「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件 被告人質問(3)

2007年06月28日 20時49分10秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48561480.html からの続き)

 本日、本村さんは 記者会見を開きました。

 いつものように冷静沈着で 理路整然と、心に響く 的確な言葉で訴え、

 風格さえ 感じるものでした。

 本村さんは 元少年の死刑の意味について、次のように述べています。

「被告が悔い改めて、納得して、胸を張って 死刑を受けることに意味がある。

 もし元少年が嘘をついて、裁判に負けて 死刑を受けるとしたら、

 彼の人生は 何だったのか? 

 罪を犯したあと 少しでも人間として 名誉を回復して、

 罪に対する罰を受け入れて、生を全うすればいいが、

 これだけ世間に批判され、嘘つき呼ばわりされて、死刑が確定したときに、

 弁護団は この事件や彼の人生を、どう意味づけしようとしているのか分からない。

 最高裁が 「特別な事情」 と言ったのは、被告人に更生の可能性が あるのかないのか、

 彼を社会が 受け入れることができるのか、ということだと思うが、

 今の裁判は そういう方向にない。

 こんな状態で 死刑が出ても 何の意味もない。

 彼が悔い改めた姿を 社会が見て、人をあやめた人間は これだけ反省しても、

 命を持って償わなければならない と知らしめなければ、死刑の意味はない。

 そこが非常に残念で、弁護団に憤りを感じている。」

 本村さんは事件後から、一貫して このように主張してきました。

 元少年が心から反省して、その上で 死刑を受けてこそ意味がある、という考えです。

 一般には、被告は自責の程度によって 量刑が左右されます。

 実際 この裁判の一審二審が 無期になったのも、反省を認められたからでした。

 僕も 被告が心底悔い改め、苦しみ贖罪することによって、

 刑罰は軽減されると考えます。

 反省のない人間こそ 極刑を持って臨むべき ということになりますが、

 本村さんは 被告が反省していなければ 死刑の意味はないと信じるのです。

 日常的には、過ちを犯した人間が反省し 心から謝罪することで、

 被害者の傷は癒されます。

 最愛の人を 無残な姿で殺されることは、

 被害者遺族としては、それとは全く次元が異なる というのは理解できますが、

 法定刑の考え方としては どうなのでしょうか。

 皆さんは どう思われるでしょう? 
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48604707.html