Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

来年の実行したいこと

2021年12月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、朝から「ドラゴン桜2」をイッキ見で6:00~17:45まで

テレビにくぎ付けであった。(苦笑)

年末で忙しい時に贅沢な時間を過ごしてしまいました。

良かったですけど、モッタイナイ時間を過ごしました。(笑)

 

毎年、来年の抱負などを年末に考えますが、今年は、簡単にできそうな

抱負をたくさんあげて、半分くらいできたらOKみたいな、実行したいことを

手帳に書いてみました。

 

例えば、ブログ年間50アップ、文庫本を年間10冊読む、等々簡単なことだけど

やっておきたいことを手帳に書いて出来たら消すということで

小さなことからコツコツとやろうと思う。

「コツコツがカツカツ」という森脇健二さんの言葉を実行したいと思う。

 

小さなことでも幸せを感じる年代になってきて、美味しいものを食べれただけで

幸せ、寒い日に暖かい布団で寝られるだけで幸せ、等々、感謝する毎日です。(笑)

来年も小さなことに感謝しながら、やりたいことを少しでもやり切りたいと思います。

 

皆さま、よいお年をお迎えください。来年も宜しくお願いします。


今年の振り返り(個人的感想)

2021年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

個人的な今年の振り返りです。

 

3月の終わりぐらいに久々に5人で会食となり、本当に久々の飲み会。

その中のメンバーの一人がコロナにかかっていたようで、則、PCR検査を実施。

濃厚接触者ではなく、陰性だったが、念のため2週間自宅に閉じこもる。

仕事ができず減収。まあ、誰が悪いわけでもないのいで仕方ない。

 

4月に大手の建設会社に就職したムスコが虐められて8月に退社。

1年持たない新入社員が多いが、まさか、自分の子供がそうなるとは思わなかった。

詳しい原因はわからないが、自殺などの恐れもあったので辞めてよかったと思っている。

大きな原因は人間関係。コロナ禍では、コミュニケーションもなかなか取れず、

新入社員には難しかったかもしれない。後で知ったのでボクは何もできなかった。

それが悔しかったなあ。今は、違う職について何とか頑張っているようだ。

建築の仕事の範囲が広い。いろいろな仕事があります。

 

8月の終わりに車の納車があったのだが、11/17にパトカーに横からぶつけられ、車は

約2週間の入院。お互い怪我はありませんでした。相手がパトカーで良かったかもしれない。

何のもめ事も無く、終わるから。まだ、新車だったので綺麗に完治。

今度の車は相方が気に入ってるので申し訳なく思っていたが、綺麗に直って良かった。

 

そうそう、K 大学の特別授業を受け持つことになり、zoom授業から始まって、対面授業と

していたが、どうも不評で打ち切りになった。かなりショッキングな出来事でしたが、

需要と供給ではないけど学生が求めていないことを将来役立つからと無理に詰め込もうと

しても、やっぱり受け入れられないということが証明されたと思っている。

建築系の学生は資格よりも建物に興味があるのであって、若くして資格に時間を割くことは

しないのではないか。ボクが学生ならそうしている。残念な結果に終わったが建築学科の学生は

それらしい結果を示してくれて、ある意味納得した。

 

1年を通じて週に2日通っている会社には感謝であります。どこの誰だか、よくわからない人間を

信用して報酬をくれているというのは、感謝しないといけない。30歳で独立して、酷い目に

何回もあったが、その分、優しくしてもらえることも、同じくらいあった。

今いっているところは、とても大切にしてもらい、とても感謝している。来年からは、建物の計画も

していこう、ということなので面白くなりそうで期待している。

 

この辺りが今年の大きな出来事でした。細かなことはたくさんありますが、個人的な感想です。

 


年末のご挨拶

2021年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、母と面会できるということで妹親子と一緒に会いに行ってきた。

母は、認知症で家族で介護ができないので特別養護老人ホームに入所している。

コロナで直接面会できない状態が続きましたが、緊急事態宣言が解除になり、

面会できるのかと思いきや、風除室に家族が構えてそのガラス扉の向こうに

車いすに座った母をみるというシステムなのである。

 

前回は呼びかけに応じず、途中で居眠りをしてしまった母であったが、今回は孫も

いやからなのか、こちらの呼びかけにも反応してくれて、うなずいたりしてくれた。

たった15分の面会時間であったが、元気そうなのがわかり安心できた。

施設の方の話によるとご飯も食べてるし、元気に過ごしているようだ。

気の強かった母は認知症になっても変わらず、嫌なことには、はっきり意志表示するらしい。

そういう感じなので昨日の面会は喜んでいたらしい。

 

施設のコロナに対して慎重に対応することもわかるが、ガラス越しの面会はもう少し、

何とかならないのかなぁと思う。声が聞こえづらいし、手を握ることもできない。

身体もボロボロ名のでいつまで持つかわからない状態で制限されるのは、正直辛い。

施設によっても差があり、やっぱり他所の施設は直接会えるのに、などと思ってしまう。

 

再会できるのは年明けになるが、いつ会えるのだろう。

コロナ次第だけど危なくなってからでは遅いので元気な時に会っておきたい。

施設の方針もわかるから仕方ないけど、もう少し考慮して欲しいということは、

妹が訴えていたので少しでも変えてもらえたらいいのですが。。。

 

まあ、とりあえず、年末の挨拶は出来たしいいこととします。

骨粗鬆症で着替え中に肩の骨を骨折して、体力がないからと手術もできず、苦痛が

あったはずの肩も治っていたようで手を動かしてました。時間が経てば治る人間の

回復力は凄いの一言ですが、骨折経験のあるボクにしたらよく耐えたなと思います。

 

認知症の心の中はわかりませんが、確実に意思はあります。

本人はどう思っているか聞くことはできませんが、少しでも長生きして欲しいもの

です。まだまだ健康なので無事に年越しは出来そうです。

来年、いつ会えるのかは、まだわかりませんが、元気な姿を見せて欲しい。

人生の中で一番お世話をかけた人ですから。

 


菜園と住宅(3)

2021年12月25日 | 菜園生活

最初に「ここを使ってね」と言われた土地は、長い農道を通って行きついた土地で、今よりも

下の方の土地でした。しかし、ボクたちは、初めての菜園ということで、興奮気味に見学して

広さのみをみる程度の知識のなさでした。今から思えば、水の確保をどうするか、イノシシや

野生動物に対してどう防御するかなど、何も思わないで土の見える土地だけで喜んでいました。

 

事情は分からないのですが、その後、違う土地を紹介されました。「こちらに変わりました」と

いうことで今の菜園に決まりました。これも言われるがままに、わかりましたと言う感じで何も

思わず、言われるがままに菜園に挑戦ということになりました。

 

今から思えば、ここがすごく良くて、最初に紹介されていた 土地ならば続かなかったと思います。

今の土地は、水瓶があり、野生胴部に対しても熱鉄線で囲まれいて、とても恵まれた土地でした。

道路からも近く、野生動物が近づける環境ではありません。ただ、鳥だけは防ぎようがないので

被害を受けることになりますが。。。

 

菜園のスタートは、とても華やかでした。(笑) 耕運機で耕し、メンバーの子供たちも参加し、

BBQを開催し、和気あいあいと期待を膨らませながらのスタートでした。

皆で農機具を持ち合わせて、どこから来たのか、スコップ、シャベル、鍬、三角ホ―等々、道具も

揃いました。皆でお金を出し合い、物入れを購入し、農作業の必要なものはそろいました。

 

そして野菜の育て方は「自然農」というやり方をする方針が決まり、無農薬、無肥料で育てようと

いう方針が決まり、自然農で栽培することになりました。これが難しいのですが、作るなら、安心

安全な食べ物をつくろうということになりました。

 

もう少し、農業のことをアップする予定です。次回は「自然農」のことを少し詳しく書いてみます。


菜園と住宅(2)

2021年12月18日 | 菜園生活

日本版ダーチャの生活スタルをメンバーが「郊外楽園スタイル」と名付け、可能性を

探る作業から入りました。もう10年以上前の話ですが、西宮名塩の近郊では

区画面積が大きいのですが、空き家が多い地域でした。

ところどころの住宅では、小さな菜園をしながら生活されているようなところも

みられましたが、今でいう空き家率の大きな地域でした。

 

○○台などと名前がついていて、確かに多くの人が住んでいた跡はあるのですが、

すっかりさびれた感じの町になっていて、ここがこれから発展していくような

雰囲気は全くなく、どうなっていくのだろうかという感じでありました。

こういう場所にこそ、「郊外楽園スタイル」に最適な土地だと感じ、とても可能性を

感じたのですが、力不足か、時代にあっていなかったのか、実現することはありませんでした。

少し、原因を考えてみました。すぐに思いつくのは3つほどありました。

 

1つには通勤ということがネックだったと思われます。やはり、鉄道の駅が近くになく、

仕事面で現役を退いた方なら可能ですが、そういう人が住まうというイメージができない

時代だったと思います。コロナ禍を経験した現在なら、テレワークも可能ですし、

実際に郊外で広い敷地の不動産を購入している人も増えましたから、可能性は広がって

いると感じます。

 

2つ目は店舗や病院など生活に必要な施設が揃っていないので生活するのに不便を

感じるということです。これに関しては、郊外には、道の駅など個性的な店舗ができたり、

医療体制も確立されてきているので問題はないと思います。小さな診療所、所謂、

町医者から大きな病院へ受け入れてもらうシステムが確立されました。

逆に大きな病院へいきなり行けない時代になりました。

 

介護関係についても地域包括センターなどが充実してきており、地域でバクアップする

体制が整ってきています。出来るだけ、在宅で、住み慣れた地域で住み続けることを

フォローするような体制が整っています。

 

3つ目は菜園をするということが特別な時代だったと思います。家で野菜を育てるなんて

地方の生活で都会の近くでそんな生活をしようとは思わなかった。そんな感じでしょうか。

今でこそ、家庭菜園などと呼ばれ、自宅のバルコニーや、プランターで野菜を育てる人が

多くなりましたが、当時はそういうことをしている人は少なかったと思います。

今は、その魅力に気づいた人が多くなり、家庭菜園を趣味にする人が増えました。

NHKは日曜日の朝8時から「やさいの時間」という番組をやっていて、結構な人が

見ています。興味を持っている人が多い証です。ボクもほぼ毎週見ています。

 

そんな感じで当時は受け入れられなかったことが、変わってきたかな、というのが感想です。

ここには生活スタイルを変える大きな可能性を感じています。

 

名塩の近郊の住宅地を見て廻っていたころ、メンバーの知り合いの不動産屋の方が菜園を

できる土地が見つかったという情報があり、メンバーみんなで土地を見にいって初めて臨む

菜園というものにワクワクしながら見にいったのが最初の菜園へのアプローチです。

その辺りは次回にアップしたいと思います。