Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

ケンチクテキ視点-8

2016年08月30日 | 日記

一つ目の設計事務所であるM設計時代のことを書いていきます。
 
新入社員ということと京都を出て初めて一人暮らしを始めたということで張り切って

4月1日から働き始めました。しかし、なんてことはない、ほとんど役に立たないということ

分かったのは即刻、分かりました。(苦笑)...

 
 
当時は手書きであったので、まず線がきたない。文字がきたない。という売り物にならない図面でありました。

シャーペンで書く線というのは回しながら均一に力強く書かなければなりません。

しかし、慣れていないとムラのある見栄えの悪い線になります。しっかり、シャーペンをまわせていないことが原因なのですが。
 
これにはシャーペンの持ち方が重要です。基本的にエンピツの持ち方が正しくないと

やはりシャーペンの線の引き方もおかしくなします。所謂、スプーン持ち

(その当時、給食が先割れスプーンだったのでその持ち方で鉛筆を持つ子供が多かったようです。)

なのでシャーペンが上手く回せない。これには苦労しました。
 
今までの癖を直さなくてはいけないので一筋縄では直りません。そこで常にポケットにキャップを

つけた鉛筆を持ちながら、エンピツの持ち方から治しました。
 
初めて一人暮らししたのは守口市の6畳一間、キッチントイレ付き、風呂無しの部屋でした。

初任給が11万円くらいの時代で家賃が2万円ぐらいでした。お風呂がないので銭湯に通ってましたが。

歩いている間、いつもエンピツを持って、持ち方の練習をしていました。通勤の電車の中でもエンピツを

持って持ち方の改良をしていました。努力とかではなくて、そうしないときれいな図面が書けないということの

真実に対してのボクのやり方でした。
 

そして、新入社員の仕事もあったのですが、事務所の始まる1時間ぐらい前に行って、新入社員の仕事を済ませ、

30分ぐらい線の練習をしていました。そこの事務所ではポリカラーという三菱の色鉛筆でプレゼン図面を描くということもあり、

1本の線にとてもこだわった時代でありました。
 
そんなことを半年ぐらい繰り返し、どうにかマシに線を引けるようになったような気がします。ボクは所謂 劣等生でその半年の間、

いろいろと考えさせられることが多く、自分なりに工夫を凝らしましたが実りの少ない半年でありました。

  
ただ、周りの方にいろいろとフォローしていただき、それなりに楽しんで過ごした半年でもあります。

図面というのは線だけではなく、文字も重要です。そこらあたりをキレイに書けないと見栄えのいい図面にはなりません。

別に見栄えのいい図面でなくても内容が良かったらいいのですが、その当時はキレイな図面をまず書かなければという気持ちが強かったのですね。

今ではコンピューターで書きますから、みんな同じような図面になりますが、手書きの時代は個性的な図面にあふれていました。

  
そして原図(図面)はたった1枚しかなかったのです。今はPCを使うので何枚でも出力できますが。。。


ケンチク的視点-7

2016年08月22日 | ケンチク ウラ話

なぜか採用された設計事務所には5年間居続けることになりました。M設計ということで話を進めていきます。
この事務所では入社して6か月間は先生がついていてくれていろいろと指導をしてもらえました。そのせいか、

やめてから今でもずっと年賀状など交流を持たせていただいています。
 ...
当時、なにもわかっていない若者でありましたが、ケンチクをやりたいという一心で夢も希望も大きく持っていました。

入っていきなり、いろいろと意見を言ったり、今思えば若気の至りというか、青臭いことを言っていたと思います。た

だ、周りの方々は優しく見守ってくれてました。
 
ここで少しM設計のことを書いておきます。M設計というのはT工務店の下請けの設計事務所3社が労働闘争の末に

つくったという特殊な設計事務所でした。そんなことは全く知らずに入ったので入ってから知ったという感じです。

社員も会社がユニオンショップ制度を採用していたのでそのまま労働組合員になるというシステムでした。

なので後々、労働組合の方々とはいろいろとお会いすることになります。
 
そういうことで、この会社では、会議の場でも新入社員と年配者も分け隔てなく同等に意見を言えるという

変わった会社でもありました。それがよかったか悪かったか、意見を言うということが普通であり、

黙っていても何も変わらないということを経験させられました。
 
新入社員ということで回りの方々が興味を持ち、いろいろと誘われるということになり、この時代にお酒を覚えました。

先輩などには「お酒はどれくらい飲めますか」と聞かれて「升々飲めます」と2升ぐらい飲めると豪語していた

つわものもいましたし、一緒に飲みに行ったら今度、この庇を考えてみない?などと仕事の話をしてもらえる上司もいました。
 
年始の日に「新建築」(有名建築雑誌)を見て、この建物が見たい!という先輩がいて、そのまま仕事もせずに、

京都まで見に行ったり、タイル割(タイルの配置の仕方)を教えてやろうということで近辺の建物を観に行ったり、

時代もあるのでしょうがかなり自由に行動させてもらいました。
 
この事務所では「納まり」(部材間の取り合い)というものを徹底的に学ばせてもらいました。現場に出向して施工図(

実際に制作するうえでの図面)をかいたのもこの時代です。ここでの5年間は充実した時代であり、

人間的にも影響を受けた時代でもあります。
その辺りは次回から書いていきます。


ケンチク的視点-6

2016年08月08日 | 日記

ケンチク的視点-6
 
専門学校時代の2年間は結構ハードでした。なにせ約二人分の課題をこなす羽目になりましたから(笑)
 
ただ、 ケンチクの面白さに気づいたのは考える設計である製図Ⅰという科目だったと思います。課題があって、

その答えの無い問題に対してどのようにプレゼンするか、どう考えたか、それが重要なのです。あまり考えずに

提出すると鏡のように正直に評価が返ってきます。。。

 
 
それから学生時代に影響を受けたのは、やっぱり実物の建築を観て回ったことです。親友と東京までいって

観てきたケンチクは初めて観る、初めて体験するケンチクばかりであり、大いに刺激になりました。

この経験は後々までボクに影響を与えました。

 
 
キッカケは卒業設計のために建物を見学に行くということでした。が、あんなにワクワクした経験があったからこそ、

その後も空間を体験することの重要性をひしひしと感じるのだと思います。写真ではわからないことはいっぱいあります。

実際に行かなければわからないことがあります。それは空気感だと思っています。本当にいい建物に出会うと空気が変わるのです。

ざらっとした粒子があるような感覚になります。そういう空気感を感じる建物に何度か出会いました。

  
卒業設計は建築学科の一大イベントです。今から思えば、学生コンペみたいなものです。

図書館に行っていろんな資料をみて自分の中で情報を租借する。そんな作業の繰り返しです。朝まで作業し、

新聞配達に行って昼まで寝る。追い込み時期はそんな作業の繰り返しでした。
 
当時は成人式が1月15日だったので、その前の日が締切になっていました。なので正月は図面を描くので

休んだ実感はなく、ひたすら作業という感じでした。

今は、12月の中旬に締切があり、正月はゆっくり休めるようですが~。

 
 
学生の時は授業は真面目に受けていたのですが、前期の試験でいい点数を取った科目で、

別にとらなくてもいいかなっと思った科目はアホらしいので後期の試験を受けなかったりしたので、

いい加減な学生だったのでしょう。ただ、それでもなぜか単位をもらえました。

今から思えば、講師の先生が何かの事情で受けれなかったと判断してくれていたのかも知れません。

 
 
そして卒業前の2月くらいに初めて建築家の「槙文彦」先生の講演というものを聞きに行きました。

国立京都近代美術館を完成させた後の講演です。この時の感想は「スゴイ」「こんなことができるんだ」

「絶対に観に行かな!」と内容はあまり覚えていないのですが、そういう感情が起こったことだけは覚えています。

これ以降、ボクは建築家の講演会に頻繁に行くことになります。そして展示会なども積極的に観に行くことになります。

 
 
学生時代に深く影響を受けたのは座学などで学んだことではなく、「実物のケンチクを観る」「ケンチクのスケッチをする」

「建築家の話を聞く」この3つです。この重要性を学びました。授業の内容などは、試験が終わるとあまり覚えていませんから。。。(笑)

スケッチの重要性は授業で学んだかな~。

 
 
3つのことは、そのまま20代のケンチクに取り組む姿勢になっていきます。

それにプラスしてケンチクの本を読み漁る時代になっていきます。