「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

胃ろう/PEGの倫理面

2011年02月22日 20時12分09秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 「食べ物が食べられなくなったら、 生きている意味がない」

 「口から食べることは、 人間としての 最低限の権利であり、 尊厳だ」

 そのように考える人は 少なくありません。

 確かに、 胃に栄養を入れても、 味覚は満足できません。

 自分で咀嚼して 飲み込むということは、 全身にも心理的にも 大切なことです。

 しかし、 食事介助に1時間も2時間も かかっていた家族が、

 PEGを着けたことによって 余裕が生まれ、

 より優しい気持ちで 患者に接することができて、

 さらに手厚い介護が できるようになったという話もあります。

 介護を受ける側の人も、 家族に負担や迷惑をかける 心苦しさが軽減されるでしょう。

 また、 飲み込むことが 難しくなっている人にとっては、

 誤嚥によって 命を落とすこともあります。

 食事のたびに 肺炎を起こさないかと ハラハラしていた人も、

 PEGで大きな安心感が 得られるのは大切なことです。

 ただし、 回復の見込みのない人に PEGを施すことは、

 治療のゴールがなく、 無意味な延命治療になる 場合があります。

 限りなく続く医療行為は、 その人のQOLを 害することにはならないでしょうか?

(なかには、 年金を受け続けるために、

 親を生かしておく家族さえ いるといいます。)

 自分で食べ物や水分を 取ることもできず、 その意欲もない人に、

 強制的に栄養を 与え続けることは不自然で、

 枯れるように亡くなっていくのが 自然だとも考えられます。

 ターミナルケアやホスピスケアでも、 過度な延命治療はせず、

 穏やかに死を迎えることが  「尊厳死」 とされています。

 その際に 最も大切なのは、 本人の自己決定権です。

 意識障害や重度の認知症で、 本人の意思が 確認できない場合は、

 家族がそれを 推し量ることもできます。

 自分の 人生の最後に備えて、 平素から意思表示をしておくのも 重要でしょう。

 また、 認知症の初期の段階で 本人に告知し、

 判断ができるうちに 意思を確認しておくことも 必要だと言われています。

〔参考資料 : PEGドクターズネットワーク 他〕
 
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