昨晩は京都で高校時代の友人が集まるので
参加してきた。ちょっと遅刻であったが、
すぐに慣れるもので、楽しい2時間を過ごした。
カナダから帰ってきている友人は相変わらず
元気であった。もうすぐ帰るので今度は来年か、
またまたその次の年か、それはわからないが、
人と食事をするのもカウントダウンの時代に
入ったかなあ、などと思った。
後20年健康に食事をとれたとして、晩御飯を
数えてみると約7300回しかない。還暦までだと
約3000回しかないのだ。
そうやって考えると、変なご飯は食べたくないし、
美味しく、楽しく、食べたい。
ボクは食べ物の好き嫌いはないが、嫌いなものは
食べなくてもいいと思う。他のもので補給すれば
いいのである。
そうやって考えると、人と食事をする回数も
少なくなっていくのだろうなあ。あまり大勢の
いる場所というのは苦手なのだが、少数の気の
あう人と食事をするのは面白い。意見が違っても
聞く耳を持って話を聞くと素直に効けるので
発見もある。
そうやって考えると、食事を作る楽しみもあると
思う。食材が良ければ焼いたり、煮たりするだけで
美味しいものが食べられる。そういう食材を探す
のもいいし、本格的に本でもみながらつくるのも
楽しい。これには食べてもらう人がいるともっと
楽しい。
そうやって考えると、食事が充実していると生活も
充実して楽しい人生が送れるような気がしてきた。
インスタントな食事とかもったいない。変なものを
食べるくらいなら、抜くというのも有りかと思う。
いい食事イコール高価ではない。新鮮な旬の食材が
あれば美味しい。旬を知ることもたいせつだ。
食費というのは「エンゲル係数」に関わることで
ある。が、どこかの国の首相のように「エンゲル係数」
が上がれば生活が豊かになってきているような
間違ったことを堂々というのが不思議である。
総務省が17日発表した2016年の家計調査速報によると、
家計の支出に占める食費の割合である「エンゲル係数」は
2人以上の世帯で前年より0.8ポイント上昇して25.8%と
なった。1987年以来29年ぶりの高水準。食品価格が上昇
したほか、共働き世帯の増加で調理食品などの購入が
増えたことが背景にある。衣料品などを買い控えており、
家計の節約志向は根強い。日本は「エンゲル係数」が上がった。
――-日本経済新聞より抜粋―-―
只今、酔っ払いの最中ですが、世の中、何故に
酔っ払いは排除されるのでしょうか。これほど、
情に厚く、礼儀を知って、秩序正しい人種が
嫌われる。でも、酒臭いし、話はくどいし。
その通りである。酒飲みは嫌われる。
その要素をたくさん持っている。嫌われても
仕方ないのである。
ただし、酒飲みの症状はアルツハイマー病に
似ていて、同じ現象が現れる。ということで
記憶にない現象が起こっている。そういう人種
なのである。そこのところを理解して許容して
もう少し許してやったらいいのではないか。
酒を呑まない人、酒で失敗したことない人は
わかってもらえないのだが、酒は楽しい。
それで命をたってしまうほど楽しい。そう、
中毒性がある。慢性毒物と言ってもいいぐらい、
時には人の身体をむしばむ。
でも、酒は人の気持ちを高揚させ、記憶を
無くさせる。そのことによって、救われる
人もいる。何をいいたいのか、わからないが、
長い年月を経て、ようやく酒との付き合い方が
わかってきたような気がする。
訳のわからん話になったが、酒に出会えて
よかった。万歳。
「ぐるりのこと。」を観ていて思ったのであるが、
「遺影」って写真ではなく、エンピツで描いて
もらった「似顔絵」でもいいのではないか。
いや、むしろ、その方がいいのではないか。
写真は真実を映すのであるのであるが、その人の
内面みたいなことはなかなか映せない。
本当にその人のことを知っていて、感情を込めた
「似顔絵」の方がいいのだはないか。
エンピツのように柔らかいタッチで色付けせずに
モノクロで表現されている「似顔絵」の方が
いいように思う。
上手い下手はあるかも知れない。でも、その人と
接することや知っていることにより、写真では
出てこない表現が可能ではないか、と思う。
本物かどうかわからないが、歴史上の人物など
「絵」だけで登場してくる人がいる。それをみて
思うが、写真以上の表現力で、その人らしさを表す。
写真がない時代なので、そうなったのであるが、
手描きの「遺影」の方がいいのではないか。
知り合いから聞いていて、正月に毎年家族全員で
記念撮影を撮る理由が遺影用と聞いたことがある。
「なるほど」と自然に撮るにはいいな、と思った。
そして何年かやってみたので親の写真は残っている。
でも、アナログで、手で描く「遺影」ってダメなの
であろうか。自分の親は写真でいいのであるが、
自分の時は、エンピツで似顔絵を描いてもらって、
それを「遺影」にしたい。
ボクは、やっぱり、エンピツのタッチが好きで
あって、そういう表現をされて残したい。
いやいや、「遺影」など、いらないと思って
いるのであるが、生きていた証としては、
写真よりも人の手作りの似顔絵で残したい。
色付けはいらない。鉛筆画で線で表現してもらい、
一目見て、「あ、アイツや」とわかってもらえる
レベルでいい。そんな1枚があればウレシイ。
この間の「遠くへ行きたい」で木村多江さんが
鳥取の旅で出演されていた。なかなかの雰囲気を
持った方で好感が持てた。不幸な役柄を演じることが
多いのだが、鳥取ではとても明るくいい感じであった。
その木村多江さんの初主演映画がGYAOでやって
いたので観てみた。いつまでやっているのか、
わかりませんが。。。
知らなかったのであるが、この映画で木村さんは
日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞
主演女優賞、高崎映画祭で最優秀主演女優賞を受賞した。
ある夫婦の10年間の出来事を綴った映画である。
まあ、簡単にいうと大人の映画だ。そして途中で
観るのをやめると映画の意味がわからなくなるので
最後までじっくり観る必要のある映画だ。
淡々としている夫役のリリー・フランキーさんと
感情をあらわにする妻役の木村多江さんの二人の
関係が面白い。木村多江さんの気持ちが軽やかに
なる時、髪型もショートに変わり、それがとても
綺麗で似合っていた。物語とは関係ないですが。
いい映画だったので忘れない様にブログにアップ。
今好きな女優さんは?と聞かれたら「木村多江さん」
と答えるだろう。それぐらい演技欲のある方である。
以前は、和食器がとても大好きで、よく近くの店へ
行っていた。その中でも蕎麦猪口というのを
教えてもらい、それから使い続けた。
大きめの蕎麦猪口で、割れて金継ぎして
修理してもらったりしたが、今はもうない。
今使っているのは信楽で自分で焼いたものを
使っている。その時に親指の置き場所のために
少し凹めてあげると使いやすいよ、と言われ
実際につくったら、なるほどだったのである。
ただ、少し小さいのが難点なのだ。理想はもう少し
大きめの蕎麦猪口である。買ってもいいのだが、
自分で作ったのが壊れていないので使い続けようと
思う。ボクにとっては蕎麦猪口はとても使用頻度が
高いのである。
暖かいのみのもは蕎麦猪口で飲む。コーヒーにお茶、
そして味噌汁にスープ。全て蕎麦猪口でいただく。
モチロン、麺類大好きなボクは、ざるそば、ソーメン、
ひやむぎ、など本来の蕎麦猪口の役目であるつゆを
入れて使用するということは1年中あるのである。
夏場はその頻度が高く、3食ざる系麺類の時もある。
そして使い続けていると愛着というものがわいてきて、
蕎麦猪口を大切に使うという好循環が生じる。
モノに対する感情というのは、そういうもので、
長く使う、大切に使う、ことが大切でそのためには
どこかに好きな部分が無いといけない。形なのか、
色なのか、感触なのか、匂いなのか、人間の五感に
伝わるようなモノでないといけない。
実は建築の設計をしていて「どんな建物を自分は
つくろうとしているのだろう。」ということに関して
いろいろと考えてきたが、「どうも「愛着」がもてる
建築をつくりたい」、というのが思っていたことの
答えのような気がする。
ずっと、どんな建築がつくりたいのかと考えて、
気持ちのいい空間とか、落ち着く空間とか、省エネ
とか、自然素材を使うとか、いろいろやってきたが、
どうも、それは「愛着」に繋がるのではないか。
この辺りは、もう少し掘り下げて考えてみたい。