てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

なぜ、哲学カフェに集うのか?【その1】

2015年02月11日 17時25分49秒 | 参加者感想
最近、哲カフェ後に感想をお書きいただく方が、めっきり少なくなってしまいました。
たしかに、哲カフェの思考と対話の余韻を味わうのに、あるいはやっと終わったという開放感のさなかに感想文を書くというのは、ちょっとした拷問かもしれませんね。
というわけでもないのですが、ただいま哲カフェの常連の方々を中心に、「なぜ、哲学カフェに集うのか?」という質問を尋ねさせていただいております。
哲学カフェの世話人をさせていただいておりますが、その意義が何かについては、実はこちら側からではなかなかわからないところが多々あります。
むしろ、ご参加いただいている方々の方こそ、この活動の魅力が何か見えているのではないか。
そのような思いから、不躾ながら皆様に聴いてまわっている最中なのです。

と、さっそくお一人の常連さんからレスポンスをいただきました。
読ませていただきながら、たいへん面白く、かつ興味深い内容でしたので、ご本人の承諾を得てブログにアップさせていただくことになりました。
ご一読ください
これをお読みになり、自分も哲カフェに一言物申したいとお感じになられた方は、遠慮なくメッセージやメールをお送りください。
哲学カフェの何に魅力があるのか?
なぜ、私/我々は哲学カフェに集うのか?
どなたでもけっこうです。
どしどしお受けいたしております。



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「なぜてつがくカフェに行くのか。」
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なんででしょうね?
趣味です。
マイブームです。(結構長いよね。)
もしかして飽きることもあるかもしれません。(そしたらごめんなさい。)

何を話しても受け入れてもらえる(もしかしたら「ちゃんと聴いてるフリ」をしてもらえている?それでもOKです。)。
反対意見がでたとしても、それほどがっかりしたり、プライドが傷ついたりしません。

いろんな考え方、捉え方があることを知るのは単純に楽しい。
知らない事実や情報(噂かもしれませんが。)を知ることができる。
人っていろいろなんだ。と改めて知ることができる。
(てつカフェに来る人たちは、私も含め偏ったサンプルかとは思いますが。)

お酒の入っていない飲み会。

「シティズンシップ(市民的資質)」初めて聞いた。
てつがくカフェは、冷静な話し合いの訓練にはなると思います。

だからといって、私がてつがくカフェに集うことによって世の中が変わるとは思っていません。
それよりしっかり自分の仕事をしっかりすることの方が世の中に良いこと?を訴求できると思っています。
(↑ならちゃんとやれよ。)

ただ、人は良いことを考えたり、(本などで)得たりしてもそれを行動に移す訓練?
が出来ていないと、いざという時に、(または小さな行いもそうですが、)うっかりそれまでの慣習に従って動いてしまうと思います。
なので、てつがくカフェのようなアウトプットする場所があると、自分が思ったことをみんなの前で発言する訓練ができて、何かが違うと思ったときに同調しづらくなるのではないかな?
または、「偉そうなこと言ってたよな。自分。」「そう思ってたんだね。自分。」ってことで、自分が思っている行動をしやすくなるのではないかと思います。

子どもときからこのような授業や習慣があれば変わるとは思います。
先にも述べたように、ここに来ること自体、現時点の日本では特異なことなので、無害な状態?で、人に自分の考えを伝える環境の場がもっと増えれば良いなと思います。

とはいえ、やはり日本人にその習慣を広めるのは時間がかかる気がします。
というのも、震災後、心のケア?という名目で、大小様々な話し合いの場、「どんなことを言ってもいいからね~」という掛け声の下でいろんな考えのお母さんたちの場が持たれましたが、やはり違う考えが明らかになって、余計ストレスになってしまったり、不安なお母さんたちは彼女たちで集まって勉強会等を開いたりしていましたが、人は自分が思った方向の情報を集めるので、結果、更に自分の考えを強化していくだけだったりします。

今回の震災の場合は、本当に自分の生活がかかった死活問題なので、いくら話し合いを持ったところで、なかなか全体としてのいとぐちは見つけられないかと思います。

じゃあ、震災前から人々が話し合う訓練をしていればよかったのか?
おそらく、人間は切羽詰らないと行動に移さないので、それはなかったでしょう。
そういう意味では、今回の震災で、「シティズンシップ(市民的資質)」は他県にくらべ、アップしたと思いますが、代償が大きすぎますよね。
疲れた。
でも本来、生きるというのは辛いものらしいので、その中で、楽しみや歓喜を見つけ生き延びるのだ。


全然話は変わるけど、今『モモ(ミヒャエル・エンデ)』を読んでいます。(まだ途中だけど、)
てつがくカフェに集う人たちは時間(生活)に余裕がある人たちなのではないかなと思います。
毎月てつがくカフェが開かれ、そこに参加できる幸せを噛み締めて今日も生きていこうと思います。