Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

「三日坊主礼賛」なのである

2018年01月31日 | 日記

今日は1月最後の日であって、水曜日であって
ゆにばっぷの事務局に行く日であって、その後に
会議もあって、また、その後に懇親会もあって
多分、今日中にブログをアップできないと思うので
今、アップしておこうということになった。
 
さて、ともかく?今日でブログを毎日アップというのを
1ヶ月続けられたという記念すべき日なのである。
昨年の12月よりボチボチ試運転をして、本格的に
今年から毎日アップを目指して書き出して、どうにか、
こうにかアップ出来た。
 
三日坊主のボクがなぜ出来たのだろうと思うので
ちょっと考えた。
 
まず、ブログ以外に一日1万歩、歩くという小さな
日課も目標とした。
こちらの方は風邪をひいたり、その後、気分が乗らなく
なったりで、統計を見ると実現できなかった日数は9日。
15000歩という目標以上のことが出来た日が8日。
 
全然ダメなのである。が、しかし、また続けている。
なぜ、続けているのか。これは以前にも書いたと思うが、
まず、やることが大切で三日坊主でもやらないよりは
何もしないより、いいのである。
 
そうして、三日坊主でも、あきらめないことが重要で、
あきらめないと再開できる。粘り強く、もう一度、
やり始めるのである。
出来なかったときに、やっぱり私はダメだ、根気がない、
コツコツ出来ない、やる気がない、等、あきらめては
いけない。もう一度、やったらいいのである。
 
それを繰り返すことによって三日坊主が、「継続は力なり」
になるのである。
ブログも来月はどこかで抜けるかもしれない。でも、そこは
自分を許してやって、もう一度再開しようという、新たな
気持ちで再開すればいいのであって、出来なかったから
終わりではないのである。
 
人から見たら、「なんだ、続かなかった」と思われても
自分で、もう一度、やり直そうという粘り強い気持ちが
あれば再開してそこから始めたらいいのである。
それが結果として長く続くということになるのでは
ないだろうか。途切れて終わればそこまでなのである。
 
興味が旺盛であるから三日坊主になる。やってみたいと
思うからである。それは、とても大切なことであって
やってみないとわからないことは、たくさんある。
後は続けるかどうかだけで、続けたいと思ったことで
出来なかったことは、仕方ないと自分を許してやって、
も一度、粘り強く、続けることで三日坊主から逃れられる。
 
まずは行動を起こすことが大切で、続けるかどうかは
やってみて、途切れても、やりたいと思えばいいのであって
やりたければ、続ければいい。
人の目は気にぜす、やりたいことは やったらいい。
 
そうなのだ、「三日坊主礼賛」なのである。


住宅展示場はどうなるのであろうか

2018年01月30日 | 日記

住宅展示場が週末でも閑散としているところが
多いらしい。この何年も住宅展示場などには
行ったことが無いので知らないのであるが、
どうもそうらしい。
  
住宅展示場をビジネスモデルにしている企業は
実物をみてもらって、「夢のマイホーム」実現へ
向けて現実感を味わってもらおうということである。
なので、いい仕様になっていて、その通りに
建てると高くつく。
 
もう何年も前から言われているが、住宅展示場の
建物と敷地と展示場の担当者と展示場の広告費等、
いろいろと経費がかさむ。その経費は販売している
住宅に加算されるのであって、決して安くできない。
しかし、企業の方は、実物のモデルをみせないと
売れないというジレンマが発生する。
 
要は住宅1棟につく経費が高くつくのである。
他の原因として、昨今のインターネットによる情報入手を
第一に考える消費者が増加しているのでモデルハウスまで
足を運ばないという。
モデルハウスを観るよりもネットで沢山の住宅をみて
絞り込むという。
 
しかし、何といっても人口減と収入減(対物価)により、
持ち家住宅そのものの数が激変している。
「持ち家」(注文住宅)の数だけをみてみると、
1996年に新設着工は60万戸を超えていたが、
2016年には半減以下の同29万戸強となっている。
それは住宅展示場へのニーズの激変を意味している。
 
住宅展示場は、これから先も減少してもあると思う。
ある一定のニーズはあるはずだ。
ただ、それは無料ではなくて、必ず経費が掛かっていて
住宅施工費のどこかにそれは隠されている。
それでいいのか、もっと他のお金の使い方があるのでは
ないか、と思うのである。(笑)
  
日本人という国民は企業が大きくて有名であれば
安心できるというイメージで選択する。
テレビでコマーシャルなどしていれば妄信的に
その企業を信じ込むのである。
  
が、しかし、住宅というのは、担当者がいて話を聞き、
それをもとに進めていく。要は企業の大きさ云々よりも
担当者の影響がとても大きい。
 
というより、設計の段階でいかに時間をかけて
考えるか、それが全てであり、いい住宅というのは
そこに時間と知恵を惜しみなく、出し切ったもので
あるはずだ。
そういう住宅が「日本の家」であって欲しい。


伏見稲荷大社へ行ってきた

2018年01月29日 | 日記

今日は朝7時に近鉄京都線の「十条」という駅近くで
待ち合わせをして「伏見稲荷大社」へ行ってきた。
今や平日でも観光客だらけで、ゆっくり出来ないと
いうことで友人から「早朝伏見稲荷ツアー」へ行こうと
誘われていってきた。
 
車を駐車場へとめて「いざ、稲荷へ」と意気込む。
7時過ぎにも関わらず、結構な人出であった。
外国人なんかも早朝からきていた。
まだ、空気がピンと張り詰めており、さわやかな
朝であった。
 
今回の目的は稲荷山の山頂を目指すという。
友人二人は何回も登っていて、今回はボクだけが
初めての山頂チャレンジであった。
一度は登りたかったので、お願いしていたら今日に
なったということである。
  
本殿にお参りしてから、千本鳥居をくぐり抜け、
いよいよ本格的な山というか登り坂と石段の
オンパレードとなる。
 
途中で「四つ辻」や「薬力の滝」やわからないけど、
ご利益のありそうな所を寄り道する。何せ友人の
言う通りに歩き、言われる通りに参拝し、最後の
難関長距離石段を登りつめたところに山頂がある。
 
山頂にも拝殿があり、参拝する。というか、
道の途中のあらゆるところに鳥居があって何か
わからないぐらい拝むところがあるのである。
それを全て廻ると果てしない数なので、結構な時間が
かかるはずで、わからないので経験者である友人の
判断に任せて登った。
 
山頂まで登って降りて約1時間というところか。
それから友人たち行きつけの喫茶店でモーニングを食べ、
早々に大阪へ帰ってきた。 

感想は、「なかなか良かった。今度は寄り道をしながら
いろんなところを廻ってみたい。」いろいろ廻ったら
一日中、遊べるような気がする。
 
今回はもう日本を離れて29年になるという友人が日本に
帰ってきていて、時間もないので稲荷山に登りながら
話をしようということであったのだが、結構な石段ばかりで
息が切れて単語しか話せなかった。(笑)
 
伏見稲荷大社と言えば小さいころはオヤジに連れられて
「スズメ」や「ウズラ」を食べた。「スズメ」なんて
クチバシにズガイコツをあらわにした格好で丸焼けで
出てきて、「カルシウムがあるから食べろ」と言われ、
身がない焼き鳥?を食べた記憶がある。
 
御旅所といって小学校の近くにあった神社の祭で神輿を
担いだりしたこともあった。ここも伏見稲荷系である。
そうやって考えたら、場所柄か、伏見稲荷大社にも縁が
あったのかな。商売は下手ですが。。。
 
 


大人のシェアハウスについて

2018年01月28日 | 日記

他人事ではない、「40代以上の大人」のシェアハウス。
最近、流行ってきているらしいという記事を読んだ。

2事例だけだが、読んでみて、それを要約すると、
 
1、家主が積極的にイベントを開催する
2、住んでいる人が個性的で自立している
3、地域に開かれた建物である

ということのようである。
家賃が安いだけでなく、生きがいがポイントで、
例外もあるが、地域との接点がポイントである。
 
家主が積極的に地域へ開かれたイベントを立上げ、
それに応えられる人材がいて生きがいを感じて
シェアハウスに住むのだという。
 
人材によって出来ることは変わってくるのだが、
何も出来なくて、モノを売るだけでもいいようだ。

まあ、これは「40代以上の大人」のシェアハウスに
限らず、現状の地域コミュニティには必要な
要素だと思う。
 
長生きした分だけ、何か社会貢献できる要素が
あるわけで、それを貢献することにより、その人が
充実した生活が出来るということである。
 
世の中、本当によくできている。
人間の欲望というか、充実感が人からの感謝、
ということで満たされるという、とてもよくできた
サイクルなのである。
 
そこを充実させると中高年も十分に満足できると
いうことになる。いいことなのである。
後は実行するのみ、なんですね~。
特に、地主の皆さん!!!(笑)
 

 



「オタク」で何が悪いのか。

2018年01月27日 | 日記

本日は午前中、図面を描いて、午後からは
スキルアップセミナーの講師で図面の描き方を
教えて、帰ってきて、またもや図面を描く。
 
今やっているのは、手伝いの図面を描いているので
あるが、この建物が面白いので描きごたえがある。
というか、難しいので楽しい。
変な表現なのであるが、難しいのに楽しい。
 
楽な図面の方が簡単ですぐに進むし、やった感がある。
でも、難しいのが好きなのである。簡単に終わる図面は
面倒な作業になってしまうときもあるぐらいなのだ。
難しいのは考えないと描けないし、なかなか進まない。
でも、考えないと描けないのが楽しいのである。
 
なんでこういうことが起きるのか?
 
建築が好きな人というのは多かれ少なかれ、そういう面が
あって所謂「オタク」という種族に属するのではないか。
と、ひそかに確信をもって思うのであって、「大衆文化」の
一種である「ケンチク」をこよなく愛し、大切にしている。
そうなのだ、ボクらは「オタク」であったのだ。(笑)
 
だから世間からは、あまり理解してもらえなく、「ちょっと
変な人」的にみられるのではないか。
 
ならば開き直って言おう。「オタク」で何が悪いのか。
 
「オタク」が大衆文化を支えているのではないか。
「オタク」がいるからこそ、深く掘り下げるのではないか。
「オタク」以外に拘りの塊のようなことは出来ないのではないか。
「オタク」が新しい文化を切り開くのではかいか。
「オタク」を極めると充実した時間を過ごせるのではないか。
「オタク」は愛すべき人種ではないか。
  
と「オタク」のことを力を込めて考えた。
 
「オタク」は確かに楽しいが、ほどほどの人生の方が
もっと楽しいような気がする。(笑)
「オタク」に憧れながら、徹しきれない自分がいる。。。