てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

なぜ、哲学カフェに集うのか【その8】

2015年02月19日 21時22分31秒 | 参加者感想
シリーズ・なぜ、哲学カフェに集うのか。
第8弾は、就職のため福島を離れたかつての常連さんからのメッセージです。
実は、彼は世話人の教え子さんでもあるのですが、耳のイタイお話も…

わたしがなぜ、てつがくカフェに集うのか。

私は、幼い頃から物事の細部までなぜ?なぜ?
を連発して親を困らせていた。一緒にニュースを見て為替の情報が流れているのであれば
「なんで毎日レートが変動するの?」「なんで世界は一緒のお金じゃないの?」と小学校入学前から親に聞いてみたり
国会の委員会で強行採決のVTRをみていると「なんでマイクをうばうの」「マイク壊れないの」「マイク壊れたらだれが弁償するの」
「なんで各々の放送局の名前が入ってるの」「マイクひとつで良いじゃん」と今思うと親はよく、そんなのしらないと切り捨てなかったものだ。
もちろん同じ事を小学校でも展開して当時の担任は困り果てて家庭訪問の際「いろんなことは教えなくてもいいのではないか?」
と言われた。

そんな私は、みんなで様々な事を共有したいだけなのに「君は物知りだね」といわれそのような事を話す場所がなくなってしまった。
私は考える事 それを共有・議論することが好きなのにそれができない。
議論しようとするだけで、君は頭がいいから、物知りだから と自分が思ってもいない理由で切り捨てられる。
そんな自分を受け止めてくれる場所がてつがくカフェだったので集うようになった。

てつがくカフェはフェアだ。どんなことでも話せる。年齢も立場も関係ない。
普段、目上の人が考えてることに自分の考えを付け加えたり、アドバイスをしたら生意気だと言われる。
議論をしたいために反対の意見を述べても怒られる。
てつがくカフェはそんなことはない。自分がうまく文章にしきれないことに対しても単語で発すると誰かが補ってくれる。
自分の知識を深めるために自分の考えと対(つい)の人も私はこう思うと言ってくれる事で自分の議論が深まる。
この自分の議論が深まるときこそ快感なのだ。

私は、てつがくカフェ@福島の世話人の方に高校時代、倫理の授業を習っていた。
倫理の授業の点数はすごく悪かった。今もだが、正直昔の哲学者が何をやっていたとか
なにを考えていたとか全く興味がなくて、それをテストのために丸暗記するのが嫌だった。
てつがくカフェで哲学書がテーマの時も本は読まずに参加した事もあった。
昔の人の考えを引用する事は大事で、哲学書を読む人を否定するつもりは無い。
私は、自分が起こっている物事に対して自分自身が考える事が大切だと思っている。
参加者たちと話をする中で考える方法、様々な見方を教えてくれ気付きをあたえてくれる
ものがてつがくカフェだと思い、これからも参加し続けると思う。