Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

両親

2015年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム

久々にブログに書いておきたいと思って、いきなりアップ。

盆→実家→家族→両親、ということで親になって初めてわかるといわれる親のことについて

書いてみたい。

ボクの家族は4人兄弟(男3人女1人)に両親という6人家族で生活して来た。

親父はいわゆる職人さんという職業で友禅の流しをしている。

昔でいうと鴨川で生地を川で洗っていた友禅流しの職人である。

叔父さんは七宝焼きの職人で、祖父は着物の手書き職人であった。

 

母親も友禅という関係職で型というものに糊を入れて色を順番に染めていく、

いわゆる職人であった。これは高温の中での作業で、男性でもかなりしんどい職種である。

そんな仕事ではあったが、必死になってやってきたようだ。

約20年前、クモ膜下出血で倒れるまで、その職を一生懸命やっていた。

 

二人は今でいう、職場結婚というもので結ばれた。

母曰く「30回お見合いして、一番悪いのに引っかかった」というくらい、親父は母に迷惑を

かけて生きてきた。

そう、職人にありがちな酒と博打である。

 

昔は現金で給料を渡していたので、その帰りに酒を飲んで勢いで博打をし、札が周りに

見えるくらい、居眠りで船をこぎ、見事に給料がすっからかんになるということを堂々と

実行して来た人なのである。

今は。そんな面影も一切見せない、いいお爺さんになりましたが。。。

現在は、酒はほどほどで博打は一切しない。たまに趣味でパチンコを打つぐらい。

人間歳を重ねれれば変わるものだ。今は、人のいいお爺ちゃんになった。

 

そういうことで、いわゆる裕福な家庭ではなく、母が一生懸命切り盛りし、何とか子供も学校をそれなりに

行かせてもらい、みんな何とか生きている。それぞれいろいろとあるが、何とか生きている。

 

そんな両親であったが、母は怪我からの障害と認知症で今は施設に入っている。

すっかり、涙もろくなった母は、会いに行くと帰りに泣く。家族というものにすごく執着していた

母は、家に帰りたいのである。残された自分が悲しいのである。

母が、家族に執着していなかったら今の自分たちはないだろうと思う。

母が、がんばったお蔭で、子供が無事に成長できたのだろうと思う。

よくぞ、4人の子供を育てあげたと思う。今の時代ではかなり苦しいことだったと思う。

 

親父は、まだまだ元気で、嘱託になった会社に週3日でいっていて、自転車で片道約40分かけて

通勤している。危ないからやめてよ、と子供がいうがそんなことは聞かない。

そこは、変わらず頑固なのである。

が、しかし、それが親父にとっては普通のことであるから、何も危ないとは

本人は思っていないのであろう。

そして健康診断でも何も引っかからない。健康そのものである。

 

そんな二人だが、母がたまに家に帰って来た時に喧嘩するのである。

大いに喧嘩するのである。普段見せない認知症でおとなしい母が、親父に接する時だけ

大声で怒るのである。そして元気になるのです。

普段、会いにいかない親父への不満なのか、安心感からくる怒りなのか、そんな口喧嘩を

ほほえましく思って、兄弟で見守っている。

 

そんな時は、普段でない力を母は発揮する。人間ってわからない。

親父といると母は元気だ出るのだ。それが怒りというベクトルであるにしても。

何十年という歴史をともにしてきた戦友みたいなものなのかなぁ~。

戦友は今はNGですね。(苦笑)

同じ釜の飯を食ってきた親友みたいなものかなぁ~(笑)

 

これは共通認識ですが、両親には兄弟みんなが、感謝していることだけは事実である。

ただ、みんな母の負けず嫌いを引き継げなかったようだ。

引き継いでいたら、母の理想の子どもになってたかも知れないけど。。。(苦笑)

母の子供を守る姿勢には、くどいくらい接してきた。

親父に関してもいい人ということは家族みんなというか、周りの人も知っている。

いい親父に巡り合えたものだ。両親には今も生きてくれているだけで、感謝しかない。