ネパールに帰りたくないと言うネパールから来ている知人(2008.5.15)

2008-05-15 13:04:28 | Weblog

*昨(2007年)9月、日本で生まれたユウミちゃん

昨夜(5月14日)、ネパール人の知人と、高輪のネパール・チベット料理の店<レッサム フィリリ>で食事をしました。しばらく食べていなかったので、大好きなダルバートカレーは、とても美味しかったのです。

*右の知人は、半年毎、冬の間はネパールで過ごそうとしています。

まず知人の説明をしますが、ちょっとわかり辛いでしょうか。
私が、仕事をやめて、<ようやく自由を取り戻した時に>、すぐにネパールに行き、1ヶ月ほどフラフラしていました。ポカラという町(日本で言えば、北アルプスの玄関口の松本>で、立ち寄った本屋の親父が、その後、日本に来たことがあって、親父の姪御さん(ランジャナ)を知り、そのダンナ、その頃、留学生、大学院の学生だった、を知ったのです。

昨年秋に出産したランジャナが、今、ネパールに里帰り中なので、毎日カレーを食べたがっているに違いないダンナ、今は社会人か会社人、に、ネパール料理の夕食に誘ったのです。

私が、ネパール料理を食べに行くのは、通常は、近い千駄木の<ミルミレ>です。都区内で、4,5軒のネパール料理レストランを知っています。私の好みは、ネパール宮廷料理ではなく、ネパール家庭料理です、つまり高くない所ということ。昨日行った<レッサム フィリリ>は、2度目です。高輪で、ちょっと遠い(品川駅から徒歩10分)ですが、美味しいですね。ネパールから来た人も、美味しいと。つまり現地の味に近いということでしょう。

*下の方の手書きは、ユウミちゃんの名前です。

娘=赤ちゃんの写真を見せてくれました。今、7ヶ月です。ネパール・ポカラに連れ帰るのは、ちょっと早いんじゃない? 成田>香港>カトマンズ>ポカラと24時間近くでしょうか。 無事に着きました、と電話があったそうです。

日本で生まれても、日本国籍はありません。それが、日本です。
名前は、<ユウミ>。優美ちゃんです。<ゆうみ>。ネパールでは、考えられない名だそうです。

ネパールから来ている知人が、<今働きすぎているから・・・・・・>、<日本での永住権をとろうと思っています>という話が出ました。
<技術を体得したら、帰るんじゃないの?>、<ネパールに帰りたくないの?>、<国費留学生なんだから、帰ってネパールに貢献することを期待されているにじゃあないの>と、私は、たたみかけます。

日本に来て10年ほどの、まだ若者です。悩みもありましょうし、確固とした意思を固めているわけではないでしょう。日本語に不自由はしませんが、細かい表現はできないかもしれません。

<ネパールより、日本がいい>に対して、日本人の私ですが、素直に喜べないのです。
ネパールに帰っても、自分の力を発揮できる場がない、と言っているようです。道路・通信・電気・水・・・・インフラ整備ができていないと言う発展途上国の問題ではないな、と感じました。
ネパールは、多民族国家です。ヒンズー、仏教他、宗教の問題、そして、厳然とある階層・階級社会です。ネパール国全体が、<一致団結して前進していく>、その一致団結がかなわない、と言っているようです。

*右;2008年4月10日王制廃止を正式に決める制憲議会選挙投票日の朝日新聞、左;4月23日の朝日新聞。その後は、チベット情勢、ミャンマー・サイクロン、中国四川省大地震、の大きな記事に埋まれ、ネパールの記事は消えてしまったようです。

インドの圧力を感じているようにも思いました。ヒマラヤの北側、チベットは、中国の統治下、いや中国そのものです。ヒマラヤの南側、ネパール王国は、そのまま下って、インドに続きます。そして、今まさに、ネパール王制が崩れ去る、真っ最中なのです。
自分の国の将来、国を出ているうちに変わってしまった祖国の変貌に、どう自分の未来を対応していくべきか、苦慮しているのでしょう。

  【おまけ】

*もう一致団結はありえませんが、ほぼ一民族、ほぼ一宗教(というより多神教)の国に、のほほんと暮らす、日本人、いや私には、正解を書くことはできませんが、それでも思います・・・・・、それは、また別の日に。