Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

8月の最後の日

2020年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

なんと今日は8月31日。8月最後の日。早いなぁ~。もう明日からは9月になる。

今年はコロナで生活様式が変わった人も多いと思う。ボクもその一人かも知れない。

必死にしがみついていた設計という仕事に、どうも踏ん張れなくなってきたと

ここ数年思っていたことが、今年はより強く思うようになってきた。

 

少し距離を置こうと思い、ある会社に4月から週に2日行くことになった。

安定収入がわずかであるが確保できることは精神的にも安定する。

2日だけのサラリーマン生活は新鮮であった。(笑)まあ、設計事務所の落ちこぼれ

かもしれないが、嫌な仕事で食いつなぐよりも精神的に健康的だと思っている。

 

何か新しいことを始めたいなぁ~と思っていたが、突然、書道をやってみたいと

思い立った。白い半紙に真っ黒な墨でかく文字というのは美しい。小学校の2~6年

まで週に2日通った記憶がよみがえる。その時はお爺さんが先生で正座して書を書いていた。

何回か、百貨店などに飾られたりしたプラスイメージもある。

 

通うのは時間的に無理があるので、教科書を買ってボチボチ独学でやっていこうと

思っている。ということで書道の教科書をネットで買って、ついでに大人の書道セットも

ネットで購入。硯と筆はランクアップ。9月から始めようと楽しみにしている。

 

 

 


ある少女の記録

2020年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

小さい頃は絵を描くのが好きで人に対してひるまない少女であった。

弟が鼻血を出して狼狽えていたら、近くの人からチッシュを探す冷静な

人間であった。赤ちゃんの頃から欲しいものは勝手に取らず、指をさして

欲しいものをジコチュショウするような子供であった。

 

保育園から幼稚園になるのが、納得できず、説得に幼稚園のすばらしさを

見学に行ったこともある。中学生になる時は新しい友達が欲しいので公立の

中学でなく、私立の中学校を選択し、進学した。

小学生からバスケットをやっていて、中学、高校とキャプテンを務めたようだ。

親の目からはわからないが、どうもそうらしい。大学生活は楽しんでいるようだ。

 

そのまま、高校jへと進学し、大学は、S大学の薬学部へと進んだ。

地方の子は看護士になるのが多いのだが、薬学部を選んだようだ。

アルバイトに塾やウエイトレスをやっているようで7あるが、コロナの心配が

少々ある。就職活動は来年なのだが、どうなるのか、全く予想がつかない。

AIに負けない薬剤師。気持ちの籠った薬剤師になって欲しい。

 

 


ある少年の記録

2020年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

その少年は小学校2年生から少年野球に入部した。

それまでは、父親と公園で野球を楽しんでいた。

最初は豚皮のグローブだとバカにされたので、いいグローブを買いに行き、

そこから彼は野球に没頭した。ただし、豚皮のブローブをバカにされたことを

彼は気にしていなかった。

途中で、飛ぶバットなどを購入しながら、彼はキャッチャーという

ポジションに自分の定位置を求めた。 

6年生になった彼は自らキャプテンに立候補したが、惜しくも敗れて

副キャプテンになった。

 

中学では部活に入らずにボーイズリーグのチームに入った。

そこでも3年間、野球に没頭し、3年ではキャプテンを務めることになった。

中学3年生の頃、高校から誘いがあり、そこの高校に友人と一緒に行くことを

選択した。まだ、新たらしい高校であったが、甲子園に行ったことがある

岡山の高校であった。

 

寮生活で自分で洗濯したり、いろいろとあったようだが、3年間、野球をやり続けた。

ただし、3年になったばかりのころ、将来を見て、勉強をしようと思い、選手を辞めて

マネージャーとして記録する立場に変わった。

それまでの彼はすべり症等、怪我とも戦っていた。自分の思い通りにいかないことが

あることを実感していたはずである。

 

高校3年生の最後の夏、彼の高校は甲子園に行けることになった。

ただし、彼は選手ではなく、マネージャーとしてベンチ入りすることになる。

ただ、彼のキャッチャーとしての緻密な記録と地道な努力が買われて、

そのスコアは、チームの中では好評だったようである。

 

午前中、授業を受けて、午後から野球。そんな生活を3年間続けたが、

野球推薦でいけるのは文系だけで理系には行けない。それが嫌で3年生から

勉強しようと思ってマネージャーになった。そして、大学を受験したが、

合格できず、専門学校へと進路を決めた。

 

両親が建築関係の彼にとって建築とは何なのかということは幼いころから思いが

あったかもしれない。進路を選択する時に姉が、無理に建築を選択しなくても

いいよと言ったが、彼は自ら進んで建築の道を選んだ。

 

専門学校では体育会系の積極性が、評判よく、各先生方に可愛がってもらえたようだ。

就職の先生にもいいところに出来そうですよということで簡単に決まると思っていた。

 

ところが、コロナ禍で面接もまともにできない状況になり、心配していたのだが、

今回、無事に中堅のゼネコンに就職が決まった。親として一安心。ホッとしている。

やっぱり、運を持っていると感心した。彼が、どこまでモノづくりに関心があるのか

わからないが、モノを作る世界を選択したということはそれなりの思いがあるはずだ。

ないかも知れないけど、働くうちに芽生えるはずだ。

 

彼を採用した会社は、数年後、採用して良かったと思えるはずで、一つのことを

課すると応えてくれるはず。そんな性格のようだ。ここからは会社との相性もあるから

一概に言えないけれど、いい上司に出会えれば、人として成長できると思う。

ダメだったら、さっさと辞めて次に向かって行ってほしい。固執する必要なない。

そんな世の中になってきていると思う。