Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

ケンチク的視点-12

2016年09月24日 | 建築、設計

そう言えば、働きだしてから先輩に言われて続けていることがあります。

それは今もやっています。なぜか続いています。
 
それは、「メジャー」「エンピツ」「ノート」の3点セットです。(笑)

 

「メジャー」は2メートルぐらいの短いものですが、車のKYE等、他のカギと一緒にして持ち歩いています。

何か気になるところがあれば、登場して計ります。ボクの右ポケットにいて、もう30年くらいです。

100均のメジャーなども購入しましたが、すぐに壊れるので、他のところで買い、もう7代目くらいですかねぇ~。

一番感動したのは、フランスでコルビュジェのサボォア邸の内部の寸法を計ったとき、人間は一緒なんだと感じた時でした。

日本での寸法とほぼ変わらない。使い勝手の言い寸法は一緒なんだと。(当たり前ですが~)

 

「エンピツ」は、要は感じた時、思いついたときに書けるものが無いといけないということです。

メジャーで計った数字を書き止めたいなど、思いついたことをメモするのに必要なツールです。

昔、村野藤吾がタクシーで帰る途中、メモしたクシャクシャになった紙からスタッフが徹夜でスケッチを起こし、

図面化したという話を聞いたことがあります。
 
紙はどんなとこにもありますから、スケッチできる「エンピツ」などは必需品でした。(笑) 

そういえば、絵の上手い人で鉛筆でラフに輪郭を描いて、醤油の濃淡で色付けするという強者の先輩もいました。

 

「ノート」はボクの節目に出てきます。新入社員の頃、転職(事務所を変わった時)したころ、気合を入れる時~。(笑)

常にノートを持っていて、メモをしていました。何年も経つと経験の方が上回るので、あんまり見直しませんが、

数ヶ月や半年くらいなら、書いたことは、とても役立ちます。

こんなことを経験していたのに、なんでわからんかった?、以前やっていたのに~。

など、文章や絵で振り返ることができることによって、

経験が定着される。要は忘れないで、自分の経験として自分の中で咀嚼される。

 

 

入社してからの1年間で、大学ノートが埋まりました。その中で使えるものは一部ですが~(笑)

実は、ノートに書きまくる、この方法で 1級建築士の学科試験も合格しました~。

ノートに書き込むことにより、自信になり、自分で出来そうな気になります。

気になるということが大切で、気持ちが出来ているというのが重要なんです。

今で5ミリ方眼の「ノート」を愛用しています。なかなかの良いモノです。

 

「メジャー」と「エンピツ」は いつも、どこかに潜んでいます。

「エンピツ」は、基本的には短くなったエンピツにキャップ付きでしたが、

今は、2ミリ芯のホルダーになってしまいました。


ケンチク的視点-11

2016年09月19日 | 建築、設計


働き始めたころは、バブルという仕事がたくさんあった時代です。

M設計にも相続対策の賃貸マンションの仕事などいろいろとありました。

入社してからしばらくはT工務店の詳細図ばかり書かされてました。

 

そういえば、事業コンペなども手伝って、ロットリングで仕上げたりしていました。
  
その時に「カラス口」の達人のような人がいて、感心していたのを覚えています。

最終的には、文字や色を写植して仕上げていくのですが、今思えばPCで簡単に出来ることですが、

当時は滅茶苦茶時間がかかってました。

1ヶ月休みなしで、最後の週はホテルまで用意されて泊りがけでやるという時代でした。

 

施工図(工事用図面:施工図で全て制作される)なんかも書いていて現場に出て実際にみてみたいと思うようになり、

会社に言って、そういう仕事が来たらお願いしますと。「3カ月ぐらいだけど行ってみる?」という仕事が入り、

興味津々で現場に行くことになりました。結局、1年弱現場に通うことになったのですが。
 

OBP(大阪ビジネスパーク)のビルでプラザビル「いずみホール」という巨大なパイプオルガンが設置されているビルです。

まあ、もともと詳細図がきっちりできていないので、まとめろ、という感じでしたが、

そのうちに他にもいろいろと任されるようになり、竣工近くまでいることになりました。
 
これはこれで面白く、図面を書いていて わからないことがあるとすぐに現場に行って確認して 

図面に記入するというダイレクトに情報が入ってくるのでストレスなく図面がかける。

まあ、1年ぐらい経験したので、もう十分という感じでしたが。。。(苦笑)

 

毎朝8時からラジオ体操があって、その後、ショートミーティングがあって~とても規則正しい生活でした。(笑)

あんなに真面目に朝からラジオ体操をしたのは小学生以来だったかな~。

  

この時にもいろいろな人たちと出会えましたし、新鮮で面白く仕事をしました。

現場では、あらゆる種職の職人さんたちがいたので、見ていて飽きなかったですね~。
 
何となく、会社の外へ出て働くのは武者修行のようで楽しかったのです。

まだ現場に大ビンのビールがケースでおいてあって、残業した後にビールを

グビグビ飲むという豪快な時代でした。(笑)


ケンチク的視点-10

2016年09月12日 | 日記

ケンチク的視点-10
 
M設計にいた5年間はいろいろとチャレンジした5年間でもありました。建築雑誌のイベントコーナーをみては展示会、

講演会に参加しまくり、雑誌に載った建物は観に行くということの繰り返しでした。何かスイッチが入ったように観に行きました。
 
そんなことをしている中でも、スケッチをすることが一番ケンチクが身につくと思っていたので、「絵の会」などと

他社の設計事務所などに呼び掛けて、動き出しました。なんてことはない、単なるスケッチをするだけの会なのですが。。。

その派生で「古建築を訪れる会」に発展して社内の仲間が集まって月に1回ぐらい、いろんなところに行くという会ができました。


宮内庁に申し込んで「仙洞御所」に行ったり、京都の「角屋」、大山崎の「待案」に行ったりしたのもこの時代です。

1泊で「船屋」にスケッチ旅行に行ったり、楽しい時間を過ごしました。他にも京都の特別拝観にいき、

「今日案」などいろいろと日本の文化に触れることができました。

 

建物を観ることによって得られるスケール感というか実感する空間のスケールを感じ取った時期かもしれません。

観ることの重要性を感じ取った時期でもありました。
 
「絵の会」は、いつか自分たちで展示会をしようとお金を集めていましたが、実現できませんでした。

残念でしたが、そういう流れだったのかと思います。最後はみんなでわけあいましたが。。。

 

他にもM設計の上司と交渉していろいろとお金をだしてもらったり(コンペ費用や若者だけの懇親会費用等)、

いろいろと企画を打ち出した時代でもあります。恐いもの知らずってことでしたかね~。

思いついたら即行動に出ていた時代でもあります。まあ、若かったんでしょうね~。

 

時代もあったのでしょうけど、積極的に動いた結果だと思っています。

行動することの重要性を学んだ時期だと思います。


「あたってくだけろ」「何とかなるさ」みたいなことを思うようになったのもこの時期ぐらいからかも知れません。(笑)

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ケンチク的視点-9

2016年09月08日 | 日記

M設計には建築雑誌(新建築、住宅特集、アーキテクチャー、建築知識等)おいてあったので、

昼休みなど、よく目を通していました。お~と思える素晴らしいケンチクなどは観に行きたい衝動に駆られつつ、

実務の仕事に追われる日々が続きました。

 

なにせ線もロクに引けなかったのですから(笑)最初はトレースから始まりました。

最初に書いた図面は、天井伏図というものです。平面詳細図がベースにあり、それを下敷きにして上からなぞって、

壁等を書いていき、最後に天井の照明など設備関係や、構造の梁など天井を見上げて見えるものを書いていきます。

何とか書けたと思って、青焼きに焼いて(今でいうコピーのようなもので、青焼きとは黒ではなく青色で仕上がります)

チェックしてもらったら、真っ赤になって返ってきました。しぶしぶ気落ちしながら訂正していたのを覚えています。

 

青焼きというのは、もう今は ほとんど見られませんが、古い図面があれば、わかってもらえると思いますが、

ほとんどが青焼きでした。今残っていれば 折り目が黄色くなっていると思いますが~。

コピーと違い、消えそうな線まで映り、とても味わい深い図面になります。用紙に感光する塗料のようなものが塗ってあり、

その上に図面を重ねてローラーに差し込んで1枚1枚焼いていくというものです。時々、失敗して図面がクシャクシャになり、

無残な状態になりましたが。。。これもPC化された結果、消えていったシロモノです。とっても雰囲気が良かったんですがね~。


学生時代、授業で自分の書いた図面を初めて青焼きを焼いたとき感動したものです。(笑)

 

図面は主に詳細図と言われる細かい図面から入りましたので、天井伏せ図から展開図、平面詳細図、断面詳細図、矩計図、建具表等々 

かなりの枚数は書きましたね~。図面サイズもA1サイズで割と大きい紙なので書きごたえ満載でした。時にはA0サイズなんかも

ありましたが、今考えれば、よくあんな大きなサイズの図面を手で書いていたと思います。
 
ようやく慣れてきた3カ月ぐらいたったとき、またもやチェックしたもらったら、真っ赤になって返ってきました。

上司は育てようと思って厳しくしてもらっていたのは わかっていたのですが、若気の至りで、自分に腹が立ち、

図面を破ってごみ箱に捨て、かき直すというアホなことで徹夜したりもしていました。

 

今なら絶対にしませんが。。。そういう素直でない、憎たらしい新入社員でありました。