「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

H氏と加害者

2006年03月26日 17時08分17秒 | 死刑制度と癒し
 
 加害者は獄中からH氏に、毎月2~3通ずつひたすら謝罪の手紙を書き続けました。

 H氏は最初は怒りに煮えくり返って、手紙を破り捨てていました。

 そして逮捕から6年あまり経ち、手紙の数も100通を越えたといいます。

 歳月はH氏の気持ちを次第に変えていきました。

 加害者は死刑判決を受け、どう転んでも2度と娑婆には戻れない。

 鉄格子の中で死を待つだけの存在だ。

 その安堵感がH氏に気持ちのゆとりを与えたようです。

 ただし、それは加害者が死刑判決を受けているからという前提であり、量刑の重さが被害者遺族に実に微妙な影響を与えるのです。

 加害者に心から悔いる感情が生まれるのも、死刑という前提があってこそでしょう。
 

 H氏は加害者に会ってみようという気になっていきます。

 そうして、実際に面会してみると、加害者は申し訳なさそうに身を縮こまらせている、ちっぽけな男でした。

 “殺人鬼”ではなく、自分と同じ一人の人間だと感じたということです。

 憐憫の情も感じ、H氏は複雑な思いにかられました。

「こんな男を殺せなんて、よういえん」

(現在は死刑囚は親族と弁護士以外、外部との交渉を厳しく制限されています。)

 それからH氏は、加害者に生きて償いをしてほしいと思うようになるのです。

(参考文献・「されど我、処刑を望まず」)
 

剣道部時代の親友上京

2006年03月26日 10時17分16秒 | Weblog
 
 大学の剣道部時代の親友が鹿児島から上京してきて、夕べは同級生6~7人が集まって飲みました。 (^^)

 中には10年くらいぶりに会った奴もいて、本当に懐かしい場が持てました。

 鹿児島の親友は若いときから老けていて〔*注:〕、逆にそれから時間が経っても全然年を取りません。

〔*注:小学校6年のとき、バスの中で小さい子供に「おじいちゃん」と言われ、その子のお母さんから「おじさん」と言われたそうです (^^;)。〕

 そいつは今も髪の毛も真っ黒でふさふさ(ゴワゴワ? (^^;))、昔と「寸分たりとも変わっていない」というのは誇張ではありません。

 3~4人は学生のときとあまり変わっていませんでしたが、

 それに対して、3人は頭のてっぺんがすっかり風化してしまい、それこそ“おじいちゃん”みたいになってる奴もいました。 (^^;)

 割と二極化した集まりになりましたね。
 

 きのうは、今まではあまり深く話したことのなかった奴とたまたま話し込みました。

 剣道部のとき主将だった奴ですが、5年ほど前うつになったそうで、本当に意外でした。

 うつになりにくそうに見える人ほど、なることがあるのだと思います。

 周りも理解しないし、誰にも話せなかったそうです。

 まして人格障害などは非常に理解されにくいと話していました。

 ボーダーの人のことが少しずつでも、人々に知られていくようになってほしいと切に思います。
 

 それにしても、学生時代,特に運動部の同じ釜の飯を食った仲間というのは、いつまで経っても一番気がおけず、腹を割って語らいあえるものです。