「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

自死遺族--「グリーフケア サポート プラザ」 講演会 (6)

2007年03月04日 11時05分20秒 | 自死について
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/45642418.html からの続き)

 自死遺族にとっての懊悩は、

 一生続くかと思われるような 長くて真っ暗な トンネルであったとしても、

 いつか必ず 一筋の光が差してきて、再生へと向かっていくのだといいます。

 それを知っておくことが重要です。

 立ち直っていくきっかけは 人それぞれで、

 ある人にとっては 意味があることでも、別の人にはそうではないでしょう。

 大切なのは、その人にとっては その時 そのことが

 救いとなり得たのだ、 ということなのです。

 
 しかしながら、死にゆく人に対して あらゆるサポートや 手立てを講じても、

 どうしても防げない 自死というものも 厳然としてあるといいます。

 苦悩があまりにも 底なしで巨大すぎて、なすすべがないというものもあると……。

 でも そういう人は、死ぬことによって生きた というのです。

 死によって 自由になった,解放されたということなのです。

 僕も、心子の死に対して 同様のことを思っています。

 彼女の苦しみは 小さな胸には圧倒的で、想像を絶する 生き地獄だったでしょう。

 心子は死出の旅立ちによって、ようやく苦しみから 解き放たれたのだ,

 これでやっと 痛みのない天国の お父さんの所へ行けたのだ,

 そう信じるしかないというものが、如何ともしがたく 僕の中にはあるのです。

 
 自死をする人は、我々が 普段忘れているものを 持っている人が多いといいます。

 馬鹿なくらい真面目で 優しいのです。

 我々は彼らのメッセージを 聞き取る必要があります。

 彼らが大事にしていたものを 我々がバトンとして受け取り、

 引き継いでいくことが 我々に求められているでしょう。

 そのとき 私たちの生き方が問われます。

 亡き人たちは、我々の中に生きているのです。
 

[ 演者 「グリーフケア サポート プラザ」 理事・藤井忠幸 ]