Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

ケンチク的視点-14

2016年10月11日 | 建築、設計

ボクがお金をもらって、初めて人に教えたのは1級建築士の設計製図の講師でした。

30歳過ぎのことで、確か4年ぐらい教えていたと思いますが、専門学校も重なっていたので、

はっきりとは覚えていません。

ただ、今年はそれから14年ぶりぐらいに1級建築士の設計製図を教えに行きました。

 

昨日が試験日で、問題が送られてきて見ましたが、難しそうな気がしましたが、

簡単なような気もしました。(笑) 今回は ちょっと、思い出話に1級建築士を取得した時代のことを書いてみます。

 

25歳で受験資格が出来、さあ、受けるぞ!っというときに、職場の先輩から1週間の受験勉強で合格した!っと聞き、

それに対抗するように1週間、有休をとり、勉強して見事に落ちたという経験があります。

1週間で合格できるほど甘くはありません。日頃から地道に努力しないで一気にやろうとするからこういう結果になる訳で

アホなことをしていました。ただ、内容の多さぐらいは把握できたくらいの経験でした。(笑)

 

次の年は、夜間の専門学校と重なっている時期であり、1級建築士の勉強など、全く興味がなく、またもや事前に焦る

という結果なので当然の結果が待っていました。この時も独学なので、「過去5年間」の問題が2冊たまる状態でした。

この間も試験前は一応、臨戦態勢に入っているので、どこにも遊びに行かず、悲しい日々を過ごしてました。

当時の学科の試験日は8月の第1日曜日という遊びに行きたい日でありました。

 

3年目~。この年は、当時 勤めていた事務所の所長から、さっさと取れということで4月から仕事を早く返される

というプレッシャーをかけられました。こうなるとやらざるを得ないので、毎日、地道に勉強しました。

独学だったので、勉強法は、徹底的に書く、ノートに書く。これがあっていたのかどうか、何とか学科は受かりました。

 

当時は手で図面を毎日、書いていましたから、製図も学校に行く気もせず、本屋で売っている予想問題をみる程度でした。

エスキスは何回も重ねましたが、作図は全くしていません。それくらい自身があったのですが、

1回目は見事に落ちました。(笑) あまりにも簡単すぎて早くできたのですが、見落としが多く、残念な結果となりました。

 

そして2回目。これを落としたら学科から受けないといけません。所謂、振り出しに戻るということになります。

それだけは避けたかったのですが。。。その時も、前年と同じようなスタイルで臨んだのですが、

あまりにも難しい課題で時間内に書くのが精いっぱいで、終わった後、あれがこれがとミスを発見し、

諦めていたのですが、クリスマスイブの日に合格通知が来て、ものすごく喜んだのを覚えています。

 

多分、時間としては、かなりの時間を割きましたが、楽しい勉強ではなかったですね。

資格の勉強ってそんなもので、ある一定の時間を消費しなければいけないような内容になっているのだと思います。

まあ、取ったもの勝ちですから、取得すれば、いろいろとメリットはあります。

資格などは社会で働いて上での「看板」だと学生などには言っているのですがね~。(「武器」というときもあります。)

看板が多い方がチャンスがあるんちゃう? などと言っているのです~。


ケンチク的視点-13

2016年10月04日 | 建築、設計

今回は働き出してから「もっと学びたい」という気持ちになって1年間だけ夜間の学校に行ったときの話を書いてみます。

まあ、週3日だけだったのですが、聞く話が全て新鮮で、のめり込んで勉強をしたのを覚えています。

 

キッカケは他所の設計事務所の人と飲みに行ったときに言われた言葉でした。

「やっぱり日本人である限り、日本のケンチクのことも知っておかないといけないよ」って言われ、

一応、京都出身の人間としては、そうだなぁ~とぼんやり思っていました。

 

そこの事務所は京都にあって、古民家を現在に使えるような改造をして拘った仕事をしている事務所でした。

実際に日本のケンチクを通じていろいろと考えてやっている姿勢に共感が持てた時代でした。
 
その頃は、様々な講演やイベントなどに参加している時であり、興味のあることには積極的に動いていた時代でした。

そんな時、京都建築専門学校で新しく「伝統建築研究科」というものが設立されたという情報を得て、興味津々でした。

仕事もあるし中々いけないのだと思っていましたが。。。

 

本当はダメなのですが(笑)、時効なので。。。躯体図のアルバイトがあり、そこで稼いだお金が

(学費分より少し届かないぐらいですが)できたので、思い切って行くことにしました。

週3日17時に終わって学校に行く。というのを1年間することになるので、M設計を辞めて、

次の事務所にはそれを条件に働くことになりました。

 

まだ、「伝統建築研究科」というのはあるみたいですが、ボクは2期生になります。

まだ設立して間もない学科でした。カリキュラムも今は変わっているのでしょうが、

当時は「社寺」「民家」「茶室」と3日サイクルで学ぶのもでした。

設立したての学科でしたので講師の方も名のある方が多く、とても興味深く学ばせてもらいました。

もう、お亡くなりになられた方もおられます。。。

 

専門学校で学んだ「建築史」を日本建築に特化して掘り下げた授業でした。見学会などでは、

法隆寺に行き、西岡棟梁からレクチャーを受けたり、そういう日本建築に携わる方々の生の声を

聞け貴重な体験をさせてもらいました。

 

日本の建築は素晴らしい知恵と工夫がされています。夜間の学校でしたが、その当時、その後、

日本の建築を積極的に観て回ることになりました。