいいと思う。

俺は3年前に原作を読んだときは大した評価もせず、今となっては記憶が曖昧な始末。

その状態でアニメを見て、ほぼ絶賛の評価をしているのだから、原作を超えるアニメという表現は妥当だろう。


今回の記事はアニメを見終わっての感想・解説だったので、第六章「忘却録音」についてはあまり触れていないが

原作では、本作を理解しようとする上では無視出来ないほどの深いテーマが描かれている。

非常に難解な書き方をしているので、映像化が難しくてアニメでは全カットだったのだと勝手に推測しているが

「忘却の録音」というテーマは、式の起源と人格を理解するために必要なパーツだと思うのだがどうだろう。