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てつがくカフェ@ふくしま

語り合いたい時がある 語り合える場所がある
対話と珈琲から始まる思考の場

第39回てつがくカフェ@ふくしま報告―「公共性とは何か?」

2016年09月26日 08時11分37秒 | 定例てつがくカフェ記録
さて、9月24日(土)に39回目の定例てつがくカフェが、「イヴのもり」にて開催されました。
参加者は23名。
「〈公共性〉とは何か?」という、おカタいテーマであるにもかかわらず、23名の参加者に恵まれました。
今回は、4月に行われた議論の継続であることを踏まえましたが、そこに参加されていない方もいらっしゃるため、その継続にとらわれずに話し合うことを確認しました。
とはいえ、遠隔地で今回の議論に参加できない方のコメントを紹介しつつ、それを話のとっかかりとして始めることにいたしました。
そのコメントとは、これです。

「多様性といえば、公共性には必須の条件だと思っています。
多様性がない状態は公共ではないとも思っています。
公共は、社会集団とか色々と定義はあると思いますが、個人が組み合ってる状態、みんなのことですかね。
公共が皆のことなら、個人が窒息しては皆と組み合おうとは思わないと考えます。
目的がはっきりしている小集団、例えば会社は、目的が同じ個人が集っています、目的を達成するために個人は何をするのかに帰結していくと思います。
そういった状態では、個人間に差をもうけて、例えば待遇とか、目的達成を推進します。
僕の中では、これは公共ではありません。
少し分かりにくいかもしれませんが、皆のことを考える場面が公共で実行するのは公共ではないという整理です。
公共性とは個人が公平であり、尊重された上で、公共の話しが可能なことだと思います。抑圧されることがなく、公平にものが言える、存在できる事と言い換えられます。
このようなことが約束されていることは、公共性の大事な要だと思います。否定があると力関係が発生しますし、力関係が前提となればものが言えなくなることにも繋がります。
言いたいことが言えない、存在が認められない、窒息します。窒息すると公共のことなんて考えなくなります。
公共性のためには、公平であることを追及する必要はあると思います。
誰でも生理的に受け入れられない主張はあると思いますが、主張を封じ込めては公共性は成り立たないと考えます。
居心地が悪いかも知れませんね、公共は・・修行の場ですね、一体になることはないんでしょうからね。
雑多であるし、画一化されていない。僕が考える公共性とはこんな感じです。」


ちなみに、この方も4月の哲カフェには参加されていません。
これをもとにしてまずは、公共性を「公園」のような場であることからとらえる次の意見が出されました。
「多様性が公共であると出ていたが、主婦で子育てをしてきて、ポスターの公園を見て、公共ってこういうことかなあ。公園には多様性がある。サッカーで遊んでいる子が広がってくると、ちょっとこっちまでは来ないでくれると言いたいことを言って、それぞれを尊重できる場。身近な公共を感じられる多様性を尊重できる場であった。」

これに対して「公共のためには公平性を追求しなくてはならないとあったが、公平ではなく平等ではないか」としながら、「必要な人と必要でない人が折り合いをつけながら、お互いに別の目的をもつ人たちが対話をして公共性を追求していく」イメージを上げる意見も挙げられます。

さらに「みんなに開かれていることが公共性なんだろう」という意見が出されます。
ただし、ここで「みんな」と言っても、税金を使って作るもののように、「みんな」のお金を使ってやることは「みんなのもの」でなければならないということを「みんなが了解をしている」ことが必要であるといいます。
その了解が広がっているいれば、「公共性」の高い社会といえるのではないか。
逆に、その了解がないと、閉じられると集団だけになってしまうのだろうということです。

議論は「公園」から、一気に「社会」のレベルにまで引き上げられたため、いったん「社会」のレベルと「公園」のレベルの公共性とを区別した上で議論することがファシリテーターより指摘されました。。
そのうえで、「公共性」に共通するものが「みんなに開かれている」という点で一致していることが確認されました。

すると、「ひとりで生活していれば公共性を考えなくていいけれど、公共性を考えなくちゃならないのは利害の対立があるからではないか」という意見が挙げられます。
逆に、利害対立のないような状態においては、「みんなのもの」なんて考える必要もないわけです。
そのように考えれば、「公共性は創り上げていくもの」にほかならず、しかも、それはいろいろな集団や文化のなかで公共性は創られていくものである以上、一言で「公共性」と括れることはできないのではないかとの指摘がなされました。

ここまで議論したところで、「そもそも「公共」と「公共性」は何が違うのか?」という疑問が投げかけられました。
果たして、「性」が付くと意味はどのように変わるのか?
可能と可能性、現実と現実性、人間と人間性…
さしあたり、「性」には性質を意味しながら、「らしさ」とか「っぽさ」という言葉を当てはめることができるでしょう。
ということは、「公共性」とは「公共らしさ」とか「公共っぽさ」ということになりましょうか。

これに関して「公共」は制度、システムを指し、「公共性」は対話が発生してその間、対話のなかに含まれているものであり、そこに生まれる差異結びつけるなかに公共性が生まれるとの意見が出されます。
「場」として固定されたものではなく、そこにいる人たちの「あいだ」に現れるもの、すなわち「関係」において公共性が現れるという意見は、これまでの「公共性」観とは異質なものでしたが、とても興味深くかつ斬新な見方の提示でありました。
ただし、その発言者は、そのあいだをつなぐものを「情」と表現し、感性的なものに根拠を求めます。
近代的な意味で言えば、「情」は果たして公共性の基盤となるのか、むしろ同質性の塊になるだけではないのかという疑いも生じますが、むしろここでの「情」や「感性」はそれとは別種のものを言い表そうとしているように思われました。

すると、あらためて「公共性」とは何か整理するところに議論は立ち戻ります。
「どういうところを公共の場というのか。駅も公共の場。2人でカフェで話しているときも公共の場。そこでは相手に殴りかかったりしないし、いきなり歌ったりしないで、お互いに公共性を担保する」という意見には、そこになにがしかのルールや決まりが共有されているところに、公共性が成立することを言い表しています。

それに対して、「哲学カフェにおいてはいろいろな意見、対立する意見が出るけれど、そのテーマのいろいろな側面が見えるので、哲学カフェではまったく違う意見が出ても暴力ではない。暴力的な言い方をされたら違うけれど、意見の対立は否定ではない」という意見や、「誰かの意見に対して否定するとは公共性を壊すことではない。違う意見を出し合うことは否定ではない」という意見が出されます。
一方、「会社など一般の場では必ず対立がある。負けない工夫して臨んでいる。でも、それは公共ではない。公共はあるものが満たされたとき、その前提のもとで成り立つ。否定をしないとか、他人を罵倒しないとか。でもそういうのはなかなか成り立たない」という意見も出されます。
どうも、生活全般にわたって秩序を保ちながら自由に物事を言い合える場というのは、実に少ないというのが共有されているようです。

ところで、「否定があると公共性は担保されない」とは、冒頭のコメントにも合った主張ですが、そこでいう「否定」は暴力的なものではなく、一定程度決まり事を守ったうえで交わされる異論・反論とは異なるということです。
さらに、「異論はいくらでも出していい。国会の論戦など高いところを目指しての議論はあまり見たことがないが、哲学カフェでの議論は理解を深めるものである。決めつけたり排除したりするといけない。あくまでも食い下がって議論するのはあり」という意見も挙げられます。
そこには「言い方」を問題にする意見も付け加えられました。
「私道には植木鉢を置いておいてもいいが、公道に置かれると邪魔になる。でもここに置いちゃダメだろうと否定されると話し合いが壊れる。公共の場では、○○だから~してください、と言葉の使い方、言い方によって分かち合っていくようにしなければならない。」

けれど、公共性は言い方の問題に収斂されるものなのでしょうか?
そこに公共性を求めてしまっては、それこそ「気性の激しい人」や「言葉の荒い性質の人」などは排除されないでしょうか。

「第三者がどう見るかをどう意識するかによって変わってくる。都会では干渉しないという公共性。村社会では村のために望ましいことをするのが公共性。てつカフェでは意見を出し合うのが公共性。」という意見には、やはり、その社会や場、文化によって「公共性」の意味合いは異なることを示されています。
けれど、「ムラ社会」に公共性なんてあるのでしょうか?
「世間体」が支配するような、狭い範囲で暗黙のルールを強制される社会を公共性とは言わないのではないでしょうか。

これに対しては、「公共性は「みんな」が大事。公共の場で大声を出さないという暗黙のルールを守るのが公共性。ルールを守っている、ルールが大事。」という意見があらためて挙げられます。
「公共性にも影と光がある。ルールを守る人たちにとっては有益なものになるけれど、ルールを守らない人は淘汰、排除、村八分にされる。それが闇。公共は過激になれば悪いものにもなりかねないのではないか。」
「民主制社会のなかでの公共性という条件がつく。暗黙の了解というよりは共通認識とか「いい意味での」常識によって保証されるのが公共性である。」

なるほど、「ルール」や「いい意味での常識」、「話し方」も含め、それらを守ったうえで対話が成立することが「公共性」に値するというのが、全体として共有されたことです。
 
すると、「公共性は限りなく自由がある状態と思っていたが、ここまで話してきてどうも違うような気がしてきた。ある社会的集団のなかでルールが守られた秩序が保たれた状態のことを意味するということらしい」という感想を漏らした方がいらっしゃいました。
これも大変興味深い意見です。
「公共性」は「自由」と関連すると思われていたものが、どうも「ルール」や「言い方」、「常識」に規定されるのだとしたら、むしろ「秩序」に依るものらしいということです。
これに対しては、「秩序が保たれて、でも異論が言える空間。それは公共性の自由ではないのか」という意見が挙げられます。
「自由がどれだけ実現されているか、民主主義の成熟度を左右するのが公共性。感性というのはその実践能力としての感性を指しているのではないか。」
なるほど、「常識的」な理解では「公共性」はそのように定義できるのかもしれません。
でも、それと「ムラ社会」とはどこまで違いがあるのでしょう?
民主的な「ムラ社会」というのも当然あるでしょうし、その社会のルールを共有するとか決まりを守るというのは、「郷に入れば郷に従え」という閉鎖性とどう異なるのか、その違いを明らかにしなければならないでしょう。
公共性が「みんなに開かれた場」を基準とすれば、その「みんな」とは、果たして誰のことなのか?

こうした疑問が頭の中に浮かぶ中、突然、「人間同士のなかでしか公共性は成立しないのか? 動物との間でも公共性は成り立たないのか? 人間だけは公共的だけれど動物が抑圧されている社会は公共性と言えるのか?」という、別の角度からの問題提起がなされます。
「生き物の群れがもっている距離感が公共性ではないか。部屋のなかにムシや生き物が入ってきて、それを放っておくのは公共性か?」
「動物と人間の公共性を考えれば、飼い犬どうしが噛み合わないのは人間がそういう公共性を作ったからだろう。人が正しいと思うものを動物に当てはめているだけで、動物の公共性は人間が作ったものに過ぎない。」
動物と人間の共生という意味で「公共性」を用いるのであれば、たしかに人間中心主義という意味において成り立つでしょう。
これに対して、「赤ん坊が電車のなかでギャーギャー泣いていたらどうするか。人間と動物を同じ目線で語ることはできない」との意見も挙げられます。
とはいえ、「躾」という意味では、やはり「赤ん坊」という自然状態を公共性に適応させるために矯正する営みが教育にはあるとも言えます。

さらに、その問題提起者は、「宇宙は公共のもの。地球は人類のものなので公共と言えないかもしれないけれど。何かしらの条件付けがあって、何かしらの対立が出てきてそうなってしまう。来るもの拒まず、去る者追わずが公共性という意味に尽きる。税金を使ってトキを保護しているけれど、あれは人間のためにやっているのではないか。牛や豚が絶滅すると人間は困るがトキは絶滅しても困らない」と言います。
話題が宇宙―地球レベルの「公共性」に至り、、ますますどこまで「みんな」を広げられるのか、議論は混迷を深めます。
「自然をどれだけ壊してきたかという罪の意識が芽生えてきた。贖罪の意識で守っているだけ。公共性はあくまでも人間の文化的な産物だ」

すると、宇宙の話題から、今度は一気に御町内の話題に移ります。
「近所に猫屋敷があってあちこちに猫が糞をしたので、申し入れをした。猫にとってはどこだって公共の場だけど、ご近所のみんなにとっては困りものだった。その飼い主は猫に関しては自由というスタンスの人なのですが、ご近所の皆さんはお金をかけて猫排除対策をしなければならなかった。その人の問題は猫問題だけでそれ以外の面では尊敬できる人だったので、じっくりと対話したがなかなか解決しなくて、公共性のつらさというか弱さというか。その人を全否定はできない。うまくやっていけるものならうまくやっていきたい。けれど、そこで忍耐しなければいけないというう点では公共性はつらい時もある。」

ご近所トラブルは、一般に「常識」のないご近所さんによって周囲が迷惑するという構図が成り立ちます。
では、その対話も通じない「非常識」な相手にどう対処すべきか。
哲カフェのような時限的な場はよいとして、町内のような空間はなかなか移転などできません。
暗黙のルールが共有されているなかで秩序が成り立って多様性を認めあえて公共性が成り立つというのがこれまでの議論音主流でしたが、ここでは、「いい意味での常識」を共有していない人は排除しなければならないのか、という疑問が生じます。
これは、今後日本社会に移民が増えると常識どころか言語も共有されなくなる事態が増加するだろうという想定を踏まえれば、さらに深刻でリアルな問題を指摘するものでしょう。
果たして、そこにおいて公共性はどう成り立つのか。

「掃除、犬猫の問題は辛抱強く呼びかけ続けなけばならない。あの人公共性なくて困るとは思っているけれども、その人相手に辛抱強く対話をしている。」
「ゴミの集積所問題。ゴミ捨てのルールはなかなか守られない。」
「ゴミは排他性の先鋭的問題。他者が来た時に真っ先に問題になる。」
「避難の人が増えてゴミのルールを守らない人が増えた」という言い方をする人が現実にいることを考えると、まさに常識や決まりを共有できない「他者」との間に「対立」が生じた時にこそ、「公共性」の真価が問われるとも言えるでしょう。
その点では、「ゲーテッド・コミュニティ」がある種の階層の人々が、自分たちの公共性を保つために排他的なコミュニティを作っているという問題についても考えなければならないでしょう。

「ルールを破るのは通りすがりの人。コミュニティのなかの人ではない。するとだんだん監視社会になっていく。監視社会になるのはやめようとがんばっている。」
定住しない、いわゆる「流れ者」は公共性を無視するというのも常識的な解釈の一つでしょう。
それに過剰に反応することが監視社会を招くのではないか、というのは重要な指摘です。
一方、「夜働いている人もいるので前の日に出す人がいるということがわかった。出したあとにネコや鳥が荒らすことがあるが、そのときはゴミ集積所に一番近い人が片付けてくれたり、正しいゴミの日まで保管してくれたりしている。辛抱強く公共性が育つように待つ。きちんとした公共性というよりは柔軟なゆるさのある動的公共性であったらいいのかなあ」という意見も出されます。
この発言者は「辛抱強さ」や「ゆるさ」という表現を用いますが、これは社会的には「寛容」という問題に接続します。
「不寛容」な社会が移民排斥や差別的暴力に結びつくことは、つとに問題にされています。
では、この「寛容」をどう理解すべきなのでしょうか。

「公共性と民主主義は似通っている。権利と義務。いいことと悪いこと。公共性にもいいことと悪いことがある。自由と責任。自分がゴミを保管したり道を掃いたりしてくれる人、公共に奉仕する人がいることによって公共性は保たれている。」
「気持ちにゆとりがあるから辛抱強く受け止めてくれる。日常に溶け込んでいけるのが公共性。」
これらの意見には、どうしても勝手なことをする人間がいるのだけれど、社会はそこを埋め合わせる人々が必ず存在する。
その存在の割合に応じて、その社会の「公共性」や「寛容」の尺度が決まるのではないか。
それを「割り勘」や「動的平衡」という言葉で解釈する参加者もいました。

しかし、こうした公共性が成立したとしても、さらにそこに困難や問題があることが指摘されます。
「公共性は共存関係と言い換えることができる。共存関係を乱すものに対して排除することになり、監視社会になってしまう。弱者が共存できうるような形が望ましい公共性であるとすれば、動物も社会的弱者として共存する。けれど、その対話が社会的弱者を排除してしまう側面を持ってしまうこともあるのではないか。福島の放射線を恐れているお母さんたちが声を抑え込んでしまうというのは、まさにその問題だと思う。」
「言葉を発することそのものに暴力を受けるのではないかと感じてしまう人たちがいる。そういう人たちを排除しないのが公共性ではないか。」
福島の復興を声高に叫ぶ、ある種の「常識」が別の少数者の声を封じてしまう。
そのマイノリティを排除する言説空間を「公共性」と名指すわけにはいかないでしょう。
この夏、「ヤクザと憲法」というドキュメンタリー映画を観ましたが、まさに社会の無法者ですらも法の下において平等に扱うのが、憲法の両義的な公共性です。
対話の「場」としての公共性においても、なおこうした声なき声を排除しないことを志向することは多様性を保証する上で必須条件です。

最後に年配の参加者から、貴重な問題提起を受けます。
「公共性はよくわからないが、キーワードは対話。飯舘村の自分の属していた行政区は対話ができなくてバラバラだったが、他の行政区では80%の集会参加率。親戚の血筋のつながりがものすごく強くて、腹を割って話していない。総会で意見を言っても、行政府が勝手にやってしまう。ディスカッションの時間が短縮され、議長がなるべく発言しないでくださいと進めていく。放射性物質の仮仮置き場も地権者が勝手に決めてしまう。対話がなくて公共性が成り立たない。私道と市道が入り組んでいる場所で対話ができない。公共性の認識が対話する以前から崩れてしまっている。対話しようとしても対話できない。対話がちゃんと成立して腹を割って話し合いみんなで理解し合って成立させていくものである。それが哲カフェのようにきちんと議論できる条件がない。だから公共性以前の問題がある。」

職場や地域社会の会議などで対話が成り立たないというのは、ある意味で日本社会全体が抱えている深刻な問題ではないでしょうか。
お任せ民主主義。
公共性が対話に基づくというのが、今回の哲カフェの一つの知見であるとすれば、そもそもその条件である「対話」の仕方を共有できなくなっているのが日本社会の根本的な問題なのではないか。
いや、そもそも日本社会に「公共性」など果たしてあったためしがあるのだろうか?
「公共性の認識は未熟。みんなで話し合って決めていくことが日本にも福島にも浸透していない。」
「公共性がある場や公共性のある人というのは? 個人として自立している人が多ければ多いほど気持ちのいい公共性が成り立つ。」
「公共性が保たれている場は参加して楽しい、そこに行きたいと思える。参加するためにはその場のルールを守るという意識がある。」
これらの意見には、これからの「公共性」の可能性が示されていると思われます。

最後に、個人的に最近知り合った若者から投げかけられた印象的な言葉を紹介します。
「激しい議論の末に破綻してしまうような場を公共性があるとは言えないでしょう。」
今回の哲カフェでは、そのことが「言い方」や「ルール」の共有を主眼に置かれてきたように思われますが、むしろ彼の言葉は、いかに「言い方」が激しかろうが、対話のルールを無視した発言であろうが、それを許容できない公共性など公共性に値しないというわけです。
愛知県在住の哲学カフェウォッチャーの方は、@ふくしまは参加者が安心して対話ができる場として成り立っていることが最大の特徴と称賛して下さいました。
それはとてもありがたい評価ですが、一方で「多様性」を本気で尊重する場を「公共性」の基準であるのだとすれば、そこに安住するだけでは不十分な気がします。
「公共性は創られるもの」という今回の知見一つに依るならば、まさにそれは「不可能な公共性」を目指してこそのもののはずです。
まだまだ哲学カフェでの「公共性」は発展途上なのだと考えさせられる時間でした。

第38回てつがくカフェ@ふくしま報告―「図書館とは何か?」

2016年08月21日 16時27分00秒 | 定例てつがくカフェ記録






県立図書館を会場として、「図書館とは何か?」を問う哲学カフェが終了しました。
参加者数は36名。
中には、青春18きっぷで愛知県より来られた方がいらっしゃるなど、図書館に対する市民の関心度の高さがうかがえました。
何より、図書館司書の方々にも多数ご参加いただき、専門/非専門の垣根を超えた対話が実現したことは、これからの哲学カフェの新しい可能性を感じたものです。

さて、対話は図書館の魅力について語られるところから始められました。
ある司書の方は図書館の魅力を「自由」と「継続性」というキーワードで示されました。
そこでの「自由」とは「多様な資料を選択できること」と「誰が来てもいい場」という意味であり、「継続性」とは収集・蓄積された資料を未来に引き継ぐという図書館の使命において用いられます。
この「自由」について別の参加者からは、「無料」で閲覧できる点や「資料の収集力」、「言論・思想・信条・表現の自由」という点が加えられました。

これに対して、果たして図書館の「資料収集の自由」はどこまで認められるのか、あるいは本当に図書館は自由なのだろうかという問いが挙げられました。
とりわけ著作権と予算という縛りの中で選書しなければならない不自由を司書の方から挙げられます。
これについて、ある高校教員からは県立高校の図書予算比が年間20万円しかない窮状が訴えられ、その中で何を読ませるべきかは悩ましい問題であることが語られました。
しかし、ここには教育上の配慮から選書することはパターなリズムであり、「自由」とは相反するものではないかという疑問も投げかけられました。
そして、そこには「選書」する権利は果たして誰にあるのかという重い問いも含んでいます。

犯罪被害者遺族が出版差し止めを求めたにもかかわらず発売された『絶歌』を公立図書館は購入すべきか
あるいは、『はだしのゲン』の閲覧利用を制限することは認められるべきか
そこには図書館側の「資料収集の自由」が、公権力として市民が知る権利を阻害する可能性があります。
これに対しては「情報の価値判断は利用者側にある」という意見が出されます。
つまり、価値判断は利用者=市民の側にあり、図書館は国立国会図書館のように価値判断を排して資料収集に努めるべきであるというわけです。

しかし、これに対して司書の方から「図書館の種類」によって役割の「すみわけ」があることが示されます。
すなわち、県立図書館には郷土資料や専門書をメインに、市立図書館委はわりと「売れ専」の書籍をメインに収集する役割があり、学校図書館には読書になじませる教育的役割が備わる以上、それぞれにおいて選書の基準が異なるのはありうることだというわけです。

ここで「図書館の役割とは何か?」という論点がクローズアップされます。
そして、今回の議論のもっともホットな話題となりました。



まず、図書館とはそもそも「社会教育施設」として「知る権利」を実現する場であるはずなのに、昨今のツタヤ図書館問題は、市場原理を導入させたがゆえに、この社会教育という公共性を喪失させていったと言う意見が挙げられました。
そもそもベストセラー本のように、売れる本は市場に任せればいいだけの話なのに、そこにわざわざ税金を使う意味はないのではないか、というわけです。
そこでの評価尺度は図書館の集客数でしかなく、そのことが結果的に人や本におカネをかけずに消費文化だけを推し進めるため、残すべき文化遺産が継承され得なくなると言います。

しかし、これに対して「なぜ図書館がレジャーランド化することがいけないのか?」という問いが投げかけられます。
なぜ、図書館が「楽しさ」を追求することがいけないのか。
売れる本=市民が選ぶ本であるとすれば、売れる本を図書館が選書することは正しい税の使い方ではないか。
そもそも選書に「教育的」という要素を入れる点が押しつけがましいのだという意見が挙げられました。

この議論では、まさに図書館が「自由」と「パターなリズム」のはざまで揺れ動いている様が示されています。
学校司書の方の中には、教育的に読ませたいという選書が、生徒の好みと一致しない葛藤の中で、常に揺らぎながら選書のスキルが問われていると言います。
この対立について、「両方あってもいい」と言いう意見が挙げられました。
図書館には質の高い文化を蓄積する役目がある一方で、学校図書館では「ラノベ」のようなレジャー性をきっかけに生徒の本に対する関心を拡げる段階的な教育的方法もあるだろうとのことです。

すると、そもそも図書館が収集保存すべき本とは何かという問いが生まれます。
なるほど、ベストセラーのように売れる本を図書館が購入することは否定されるべきではないでしょう。
しかし、他方でその耐用年数を考えた場合、果たして図書館で購入すべきかどうかは疑問に思うというところがあるという意見もあります。
むしろ、売れる本ばかりが出版されることになれば、学術図書のように本は出版されなくなるという出版文化の危機を招くとの指摘もありました。
その点でリアルタイムではなく、知の遺産の未来への継承という役割が図書館にはあることになります。

また、「図書館の歴史」について少し専門職の方から説明が欲しいという要望も挙げられました。
日本では明治初頭(1872年)に新聞縦覧所として制度化されたときには、新聞を共同購入して読み聞かせなどをする組織として生まれたと言います。
その時代には図書資料は保管され容易に貸し出しは為されなかったところ、1970年代に貸出・閲覧が図書館の機能として始められたと言います。
閲覧・貸し出しが割と最近のことであるというのは驚きでした。
また、学校図書館でも司書が配置されるのは近年のことであるということ、福島市では1976年に市立図書館設置運動が為されたことで市立図書館が設立された経緯についても話題に挙げられました。



こうした時代の流れにおいて、近年では電子書籍化が進んでいる中で、果たして「図書」という概念そのものが変容しているのではないかという疑問も生じます。
なるほど、「情報」という点では青空文庫のように、ネット上ではアクセスする機会が拡大しています。
しかし、デジタル情報に対する違和感は少なからぬ違和感が挙げられました。
そもそも本に書き込みをしたり線を引いたりする研究職のような立場からすると、本は所有の対象であり借りるものではないと言います。
何度も何度も同じ本を読み返しても新たな発見があるというのは、単なる情報収集の対象として本を扱うのとは異なる向き合い方です。
これについては、「出会い直し」の経験を可能にするほんの「モノ」としての価値があるという意見が挙げられます。
高校生を相手にしている方からは、スマホ文化の浸透がウィキペディアを調べれば「わかった気になる」意識を蔓延させていると言います。
これに対して本の「出会い直し」の経験を何度も繰り返すことは、他者と出会う経験でもあり、その人の選書力を鍛えぬく意義があることも示されました。
その意味で言うと、単なる資料提供から学ぶための場としての図書館、自己教育の場としての図書館という姿が浮き彫りになります。
そのことが民主主義の基礎となる、個人の自分で考え判断する素養を育むというわけです。

最後に、「居場所」としての図書館についても議論になりました。
家庭に書籍がない子供と読書をしない傾向の関係性にふれながら、そのような子どもたちを以下に図書館に足を運ばせ、読書にふれさせられるかが図書館の課題として挙げられます。
「ホスピタリティ」というキーワードが図書館の存在にどのように関わるか。
もちろん、レジャー性がなければ図書館への来館も促せないでしょう。
しかし、ツタヤ図書館がいかに話題性を呼んでも、それが全国に広がれば、結局はレンタルショップとしてのツタヤ同様、どこでも同じサービスを受けられる画一的なコンビニ化にしかならないのではないでしょうか。
それに対して、むしろ地元の特産品を売りにするような地域的な資料収集などの特性を前面に押し出した図書館こそが、最終的には個性を売りにして人を集める場になるのではないか、という意見が出されました。

今回は図書の専門家である司書の方々と、一般市民がそれこそ対等に話し合いながら、お互いがそれぞれ見えない点を共有できた貴重な機会となりました。
図書館の発信力も取りざたされましたが、むしろ図書館側の一方的な情報発信ばかりに依存するのではなく、市民同士がこうした対話を通じて図書館をエンパワーメントする機会を増やしていくことが肝要なのではないかと考えさせられました。
こうした機会をまだまだこれからも創り出していきたいものです。

第37回てつがくカフェ@ふくしま報告―「〈不倫〉はイケナイのか?」―

2016年06月06日 09時39分15秒 | 定例てつがくカフェ記録
2016.6.4 「不倫はイケナイのか?」 参加者19名

まずは「不倫」とは何かと共通認識を図るところから会は始められました。

「結婚している男女が他のパートナーや異性と恋愛関係になるのが、いわゆる「不倫」です。肉体関係を含むと性的サービスのお店に行くのとどう違うのかという問題があるので難しいけれど。」

「肉体関係があるのは「不倫」です。不倫は結婚していることが前提で、結婚は「一生、君だけ」という約束があるものですが、そういった約束を交わした相手と違う人と同等の関係を結ぶのが不倫です。」

「何が「不倫」でそうではないかというのは、異性間かどうかは関係のないことです。結婚をしていようがしていまいが、合意の上でステディの関係にあった場合にそれ以外の人と関係を結んでしまうことが不倫です。ただし、パートナーが「自分以外の相手と寝ても構わない」と許したものであれば不倫と呼ばないのではないでしょうか。相手に秘密にしているということが不倫の不倫性を際立たせるものだと思います。」

「最近の女性誌に「セカンドパートナー」という言葉をよく見つけます。これは夫婦同士でも自分のパートナー以外に、色々な面でのパートナーがあって、家族に相談できないような話や、家庭に持ち込みたくない話などを交わせる心の許し合える相手のことを指すようです。ただし、その関係には肉体関係を持ってはいけないよという約束があります。なので、「不倫」には肉体関係の有無が関わってくるんじゃないでしょうか。」

「秘密性というのが「不倫」の条件に挙げられましたが、セカンドパートナーについては、結婚相手に明かすものなのでしょうか?」

「できれば、公にしておこうという風に言われるようです。結婚相手に公にしている肉体関係のない恋人と言えばいいでしょうか。」

「「不倫」の定義的には配偶者がいることが前提にあります。昔は不義密通と呼ばれました。人によっては肉体関係だけではなく精神的な浮気も不倫と捉えるでしょう。その相手に会って「大好きだよ」というだけでも「不倫」。肉体的かつ精神的な関係をもつのも許せないという人もいますから。結婚相手の感情次第で「浮気」なのか「不倫」なのか「遊び」なのかが決まるのだと思います。」

「昔は「不倫」という言葉はなかったはずです。私が子どもの頃は、皆さん堂々とやっていました。お妾さんと本妻が一緒の家で生活していたという形もあり、独り身の女性の家に男性が通っているというのが、緩い関係として割と日常的にみられる時代がありました。誰が「不倫」って決めたんですかと思っています。誰目線で「不倫」となるのでしょうか。」

「誰の目線かというのは二つあって、当事者同士の目線でと、法的な視点で「不倫」とか姦通罪というのがあるのですが、肉体的な関係か精神的な関係かはそれほど関係ないと思います。」

「「不倫」と「浮気」の違いは結婚の有無が前提になっているけれど、いま話題に上がったように、社会制度や時代が違うとその意味も変わるので「不倫」は普遍的に定義できないと思います。人の気持ちの部分なのかな。法律上は不貞行為には肉体は入るけれど、肉体関係を一度もったくらいでは認められないのが通例です。」

「「いまの日本において」という風に限定して考えてみた方がいいのではないでしょうか。浮気と「不倫」は違うかというと、浮気は個人と個人の裏切り関係に近いのかな。「不倫」というと世の中に共有される倫理から外れているというイメージです。法律的に「不倫」という言葉はないので、そのときの一定のこうすべきという約束事から外れるものに過ぎないのではないでしょうか。」

「浮気と「不倫」の違いはほとんどないと思います。一夫一婦制の結婚制度下で恋愛関係も一夫一婦制を規範のモデルにしているに過ぎないのだと思います。」

「法律的に絡めば結婚制度の問題になるけれど、浮気も恋愛関係でもやられた方はダメージはある。お互いが合意していれば、裏切られると傷つく点では結婚の有無は関係ないと思います。たしかに浮気は個人間の問題で済ませられ、結婚していて不倫する場合は社会的に影響はあるという点で違いはあるけれど、裏切られて傷つくという点では本質的には変わらないと思います。」

「これまでの議論を聞きながら「不倫」を定義できるかというと、やっぱり無理だという風に思いました。どこか他人を責めたいときに「不倫」が発生したり、あるいは自分の振る舞いを律しようときに「不倫」の定義が必要になるのではないでしょうか。そうであれば、「不倫」とは何か?」と問うよりも、「もし「不倫」を責めるんであれば、何を根拠に責められるのかと問うた方が見えてくるものがあるのではないでしょうか。」

「たしかに、「不倫」を定義するのは難しいという気がしていますが、そもそも不倫は1983年の金曜日の妻たちというドラマ以来生まれた言葉で、それほど古くないんです。マスコミが新しい言葉を作ったときにきちんと定義していればよかったのでしょうが。ただ、法律的には不貞行為として法的に責任は問えることになっていますので、言葉の定義というよりは、結婚も恋愛も一対一の関係にあるべきだという規範をどう考えるのかと問うことはできるのではないでしょうか。」

「日本の場合、結婚は一対一に向き合うことになっていますが、私自身は結婚していても別なパートナーを選んでもいいんじゃないと思っています。結婚する前には、複数の人とオープンにつきあうことを認めようというポリアモリーという考え方は素敵だなぁ、と思っていたのですが、いざ結婚すると夫との関係性が枷になりました。つきあい方には多様性があってもいいと思っています。」

「結婚するときは相手を束縛したいし、相手にも束縛もされたい、そういう人と結婚したいものです。その感情をお互いフラットにしようというのは、なかなか一致せず、無理があると思います。」

「僕もデーティングピリオドという欧米にあるやり方はいいなと思ったことがあります。これはステディな人をみつけるまで肉体関係を含めて色々なパートナーシップを試していくシステムですが、一人に絞りたいというか、相手も自分も複数の相手とつきあっていけるかというと、そうではなく束縛したいという感情をもつのが自然だとは思います。問題は、問題はこれが長続きしないかもしれないという点です。結婚は制度的にこの感情を縛ってしまっているけれど、一対一になりたいというのは感情的にある一方で、それが続かないという問題をどうするかということを考えてみる日打つ用があると思います。」

「その感情はなんと呼べばいいのでしょうか?」

「独占欲。」

「縛りたいという感情は嫉妬と呼んでもいいかもしれませんね。」

「じゃあ、イスラームや英語圏、アフリカ世界でも「不倫」はあるのか。一夫多妻の人たちにもそういう感情は持ち合わせているのでしょうか?イスラームは一夫多妻制を認めているでしょう。」

「イスラーム世界において一夫多妻は無条件に認められているわけではなく、セックスでも経済的にも愛情的にも、すべての奥さんを等しく満足させなければいけないとコーランで規定されているので、相当厳しい縛りがあり、実際は複数の妻を持つムスリムはいないというのが実態です。」

「江戸時代には夜這いをして一人の女性に対して複数の男性と交わって、誰の子かわからない。一妻多夫の世界だと財産を持っていないから、父親誰だかわからない社会では逆にみんなで育てようということになることがあります。」

「戦前の日本では事実上、女性のみ姦通罪の対象となり、戦後は民法上不貞行為が離婚の理由になっています。」

「私の前の夫もおつきあいしている女性がたくさんいらしたのだけれど、私は嫉妬というのがなくて、夫が第一婦人という地位を確立してくれていたことに満足していました。家族を第一に考えてくれていれば、特に嫉妬とかそういう感情は生まれませんでした。」

「そもそも「不倫」はいけないことなのかと考えると、何が「不倫」で何が「不倫」じゃないかと考えた時に、その人の行動を制限することだと思うんです。でも、それこそ人の行動制限することなんて、世の中様々だし、個人レベルでも様々でしょう。「不倫」の多様性があって、「不倫」の定義が多様化した方が彩のある世の中になるんじゃないかな。だから「不倫」は悪いことなんだけれど、いいことなのかもしれない。」

「自分に「不倫」という感覚をもてないのはなぜかというと、みんなとつきあえたら最高だなと思っているからなんだと思います。もちろん、若い頃には独占欲も味わったりもしました。年とっても一緒になれているのは最高だけれど、そこまで感情が持続しない問題をどうするかというのと関係しますが。私の場合、友達結婚だったので、始めから一緒に添い遂げなければいけないという義務感は薄かったと思います。だから、子育てなど義務を果したらいったん夫婦は解散した方がいいと前回発言したのはそのことと関係します。みんな幸せになりたいと思って生きていると思っているんだから、お互いが納得できる選択を尊重できる社会になればいいんはないかな。」

「性交渉の話も含めて、性風俗産業の利用に関しては「不倫」に当てはまるかもしれないのに法的にはそうはならないのが気になりました。もう一つ、男性のマスターベーションも嫌だという不倫感覚をどのように考えるべきでしょうか?」

「性風俗はその時の性衝動を処理したいという問題であって、心の交流を求めていくのは、人の道に外れた感じがするということではないですか。風俗嬢に性衝動の処理を求めていくのは許せるけれど、個人的な愛情を求めに行くのは許せないという感情の問題だと思います。」

「日本には売春防止法があるので法的に認めているわけではないですよね。表向きには認めていない。けれど、実態として風俗産業を認めています。」

「相手に秘密にしているという問題があったけれど、先ほどの第一婦人の話はオープンにしていたから問題が生じなかった。やはり、オープンか秘密かというのは重要な要素なのかもしれません。」

「恋愛の独占とか排他性が出たので、聴きたいのですが、自分が第一婦人であるという自信がなければ語れたでしょうか。」

「そうですね。でも、二度目の夫のときは結婚していたにもかかわらず、私の位置は二番目だったので、そのときは悔しい思いをしました。」

「パートナーの人がどう思うのかが大事だと思います。絶対にお互いに相手はひとりと誓い合ったわけではないけれど。」

「「不倫」はどっからがいけないと決めるのは、所詮、第三者的なワイドショーネタでしかないでしょう。」

「乙武氏のケースを見てもパートナーの考え方次第で世間の納得の仕方が変わりましたよね。だから、相手の考え方次第という側面はあるのではないでしょうか。」

「でも、ベッキーのケースを見ていても、いつも女性ばかりが「不倫」を責められる構図になっています。乙武氏の「不倫」問題のケースのように、男の場合は妻が納得すると世間も納得する構図がありますが、それはフェアとは言えないと思います。」

「けっきょく「不倫」を定義するのはワイドショーだけではないでしょうか。」

「問題はマスコミの質なのではないかというのは、そのとおりだと思います。むしろ、「不倫」は当事者間で問われることで、社会の倫理を犯したとかそういうレベルの問題ではないと思います。だから、お互いが納得している関係であれば問題にはならない。むしろ、それをお互いに尊重し合うことで多様なパートナーシップが実現する社会にならないかな。」

「マスコミが不倫を取り上げるから実際以上にみんなが騒いでいるという理屈は、半分はその通りだと思うけれど、そうとも言い切れない面も残るのではないでしょうか。私自身は「不倫」を責める気も関心も全くないのだけれど、しばらく考えていたのですが、もし僕の親友が配偶者の「不倫」によって辛い思いをしていると知ったときには、私は親友の妻に対して悪感情を持ってしまうと思います。こうなってしまうのは、なぜなんだろうと思うのです。」

「最近読んだ本の中で、アナーキストの大杉栄と伊藤野枝のような関係が友情とも情愛とも混在している複雑な関係性が表現されていました。一概に夫婦だから愛情をもって接しなければいけないとか、友情だから性愛関係を抜きにしなければいけないとか、そんな単純な関係性では割り切れないのが人間であることを考えさせられたものです。その相手とのかかわり方が大切。婚姻以外の恋愛は宿命的に誰にでもあるんだろうな、友情に近い感情で結びついたのは配偶者はつらいだろうな。そんな風に考えました。その昔、映画「マディソン郡の橋」が多くの主婦たちの共感を集めましたが、彼女たちはふだん人格が認められない女性たちばかりだったように思います。そんな女性たちが夫以外に自分の存在を認めてくれる男性に惹かれるのは、単に性的な魅力だけで引かれるのではなく、人間の存在として認めてほしいという願望がシンクロしたのだと思います。一方、男性には「不倫」がないわけですよ。ベッキーもそう。理想としては婚姻に縛られない社会になった時に男女ともに生きやすいパートナーシップになるんじゃないかな。」

「オシドリ夫婦は二人だけの世界に閉じて、人間関係に対して貧しいといっていたラジオ番組のことを思い出しました。そういう意味で言えば、浮気は人間関係が豊かといえるのではないでしょうか。SNSのように「ともだち」の数が多い方が人間としての価値が高いと認める社会になれば、そんな浮気な関係も人間関係が豊かだという指標になって認められていくかもしれません。」

「色んなつきあい方の形があった方がいいと思いました。これが一つのつきあい方だという形を卒業して、個人でこう思うからという生き方を選ぶ方が豊かな社会になるのではないでしょうか。」

「個人の独立性とか自分が持っている自由とか、自分が幸せになっていく互いに尊重し合えるからこそ許し合えるという縛らないという関係の理想像があるんじゃないかな。共同体の中でみんなで育てるというコミュニティのように、お互いの自由独立性を尊重し合う中で人を育んでいく世界がいいな。」

「社会的に見て「不倫」のいい悪いは決めないけれど、親友の妻の「不倫」問題をどう考えるかという場合ですが、たしかにメディアがマイノリティや弱者の立場に立ったつもりで書くから極端な批判をしている姿に対して、「世の中そんなに割り切れないよね」と思いたくなる。けれど、関係の近しい人には、その悪感情というか攻撃性が働いてしまいます。」

「なぜでしょう?」

「近しい人の方が感情を移入してしまうからではないですか。友達側の情報量がたくさん入る一方で、不倫してしまった妻側の情報は入らないから、なおさら親友の側に立って攻撃的になってしまうということです。」

「子どもがいると、両親には「不倫」してほしくないと思います。「不倫」するしないという場合、当事者だけの問題だけではなく、第三者として「子どもの」存在が大きな比重を占めるのではないでしょうか。」

「たしかに20年前に離婚の危機があった時、娘に「学校を卒業するまでは離婚しないで」と言われたときには、その選択はやめましたね。」

「これまでの話をまとめると、「不倫」は当事者間の問題であり、世間がどうこう批判できる問題ではないことがおおむね了解されていたかと思います。その際に、結婚の有無や秘密にするかオープンにするかという要素が「不倫」を規定する条件として共有されていた気がしますが、最後の方には、むしろ自分とのパートナーシップ以外の関係性をお互いに尊重し、認め合うことで多様な関係や社会性が形成されることを望む声が多かったと思います。では、その多様な関係性を認め合うことを求める方々に聞きたいのですが、自分のパートナーに「それは傷つくからやめて」と言われたらどうするんですか?」

「私の場合、それは夫との関係が冷えたときに別の魅力的な男性が表れて、そのことを率直に夫に伝え、だからあなたも別の素敵な女性が現れたらお付き合いしていいよと伝えました。すると、不思議なことに夫にも別のおつきあいする女性が現れたんですね。だから、個人的な体験から言うと、それはそうなればうまくいくというか…うーん、何をいいたいかわからなくなりました。」

終了時間になったため、議論はここで終了となりました。

第36回てつがくカフェ@ふくしま報告―「わたしにとって〈哲学〉とは?」―

2016年04月10日 09時32分46秒 | 定例てつがくカフェ記録
テーマ:「私にとって哲学とは?」 18名 場所:イヴのもり


●ストレートなテーマだけれど、自分で考えてみると、これまた難しいなと思い2,3週間考えていました。
朝日新聞で鷲田さんの折々の言葉を書かれているけれど、それを読んでいて、自分にとって哲学とは一つの答えは、自分がいま、今日存在している、生きていることに対する答えをほしがっている自分に気付いた。自分が生きていることへの応答、でもあり、その答えを問うものだなという答えにたどり着きました。

●私も問いかけという言葉がひらめいたのだけれども、自分にとって一番何が大切かと問いかけることが哲学じゃないかな。対象が自分自身ということもあるし、他者や社会全般ということにもなるけれど、そして自分の中に価値観を創り出して行動していくことが哲学になるのだと思います。

●わたしにとって哲学とは、他人を理解し、寄り添う能力を高める魔法の学問です。わたしが仕事上で関わる病気で、幻覚や幻聴の症状が著明な方がいます。最初の頃は、その方といるのが苦痛で仕方ありませんでした。何を考えているのか、なぜ声かけを無視するのか、なぜ硬直しているのか、なぜごはんを食べないのか。もしかしたら介護拒否なのかなって、行動のすべてが全くわからなかったんです。
その方の病気をたくさん調べて勉強しました。そして医療的なケアの部分はある程度は理解しました。
それでもその人との関係性は深まりませんでした。わたしはその方のこと嫌いになりそうで、なるべく避けたいと思うようになりました。
でもあるとき、食事を提供しようと用意しているあいだ、着席して待っているその方を何気なく見ると、何もないテーブルの上をティッシュで軽く叩いていたんです。まるで虫でもつぶすみたいに。わたしは近寄って「虫いたの?」と聞いて、どうせ答えてくれないから勝手に虫退治の手伝いをしました。見えないけど。そうしたらその方が、わたしが叩いていたより30cmくらい逆方向を指差して「そっちにも」と言ってくれたのでした。見えねえよと思いましたが、わたしは嬉しくて、ずっと叩きました。しばらく指示どおりに叩いていたら虫はようやく全滅したのか、初めて「ありがとう」って言ってもらえました。とても嬉しくて楽しかった記憶です。
その方には感じて、わたしにわからない、そこにいる虫や小人。でも、わたしには感じないというだけで、果たして本当にこの世界に存在しないと言えるのか。わたしが見えているその雑草だって、もしかしたらわたしの頭が勝手に作り出した映像かもしれないのに。
好きで参加していたてつカフェと自分の職業が初めてつながった時でした。その時にわたしは、きれいごと抜きに「この人の人生に寄り添える!」と思いました。その方がいると言うなら、わたしに感じるか感じないかは関係なく、いるでいいじゃないか、と。
それ以来、その方と過ごすのが楽しくなりました。毎朝「おはよう、わたしの顔みて!わかる?」と聞きます。そうすると「あなたはわかるけど、あの天井にいる人は誰?」と聞かれます。場所は天井じゃなくタンスの裏のこともあります。わたしは「誰だかわかんな〜い」と答えます。いるらしいので、いないとは言えません。見えないけど。ときどき、わたしのこともわからないみたいです。オペラ座の怪人みたいなマスクがついている日があるようです。そういうときは硬直したまま動かないので、顔を見ないでしばらく自分1人でおしゃべりしたり歌ったりします。
そんなふうに、彼女の見え方が日々わたしと全く違うことをすんなり受け入れられたのは、てつがくカフェで培った習慣のおかげだと思います。たまに本当に突飛なことを言われ困惑はしますけど、その人がわたしと同じ見え方をしていないことが、わたしには不安ではないのです。それがわたしにとっての「てつがく」の魔法です。

●存在への応答というところへ述べたので、今の意見にある他者へ寄り添うという応答という意見に僕ちょっと感動しちゃった。

●私は生きづらさとは何かと考えていた時に、語られうるものではないんじゃないかと思っていて、もしかしたらこの場に行ければそのことをかたりあえるんじゃないかと思って参加していました。言葉にならないものを言葉にする過程になのかなと思っていました。自分はどう思っていても他の人たちはどのように物事を見ているのかなと思って参加しています。

●僕は哲学をやって生きやすくなったなと思っています。哲学というのは一つは何でもいいから根本的に疑ってかかることだと思っていて、それは普通はしない。普通は常識を身に着けて大人になっていくものだけれど、常識にがんじがらめになっていたものを疑ってかかって、生きづらさが解消されているなというのが一点です。もう一点は、哲学を勉強し始めてみると、難解な哲学者がたくさんいて、哲学体系を作り上げて、そのあとにすぐぼこぼこにされる。哲学の歴史を見てみると、これしかないよという歴史を見ていると正解はないんだねということを知って楽になったかなと思っています。

●私も若干哲学の先生のところにいたんですけれど、人それぞれの悩みや常識を疑う空間が、だったので、私も田舎の常識が嫌で首都圏の大学の倫理学を受けて、パーソナルイズポリティカルという、個人の悩みは社会の問題になるということ、その常識を疑うというが好きでした。一般企業に入って考えないで生活できれば楽なんでしょうけれど、考えるようになっているというか、疑うことはしているように生きています。

●生きづらさと同じことだと思うんですけれど、若いころから世界への違和感があちこち自分の中にあって、それほど深刻なことはなくきたんですけれど、40代の時に、この世界の仕組みとか人間の仕組みってどうなっているんだろうと思い始めたんですね。それを自分で調べ始めたら、たくさんのブロックのボードゲームみたいなのがあるとしたら、次はこれが見えた次はこれが見えたという風に全体像が見えてきたら、とても楽になった。楽になって、自分の中に余裕ができて楽しさにもつながってきた。次はどのボードが見えなくなっていくんだろう、と自分の中の何かができてきて、それがボードのどこかとうまく合ったときに、ああこれかと。こういう場で私と違う人がいろいろ教えてくれることで、自分の哲学が愛と知という風に理解すると、他者の違った意見を自分に取り入れていくと自分の狭い見方がよく見えてきたという喜びがもたらされ、これから何が見えるんだろうという楽しみがあります。

●哲学って自分だけで突き詰めていくイメージがあるんですけれど、この場は他者の意見を聞きながら考えるという点で、そのイメージとは異なるものでした。

●来月でてつがくカフェ@ふくしまは5年になりますが、哲学を専門に研究していると自分で研究しているときは、それこそ自分で考える営みだったものが、やっぱり哲学カフェとは異なる。それがどう違うのか、どうつながるのかというのは、興味深いなと思っていました。なので、哲学とは何かという問いもそうですが、哲学カフェとは何かという問いについても話し合えればありがたいです。

●子供のころから人生とは何かとか考えていて、こんだけ考えているのは自分だけだろうとと思っていたんだけれど、そしたらみんな考えているんだなと気づいて、自分で考えたことは誰かが考えていることなんだなと思った。みんなこういうこと考えていたんだということを知って、安心したというか。

●「みんな」というのは誰?

●もちろん、先人とかだけれど、哲学カフェに集う人もそうです。

●それ以外の人は考えていない気がするんだけれど。

●どうかな。「みんな」って結構広げられる気がするけれど。

●私も高校時代に何のために生きるんだろうと考えて、武者小路実篤なんか読んだ気がする。

●僕が大学生のときにオウム真理教の地下鉄サリン事件があったんだけれど、あの時のオウムの若者がなぜ凶行に走ったのかというのは、直感的にわかる気がしたんですね。バブル崩壊後に学生生活が始まったとはいえ、大学はまだまだレジャーランドの雰囲気があって、それこそ『人生とは何か?』みたいな話はお互いに野暮な話だとして、話せる雰囲気がなかったんですね。でも、そういう問題を真剣に考えていきたいという若者が、オウムのような団体に回収されていったという問題は、実感としてわかる気がするんです。

●僕は大学時代にS学会という宗教団体に入信したことがあるんですね。僕は社会思想を研究したいと思っていただけなんだけれど、話を聴いて入信しちゃったんだけれど、別に悩みや生きづらさや苦しさを感じてはいったわけではなかったんですね。いいことがあったら前世の徳だと説明され、悪いことがあっても前世の魔と説明され、それってどっちに転がっても説明できるじゃんと思ったときに、脱会することができたんです。この経験を通じて、信じると疑うこと、答えをくれるのが宗教であって、それは信じなきゃいけないのが宗教だけれど、哲学はどんな大哲学者でも疑いをかけていく。最後の最後は信じるのか疑うのかというところで異なっていると思います。

●哲学やったことないので、哲学って何といわれると困るんですけれど、自分の中に最低3人の自分がいて、賛成する自分と反対する自分と斜め上から見る自分がいて、脳内会議をやって、答えを出すときってその3人4人の自分を統合する作業が哲学だと思っています。哲学カフェって普段無意識でやっているからあまり考えないけれど、ここは脳内会議を発展させられる。ここで発散するスポーツみたいなものだと思います。

●感情で動く、賛成反対によって脳内が動くだけではなく、社会的な立場で脳内会議が変わる自分がいる。つまり、自分の中でいくつか分かれていて、自分の場合答えが出なくて、それがすごく疲れちゃうんです。その時に哲学をすると楽になるとおっしゃっていましたが、常識的に考えれば楽なのに、苦しんじゃうのでここにきてその苦しみをみんなで共有したいのです。

●自分がいま置かれている状況から距離が置ける。一瞬当事者から離れられて、楽になれるという面があります。

●もしかすると、自分中心に考えちゃうから疲れちゃうのかも。

●逆に、自分のことを考えていると楽じゃないですか。他者のことを考えるとつらくないですか。

●自分のことだけ考えているときだけは楽だけれど、私は哲カフェに安心感を持って参加できるのは、自分のことだけを考えなくて済むというか。ここにくるとみんな変だから、安心できます。社会に適応していかなきゃいけない自分から解放されてここにいるときはすごく楽です。

●ここのカフェに通い始めて間もないのですが、私も学校では保健室で過ごした時間が長くて、保健室はいじめっ子といじめられっ子が一緒にいてもトラブルが発生しなかったのだけれど、それに近い気がしています。哲学ってなんだかよくわからないけれど、それでも居心地が悪いわけでもなく、なんとなくいられる。何かを得られるところが安心していられます。

●今のなんとなくいられるって、いい言葉ですね。ここでは話さなくてもいいし、場を壊す発言をしてもいいし。

●保健室の居心地の良さというのは、色々な意見があることをゆっくり思わせてくれる。そのままでOK、いていいというのが愛だと思うので、哲学の愛知ということと結びつくのだと思う。そういう組織が理想だと思う。

●これまでの意見というのは、とても肯定的で哲カフェの世話人としてはとてもありがたく思います。でも、一方で哲学の世界では、哲学カフェなんて哲学じゃないという人だっています。それで、あえて問いたいのですが、それは色々な意見が許容される空間といっていながら、誰でも参加を拒まないと言いながら、ほんとうにそうなのか。僕はそれを公共性という言葉で表現してきたけれど、じゃ誰でも参入可能という意味での公共的な空間はありうるのか、という問いです。たとえば、ヘイトスピーチのような人たちでもこの場にきて対等に対話することは可能かいう問いです。

●哲学の大学院というのは、きっちりつめて戦って自分の解釈を戦わせる議論の場なのですね。それが哲学の場だと思っていたんだけれど、これはこれ意味があって、哲学の出発点は対話だと思うから、とことん議論しあうと、それはそれで哲学のイメージに近づくんだけれど、これはこれでありかなとも思うんですが。

●そもそも公共性なんてはありうるのかと思いました。結局、公共性はあり得ないんじゃないかと思って、こういう場も含めて、こういう場に集まった人。それぞれの場が色々あって公共性なのではないか。こういう場の一つ一つの集合が公共性なのかなと思う。

●哲学カフェは福祉とか社会からこぼれた人が力をえられる場として意味があるのだと思います。どうして公共性でなければいけないのか意味がわからない。

●僕が哲学カフェを取り組むときには民主主義の危機という問題意識があって、民主主義の原点であった古代ギリシアのアテネに憧れがあって。もともと僕は公共性というのはとても大事だと思っていて、みんながとことん語り合って、何かを作っていく場を作りたかったということがある。あるべき民主主義社会につながっていってほしいと思うんだけれど、哲学カフェはそこにつながることがあるんだろうかということも思いがないわけではない。この先民主主義の再生はありうるんだろうかと思うところがあります。

●私は公共を念頭に哲学カフェが終わった後に、それが実践できるかを考えてしまう。「保健室」を出てからその先なんですよ。そこを出て何ができるか。先ほどオウム真理教事件の話がありましたが、私の場合は秋葉原事件に同情してしまったのです。民主主義が崩壊したとおっしゃっていましたが、それは対話がなくなってしまったからだと思うんです。対話がなくなったところから、それをどう再生できるかという点で、哲学カフェはとても画期的だと思ったのです。公共の場に戻ったときに、そこで哲学があるんだなと思ったときに、情があって考え方の多様性があってと考えることができる。哲学と哲学カフェの違いというのは、哲学はアカデミックな世界ですが、哲学カフェは情を感じることができる。文字は見えないんだけれど、それを言葉の端々から感じることができる。哲学カフェにはテーマに自分で考え、対話し、明日から実践に移そうという気持ちになれることが、この場の一番いいところだなと思いました。

●聞くということは、聴きあうということはそれぞれの存在を響かれるということ、それが心地よいんです。自治会でもPTAの中でもこういう対話を実践したいんだけれど、疑義を提示すると変な奴だと思われる。そうじゃなくて、色々な意見を交わしあうことで成熟して結論を出すのが民主主義。

●ハワイにも、ホーポノポノという昔から伝わる哲学があるんですけれど、みんなが同じ立場になって意見を言い合いましょうという文化があるんだけれど、日本ではそれが成り立たない。それぞれが意見を言い合える場を持つというのがとても難しくて、いつもそれを引き出せなくて悩むことがあります。みんな実は、話し合うのは面倒くさいし、誰かの指示に従った方がいいと思っているんじゃないかな。

●僕はそれは慣れていないだけだと思う。

●僕も慣れの問題だと思う。公共性という話になったけれど、哲カフェのルールに賛成できる人たちが参加できるだけだから、これは誰に対しても開かれているんじゃないかな。

●先ほど上げた哲学カフェの公共性への問いかけに関してです。そもそも哲学と民主主義のあいだには折り合いがつかないという問題があります。先ほどから上がっているように、哲学は社会の常識をラディカルに問うわけですから、そもそも反社会的な側面があります。それが民主主義とどう折り合うのかという問題がありました。でも、僕はその哲学のラディカルさは民主主義を支える上で結びつくと考えているんですね。だから、この場そのものを問い直すことだって、むしろ必要なことだし、それがなくなってしまえば単なる同質集団に過ぎないのではないか、ということです。問題は、この場が理解できない他者を排除していないだろうか、という問いを持つということです。それに疑問を付さなければ、多様な意見を保障すると言いながらも矛盾を犯さないだろうか、という問いです。先ほど、この場は参加者の意見の言葉から情を感じるという意見もありました。僕もそれは賛成します。けれど、情というものがこの場を結びつけるのだとしたら、それこそ同質集団になってしまうのではないか、という問いです。

●聞くということは相手を認めること、というのは気づかされたことで。ルールが公共性を担保するというのはその通りだなと思うけど、国会はヤジがひどくて聞きあおうとしないことが民主主義の崩壊につながっているんだと思う。聞くというができて、それは向こうにも聞くということができて、それが民主主義の再生につながるのかなと思っている。

●なぜ、意見が違うから話せないというのがわからない。

●ヘイトスピーチという話もあったけれど、いかなる団体組織があったとしても、どうしてそういう過程になったのというところに関心があります。彼らと対話することは大事だけれど、ともに考えるというヘイトスピーチという風に考えない方がうまく対話ができるのかなと思います。日本人は何かに所属していたい、守られていたい、というところがある。彼らの正当性を聴く側がどのようにしてとらえるかが大切だと思います。

●オウムもそうだけれど、どうしてそこまで行っちゃったの、というその前の時点で何かをできることがあったのでは。個人として尊重されることが成熟していないと、いけないんじゃないかな。

●個人が尊重されるということで、一人の人間として失敗することをフォローする度量があって初めて民主主義であり、公共性であると思う。

●ヘイトスピーチを悪と決めつけないのは大事だけれど、信じる人というのは信じない人を拒んでしまう。民主主義では100パーセントの答えはない。50パーセントの民主主義。

●100パーセントを目指さない。それでは全体主義になってしまう。

●もちろん、そのとおりですね。僕はヘイトスピーチの考え方をまったく理解できないし、賛成できない。だからといって自分が100%正しいというつもりもありません。僕の方が誤っていることだってありうるんじゃないか。それが前提にあって対話が求められるのだと思います。

●なぜ対話をするのか?先ほどからヘイトスピーチの人でも参加できるかどうかという話題が上がっていましたが、なぜ、そこまで対話を求めるのでしょうか?

●それは理解したいからです。先ほどの意見にもありましたが、なぜ、彼らがそういう思考にいってしまったのか。それを理解したいからなのだと思います。

●それと、人間は変わるかもしれないということもあるよね。お互いに理解し合えないかもしれないけれど、もしかしたら対話を通じて人間は変われるのかもしれないということだよね。

●それもありますね。それに関して言うと中国帰還者連絡会が例として興味深いです。彼らは、中国の撫順戦犯管理所に 戦争犯罪人として抑留されていたときに、日々自分たちが戦時中に中国において何を為したかを対話と反省において自覚していったといいます。もっとも、彼らは戦後日本へ帰還した際に中国共産党に洗脳されたとバッシングされたわけですが、その当時は自分が正しいと思っていたことが、誤っていたということに気づくという点では変わりうるという点に希望を持つということはありますね。だからといって、相手の考え方を変えたいというわけではありません。相手も自分の考え方も「変わりうる」という可能性があるからこそ、対話が存在するということなのだと思います。

●対話するときに、自分の枠を持っちゃうと、枠対枠との戦いになっちゃうと思う。もし、その相手がイスラム国に参加しているとなると平等な対話ができない。だから、ヘイトスピーチの人とか、イスラム国の人といった枠を外した対話の中で、その人を理解していくことが大切だと思います。

●今までの議論を聞いていてもやっぱり意味が分からない。なんで、この場に公共性が必要なのか。ヘイトスピーチの人たちだって理解されたいと思っているわけじゃないと思います。だから、彼らを理解しようなんて傲慢じゃないですか。別に彼らがこの場にくる必要もないし、この場で話が通じる人たちで理解し合えるだけで十分じゃないですか。哲カフェの場が常連ばっかりになって、なれ合いの場になってきているからといって、それで哲学カフェを辞めるなんて話には納得がいきません。

●この場を共有できている人たちの考えは理解できるという態度こそ傲慢だと思います。僕は理解できない他者だからこそ、理解したいと思っているだけです。それから、この場が同質集団になってきているから哲学カフェをやめるなんて話は、どこから出てきたのですか?まったく意味が分かりません。

第35回てつがくカフェ@ふくしま報告―「〈名づけ〉とは何か?」―

2016年02月14日 10時27分09秒 | 定例てつがくカフェ記録
世話人・杉っちの長男誕生を祝して開催された第35回哲学カフェは、「〈名づけ〉とは何か?」をテーマに15人の参加者による対話が交わされました。

まずは、そのご本人から息子の名づけにまつわるエピソードの紹介から始められます。
杉っちによれば、当初、名前には大して意味はないのだから、男の子だったら「太郎」、女の子だったら「花子」にするつもりだったと言います。
名前を重要視しない理由について彼は、名前で人生が決まるものでもないし、むしろ名前はその人の成長や生活の過程で意味づけられていくものであるからだと言います。
ただし、あまりにも変な名前を付けては、その子がかわいそうなところもあるので、適当にはつけられないという思いに至り、最終的には「陽樹」と名づけたとのことでした。
呼び名は「はるき」です。
これに関して、別の参加者から名前は亡くなった後にも継続して使われたり、「名を残す」という意味ではその人の生き様や生前に築き上げたものを事後的に表すものとして、やはり初めの意味付けはそれほど重要ではないとの意見が挙げられました。

これに対して、最近の流行の名前というのは実際にあって、有名人にあやかるケースにせよ、「親の期待」が賭けられていることがあるのではないかとの意見も挙げられます。
名前に意味はないとうそぶいていた杉っちでさも、「陽樹」には明るく、樹木のようにどっしりした人に成長してもらいたいという願いが込められていると言います。
その意味で「名づけとは、親がその思いを子どもに託す行為である」との定義が挙げられました。
「リポビタンD」等の商品名や「ミッキーマウス」といったキャラ名、会社名にも名づけの際には願いが託されているものです。

その一方、名前は他の子どもがいるから張り合いの中でつけられるという意見も挙げられます。
いわゆるキラキラネームは、他の子どもとの違いを際立たせる「オリジナリティ」をその子に与える「愛情の現れ」だというのです。
キラキラネームの奇抜さが話題に挙げられることも珍しくありませんが、かつて昔はもっとひどい名前(「トメ」や「シメ」には、「これで最後の子どもであってほしい」という願いが込められていたとも言います。)があったことから比べれば、意外とましなのかもしれないとも言います。
この名前の「オリジナリティ」を「アイデンティティ」と結びつける意見もありましたが、しかし、そもそも名づけは単に他の子どもと区別するための記号であることが原点にあることも指摘されました。
こうした個性と名づけを関連付けるのは近代特有の行為ではないかということに関しては、『徒然草』の時代から名前に個性を付与する習慣があったことが示されており、必ずしも近代特有ではないだろうという意見も挙げられました。

この何某かのオリジナリティといった「意味」と区別のための「記号」が重なるのかのような論点に至ります。
たとえば、世の中には漢字も名前もまったく同じ人が存在することがあります。
その関係性においては、区別をどうつけるのか、その人の固有性をそう識別できるのか。
それに関して、「ワタナベ」さん同士は、お互いが同じ名前だからこそ、自分の固有性をアピールし合うようになるものだという意見が挙げられます。
たとえば、「邊」なのか「邉」なのかから、住んでいる場所や屋号などのように相手と同じ呼び名だからこそ、お互いの違いを示し合うのだそうです。

このように「名づけ」が他者と区別するために用いられようと、個性を示すものとして用いられようと、その社会の常識や慣習を完全に無視するわけにはいかないようです。
そもそも、名前に対して意味はないという杉っちですらも、既に「男の子だったら「太郎」、女の子だったら「花子」」と決めていた段階で、従来のジェンダー意識に規定されています。
ジェンダー問題に敏感であるはずの杉っちですら、「名づけ」にこのような意識を働かせるのはどうなのか。
たとえば、なぜ男の子であった場合に「花子」ではだめなのか。
これに対しては、やはりその子が名前でいじめられては困るという親としての配慮が働いたと言います。
昨今の子供のいじめの8割は「名前」に関係するという話題も挙げられました。
いかに個性や親の願いを込めて「名づけ」ようとも、まったく社会で流通する記号性を無視するわけにはいきませんし、それは親のコモンセンス(常識感覚)が問われるというものでしょう。
名前でいじめられるような社会なんてあっていいはずもありません。
その意味で言うと、名前の中性化というのも視野に入れていく必要があるのかもしれません。
外国語には男性名詞・女性名詞・中性名詞という、ややこしい区分がありますが、これにもやはりジェンダー的なイメージが付与されていると言いますが、そのような名前の中性化という研究は世の中にあるのでしょうか。
たとえば、「純」という名前は割と女性でも男性でも汎用性があります。
その点、杉っちはおじいさんの名前をとって「かおる」という名前も考えたそうです。
でも、これは微妙なところなのかもしれません。
しかし、名前のジェンダーフリーを目指す教育は検討されてしかるべきでしょう。
「小野妹子」も存在したことですし。

すると、これまでの議論が「名づける側」の視点で議論されていたわけですが、「名づけられる側」からの視点に移して議論が展開しました。
これに関しては、実の息子から名づけに関して反発されたことがあるという経験談を挙げて下さった参加者がいました。
そこにもやはり、子ども同士のからかいや嫌がらせの背景があったようです。
また、名前がその子の性格に与える影響についても話題に挙げられました。
もちろん、その名前に合った性格に成長する子もいるでしょう。
でも、その一方でその名前のイメージとは異なる正確に育ってしまった場合はどうなんでしょう。
その名前は重荷でしかないのは想像に難くありません。
その点、その人自身を表す「名づけ」としては「あだ名」の方が適しているかもしれません。
もちろん、「あだ名」なんて、たいてい適当につけられるものですが、親近感やその人をなじみ深い存在として名指す際には、「あだ名」の方を用いるものではないでしょうか。
あだ名とは、自分の正しい名に、その周囲の人たちとの関係性がプラスされた名前であるという意見も挙げられました。
さらに、「襲名」についてもその家の歴史などのエネルギーがプラスされるものだとも言います。

また、「名づけ」に関しては漢字の意味に由来を求める意見がある一方で、音からその人の本質を言い当てようとする作用があるという意見も挙げられました。
「ア」、「イ」、「ウ」といったそれぞれの音には、その人ふさわしいエネルギーが現れているとのことです。
これに関しては、別の参加者から音にはそれぞれのイメージを与える力があるとの意見も挙げられます。
別の参加者もまた、「ガンダム」を例に上げ、このことを立証しようとします。
それによれば、「ガ」や「ダ」などの濁音が入る音には「力強さ」があり、「ム」には「ママ」というイメージに近い包容性があり、それが小学生に魅力的な名前として浸透したと言います。
実際、その制作者もあるインタビューで、「ガンダム」のネーミングに関して、「銃(ガン)と自由(フリーダム)」を組み合わせた意味が込められていると、深読みした評論を差し出されたときに、そんなのは事実無根だとして猛反発したことがあるというエピソードも紹介されました。
「名づけ」がその対象に潜んでいる本質的な何かを言い当てるものだとしたら、しかもそれが「音」と連関しているかもしれないという仮説は面白い視点だと思います。
これは、「名づけ」に対して意味はなく、その名前に意味を与えていくのは、むしろその本人の生きざまだという仮説からすれば、真逆の仮説とも言えるでしょう。
というのも、制作された「ガンダム」には、「ガンダム」としか言いようのないその存在を言い当てた「名づけ」であって、それが「ダグラム」や「コンバトラーV」であってはいけないわけです。
モノに対する固有名というのは、このようにそれ以外の何ものではない「名づけ」という意味で、単なる分類のために機能的に用いる「名づけ」とは別種の見方を提示しているように思われます。
ただし、「ガンダム」がモノであるのに対し、人間の名づけがこうしたモノに対する仕方と同じにできないのは、人間は成長する過程で変化していく存在に他ならないからです。
だから、途中で自分の名前が気に入らないから改名するケースも出てくるでしょう。
これを人間の「被投機性」という観点から、自分の名前は自分で名づけられない以上、それを背負いつつ、そこから自分の存在を自分で新たに切り開いていくのが人間であるという意見が挙げられました。
人間は両義的で与えられた名前を生きなければならないけれど、同時にそれを請け負いつつ、自分は自分だとして、自分で自分の名前を自分のものにならしめていくということです。
その点、襲名というのは先祖代々の名前を、その家の歴史を背負わされつつ、それに拘束されるだけでない自分自身の性を生き抜くことはいくらでも可能であるということです。

ただし、これに関しては「姓-名」の両方をアイデンティティにしているのか否かという質問が挙げられたことと関連しますが、男性と女性の性に対するアイデンティティのとり方は、それぞれの生き方において大きく異なるものになりそうです。
ある参加者は、社会に出て働く際に、突然夫の姓を名乗ることに抵抗感を覚え、旧姓を用いることにしたと言います。
そして、その時に自分自身を名づけたことで本当の自分に戻った感覚を覚えたと言います。
これに関して、ペンネームのように、その場面場面に応じて自分の人格や役割を振り分けることもできるだろうとの意見も挙げられました。

終盤、固有名詞と一般名詞との名づけの違いが議論されました。
名前は他者との識別機能だとする意見に対して、同姓同名がいると不安を覚えるという意見が挙げられました。
この不安が何に基づくものなのかといえば、それは自分自身の固有性が奪われるように感じるからでしょう。
しかし、名前とはそのようなものなのか。
さらに言えば、一般名詞と区別された固有名詞としての名前の意味とは何か。
これに関して、仕事上、契約や取引をする際には識別機能としての名前の方が助かるが、プライヴェートな人間関係においては固有名が精出してくるという意見が挙げられます。
「ワタナベジュン」という記号は、仕事上は識別機能として役に立ちますが、しかし、親密な関係においては、この「ワタナベジュン」というその唯一性を名指すものとして働くというわけです。
後者において名前は、刑務所や住民ナンバーにおける単なる数字とは異なる「顔をもつ」存在として、その人を指し示すということでしょう。

最後に「名づけとは何か?」という最初の問いに戻りいくつかの意見を挙げてもらいました。
「名前には意味がある」という面と「名前は記号である」という両面を持つという定義、「名づけは一般名詞を端緒として固有名詞に変えるものである」という定義、「名づけとは個性を際立たせる作用」という定義、「名づけとは外側からの一方的なラベリングであるが、それは変えることも可能である」という定義。

さて、陽樹くんの前途を祝して、彼が背負わされた名前とともにどのような人生を歩むのか、哲カフェの参加者一同心から見守りたいと思います。

第34回てつがくカフェ@ふくしま報告―「ルーツとアイデンティティを問う」―

2016年02月14日 08時43分10秒 | 定例てつがくカフェ記録
遅ればせながら、1月9日(土)にイヴのもりにて開催されました、第34回哲学カフェの報告をアップさせていただきます。
この回は、佐々木光洋さんをお招きして、「ルーツとアイデンティティを問う」をテーマに、21名の方々にお集まりいただきました。
まずは、佐々木さんから、お持ちよりいただきました家系図などの史料をもとに、ご自分のルーツに関するお話をお聞かせいただくところから始めさせていただきました。

●佐々木です。牛乳を生産しています。あづま運動公園のすぐ隣で牧場を営んでいます。
代々そこで農業を営んできたのですが、昔は生糸や出納を生産していました。
父の代から酪農を始めました。
父は昭和16生まれですから昭和30年代から牛を飼い始めたということになります。
昭和62年から自分のところの工場で殺菌して瓶に入れて市内のお宅に直接宅配するという販売方法を続けています。
県内では生産化が販売まで手掛けるのはうちだけです。
全国的に見ても100件程度ではないでしょうか。
今年私は46歳ですが、家に入ったのが22歳の時ですから四半世紀牛を飼うという仕事を続けてきました。
今回てつがくカフェで話すことになったのは、昨年の9月から民放サロンを書き始めたことがきっかけで、私は合計6回書きました。
自分が書きたいことを何以下と書きだしたときに、そのうち3回は時間の軸のことを書いているなと自分で気が付きました。
きっと自分の中でもきっとそこが重要なテーマなんだなと思いました。
僕は小学校の時に自由研究をやるときに家系図を書いてみたんですね。
その問いから家族や先祖に興味があるんだなと思ました。
今日の史料の中に先祖代々の家系図があります。
私は19代になります。私が小学校の時に描いたのは真ん中から左側を書きました。
多重さんという方が真ん中にいますが、ここからが明治だそうです。
そこから信託から出たそうです。小学校の時はここまでが渡っていたんですね。
そこから次、徳治という檀家にすべて書かれている家系図があって、そのときの和尚さんが清書してくださったそうです。
これだけでも歴史の重みを感じるんですね。
それと同時に、故郷の「忘れ形見」という本のなかに風土記的なものになっていて、佐原の郷土史が残っているんですね。
この本の中に、兵法の達人佐々木丹波というのがあります。
実はこの家系図の一番上の右側にいるのが、その人です。
農民武士だったんですね。
その本の中にかかれていることが自分と地続きになったというのがものすごく大きかったなということです。
真ん中の部分には入佐原の国蔵というのがありますが、それに関する物語もこの本の中に出ています。
昔にかかれたものが自分とつながったときに、その重さを感じるようになったのです。
一方で、46歳になって、自分だけの体験だけを考えると、そのことで親同じ仕事をしているわけですから、仕事としてそれを引き継ごうと子供の時から思ってきたんだけれど、その一方で「じぶんらしさ」とは何かを考えるようになりました。
親に対するリスペクトと同時に、自分はそれをただ引き継ぐだけでいいのか、と思うようになっていました。
もっと上の世代のことを見てみると、地域の何らかの役割を担って居る人たちばっかりだったんですね。
根っこの部分で地域の役割を担っていくというのが連綿と続いているとしたっと気に、自分なりのやり方をやっていいんだなと思えた時に、とても楽になった。親との関係だけでは見えなかったことを、その上の世代のことを知ることが大きかったです。
自分のスタイルでやり始めたら、不思議と色々なところからお声かけいただくようになりました。
2011年3月の時は、ここで酪農をしていていいのかと思っていましたが、やっぱりあそこで踏みとどまったというのは、もしかしたらこういう脈々として流れがあったからかなと思っています。
しがらみといえばそうなんですが、地域の歴史や先祖に続いていきたいという思いがあるのです。

●佐々木さんに質問ですが、佐々木さんのお父さんの血縁的なルーツとは別の地域のルーツは自分の中で何割くらいですか?

●補足すると、一基をお起こして江戸に江戸幕府の目安箱に直訴する佐藤太郎衛門という人がいましたが、彼は一揆をおこした理由で打ち首獄門になった人がいます。義民はありこ地にたくさんいますが、私は小学校5年生の時に激似して参加したのですが、その時はそういう人がいたdなんというくらいに思いましたが、うちの方から出た人はこんなに頑張ったんだぞという思いは強いのだと思います。声明を取られてもやるんだという信念を持った人を誇らしくは思うんだけれど、何割かはわからないですね。でも地の関係の方が強いと思います。

●皆さん一般に質問ですが、私は血縁も血縁もない福島で20年近く働いているんですが、関東で働いてもそうだと思うんだけれど、福島あたりだと地縁血縁というつながりを皆さん感じながら働いているんですか?

●私のひいじいちゃんは秋田出身で、ひいばあちゃんは二本松出身ですが、私のお父さんは地域の歴史をすごく調べたりしています。けっこうそういう人はいると思います。

●僕の場合は渡辺家という家を意識させられた。何でといってそれは祖先のファンタジーかもしれないけれど、渡辺綱なんだということが飛び交っている地域で育って、ルーツという格好で、自分自身の再確認に興味を持ったのはだいぶ後になってですね。自分に自信がない、というか、俺って何なんだろうともやもやしている時ではなかったかなと思います。
そんな時、「ルーツ」というドラマをみて、その中で自分自身についての自尊心を見つけようとしていたのだと思う。家の系図というもの
地域についてはなかなかないね。お祭りや伝統芸能を通じての接点のカナから時々考えることはあるけれど。こんなところにいたくないというのが最初の感じです。そういうというところから一段後になってもう一回、地域が代々続いていて生きているという、そういうアイデンティティと関係している気がします。

●大体において地域のルーツで戦国時代までさかのぼれる人はいない。ほとんどの人は明治くらいまで坂述べれるくらいで、血縁の方は探せないと思うんです。300年、400年その地域で続いたというのも珍しい。皆さんは知りたいんですかね。

●しがらみという意味では県外の大学に行って地元に戻ってくると、色々な役割があって大変だなと思います。地元には戻ってきたのですが、ちょっと距離があるところで働いているんですが、人口減少社会で誰かが地域を守らないと地域そのものがなくなっちゃうなと思っています。

●地域のお寺の存在によって全く変わりますね。うちのお寺も350回忌ですよという通知が来ます。

●自分は何ものかという問いがあるのだと思います。お話の中に「自分らしさ」という言葉がありましたが、お父様と自分との違いはなんだと思いますか?

●え~、どうですかね。比べると何事においても自分よりすごい人だなと思います。俺の方が若いんだけれど、チャレンジ精神は父親の方が旺盛なのではないかと思うんです。比べてどうかといわれると…。たぶん手の広げ方は俺の方が意識が強いのかもしれないですが、僕は推進力というよりは周囲とのつながりを生かすタイプだと思います。

●アイデンティティって相対化したもので、自分と他者との比較で形成されるものだと思う。サウジアラビア人はファミリーネームの間に2つ3つ祖父、父の名前が入ってくるけれど、その中で自分が位置付けられる。

●お父さんを尊敬をもっている人がいる一方、反対の人もいる。血がつながっているだけで、別の属性がついちゃうと思うんですね。血の属性を消すことはできないと、自分から離れれば離れるほど、直近の血縁はきついですよね。

●その辺の感じ方って、いつまでもそうではない気がする。アイデンティティとは何かを受け入れる瞬間であるような気がしていて、生き切ったことだけで偉いと思えるんですよ。そういう見方を受け入れるとき、自己肯定という感情を探っていたことが見えてくる。

●私も自分の父親はワンマンのように思えましたが、50歳になりましたら「こういうことだったんだ」と受け入れられるようになりました。父はクリーニング屋をしていたのですが、ドライクリーニングが流行りだしたときに、父はどうしてやらないんだろうとすごく嫌だったのですが、年齢的なこともあって、わかるようになってきました。父は酒も女も好きで、幼い自分には受け入れがたかったのですが、それは自分の人生を潤わせていたことがわかってきた。

●家とか親戚とかそれまで何の興味もなかったけれど、新緑を見た時に、私のアイデンティティは信夫山だと思った。季節の変わり目の基準。

●ルーツは特定しやすいんだけれど、アイデンティティってよくわからない。僕も毎朝、吾妻山に手を振っているんだけれど、一つの地域との結びつきにおけるアイデンティティは私も山にも感じる。

●いくつかのキーワードが出てきたと思います。関東には山がないんですよ。日常に山があるっていうのは、自然もなかったから地域との結びつきができなかったのかなと思った。もう一つは家系図って嘘じゃないですか。それが家を一本で表すから、たとえば女性にとってのルーツはわからないし、分家のアイデンティティなんか作りにくいし、どうでもよいのかなと思った。

●そうなんです。私も父方の方が旅館業を営んでいて、母方は米屋さんを営んでいたんですけれど、父の代で旅館を廃業して、祖父母が生きていた時は、私もそういう人生を送るんだろうと思っていただんかえれど、私は私の仕事をしているんだけれど、私ってなんだろう、っていうところがあって、女性のルーツはこれから先のことを考えることはあるけれど、過去にさかのぼって確認することがしにくい。姓も変わるし。

●江戸時代にはかなりこういう家の歴史を調べる人が多いのは、代替養子に入った人が多い。その家は一体何か、ものすごく強くアピールしたがる。大まかにいうと自分を縛っているもの、地域の縛り方も、縛っているからこそ、それを探そうとする。アイデンティティは受け入れるものとありましたが、その縛っているものを受け入れることなのかなと思い出しました。

●それと同時に解き放たれて、自分が自信を持てち着ていく力になるようなもののような委がする。両方ある。ものすごく保守的なものの取り込み、当時に自由でいるために歴史を勉強するということもあるのではないでしょうか。

●山崎という姓ですが、その前は岡崎で、苗字ではないところに自分のアイデンティティがあるんだなということがありました。40代で自分とは何かと思ったときに、制度的なものではなく自分の中に問いながらアイデンティティを作ってきた。

●男性は縦の歴史を見るのに対して女性は横のつながりを見るような気がしました。家をつながり女性は自分の縛るアイデンティティを流動的に選択してきたような気がします。女性にとって家や苗字なんてどうでもいい。

●アイデンティティにルーツは必要だということではないということおw女性の方の話を聴いてみて。

●日本語を使う私と使わない私という、二重性を考えたことがあります。

●避難したことで、自分が何者かを問うことが増えました。

●歴史を知ることが今を生きることにつながっているから歴史に興味はありますね。女性は出てこないとはしても、そんな観点から興味があるかな。
少し話が前に戻りますが、女の人は家を動くものですよね。私は福島に地縁もないし血縁もないし、なんで福島にいる必要があるのかというときに、私のルーツというか、依って立つべきところは何かを問うときに、孤独でhないけれど一人でいるときに私はどこにつながるかを知りたくなるかなと思います。

●土着というか土地を継いでいく問題がありました。地域のかかわりは土地を持っていることと関係するのだと思う。



歴史に遡るルーツというのも、男女でその捉え方が異なることが浮き彫りにされた対話になりました。
それは今回のルーツの射程が自分の親や祖父母の代までの議論になり、姓名との関係でアイデンティティの方にシフトが置かれた議論だったように思われます。
佐々木さんのように戦国時代や江戸時代まで射程に入れたルーツの捉え方を、どのように位置付けられるか。
まだまだこのテーマは語りつくされていないように思われました。
佐々木さんにはお忙しい中、資料もご提供いただきながらご参加いただけましたことを、あらためて深く感謝申し上げます。

第33回てつがくカフェ@ふくしま報告―「憲法9条を哲学する」―

2016年01月10日 19時00分48秒 | 定例てつがくカフェ記録
遅くなりましたが、年明け前に行われました第33回哲学カフェ「憲法9条を哲学する」の報告文が仕上がりました。
今回は世話人・杉岡がまとめました。
久しぶりにTUKTUKを会場にして、21名の方々にご参加いただきました
われわれは存じ上げなかったのですが、NHK番組「あさイチ」で哲学カフェが紹介されたそうで、それを見て関心を持たれた方が、栃木県からわざわざお越し下さいました。
ますます哲学カフェの活動が全国的に活発になりそうですね。
以下ご笑覧下さい。


憲法9条を哲学する!

日本国憲法第9条は、国民にとって非常に大事な憲法だと考えていると思います。
ポイント3つある。1.国際平和を希求する。2.武力の行使を永久に放棄する。3.軍隊を持たない。戦力を持たない。この3つが骨子となっている。
最近の法案等で色々な解釈がいろいろ出ているが、〈国際平和を希求する〉ということが大事なので、それを守っていかないといけないと思う。

国際平和を希求するというのは、一応自民党も国際平和を希求しているようです。でも、その手段が違っている。

要するに武力放棄だと思う。子供のころから暴力はいけないといわれてきた。暴力はいけないという根拠としてこの条文を読んできた。今、困っているのは、「現代暴力論」をよんだが、現在暴力しかないじゃんと一方で言っているが、それは、おかしいんではないかと改めて暴力の否定を先月今月と自分は考えている。みんな暴力はだめだと言ってるのに、なんでそれでダメなのだろう?9条が大事だと思ってる人がここにいる人は多いと思う。憲法9条に何が足りないのか今一度考えてみたい。

私も悩んでいる。暴力がいけないという話にするか、権力の話にするのか。ドイツ語では暴力と権力は、同じ言葉です。権力は暴力装置だし、国の警察組織は、暴力装置ではないか。戦争を抑止する暴力としての権力もあるが、国家が外国と戦うときに行使する暴力(権力)を議論するのか、その両方を含めて暴力を議論することは難しいく悩んでいる。

憲法は詳しくないが、地球上の人間として大きくとらえた場合、一番身近なところから考えると、家族や隣人の問題の解決を考えた場合は暴力はないですし、使いたくないです。身内、近所、社会と広げていくと最後に国とか出てくると思います。でも、根本にあるのは、やはり人だと思います。人と生きていく には、愛が大事だと思う。
同じ人として相手を見る。地球にいる人は皆兄弟と考え、共存していく方法を考えると愛と知識が大事ではないか。愛と知に元ずく人間平和を考えたらいい。そのほうがシンプルではないか。そこから考えていくのがいいのではないか。

憲法は、国のふるまいを規定するものだと思う。個人の問題として落して考えるものではないのではないか。自分の身を守るための暴力やけんかとか、警察などの暴力装置は必要だと思う。憲法は、「国際紛争の解決ためには暴力は使わない」と書いてあるが、個人の関係では、無くそうとしても難しい。9条は、国と国の争いは、暴力で解決しないようにしよう、と言っているので、これは、真っ当だと思う。求める形であると思う。

国と個人レベルのこととは、常に行ったり来たりして自分は、考えている。一つに重なるような理論・理屈が必要ではないか。それで、いつも分からなくされていると思う。個人のケースを例に出し、殴られたら殴り返さないのか?との言い方で、戦争も攻撃されたらし返すことになる。利用されてしまう。愛・倫理・正義とかを考えると、他には、基本的人権を尊重することが大事であると考える。この基本的人権の尊重をどんどん太くしていった考え方が憲法9条に端的に表れていると思う。

私は、9条も憲法も改正したほうがいいと考える。この条文は、①そのまま残すべきなのか②理念として残すべきか③改正すべきなのか、3パターンあれば、皆さんは、どれを望むか知りたいです。国民が自分たちで選び取った憲法ではないので、国民の合意で戦争を放棄したわけでもないし、なので、作り替えたらいいのではないか。結果として同じになったとしても。今の議論もない状態では、もろ手を挙げて賛成とは言えない。

押し付けられたとは、どの点で押し付けられたといえるの?

アメリカが作ったんだと思うのですが。戦後70年全然改正等されていないのがおかしいと思う。9条のみでなく全文にわたって。

日本から当時、草案が何個か出ている。GHQがそれを止めさせて変更し、その後、一応、選挙をして決められている事実があります。それは押し付けといっていいのか?

その決定のプロセスは形上整っていたのか?整っていたとしても、実質見た時にそれでいいのかと?

実質とは、どこを指すかわかりません。

国民の代表者が選んで憲法ができたが、果たしてそのやり方でできた憲法が良かったのか?常に思います。

でも、それ以外の選択はありえましたか?

ずっと改正されなかったのもなぜか?疑問です。

私は、押し付けられたと思っていない。自分たちで選び取ったのが、戦後の始まり考えている。国体を保持するためにGHQが自民党案を改正させて、作成されたのは事実だが、強制されたとは考えてない。

私も押し付けではないと思っている。これは、押付けなのか?と生徒に問うたことがある。割と多くの人が、押し付けられているイメージである。押し付けられているから、変えたほうがいいよね、とどこを変えたらいいのかもわからず、そういう感じが多く見られて、このまま改正されてしまうと、怖いなと思ってしまう。

アメリカの下準備とかもあったと思うし、最初は、押し付けだったのではないか。日本は、敗戦国だったことを踏まえないといけない。前提としてフラットではなかったのでは?憲法の成立過程では、反対したのは、共産党で、賛成は、自民党だった。昔から押し付け憲法という議論はあるが、じゃ、そのとき自分たちは、どう選べたか考えないといけないのではないか。

押し付けとも、押し付けでないともどちらもわかります。今でも、選挙で選んだ人が作っている法律等を我々は守らざるを得ない。自分の意見と全く同じということもないし。憲法制定時は、あの時点ではしょうがなかったのだと思う。でも、今は見直すことができるのだからきちんと議論をして納得いく形にしていくことが必要だと思う。結果として同じようになるかもしれないし、違うような形になるかもしれない。

主体的に選ぶとか、まっさらな状態で選ぶとか、そんなことはありうるのか?と思う。敗戦後のあの状態で、平和憲法を自分たちでつくれただろうか?というと、作れなかったと思う。アメリカからの押し付けと言えば押し付けのような気もします。外部から与えられてそこから選び取っていくという形が事の真相な気がする。明治維新もそうだけど、外部から何かがやってきてそれに適応して、内果してきた。でも、いったん改正して、作り直すというのは、フィクションのような気もしている。主体がどう立ち上がるかだと思う。

戦後の人たちが主体的に1から作ることはできなかったと思う。あの憲法を選ぶのはしょうがなかったと思う。でも、社会は様々に変化しているのに、憲法に限らず戦後ずっと変わらないのはおかしいのではないかと思う。ほかの国は、毎年変わっている所もある。憲法だけ変わっていないのが変だと思う。

どうして変化しないのが不自然なの?

周りの社会、時代とかが変化しているのに憲法だけ、変わらないのは、私には不自然だと思う。細かい条文などは、時代に合わせて変化しているが、憲法だけ変わらないのはやはり変だと思う。

時代が変わっていろいろなものが変化しているのに、変化のスピードも速いのに何の条文も変わってないのが変ではないか?ほかの条例とかは変わっているのに。私は、大学院に行って初めて憲法を勉強した。日本国民は、憲法の勉強をきちんと受けていなくて、9条と憲法を同じに考えていて、平和が大事だから9条が大事で憲法も変えないほうがいいと、単純に思っている人が多いと思う。だから、もっと憲法を知って、色々と議論できる素地が国民にできてくることが必要。安倍さんみたいな意見もありだと思う。

一応改正論者です。国民があの条文をいい方向に変えていくことができるか疑問。

まず初めに、天皇が憲法の初めに出てきてる。国民主権と言いつつまず、天皇が出てきている。

憲法は、理念としとらえている。でも、憲法は法であるので、理念として考えるものか、法として考えるものか考えるのもいいのかと。

憲法と法律をどう考えたらいいの?

憲法は、絶対的権力を持っていた王様から、人権を勝ち取る過程で出来た。憲法は国を治める目的できた。それを守っていくために分野分野ごとに作られるのが法律です。

憲法がこの国の大きな枠組みですよね。本質みたいなものですよね。

夫婦別姓が正しくないという結論は、憲法に違反しているかどうかをさばいたもので、別姓が悪いと言っているわけではない。

法律を今一度見直すことが必要ですよね。

民法もここ100年ぐらい変わってなかったが、ここ最近ぽつぽつ変わってきている。影響の大きい法律ほど変化がなかった。経済状態の変化を受け、民法・商法も変わってきている。

民法とかそういった法律が憲法に追いついていないと考える。民主主義がうたわれているが、国民が咀嚼できていない。きちんと条例とかを見てどこが憲法と合っていないかなどきちんと見ていく必要がある。上野千鶴子さんは、選憲という言い方をして、憲法を選び直すことが必要と言っていた。民主主義と言っているが全然民主主義をやっている感じがしないで生きてきた。

憲法が自分の中でちょっと前に流行ったが、憲法をどこで勉強したらいいかわからなかった。大事なのだから各家庭に1冊おいたらいいと思う。結局、本を買ってきて読んだ。小さい時から触れていることが大事ではないか。小さい時から憲法に書かれていることが分かれば、それと現実が違っていることを知って、どんどん賢くなるのでは。普段の生活は、憲法によって守られているのに、みんな憲法を知らされていないのがおかしい。

大学で社会科の教員をしているが、そういうことを言われると社会科の敗北ではないかと思う。自分は、何をしているんだろうかと。でも、みんな知ってますよね。

日本の社会科教育では、近現代史をあまりやらないので、憲法はあんまり勉強しないですね。

いや、中学高校とか、公民分野の時間にやるはずです。

小さい時から憲法に触れていれば、それなりに考えて行動できる人間になっていたのではないかと思う。

教科書で習うことは習うが、知識としてであって、それで議論したことがない。現実と照らし合わせて議論することをしてこなかった。単なる知識としてはわかっていると思う。今年集団的自衛権の議論もあったが、戦争が嫌いだというのもわかるが、日本の国をいかにしていくかということを議論していくチャンスだと思うのだが、そういう訓練をしていないと思う。

平和主義と国際協調主義(国際平和)は、イコールではないと思う。イコールで考えているから9条改正という議論になるのでは。9条の平和主義と国際協調主義は齟齬が生じていると思う。国際平和のための実現のために暴力は必要なのかという問題がある。私は、学生のときは、改憲派だった。国際社会の貢献等を考えていた。学生当時にイラク戦争があり、ブッシュを応援していた。今は、護憲派になった。実は、震災でその考えが変わった。理由は、戦後70年というが、太平洋戦争を経験してる人が今も生きている。生きている人が居るんだからそれは、出来事であり、歴史ではないと。経験してる人がいる場合は、まだ出来事である。出来事と歴史を踏まえることなく憲法を改正していいのか?とある人が言っていた。傷痍軍人会が、こないだ解散した。自分の小さいころ足がなくアコーディオンを弾いてる人を見た。なぜあの人たちは、街頭であんなことをしてるのか、わからなかった。後々、大人から彼らは傷痍軍人の人だと教わった。会は、解散してもまだ、出来事は残っている。ここと、憲法改正を関連させて考えないといけない。それを踏まえたうえで、国際協調主義のために、戦力を使うなどを考えないといけない。
理想は、現実化するか?との議論があったが、この70年憲法9条が変わらなかったのは、平和だったからではないか。戦後は、良かれ悪しかれ平和があった。9条の平和主義は、国民が国に対して平和を訴えるもの。9条は、日本及び世界の人々が望む普遍的価値観であり、国家を縛っているものだ。変えるのであれば、全部変えないといけないと思う。
一番言いたいのは、日本に侵略してくる国があったら、世界中からそいつは反感をかう。そのとき、理想が現実になるのではないか。

憲法は、変えなくていいと思っている。変えないで、平和を守っていけたらいいと思うが、どっかが攻撃してきて、原発を5つも落とされたら、日本人全部死んでしまったらどうするの?と思う。全員死んだ後に、攻撃した国は、世界から糾弾され全世界からつぶされると思うが。そんなことが起こりえないとは言い難い。憲法は、自国の物であって、国際社会を規定するものではない。世界からは、あなたたち偉いね~、うちらには、関係ないけど、と思われるのか。理想ではあり国民的にはいいが、対国として考えた場合、有事のときにどう対応したらいいのかとか細かい問題が出てくると、どうしたものかと思う。

今の話は、憲法を改正しても全く同じ結果だと思う。憲法を改正しても攻撃されるし、死んでしまうのは変わらないと思う。核爆弾5つ落とされればそうなってしまう。もう、武力で守れる時代ではなくなっている。飛行機で攻撃する形になり、軍隊の前線がなくなり、軍隊を乗り越え国民を殺すような形になった。ゲルニカ・東京大空襲などは、軍隊同士の戦いではなく一般人を攻撃したもので、戦争の形が違ってしまった。軍隊は、撃墜される心配もなく爆弾を落とせる。国防の在り方は、もう、9条でしか国を守れなくなったのではないか。

理念としては、国際平和は、自民党も同じであるが、9条が、手段になりうるか?ということで袂を分かっているのではないか。 国民を守るため、攻撃されて守らなくていいのかということで、解釈拡大で個別的自衛権は認めてきた。さらに、今回、集団的自衛権を認た。これは、国際協調というが、所詮アメリカ・イギリスとの国際協調だと思う。そのために、9条の理念を変更していいのか?で、軍隊を持たないということは現実的か?というところだと思う。

核によって地球上がなくなる危険性が、ケネディーのときに現実的に最高潮になった。でも、ソ連もアメリカもそれがわかっていて、核を減らしていった。今も続く核軍縮はその時からです。それを、突き詰めたのが9条の精神だと思う。今、安倍さんがやっているのは、やられる前にやらないとだめだべ、という軍拡の理論。完全にアメリカの都合に合わせてやっているだけ。9条の精神で守れるものをしっかり守っていこうよ。NPOの人たちが活躍するとき、憲法9条を持っている国の人だということで、安全が確保されていることもある。

教え子に自衛隊の子たちがいる。ある子の父は、イラク・サマワに行ったりしている。頭の上を弾丸が飛んだりしたらしい。9条がなければ、もっと色々できたことがあると言ってた。でも、やれることを広げては、ダメだと思う。自衛隊は、災害救助とかは大事だが。9条を外すともっとやれることがあるというのは、歯止めが利かなくなってしまい、それはよくないと思う。やれることは何なのか、もっと知りたいと思った。

日本以外の国で、こういう憲法を持とうと考えてるところはあるのか?

コスタリカは、軍隊を持っていないようです。

自衛隊は、軍隊だと思うんですけど。

軍隊だと思うけど、一応人は殺せないことになっている。

あれは、軍隊だと思うし、70年間軍隊を持っていて平和が守られていると思うので、9条は矛盾した状態だと思うので、憲法を改正は必要だと思う。核爆弾の話までいかないにしても、一部を攻撃された場合、国は、国民の生命と財産をまもらないといけないので、理想を言ってるだけでは厳しいと思う。理想を掲げて、犠牲になって死んだ人が出てきた場合、それは、必要な犠牲として終わってしまっていいのだろうか。
 
9条をよく読むと、国民は、ゲリラ戦をするのは可能だと読み取れる。刀狩をされて武器は持っていないが、敵が攻めてきたり、敵が国だったとしたら、それに反撃することはできる。

でも、国に歯向かったら、それは内乱罪になりますよね。

自衛隊という形をとってしまうと、あれは明らかに軍隊で9条違反になってしまうから、国民一人一人がゲリラ戦のような形で戦うのだったらありなのかも。

本当に攻められてきたら、自分は戦うし、それが個別的自衛憲だと思います。現に攻撃されたら、されるがままに自分は攻撃しないという明治の潔い人もいたが、自分は、反抗する。正当防衛で戦うしかないと思う。

日本国憲法は、現実と矛盾しているが、矛盾を矛盾として抱えているから、平和が保たれているんだという意見(内田樹)もある。自衛隊は、軍隊で矛盾してると思う?

矛盾です!安保条約は、かなり憲法に矛盾していると思う。そのねじれの関係をどう折り合いをつけたらいいのか?矛盾は気持ち悪いというか。。安保関連法案は、突き詰めると集団的自衛権であるといえる。9条を守りたいけど、矛盾をどう解決したらいいかわからない。

自衛隊は、すでにあって、その自衛隊をどうするか?ということだと思うんですが。

外に出て行って、戦力は保持しないけど、活動できることになっている時点で、かなりまずいと思う。自衛隊の活動としてはないかなと思う。

いわゆる護憲派、という人たちの中でも、おそらく自衛隊をなくして戦車・戦闘機とかもなくしたらいいと考えている人は少ないのでは?だって、不安ですよね。9条の理想は大事だが、かといって明日から戦力を放棄するとなると、全面的に賛成する人はいないと思う。

矛盾しているから、直すべきだと思う。直すべきは、自衛隊の組織の在り方を変えたらいい。全部なくすとかではなく、災害救助は必要で、戦車をなくして、不安かというと、正直分からないです。

私は、戦車や銃がなくなったほうがいい。日本ではピストルをみんな持ってなくて安全であるから、同様に9条の精神で安全が確保されると思う。自衛隊は、国際救助隊にしたらいい。サンダーバードで、ガンガン海外に派遣したらいい。海外で恩を売って攻めてこれないようにする。

日本の中では、拳銃を持っていないから。ピストルを周りが持っているところで、自分が持たないのは不安ですね。

あの自衛隊を憲法9条の理念に近づくように変えていくことがいいのではないか。

自衛隊は、大陸間弾道ミサイルや核やクラスター爆弾などを持っていない。9条があることによって評価されていることが現実にあると思う。だんだんと一つ一つ武器などをなくしていくのがいい。議論が極端すぎているのではないか、集団的自衛権がいいか悪いかとか。

サンダーバードは、武器を放棄しそうもないアメリカや北朝鮮がいる中で組織として存在できるか難しいと思う。

日本は、拳銃がないが、警察は持っている。だんだんと、戦力の行使ということろから手を引いていくのがいいと思う。アメリカに理念的には、国際警察ではないがそのような組織にしていったほうがいいのでは。だんだんと変えていくのが望ましいと思う。今は、アメリカの子分としての感じが強く、それはほんとにダメだと思う。

その役割が国連ではないか。

9条は理念として守って、自衛隊もあいまいな形で存在させておき、周りが武器を捨てていったら、自衛隊も解体していくのがいいと思う。

自民党は、自衛隊を実力と言ってます、武力というと憲法違反になるから。
実力はいい言葉だと思う。実力という程度に縮小していけばいい。それに合わない9条のほうだけ変えようとしているのがおかしいと思う。

実力って何ですか?

最初は、警察予備隊でしたよね。それは、警察程度の実力ってことですよ。我々は、警察程度の実力は認めていますよね。それが一気に戦力じゃね~のというところまで行ってるのが矛盾してると思う。実力と戦力というのは、程度の差だと思う。軍事力も時代とともに変化している。実力とは、苦し紛れに、作った概念だが、意外といいと思う。

実力と戦力では、その言葉によるイメージが全然違ってくるので、そういう指摘はすごく大事なんだと思う。

学生のとき、憲法の授業を受けた時、相方は、自衛隊幹部だった。今の自衛隊の実力はアメリカの戦力より強いらしい。かなりの能力を持っていると言っていた。実力が戦力を上回っているということになる。それから考えると日本のはやはり軍隊ですよね。核の所持や装備の違いぐらいだ。

なぜ、自衛隊は、実力を挙げてしまったのか?

相手の戦力より実力が上がったのは、根まじめだったため?!

実際、向こうの戦力より実力が上じゃないとやられてしまうしね。

賛成派と反対派は、実力派と戦力派に分かれて、落としどころを考えるにはどうしたらいいか?考えてみた。賛成派だと、9条の精神が好きで、反対派は、物質的にお金を払って守ってもらったりするので、議論の次元が違っているので、損得で考えてみるのも一つの方法かと思った。経済の論理で考えてみる。9条を持つことが得だとなればいいのではないでしょうか。軍隊を持たないで、得だと思うようになればいいのでは?シリア内線で、フランスがクルド人と仲良くなったり、ロシア・アメリカ間で仲が悪かったりで、もし、第3次大戦になったとしても、9条を口実に、遠くで起きた戦争にアメリカを助けに行かないで、戦争をしてるところは金を使って損だが、日本は、戦争が終わった後に投資とかをして得すればいいと思う。そんな風に損得で考えてみるのもいいのでは?

議論が、平行線でそのまま終わることがよくあるが、目標に向かって今やるべきことへの議論をしっかりしていくべきだと思う。軍隊を持たないと決めたら、持たないできちんと外交関係をしていくにはいかにしたらいいか、武器を買う以上に真剣に考えていくべきだと思う。目標へのプロセスが大事。

今、9条を持たされた政治家は、かわいそうだと思う。今の政治家たち(タレントや2世しかいない)が9条で日本を守れないと思う。政治家では、9条を使いこなせない。軍隊を使って守りたいから、9条は足かせである。彼らに外交力もないでしょ。

当時の自民党は、戦争世代がかなりいたから、9条を道具としてなんかしていた。

戦争知らないとだめなんですかね??

昔は、9条があるから、何とか自衛隊を派遣しないですんでいた。アメリカから9条を与えられたが、それを理由に海外派遣を免れていた。プロレスラーとヤンキーしか政治家がいなくなっているが、それも自分たちが選んでいる。昔のような政治を今の政治家には求められなくなっている。9条は理念として保持していくしかないと思う。

9条は押し付けかという議論が最初出たが、今の政治も自分たちが選び取ったかというとそういう感じもしない。今の首相も、理念としては平和を求めているが、手段として彼ら政治家と我々は違うのではないか。憲法を変えずに、法律の運用レベルで変えるというのはできないものだろうか。安保も一度、止めちゃっていいのではないか。所詮、国と国との契約関係なんだし。でも、そんな話出てこないですよね。

今9条があるのは、安保があるからではないでしょうか。でも、アメリカは日本を守らないと思います。

不安だから、自衛隊を持つというのは、どうなの?日本なんてとってもいいことなくない?日本を支配しても漁業権ぐらいじゃない?レアメタルとかあるのかわからんが。何のために誰がほしいの?私は、満州がほしいと思うけど、向こうから見たら、こんな国いらんでしょ。

技術とかがほしいのでは?

でも、それは、戦争では買えないよね。

金で買えないから、戦争を起こすのでは。

でも、技術を得るために起こした戦争ってある?

中国人は、そんなことを抜きに地球は自分たちのものだと思ている。

それは、レベルに合わせた話でしょ。戦争は、もう、観念的なことでしか始まらないのではないか。ブッシュのイラク攻撃もそうでしょ。観念を武力で実行しちゃダメでしょ。それに対しては、外交で対応しなければいけないと思う。

暴走族も勢力を広げたいし、そういうものでは?損得を超えた本能では?

日本を支配しても支配しづづけるのは難しいのでは?戦争に勝ってもその後が大変だと思う。

戦争自体が目的ということもある。

アメリカもそれでは採算が合わないから、世界から手を引き始めている。

日本は、鬼畜米英として戦ったが、負けたら従順になっていく生き物なのかな。

奴らとかそういう敵対する観念じゃないですかね。そこを直していけば戦争をなくせるんではないでしょうか。

ベルギーかオランダが震災後原発を導入するかどうか決めるときに、勉強するから3年間待ってくれという話があった。で、3年間を勉強のために獲得したようです。日本には、ちょっと待ってよという人が居ない。周りにとか、ちょっと上にそういう人がもう少しいてもいい気がする。そういう対処の仕方を学んだらいいと思う。今日は、憲法について知ることができたが、それ以外にもいろいろな情報が入るようにしていったらいい。それによって自分の頭も柔軟になると思う。

一般論としてはそう思うが、9条に関しては、ある種最先端だと思う。世界史の最先端で、世界から学びようがないと思う。

学校で、あんまり学ばなかったから、新聞を見るが新聞でもないし、だから、偏りはあるが、インターネット等を利用し勉強しているが、本当に最先端のことだと思う。最先端すぎてみんなついてこれてない。日本人も。

1999年に、ハーグ国際会議でセビリア声明が発表され、10条にわたって出されたが、その第1条に、世界も日本の第9条のような憲法を作るべきだとうたっている。

戦後に生きる我々が今試されているのではないか。我々祖父の時代の太平洋戦争。一番揺れ動く時期だと思う。どういう戦争形態であれ、戦争が始まるのは簡単で、終わるのが難しい。これをふまえたうえで、憲法9条を改正なりしたほうがいい。改正し、自衛隊を軍と認めたりするかもしれない。変えたら、未来の子供たちにして、日本は戦争する国になったんだよ、といえる覚悟があるかだと思う。昔、母に、なぜ戦争ないのに平和なの?と聞いたら9条があるからだよ、戦争がない国なんだよ、と言われた。憲法は日本国民のものであって、日本人にしか守れない。現法は、戦争の犠牲による多くの血が流れて作られていると思っているので、しっかりと9条を考えていく必要があると思う。

「終戦日記を読む」(野坂昭如編)を最近探してきて読んだ。広島で被爆し亡くなった森脇洋子さんのを一番初めにもってきた。日記には、「今日は、家庭修練日である。叔父が来てにぎやかだった。明日(6日)から一生懸命やろう!」と書いてある。戦争になったら、哲学なんてやってる暇はないし、財産等も国家に奪われてします。
戦争になったら人が変わり、すべての人が鬼畜になると思う。憲法は、他の法律とは、全然違うと思う、そういうことをしっかり考えて改正等を議論する必要があると思う。


第32回てつがくカフェ@ふくしま報告                「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」

2015年09月20日 06時10分25秒 | 定例てつがくカフェ記録
                 

昨日、第32回てつがくカフェ@ふくしまが、「〈メメント・モリ〉(死を思え)とは何か?」のテーマで開催されました。
今回は「死」という、とても暗いテーマであるにもかかわらず(いや、だからこそのなのか)23名の参加者に恵まれました。
しかも、今回は数年ぶりの参加という方や、初めて参加された方もかなりいらっしゃり、懐かしさと新鮮さが入り混じった雰囲気の中で始められました。

さて、今回のてつカフェは【現場/当事者から考えるシリーズ】という新たな試みで「死」を取り扱いました。
このシリーズは、いつもの抽象的な問いから哲学するというのではなく、ある具体的な事例の経験談から哲学的問いを立ち上げていこうというものです。
いみじくも、てつカフェ最初期に参加された方が、「あの頃のてつカフェとは違って、落ち着いた雰囲気で成熟した感じがした」と、今回の感想を2次会で述べられたのですが、まさしくその通りだと思うと同時に、この場が抽象的な議論にこなれてきた一方で、あの当時のヒリヒリとした感じが物足りなくなりつつあるかなと思っていたところでした。
ヒリヒリ感というのは、具体的な経験や事例が内包する切実感といったところでしょうか。
それをどうにか工夫できないかなぁと思っていたところで、7月に小野原さんと一緒に参加してきたネオソクラティクダイアローグからヒントを得て、今回のシリーズを試みてみたわけです。

というわけで、第1回目の今回は、ワタクシの死をめぐる経験談から提起させていただきました。
こんな感じの話です。

僕は先週で42歳になりましたが、この間、様々な人の死に出会ってきました。
家族はもちろんのこと、親友や教え子の死に直面してきたこともあるのですが、今回はとりわけ父の死をめぐって印象的だったことをお話しさせていただきます。
父は肝硬変で亡くなったのですが、その病状が余命3か月とわかった時点で、そのことを本人に告知すべきかどうかという話が家族の間で交わされました。
僕は父親との折り合いが非常に悪かったので、これを機に和解というか修復というか、残りの生きる時間が少ないという事実を本人に知ってもらうことで、死を自覚しながら、これまでのお互いの関係に向き合ってもらえる最後のチャンスではないかと考えました。
まさに父に「死を思え」ということを求めたかったわけです。
ところが、父親の脆い部分を知っている母親は、そんなことを知ってしまったら3か月すらもたなくなってしまうと言います。
なんとか、半年後に予定されている弟の結婚式まではもたせたいという母親の思いもあり、結果的には本人に知らせないことでまとまりました。
そこからは、週末だけとはいえ、父親の病床に付き添いながら介護をしていたわけですが、脇に寄り添いながらも会話らしい会話はできませんでした。
結局、父親はほぼ診断通りの時間を経て死に至ったわけですが、いまでも告知しなかったことがどこか心残りになっています。
とはいえ、余命いくばくもない父親に対し「死を思え」というのは、やはりどうなのかという思いもあります。
死を目前にした人間に対して、「死を思え」と要求することはいかがなものなのか?
さらに、そうした死の自覚を求めたところで、そもそも何かが変わるということはありうるのだろうか、という疑問もあります。
今回のてつカフェでは、そのあたりのことを皆さんと一緒に考えたいと思う次第です。


今回の報告は、ワタクシ自身が当事者として問題提起させていただいたこともあり、なかなか客観的に記述できない面がありますが、以下私が参加者の皆さんとの対話の中で考えてみたことを、つらつら記述してみたいと思います。

問題提起のあと、ファシリテーターからは、一般的には「メメント・モリ」は本人の死の自覚を促す警句として用いられるのだけれども、今回の事例では他者に対してそれを要求するという点で特異であることが指摘されました。
その上で、まずはこの事例に対する質問から対話は始められていきます。
死の自覚を促したところで、父親本人からどんな言葉を引き出したかったのか?
もし、それによって父親の何かが変わったら、問題提起者自身が安らかに死を看取ることができたのか?
いずれも、仮定の話ばかりなので、何とも答えにくいものがありましたが、率直に言うとそれは「わからない」としか答えられません。
これまでしてきたことに対して、「悔い改めよ」と要求したいわけではありませんでしたし、それはその場になってみないとわからないけれど、それまでの関係性を変えるような、思いがけない父親からの言葉の生起というか、出来(しゅったい)を期待していたようには思います。
それは、あらかじめどんな言葉か特定できるものではないという点では、これまでにない父親の側面を見出したいという思いがあったのかもしれません。
それゆえ、それで父の死を安らかに看取れるかということもまったく予想不可能のはずでした。
やはり、告知によって絶望の淵に立たされれば、むしろ茫然自失となる可能性の方が高かったことは、大いに予想されたことですし、とても残酷なことです。
だから、あのときの告知をしないという判断は、常識的に見て、やはりやむを得なかったことなのだろうなと思ってはいます。
けれど、そうであるにもかかわらず、この残念感はなんなのか。

ある参加者は、小学校2年生の時に実母を亡くされたときの後悔を語ってくださいました。
それは、その方が学校で「大きくなったらお母さんを幸せにしたいです」と作文に書いたことを知った母親に、「本当かい?」と聞かれたとき、照れくささとともに「ウソだよ」と答えてしまったというエピソードです。
その後、わずかな期間でお母さまが亡くなられたとき、子どもだから死の意味をわかっていなかったとはいえ、「なぜ、あの時あんなことを言ってしまったのか」と心残りがあるというお話でした。

その話を聞きながら、僕も最期に父親と交わした言葉は何だったかなと考えてみましたが、
母親からは、死の直前に語った父親の言葉をいくつか聞いてはいたものの、僕自身はけっきょく何も聞いていなかったことに改めて気づかされました。
いや、おそらく日常会話くらいはしたはずですが、何も覚えていないのです。
そのとき、病床の傍にいて何か苛立ちや不快感を感じていましたかという質問もいただきましたが、おそらくは淡々としていたのではないかと思います。
それこそ、変な話題でも出そうものなら、本人に余命いくばくもないことを悟られてしまいますから。

父親を脳腫瘍で亡くされた別の参加者からは、周囲の同じ病気を患う子どもや若い世代の患者たちが、淡々と自分の死を受け入れていく様子が不思議だったという話が出されました。
むしろ、高齢になっていけばいくほど生に執着していくのはなぜなのか。
これは介護現場で働く参加者も賛意を示していました。
それに対し、若者にとって死はフィクションの世界の話で、美化されやすいものだからではないかという意見が出されます。
さらには、死の体験の数の多寡も関係するのではないかという話も出されます。
では、生への執着が希薄で死を受容しやすい若者の方が、死と向き合いやすいということなのでしょうか。
必ずしもそういうことではないでしょう。
死のイメージと自覚は必ずしも一致はしないはずです。

別の参加者からは父親が全く死を予期していなかったのかという質問も受けましたが、実はそれもよくわからないのです。
たしかに、あれだけ肉体が痩せ衰えてしまえば、否が応でも死期を悟るのではないかと思うのですが。
うーん、それでも死に関して話題に上がることはありませんでした。
もちろん、それを話題にすれば死を直視せざるを得ないでしょうから、その不安以上の恐怖を覚えることは想像に難くありません。
それゆえに、あえて自分の病状や死の可能性に触れようともしなかったのかもしれません。

だからこそ、死を目前にした人間に対して「死を思え」という要求は、生者の身勝手ではないか。
そのような指摘が、ある参加者から出されました。
まったく、その通りだと思います。
だからこそ、それが不当な要求なのかどうかを今回のてつカフェで議論していただこうと思った次第です。
ある参加者からは、この警句自体が誰かから誰かへの問いかけの形式になっていることに注意が投げかけられました。
おそらく、この警句は神から人間への問いかけなのでしょう。
では、それを人間から人間へ投げかけることは権利上認められるのか?
この問いは、まさしく今回のテーマの核心をついていると思います。
念のため確認しておきますが、僕自身はけっきょく父親にその要求を突きつけることはできなかったわけで、それはやはりその要求にある種の傲慢さを感じていた部分があるからです。

別の参加者からは、死への意識は誰しも心の片隅にあるものだけれど、それにとらわれている生き方が人間らしいとは言えない、死にとらわれないでのびのびと生きる方が人間らしい生ではないかとの意見があげられました。
「自由な人間は何より死について考えることがない」と言ったスピノザを想い起します。
それに関して、死刑囚の例を出された方もいらっしゃいます。
毎日24時間差し迫る死の恐怖と戦う精神的苦悩は、やはり人間らしく生きている状態とは言えないだろうというものです。
ただ、一方で加賀乙彦の『死刑囚の記録』を読むと、そこに描かれる死刑囚の姿は、必ずしも悲惨なだけの生を送っているわけではないことに気づかされます。
死刑執行が明日をも知れぬ中、自分の行いや罪と向き合うことで、生の意味を問うことに勤しむ死刑囚の姿は、むしろ生の充溢というにふさわしい姿であるともいえるのです。
けれど、人間は誰しも生まれた瞬間に、ある意味で死が宣告された存在でもあります。
言い換えれば、人間である以上、誰もが死刑囚と同じ境遇であるはずです。
それを自分の問題として考え続けることは、この警句の一般的な理解ですが、それを死を目前とした他者に告げ知らせることは、単なる身勝手なことでしかないのでしょうか。

ジャンケレヴィッチという哲学者は、死を一人称の死、二人称の死、三人称の死に区分しています。
その区分に従うならば、僕自身はそれほど一人称の死にあまり関心を寄せられません。
いや、まだピンと来ていないというべきでしょうか。
自分の死を思うことは、しょっちゅうあるのですが、それはまだよくわかっていないのです。
そんなよくわかっていないことを、他者に向けて要求することは、確かに身勝手なことでしょう。
にもかかわらず、なぜそう思ってしまうのか。
自分の死はけっきょくのところ経験できませんし、自分が死んでもそれは究極的には自分の問題ではなく、残された他者との関係の問題ではないのか。
これは、これまで遭遇してきたいくつかの他者の死を通じて考えてきたことです。
(だからと言って、一人称の死が問題にならないということではないのですが。)

明日死ぬかもしれないとしたら…
それは本来の自己に目覚めて自分らしく生きよ、ということを促します。
世間に気兼ねした生き方ではなく自分本来の生き方を。
陳腐なまでにハイデガーっぽい言い方なのですが、では、果たしてその自己への配慮とは他者関係を抜きにして成り立ちうるのか。
僕にとって「二人称の死」が切実なのは、この点に関してなのです。

ある参加者からはキング牧師が死の直前行った演説が、死を自覚した語りであったことを看取できるというお話を上げていただきました。
彼自身が常に殺されることを自覚しており、そうであるがゆえにあのような勇気ある思想を貫けたのではないかと言うのです。
これは、別の参加者から挙げられた「覚悟」というキーワードと結びつくように思われます。
自分の有限性を自覚したらスマホで無為な時間を過ごすことなどしている場合だろうか。
もう、死は目の前に迫っているかもしれないんだぞ!と。

それでも、やはり「メメント・モリ=死を思え」という言葉に抵抗を覚える参加者からは、日本の言葉でいえば「一期一会」がそれに当たるのではないかと言い換えが試みられました。
むしろ、なぜ死を前提にしなければ親子関係が修復できないと思うのか。
死などを抜きにして、それ以前に為されるべきことではなかったか、と。
別の参加者からも、なぜ死を目前にして「死を思え」と他者に要求する思いが芽生えたのか、という問いが投げかけられます。

なるほど、そのとおりでしょう。
死を目前にして初めてそのこじれた関係をどうにかしようなんてムシが良すぎる話だと、自分でも思います。
けれど、拗れた人間関係を、それまでの日常が継続する中で、簡単に修復できるというのも現実的ではない気がします。
拗れた人間関係をより拗れないように続けていくためには、腫れ物に触れずにやり過ごすしかないことの方が実際ではないでしょうか。
今思えば、おそらく自分で修復を主体的に仕掛けるのではなく(というか、修復する気は全くなく)、ありうるとすれば、何か修復のきっかけが訪れることだけを待っていた気がします。
ふつうの(って何だ?)家族関係では、孫が生まれるという出来事が大きな変化として、大きくその関係性を変えると聞きます。
しかし、子どものいない僕にはその可能性はありませんでした。
したがって、その拗れた関係は、ただただ先延ばしにすることしかできなかったわけです。
(くり返しますが、僕は修復したいという気持ちも働かないほど、その存在を毛嫌いしていたので、実家にもほとんど近づませんでした。)
それが残された時間がわずかだと知ったとき、ある意味で僕自身が「このままでいいのか?」という問いの地点に立たされたわけです。
しかし、それは関係性の問題である以上、僕自身が一方的に自覚したところで何も始まりません。
父親の側にも自覚してもらうことで、それは開始されるわけですから。

ある参加者は、そんな風に父親に死の自覚を求めることを「優しい態度だ」と評してくれました。
それによって本当は父親にしてあげたいことを、もっとしてあげられる関係性を取り戻そうとした態度だからと言います。
身に余るありがたい評価ですが、残念ながらそれは誤解です。
(そんな温いヒューマニズムを持ち合わせていれば、哲学などに興味など向けず、もっとまっとうな道を歩んでいるはずです。)
父親のために、というのではなく、あくまで僕自身の納得の問題でしか考えていなかったというのが実際だと思います。
その点でやはり生き残る側の「身勝手さ」というのは、まったく正当な評価です。
すると、書きながら思えてきたことは、父親に本来的な生き方に目覚めてほしいというのではなく、僕自身が本来的に生きるためには父親との関係の修復が必要だった、ということではないかということです。

余命3か月という宣告は、だからもはや先延ばしのできないゴールが見えた時に焦って見えたものだということなのでしょう。
その意味でいうと、「一期一会」は常に相手とは二度と会えないかもしれないことを自覚せよ、という点で今回のテーマを言い換えるにふさわしい言葉だと思いました。

一方、「メメント・モリ」を「諸行無常」という言葉で言い換える意見もありました。
これに関しては、関根正二の「死を思う日」という絵画作品が印象深いという話をされた参加者がいます。



そこには、「死を思う日」と言いながら、森林に囲まれた中にただ一人の人間が小さく描かれているだけで、森羅万象の循環の中に人間の死があるということイメージさせられたと言います。
この日本的な死のイメージからは、やはり死を自覚して自己の生に向き合わせる西洋的な「メメント・モリ」の発想とはズレがあるようです。
人生は生まれ変わるという死生観をお持ちの参加者からは、死は怖くないという意見が出されましたが、この循環や生成流転という概念とどこか親和的なように思われました。
ただし、そこがよくわからないのですが、どうせ生まれかわるのだったら、別に今の人生を精いっぱい生きる必要はないのではないか、と僕などは思うのですが…そこにはおそらく色々な理論があるのでしょう。
ともかく、死生観が異なれば自ずと「メメント・モリ」への評価は異なるということです。

すると、ある参加者から、これまでの議論を聞いていると、なんだか無条件に生きることが肯定されているようだが、そんなに生はよいものかというニヒリスティックな問いが投げかけられました。
ここから自死の問題に議論は展開し、ある参加者は生も死も公平なものであり、善悪の価値を当てはめる必要はないという意見が飛び出します。
つまり、自死を選択したその人の行為は肯定できるというのです。
この議論の前提には、尊厳とは何かということに関して、忍耐、公平、癒しという3つのキーワードを挙げて説明された発言が端緒となっています。
これを別の参加者は、死は万人に訪れるという点で公平だし、だからこそ人生がどんなにつらくても、誰にでもいずれ死は訪れるのだとすれば、余裕をもって他者に尊厳を与えられるような生き方ができると解釈できるとしました。
この場面は、議論が若干錯綜していてよく理解できなかったのですが、それを踏まえて先ほどの自死肯定論が飛び出したわけです。
ただし、これに関してはファシリテーターの方から、テーマとは別の論点だし、テーマが大きすぎるという指摘があり、再び「死を思え」と他者に告げ知らせることの是非に話は戻されます。

すると、ある参加者から、本人の最期の挨拶や心の整理という点では、やはり告知は認められてもよいとの意見が出されます。
むしろ、末期であるにもかかわらず本人には「治るよ」と嘘をつくことほど残酷なことはないのではないか、と言います。
「嘘も方便」という考え方もあるけれど、周囲が真実を知っていて本人だけ知らされないことはフェアじゃない、自分は真実から何かを積み上げたいという意見があげられました。
かつて「知らなくてよい真実はあるか?」というテーマで、てつカフェを開催したこともありますが、これはその人の生き方の問題なのでしょうか、それとも万人に通用する問題なのでしょうか。
それに関してファシリテーターから、やはり末期がんの父に対して告知すべきかという問題があったという自身の経験談が切り出されました。
その時は、結果的に僕の場合と同様、告知しなかったそうですが、やはりどんなに絶望的な気持ちになっても、やはり知らせてあげることで別の死に方、あるいは別の生き方ができたのではないかと思うところがあると言うのです。
これはパターなリズムなのかどうか。
やはり、ことが重大事になる前の段階で、この告知の有無は家族内で確認しておくことが重要だということが改めて確認されます。

終盤に入り、「言葉」と「時間」の問題が取り沙汰されます。
ある参加者から、「もし、余命が3か月ではなく、1か月、あるいは1年だったらどう変わっていたのか?」という問いが投げかけられました。
これも「たら、れば」の話なので何とも言えないのですが、どうも時間の客観的な長さではなく質のような気がすると答えてみました。
それは「余命X時間」と聞いた瞬間に、ギュッと時間が一気に凝縮されたかのような感じがして、そこに焦りを覚えたといってもいいかもしれません。
でも、それを引き起こしたのは何なのかと言えば、実のところよくわからないところがあります。
ああ、もう時間がないんだ、と目を覚まされた感じと言いますか。
それに気づいた瞬間に、時間がギュッとなったのであって、それが1か月、3か月、1年という客観的時間の問題ではない気がするのです。
もっとも、「残り1年」と言われれば、逆算して「まだ余裕があるな」と思ったかもしれませんが。
でも、あらためて問いたいことは、誰しも「余命X時間」であるはずです。
これに気づいて、焦って、驚いたら今までのように生きていられるのか、それともやはり変わらないのか。
僕自身、ほとんど毎日自分の死について考えることがありますが、だからと言って「自分は死ぬ」という避けられない命題に必ずしもピンときているようには思えないのです。
すると、いったいそこにいたるきっかけというのは何なのか?
僕の場合、それは今のところ「二人称の死」にしかピンとこないのです。

この問題に関連して、御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機から、墜落30分前に書かれた犠牲者の手記が見つかった事例を取り上げた参加者がいます。
それを読むにつけ、やはり生き残った側としては、死者の最期の言葉を知りたい、メッセージを知りたいという思いがある事実は否定できないと言います。
ある参加者からは、「父の死に際して何を引き出したかったのか」という問いが投げかけられましたが、皆さんの意見を聞きながら、それが「死にゆく者の言葉」であったことが確認できていったように思われます。
親子関係の修復とか言いましたが、それは別に仲直りとか謝罪とか、そういう類のことではなく、なにがしかこの「私」が世に生まれた原因者が最期を自覚して残した言葉によって、最後の未知の関係性を創り上げることができなかったのか、ということなのかもしれません。
あるいは、こちらの見えている世界観が変わる言葉を期待していたのかもしれません。
くり返しますが、それはどんな言葉かなんて予想もできません。
自ずと生起しつつあるものでしょう。
もちろん、それは陳腐な言葉かもしれませんが、それでも生き残る側の記憶に留める言葉を引き出せることは、なにがしか生き残る側の生に変容を与えるものなのではないでしょうか。
そして、それはとりもなおさず、死者と生者の関係性の変容する最後の可能性ではないかと思うわけです。

今回は、こんな感じである種の自己開示というか自己暴露というか、ある部分で裸になる必要がある話でしたが、ここまで開示していいかどうかは別として、このような様々な「現場の当事者」のお話から哲学的問いと対話を立ち上げていこうというのは、けっこう面白い試みではないかと思っています。
今回の試みがうまくいったのか、もうやめた方がいいのかは参加者の皆様のご意見を伺わないとわかりませんが、もしこの【現場/当事者から考えるシリーズ】で問題提起にご協力していただけそうな方がいらっしゃれば、ぜひご連絡ください。
それが哲学的問いになるかどうか相談しながら決めさせていただきたいと思います。
次回は、フォーラム福島でシネマdeてつがくカフェです。お楽しみに。

第31回てつがくカフェ@ふくしま報告―「〈おとな〉とは何か?」―

2015年08月23日 10時44分17秒 | 定例てつがくカフェ記録
昨日、「イヴのもり」にて第31回てつがくカフェ@ふくしまが開催されました。
テーマは「〈おとな〉とは何か?」。
参加者は19名。
今回はブログで予告していたように、ネオソクラティックダイアローグの手法を導入しながら、参加者同士の合意を探りつつ「おとな」の在りようを定義していこうと宣言して始めました。
以下その議論の記録です(ただし、記録者の解釈が含まれるので、発言者の意図や内容とずれがあるかもしれませんが、その際にはご容赦ください。)



「では、話し合いの切り口として、大人と成人を一緒にしていいのか、というところから確認させて下さい。あるマサイ族の家にお嫁に行った女性が夫に年齢を聞くと、「わからない」と答えたそうです。そもそもマサイ族には年齢がなく、少年時代と戦士時代、老年時代のどこに属しているかが重要になるのだそうです。そこでは男性だけが大人になる特権を持っていて、男性だけが財産処分権をもっています。日本では年齢で自動的に成年になるけれど、「おとな」になるというのは年齢では決められないものではないでしょうか。」

「大人と成人は複線的に考えられるものではないでしょうか。この時点では「おとな」とは何かわかっていない、成人とは何かはわかっていないので、まず大人の定義をはっきりさせてからその区別を議論した方がよいと思われます。」

「大人と成人とは重なり合いながらも、ちょっとずれる部分があるでしょう。その上で、私なりに定義すると、成人とは自立して責任ある行動を取って社会に貢献することが求められる人。大人は求められるのではなく、能力がある人ということになります。」

「ポイントは「求められる」のが成人で、大人はその「能力がある」というところですね。」

「生物としての大人は生殖能力を持った段階のことを指すならば、当然高校生になれば大人だといえると思います。ただし、社会的な大人はそれとはまた異なるものでしょう。いくら生殖能力が身についたら大人と言ってみても、小学生を大人とは言わないですから。」

「私が、この人大人だなぁと思ったのは、小学校4年生の時にある女の子の友達が「へぇ、あなたはそう思うんだ」という言葉を聞いたときです。大人の部分もあるけれど子どもの部分もあることがその人の個性。年齢は関係ないでしょう。他者には他者の意見があっていいんだということを理屈ではわかっていても、自分のものとしてそれを理解できることが大人なのだと思います。」

「大人って評価的な言葉ではないでしょうか。あの人は大人だよね、という風に。では、大人と評価できる人はだれかというと、人と人との間に立つときに、その場にいる人を共有させることができる人を大人と呼ぶのではないでしょうか。自分自身のことだけでいっぱいいっぱいになっているのは、まだ子どもです。」

「アリエスの『子どもの誕生』という本があるように、「子ども」という概念がある時代から作られたのと同じように、「おとな」という概念もまた、時代や社会に要請された概念に過ぎないでしょう。それについて大人とは何かと問うても、「大人=NOT子ども」という定義の事例をたくさん挙げることはできるけれど、それに意義があるとは思えません。もっと「大人」という概念を絶対化せず、相対化してみればいいのではないでしょうか。」

「それは大人とは何かを問うことは無意味だということでしょうか?」

「いや、無意味とまではいわないけれど。結局、大人も社会の要請によって生まれた概念ではないでしょうか。地域によって大人の定義はずいぶん異なりますし。

「先ほどの発言で成人と大人の区別があったように、大人ってどこか文学的なもののような感じがします。社会的に共有はされている言葉だけれども、その意味は変わりうるものですし、それは社会がつくるものでしょう。その点で、割と「大人」という言葉は肯定的な意味で使われるけれど、本当にそんなにいい意味なのかなと思います。」

「日本では調整能力があるのを大人というけれど、欧米のように自己主張が強いことが大人とする社会もあるよね。」

「子供っぽい大人や大人っぽい子供もいる。成人の定義はできるけれど大人の定義は非常に多様で、大人として求められる素養はたくさんあるけれど、その場面で変わることはあります。」

「「大人」という言葉自体にいい悪いはないのではないでしょうか。図々しいという言葉はいい意味では使われないけれど、「図る」ことを重ねるという意味ではいい意味でもあるでしょう。それで、言葉の語源を調べてみたのですが、その言葉の中には本質みたいなのが含まれていることに気づかされました。「お」は奥深い、「と」は統合、「な」は格の語源があるそうです。ここからも大人の本質が示されていると思いました。」

「古文にも平安時代にはすでに「おとなし」という言葉が使われていて、「年寄りはおとなしく云々」というくだりはいい意味で使われています。源氏物語でも自分の立場をわきまえて矩(のり)を超えないことを「おとなし」という意味で用いられています。」

「確かに、日本的な大人のイメージですね。」

「『論語』では、「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰えず」とあるように、心の赴くままに行動しても「のり」を超えない境地に至るのは70歳だということになりますね。すると、大人になるというのはけっこう先の話だなぁ。」

「小浜逸郎の定義・分類によれば、「大人」は生物的・社会的・心理的大人の3つの層に分かれているそうです。その上で、心理的レベルで大人を定義してまとめるのは大変だろうなと思いました。でも、人間の場合、生殖能力が身に着いたことだけで大人とは言わないでしょう。というのも、人間の場合は遺伝子を残すだけでは終わらない。産みっぱなしではなく、育てられるレベルまで問われるのが人間です。だから、人間は文化を伝えるという社会的レベルで再生産可能なものが大人ということになるし、それだと議論は進むと思います。」

「意識的に自分を見つめられる段階が大人じゃないでしょうか?」

「それは心理レベルでの大人かな。」

「文化の再生産ということに関していえば、もともと王族ではない下級地主層のジェントルマンが、新興階級としてあえて王族や貴族と同じ振る舞いの仕方を子孫に伝えようとして、子弟に上流階級の徳目を身につけさせようと教育したことも関係するんじゃないのかな。」

「いや、私は徳目の話をしているのではありません。それは心理レベルの話だと思う。」

「うーん、でも身に着けているものをもって初めてジェントルマンとして認められるわけだから、それは大人として認められるということにもなりそうだけどなぁ…」

「文化の再生産という言葉に関して、今の議論は、人類として持続していくために子どもに文化を伝えていくのが教育であるという議論と、上流階級に参入するための資格(資質)を文化として子弟に伝えていくものも教育だという話が混同されています。」

「自分自身のことを離れて、他者のために何かをしようとし始める、他の人の責任を取るということが大人なのではないでしょうか。」

「今の議論に関して言うと、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」を見た世代が大人になってリメイクし、その内容を発展させようとすることは、大人として次世代に責任をもって受け継ぐということになる例だと思います。」

「すると、大人とは何ですか?」

「大人とは次世代に文化を受け継がせる責任を持っているもの、ということになります。」

「どうしても再生産という言葉が引っ掛かりを覚えます。文化が伝えられていくことは大事だけれど、社会には変化も必要でしょう。そうすると再生産という言葉が引っ掛かるのです。」

「大人は文化を再生産するもので、それをブレイクスルーするのが子どもということでしょう。」

「社会的なブレイクスルーの例は?」

「革命です。」

「ロック、パンクの世界では大人は悪いものとして見なします。だから、そういう文化にある人々は社会を壊してしまうから子どもだということになるでしょう。でも、そういう人々が世の中を変える権利を持っている、悪い大人が支配している世の中を変えていくということを彼らは訴えます。だから、子どもは正しいんだけれど弱い、大人は悪いけれど強いという枠組みがあるのではないでしょうか。革命もそういう構図を持っていると思います。」

「安倍首相は子どもだと思うんですけれど、権力を持っていても考え方が子どもの議員もいるから、子どもが正しくて弱いかと言えば、100%そうだとは言えないですね。」

「政治の世界にいる人は子どもばっかりだと思う。その時の子どもという意味は、何も分かっちゃいないという意味です。子どもの正しさは純粋、自然な感覚ですが、伝統と創造ということに関して言えば、慣習を破るものが子どもの力で、大人は伝統を保守するものでしょう。」

「子どもらしさはいいものだという価値観を引き継いで言えば、子どもっぽさが残っている方が魅力的だというのが日本社会ではないでしょうか。欧米では、子どもは未完成な人間とみる社会であるのに対して、日本社会では子どもらしさは悪い意味では使われない。そこには子どもの可能性に期待するという意味があるように、社会が悪い時ほど子どものイメージがもてはやされるものではないでしょうか。」

「大人の本質を考えると、精神的社会的レベルの座標に自分をおいて自分自身を見つめることができる、意識して自分を見ることができるのが大人かなと思います。距離を取って客観的に自分を見ることができるのが大人なのです。」

「他者の視点でメタ認知的に自分を省みることができるのは大人かなと思う。社会の再生産に関して言えば、社会を変えていくのも結局は大人です。未来の視点で社会を見ていけるのが大人。子どもにないスキル、人格をもっているのは大人ということになりますが、それだけだと単なる文化の再生産になってしまいます。他者の視点で見る力があるからこそ社会を変えていくことができるのではないでしょうか。」

「大人が意図的に「社会を変える」ということではないんじゃないかな。「社会は変わった」というのが歴史の実際ではないでしょうか。大人が社会を変えるというのはどうかなと思います。」

「例えば、ドイツが原発事故を機に原発依存を止めて再生可能エネルギーにシフトしたのは大人の判断でしょう。」

「ドイツの原発の話に関して言えば、社会の良い部分を残しながら改良していくというもので社会の根本的な変化とは言えないのではないでしょうか。社会を根本から変えてしまう革命は、すべてをぶっ壊しながらその先は考えないものです。だから、大人は社会の根幹を変えないために変えるものではないでしょうか。」

「なるほど、社会の根幹を変えるのではない改良主義を担うのが大人であるということですね。それに対して子どもはすべての根幹を破壊しかねない革命的な存在だと。」

「大人は修正主義といってもいいよね。」

「全部が見える位置にいるのが大人で、その中でできる最大のことができるのが大人です。大人ができなかったことを新しい形で生み出すのが子どもです。だから、大人と子どものそれぞれの力の良さという両輪がうまく回って、世界は動いているのかもしれません。」

「大人は子どもに比べると一般に知識豊かで経験豊かであるといえ、大人は大局的に長期的に判断できる存在ということではないでしょうか。」

「大人は未来につないでいくことを担うわけですが、過去に目が向いていないと大人になれないと思います。今の社会が成り立っていることをふり返って自分があることを考えて先につなげることができる存在。子どもにはそれが欠けている。子どもには過去と未来のつながりを感じられないはずなので。」

「子どもと大人というのは年齢的なものではなく、大人的なものと子ども的なものは共存しなければいけない。大人になるためには訓練は必要ですが。」

「議論の冒頭に出てきましたが、大人というものを考える上で根幹にあるのは、自立という言葉ではないでしょうか。心理的なものとは別に、経済的に自立することが大人の必須条件でしょう。そこを探らないと心理的な議論で終始してしまう。必要条件の話と十分条件の話を分けるとすれば、前者の話をしていかないと議論は収拾がつかなくなると思います。」

「経済的自立と言えば、ヒモは大人?」

「専業主婦も大人だと思うので大人でしょう。」

「ニートは?」

「子どもでしょう。」

「病気で入院している人は?」

「能力論で定義すると大人に当たらないかもしれません。」

「メタ認知ができる人が大人という意見に共感できます。改良できる人。子どもは純粋さがあってブレイクスルーできる純粋さはあっても、意識的に選択できません。」

「でも、他者の立場に立って物事を考えるというメタ認知は、ある程度気の利いた小学生でもできますよ。」

「貧しい国で働かざるを得ない子どもたちの方が大人なような気がするので、自分で選べるというのは大人の条件にならない気がします。やむを得ず社会に投げ込まれる分だけ大人な気がするけれど、なぜそういえるのかはわかりませんが。」

「私の子どもは発達障害の傾向があるので週3日しか働けません。だから、経済的自立という点では大人とは言えないけれど、大人になっていないとは言えないと感じます。というのも、自立とは親子の間柄でも対等な人間として自分の意見を言えることができる存在だと思っているからです。すると、経済的自立をもって大人の基準は決められないな。自分で決断ができる意味での自立が大人の条件ではないでしょうか。」

「自分の意思を言って、かつ他者に認められるようになるのが大人だと思います。それに関して言えば、責任を取るということとが大人の定義になると思います。ニートでもその人が犯罪を犯せば、当人に罪を償ってもらいますよね。」

「責任を取れるのが大人というのは腑に落ちますね。」

「なぜか高校球児が大人に見えますよね。白鳳も私より年下だけれど私より大人に見える。それは一つの共同体の中で自立した存在だからではないでしょうか。経済的自立も、この社会の中で自立しているからですが、するとその社会に適応していくことが大人なのだといえます。」

「でも、学校生活に適応している小学生が自立しているといえないでしょう。」

「自立と適応はイコールなんですか?」

「私はイコールだと思います。」

「一応の完成が大人だとすれば、教育しなければいけない対象が子どもです。教育段階を終えた人が大人で、教育を与えられる状態が終わった段階で子どもは終了です。」

「18歳選挙権をもつということは大人として行動しなければいけないということでしょう。大人を創り出すのが学校教育だとすれば、今回の18歳投票権の導入は、高校卒業段階がそのラインであることを鮮明にしたことになる。社会に責任を持たされるということで。だから高校教育の責任は大きいと思います。」

「いや、18歳投票権が認められようが認められるまいが、それ以前から高校教育は社会に出ることを前提に行われていたわけですから、この制度によってより大人になるための責務が重くなるということではないと思います。むしろ、シティズンシップ教育で多様性を育むとか言う割に、その一方で大人になるための教育システムが学校教育に一元化されることの方が問題ではないでしょうか。昔は勉強ができなかったりヤンキーだったとしても、地域の祭りのときに活躍したりおとなの一員として見なされていたと思いますが、地域社会の崩壊や学校化社会の進展とともに、彼らのような存在を受け止める領域が失われるるあるように思われます。その結果、大人を育成する社会システムが単層化しつつある点が危機的だと思います。」

「たしかに、大人として育てたり、大人として認める領域は社会にもっとあったよね。」

「大人になりたい人もなりたくない人も社会的に要請されて初めて大人になるのだとしたら、大人になるって受け身的なものかもしれませんね。」

「そろそろ終了まで残り10分となりました。ここでベタですが、皆さんは大人なのですか、という質問をさせてください。大人だと思うとしたら、なぜそう思えたのでしょうか?」

「今の質問でわかりました。私の場合、周りの親や大人に言われてきたことが自分の言葉で言えるようになったときに、大人になったと思えたのです。」

「今の意見でいうと、小学生のお姉ちゃんが、親に言われることと同じことを妹に説教する場合にも当てはまるのではないでしょうか。」

「いや、実体験を言えているか、おうむ返しで言うのかでは相当違うのではないでしょうか。」

「バイトで初めてお金をもらったとき。自分で稼いだという機会に大人になったと感じました。経済的自立に至ってはいないんだけれども。」

「私の場合は、17歳の時に家を出て大学の寮に入ったときですね。そして、バイトで稼いだときもです。家庭にいるときはわけもなくむかむかしたけれど、自分で生活し始めたときに大人になったと初めて感じました。あと、社会人になったときと、家庭を持って子どもに対して責任を持ったとき。誰かのために責任をもつということが大人になったときに感じたものです。」

「仕事がら子どもと関わるので、そのときは大人でなければいけません。そんな時に自分は大人だと感じます。」

「自分のことを子どもだなぁと思うことがあるけれど、皆さんの話を聴いて自分で選ぶことや経済的自立という考え方でよいのであれば大人の一員かなと思いました。」


ご覧いただきましたように、「おとな」の定義に関して合意を形成するという当初の目論見はみごと破たんし、いつものてつカフェの展開となりました…
あらためてファシリテーターとしての未熟さを痛感させられました。
というよりも、福島の哲学的対話の〈かたち〉が根付いてきたということでしょう。

今回、私自身は皆さんの議論を聞きながら最後にハンナ・アーレントのエッセイ「教育の危機」を想い起したということを述べさせていただきました。
アーレントはそのエッセイの中でこう言っています。

「つねにわれわれの希望は各世代がもたらす新しいものに懸かっている。
しかし、われわれの希望はひとえにこのことを拠りどころとするため、旧いものであるわれわれが新しいものを意のままにしようとし、その在り方を命じようとするならば、われわれはすべてを破壊することになろう。
まさに、どの子供にもある新しく革命的なもののために、教育は保守的でなければならない。
教育はこの新しさを守り、それを一つのものとして新しいものとして旧い世界に導き入れねばならない。
旧い世界は、その活動がいかに革命的であろうと、来るべき世代の立場からすればつねに老朽化し、破滅に瀕しているのであるから。」
(アーレント「教育の危機」259~260頁,『過去と未来のあいだ』所収,みすず書房)


実は、いまから約20年ほど前にこのエッセイを読んだ時分には、フツーの保守的で権威主義的なおっさんがいうようなことを何でアーレントほどの思想家が言うのだろうと訝しく思っていたのですが、年齢と経験を積み重ねるとともに、このエッセイの重要さが身に染みてわかるようになってきました。
そして、この文章の意味が腑に落ちたとき、若い頃と違った私自身になっているのだなぁと気づかされたという意味において、「大人になった」ことを実感させられたものです。
今回の議論の中で出された大人の保守性と伝統文化の伝達、革命的な子ども性という議論は、図らずもアーレントの論と重なり合うものだったと理解しています。
新しい革命的なもののために大人は世界を保守しなければならないということ。
これを担える大人とは何か。
社会的に自立した存在が大人だという議論とはまた別の論点をいつの日かもう一度深め合いたいと思う機会となりました。

第30回てつがくカフェ@ふくしま報告―〈病〉とは何か?―

2015年06月29日 18時07分06秒 | 定例てつがくカフェ記録
いつも以上に遅くなりましたが、第30回てつがくカフェの報告文をアップさせていただきます。
参加者は12名。
今回は、いつもの世話人が私用により参加できなかったため、世話人・杉岡が報告をまとめました。
はじめての報告文に四苦八苦したようですが、立派な内容になっています。
これで@ふくしまの記録係の層も分厚さが増しました。
以下、とくとお読みください。



病とは何か?―病気が教えてくれたこと―

まず、小野原さんのブログにあった「病気が教えてくれたこと」(生命保険会社で出版したの本)の本では、病気にかかった人の色々なエピソードが書いてあり、病気にかかったおかげで苦しい事もあったけども、家族や・学校に行くことができたことなど見つめなおすことができたことが書いてありましたねと、本の内容に関する話が挙げられた。

この本を購入して読まれた方は、「病気になると孤独を感じる。」いい、「仕事は心配するな。体を優先しろ!」などと職場では言ってくれるが、誰もやってくれないので、自分がやるしかないと思うとの意見も。

小野原がまず、この本について説明をした。この本は、病気をして、人生の見方をガラッと変えたりする出来事を扱ったもので、そういう面からのエピソードが多いですね。逆に言うと、プラスの面しか乗せておらず、病気によってプラスに影響した話なので一面のみしかとらえてないところはあります。

ある方は、病気になって、仕事を休みたいな~!と忙しかった時は、思ってました。そんなときでも、今でもですが、健康であんまり病気にかかってないです。
自分は、あまり病気にならないからわからないが、病気になると色々考える機会を提供してくれるのではないか、例えば、自分自身の強さやの弱さだとか、他人の優しさとか心遣い、健康な時にはわからなかったことや健康のありがたさ等を気づかせてくれるものではないか。

みなさん自分の病気などの経験に触れて話されていました。

ある男性は、最近、調子悪くて、周りからは、単なる風邪だと思われていたけど、風邪薬を飲んでも、ずっと体調がすぐれず、そんな状態が続いており、病名をつけてもらってほっとしている自分がいた。病気には、治る病気と治らない病気があるけど、簡単に治るものは良いけど、治らないものとは一生付き合わなくてはならないのはつらいですね、と述べる方がいた。
他の方からも、病名が分からず、つらい状態が続くのはつらいという次のような話題が上がった。

女性の方が、更年期になり、なんとなく調子が悪、心療内科に行くと、医者は、何も言わなかったが、症状から推察した私は、自分から「うつ」ですか?と聞いたら、「そうです!」、と言われ、ほっとした自分がいたとおっしゃいました。

基本、あまり病気にならなかったけど、最近肩が上がらなくて、理由が分からず動かなくなったりすると、不安に感じて過ごしていましたが、でも、自然と動くようになってホッとしましたね。年齢のせいかな、と思ったりもしましたね。最近、妻が乳ガンになり摘出手術をしました。念のために取ったのですが、幸い転移などもしておらず、よかったのですが、病気というのは、ガンという病気自体の心配と、やはりお金の心配などはつきものですね。
入院などして、じっくり考える時間等がある事は良い事ですが、それは、お金の心配なく、恵まれた人は、色々考えられるけど、病院にかかれない貧しい人などは、病気が教えてくれたとか、そんなこと言ってられない状況だと思う。

それを受け、別の方が、10年ぐらい前、肩上がらず、整形外科へ。でも、医者は、なんともないといい、痛みが続いているのに、原因が分からなかった。つまり、西洋医学ではわからなかった。西洋医学と東洋医学の違いはわからないが、体のリズムが狂うとおかしくなってしまったのだとその時、思いましたね。その時から、西洋医学への不信感を感じ、人の体って、ちゃんと目に見えておかしくなる部分ではなく、心とか色々な物のバランスを崩すと不調が出てくるんだろうな~と思ったりしました。

小野原は、西洋医学だと、病気の原因があって、それによってこういう症状があってそれに対する処置ができるし、それを説明されると納得する事はあるが、それとはちがう不調というのはありますよね。そういう明確に定義できない不調を病というのか難しいところはありますね。

そうですね!病って何なのか?どこから病なのか?どこから病ではないのか?明確に決めるのは難しいのではないか。その辺考えますよね。

最近、病気で、手術をしたんですが、病院で待たされることが多く、そんなある時、新聞の折り込みの、自然食品のチラシが目にとまり言ってみた。「快医学」というのがあり、その先生を紹介してもらった。そこの先生は、1~2時間も色々と話を聞いてくれて、わかる事は、わかると言い、わからないことは、調べてから説明してくれた。あらゆる自分に合った施術(針など)をしてくれた。自分を体全体で見て判断してくれる医者に出会ってよかった。医者のイメージが180度変わり、これこそ医療ではないかと感じた。と言った、医療に関する話題も上がった。

小野原が、話題をちょと戻して、「どこからが病気なのか?」まるまる健康っていうのは、なかなか無いのではないでしょうか?と病気自体について考えてみませんか?と投げかけた。

ある人は、目がすごく悪いとか、みんな何かしら不自由を抱えているのではないか。それは、ある種グラデーションの問題ではないでしょうか?という意見があった。

つまり、視力が1.0の人もいれば、0.1の人もいて、どこからが視力が低いと線引きの難しさを挙げられておられました。

また、外国人の人は、肩が凝らないんですよ。外国の人は、肩が凝っているというのはわからない。「肩こり」という名称が無いから、意識しないので、カテゴライズするから、認識することができるのではないでしょうか、との意見も。

病名を与えることで認識できたりするし、明確に与えられないと、はっきりしないのでわからないから、不安になるといった前半の話題につながる感じがします。

話は、病から学んだことに戻り、病気になると無理が利かなくなることが分かると、相手にも無理をさせられなくなりました、との経験談が挙げられました。対人関係に関しては、学んだ気がする。無理をしてしまって、病気になってしまったので、その経験から、仕事を頼む場合でも、無理をさせすぎないでやってもらうように考えるようになった。

私も同じで、若い頃、昔PTA役員やっていた時、人が来ないとどうして来ないの?!と人を許せなくなっていたが、自分が年をとり、町内会の集まりがあったのも忘れてしまった時に、具合が悪くて行けなかったり、行きたいのに行けない状況に自分がなってはじめて、他人に対して優しくしないといけないと気付いた。

小野原は、ひざの皿を割って、松葉図会をついた経験が一番大きな出来事。その経験から、足の不自由な方のつらさをイメージすることができるようになった。病気の前は、想像しようとしても出来なかったが、なってみてわかる事もある。
若いころは、車の運転も荒かったが、前の車は、そういう障害のある人なので、慎重に運転しているのではないかと今では想像できるようになった。

それを受け、今までの自分の傲慢さが、病気などを通してはじめて想像できるようになり、人にやさしくなれる。 病というのは、メメントモリ(ラテン語・「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句)・常に死を考えろよ、ということに通じる気がする。
前回のアートで哲学カフェの絵も、気違いというか、病気の人の絵ではないかと共通のものを思い出しました。

小野原
「心の病と体の病」の違いがあるだろうけど、哲学カフェに集まる人々は、実は、意外と心が病んでる人が来ているのではないか。でも、心が健康でないと人の話なんか聞きにもこれないのではないでしょうか。

この本は、プラスのことしか書いてないですよね。人間は、どんなにつらくても前を向けるよ!と言ってる本ですが、自分の周りにも、そんなに積極的に前を向けない人もいるんですよ、といった意見が挙げられた。体の病は、胃が悪い・骨折とか他人に言えるし、心に漠然と不安を抱えている人がいと、その人に対して、不安になるな、といってもしょうがない問題もあると思う。

私の更年期障害が意外とひどくて、ホルモン治療をとったら、すごく良くなった。その時、すごく安心したが、もう一人の自分が「それは違うだろう!」という自分がいて、それで、薬の量を自分で減らして、調整した。
寝てる時は記憶がないが、起きてる時がきつかった。起きると、やっぱりきつくて、こんなにきついんだったら死んでもいいかなって思った。そんなとき、テレビをつけたら、ガン病棟で一生懸命生きる子どもの映像が映った。それを見て、「ガンのほうがもっとつらいよね!更年期よりも」「更年期のつらさと10歳のがんと闘う子どもを比較して、相対化することで、気持ちのチェンジができた。

私の周りにも、精神的につらい人がいたが、周りにいる私たちは、何もできないで、それに対するもどかしさを感じた事があった。

高齢化社会ですが、病気のつらさとかをこう言う本などを通して教えてもらうとみんなが思いやりを持って、良い社会になっていくのではないか、といった意見も出た。

今になって過去の病気を見れば、色々な気づきを与えてくれる場ではなかったかと思う。自分は、夫、2年づつ転勤していて、3人の子を一人で見ていたようなもの。一生懸命子育てを頑張っていたら、突然更年期になった。医者には、「今まで、トップスピードで走ってきましたね!更年期になって、その頑張りを、ローまでしなよという意味なんだよ。」というように言われた。食器洗いや、洗濯など全部自分で頑張っていた。自分が倒れたので、子どもたちがやるようになった。それは、子どもたちに仕事を分配できない自分に問題があったのだと今は思える。

病気は、どちらかと言えば、悪ではないか。話を聞いていてそんな風に感じます。「もし、この世に病気が無くなったらどうでしょうか?」
自分も痛いのは嫌ですし、でも、無くなったら、怖いですね。ちょっと前に、麻生副総理が、高度な治療が必要な方がいますが、私だったら早く死ぬ!と言ってた。経済産業大臣だったら、そういう意見はわかるけれども、このまま、寿命が長くなり、延命で長生きしていくことは、問題ではないでしょうか。との意見があった。

今の話は、「役に立たなくなった人間は、いらない!」ということなのでしょうね。経済的に考えるとそうなってしまうのでしょうね。病があってそれを認める社会が必要なのではないか。役に立たない人でも生きていく世の中が必要ですよね。

昔は、認知症がなかったが、最近は、高齢化とともに医療も発達したことで、今まで迎えなかったステージに達して、それで、認知症が増えてきたというのを習った。体の外枠は直せても、内側がついていけてないのではないか。だから、寝たきりの人などを死ねと言ってるわけではないですが、人が自然に死ぬということはどうなのか考えさせられます。

別の男性は、父が96歳ですが、80まで、肩凝りや、胃が痛いとかなったことがないと言っていた。91まで車運転。92から、認知証、脳梗塞などを発症した。
今年の2月から、食欲が無くなり点滴をしているが、医者には、鼻から栄養補給か、胃瘻か選択を迫られた。俺は、もういいんじゃないかと思ったが、兄弟は、胃瘻を希望。
90過ぎで胃瘻する人は、あまりいないが、今は、認知証が進んでいる。長生きがいいか悪いかとは言えない。でも、これ以上長生きしてると老老介護になってしまう心配もあるし、自分より長生きして孫には面倒を見せたくないと言った切実な話もあがった。

昔は、医療もそんなに発達しておらず、自然な死に方ができていたけども、最近は、医療が発達し、延命治療と呼べるようなものがあり、どう死にたいかという問題を考えなければいけない時代を迎えていますね。

話は、ちょっと変り「病気的な人で天才もいますよね!」といった病気と天才が紙一重ではないか、といった意見があげられました。

それに対し、社会で役に立っている人は、病気というレッテルは張られないのではないか。

今は使われないが、「気違い」でも社会の役に立っていればいいけど、ナチスでも病気や障害のある人を殺したりしたことがあるように、今でも役に立つか立たないかで人間を判断するところはないだろうか。役に立たなくても一緒に生きていく社会に向かっていってほしいと思う。

また、別の人は、私の近所にも、そういえば、気違いの人がいた。町場に出て行くとき、うちに寄って行った。周りの人たちは、彼女を気違いと言っていた。でも、彼女の話は、本質を突いていて好きだった。彼女は、通常の人よりも大きなエネルギーを持っていて、会うのが楽しみだった。昔は、そういう存在も受け入れられる余裕が社会にあったのではないだろうかと、現在と昔の社会の違いを述べられた。

小野原も、20年ぐらい前は、病気休暇の人がいても仕事が社会が回っていたが、だんだん、人が少なくなり、そういう人への風当たりが厳しくなっている気がするとの感想を述べた。

最近、80年代は、良かったと言われているのをラジオで聞いて、世知辛い世の中になっているのでは、と感じる人や、60年代まで、神経たかり(しんきたかり?)と言われて、共同に生きていた社会があったと、昔は、ちょっと変わった人でも身近に居たと言った話も出ました。

それを聞いて、自分はまだ若いけど、今健康だが、いつ交通事故になんて身体障害者になるか分からないから、そういう人でも生きていける世に社会をつくっていく必要があると考えます。

今は、経済性を重視していて、経済性以外の人の多様性とかといった面を見落としてきたのではないでしょうか。芸術家などは、経済観念が無いので、一緒に住むのは難しいと思うが、そういう社会の周辺に生きる人々とかも大事にしていきたいよね。といった、さまざまな人が生きやすい社会が必要ではないかと言った病を受け入れる社会について話が及んだ。

再び、本の話題に戻り、「この本は、どうしてグッとくるのか?」と思ったのですが、映画とか本とか感動するものは、そのストーリーなどに魅力があり、惹きつけられるのではないか。

それを受け、健康で淡々と生きている人生よりも、密度の濃い生き方に魅力を感じるのではないでしょうか。つまり、平凡ではなく、ドラマチックなところに人は、惹かれるのではないか。でも、この本などは、平凡なことがかけがえがないと言ってる内容でもありますよね。でも、逆に前を向けずドラマチックじゃない人生もあると思うので、そういう方の話題も取り上げられてほしいですね。

この本は、自分のこのような状況などを知ってほしい、承認してほしいという欲求があって書いたりしたのかなと思います。

高齢の人だと、話題が、病気の事が多くなっていますよね。命に関わる話題は、ドラマチックになり、あのときは大変だったけど、今は元気でやっていますよ!といわれると、承認されやすく、聴きやすく、共感しやすいのではないか、との意見がありました。

人は、困難を経験すると、それを乗り切るには、物語をつくる必要があるんではないかとの意見が挙げられました。整理するための物語というかそういったものを作る必要があるのでは。

物語は、その時はそんな状況ではないが、時間が経ってその状況を返り見るとドラマチックに見えたりして、その当時は、その状況を乗り切るのが大変だったな~。と、時間が経って、その状況を客観的にとらえられるようになると言った話が出ました。

PTSDとかでもそうですが、「語る」ということは一つの自己回復というか、そのつらかった状況を乗り越えるためには必要であるようなことを何かで読んだ気がします。語ることで客観化できるのではないでしょうか。

子どもの頃、インフルになると、母からの愛情が自分にそそがれ、自分が特別に扱われたのは、とてもうれしいけども、その当時は、治ってしまえばそのことはすっかり忘れてしまい、学ぶことは何もないですね。それと違って、大きな病気の場合は、物語が必要だし、その状況ををとらえ返して乗り越えないといけないというのは、また違うのかなと思います。

乗り切ってかなり時間がたたないと、こういう風に物語として書くことはできないのではないかと思います。

こういう本は、まだ乗り切れないでモヤモヤしている人が、乗り切れるアドバイスを与えてくれる本ですよね。前向きになれるように。
大変な仕事で辛かったけど、無事乗り越えた出来事を思い出すと、今は良い思い出と、達成感しかないが、振り返れるからそう思えるのであって、今つらい状況の人には、多少なりとものアドバイスにはなるので、この本は良いのではないかとおもう
一方で、そんな良い話ばっかじゃないとは思いますけどね。

今まで、4回ほど病気と怪我で手術。今、19歳。
気付いたこと、感じたことはあるが、病気になったのは小さい頃だったのですが、病気とは、いろんな人にとってチャンスではないか、と思う。病気になったからこそわかる事・気づくことができると思う。自分にとってもそうだが、周りの人にも、乗り切れなかった人を見たら、次は、こういうアドバイスをしようといった意味で、考え方を変えさせたりできる。

チャンスよりは、チェンジとチャレンジ!かな、病気をきっかけに、食生活とかを変えなきゃいけないので、私にとっては、チェンジととらえますね。病気に向き合うということに対しては、チャレンジですね。人間関係への意識とかが変わるっていう意味では、チャンスかもしれないですね。

私の親は、夫婦で商売をしていて、隣の人は、裕福で、それを心配して、朝起きてから、預かってもらって、夜寝る頃には戻されていた。7歳のころでしたね。でも、自分は、体が弱かったので、自分が病気になれば、母は、そのために休まないといけなかったので、わざと病気になり母との時間を作ってたかな。そういう意味で、病気になる事は、母と時間を過ごせるチャンスだったと思います。

小野原
前半で、病気と健康の境界の話も出ましたが、じゃ~そもそも病とは何なんでしょうかね?

同じ病気をひいた人が、どうして人それぞれ受け止め方が違うのか?人間十人十色だから当たり前だというのはわかるのだが。。。

インターネットで見たんですが「病気になる前に他人や自分に対する不満ってありませんでしたか?」と書いてるのがあり、自分は、小さいときは、母と一緒に過ごせなかったことや、子宮筋腫の時、母とうまくいっていなかった事を思い出した。

それは、「病は、気から」ということではないですかね。ネットでは、これを気にしてるとここが悪くなるとか沢山書いてあっていっぱい調べている人が居るんですね。仕事と病気がつながっているとは思う。ここ1年忙しすぎて、頑張りすぎて体が不調をきたしてきたが、何とか乗り切ったので、大丈夫ですが、「病は、気から」というのは、ほんとそうだと思いますね。

祖母も体が弱く、頭がいい人だった。。年と共に、ボケではないが、どんどんと体的には健康になっていった。だんだんと体の調子が良くなっていって、最後は、老衰で死んだ。
仕事の量よりも、一緒にやっている人とかの問題でストレスを感じ体調を崩すことがありますね。

「ボケは、神様からの贈り物」という見方があります。

約束事があっても、行きたくないと思うと、風邪をひくことも結構ありますね。嫌なものは、最初から断わった方がいいと思いましたね。

まじめな人は、「病は気から」って言われると余計抱え込んでしまってどんどんマイナスになってしまう人もいるから、気をつけないといけないと思いますね。だから、病気の人に「気合いが足らないんだ」と言ってもまずいなと思います。

病気になる時もそうだが、治る時も、元気になりたい!って気持ちがあれば乗り切れるんではないでしょうかね。治そう!という気持ちも大事ではないか、うちの母を見てるとマイナス思考が強いかなと思います。

それは、病気になって得続けてるものがあるから、治りたくないのではないか。病があると、子どもが母との時間を過ごせた時のような状態と同様に、回復したいという風には思えないのではないか。

病に負けないとかあきらめないという気持ちが大事ですよね。この間のテニスの錦織の戦いを見て思いました。

自分自身から、そういう気持ちにさせるのは、なかなか難しいですよね。

病っていうのは、休みなさいという意味のシグナルなのではないでしょうね。
病気が無いとみんな老衰なので、ただ単調な人生になってしまうのではないか。

小野原
西洋医学、病気を単体として見てしまい、それを解決すればいいという見方で、人間全体としてどうなのかといった見方を忘れているのではないか。

今の病院は、外科・内科・皮膚科・とか細かく分類されており、単体で見ており、全体を見られてないですね。

自分の父は、病気にもかからず、83歳まで生きた人でした。道路のそばのプランターにうずくまってたかと思ったら死んでたんですよね。その人の生き方を考えたら、長生きするには、自由で、わがままな人ではないかと思いますね。

欲が強い人も長生きしますね。

健康診断で、細かくわかりすぎるのもどうかと思う。今までわからなかったことも細かくわかるようになり、医者が病気をつくっている状況にもなっていますね。

先端技術が発達しすぎてしまうと、遺伝子で病気などが分かりすぎてしまうとナチスのようなことになっていってしまいますね。


1.病とはなんなのかといったこと。
2、西洋医学と東洋医学。
3.心と身体の病。

等々色々議論されました。

第29回てつがくカフェ@ふくしま報告―「人生のパートナーとは何か?」―

2015年04月12日 09時10分38秒 | 定例てつがくカフェ記録


昨日、「人生のパートナーとは何か?」というテーマで、第29回てつがくカフェ@ふくしまが開催されました。
参加者は16名。
会場は初の「イヴのもり」です。



書籍棚にたくさんの本が並ぶとても落ち着いた空間で、対話もいつもよりじっくり展開しました。

ところで、今回は世話人杉岡の結婚を祝してのテーマ設定とさせていただいた経緯があります。
そして、当のご両人にもご参加いただいたわけですが、みなさん、そんなことおかまいなしに「人生のパートナー」に関して自由な発想を披露して下さいました。
以下、その模様です。


「パートナーというと、協力関係や互恵関係を持った相手という存在だと思います。人生のパートナーというと一般的には、結婚パートナーを指しますが、それに限らず時には同性だったりペットだったりいろいろなケースがあるでしょう。まず人生のパートナーは必要かと考えると、たとえば、フィギュアスケートを例に考えると、一人でパフォーマンスを発揮できる羽生結弦選手のような人であれば、パートナーは必要ではないかもしれないけれど、ペアを組んだ演技の場合には、二人でしかできない演技があるでしょう。1+1=2以上の演技ができる場合にはパートナーに価値があります。場合によっていない方がいいこともあるけれど。じゃ、人生も同じかというと、そうとも言えない。スケートの場合には観客がいるけれど、人生に観客はいません。評価は自分自身がするしかない。人生の場合は山あり谷ありなので、お互い足を引っ張り合う場合もあるが、結果的にそういう状況になっても、パフォーマンス以外にもパートナーを持った方が慰めあったりできるから、パートナーがいることでパフォーマンスが下がっても、その存在には価値があると思います。」

「人生のパートナーには、男女間のパートナーと同性同士のパートナー、あとはペットみたいなパートナー、モノもパートナーとして考えられると思います。」

「いや、私が考えるのは互恵関係にあるものなので、一概にモノをパートナーとは言えないのではないかと思います。」

「自分自身のことで考えると、人生のパートナーは私自身だというのが答えです。そう考えると私のパートナー何なんだろうと考えたら、逆説的にそれは人生だったと気づかされました。というのも、私の人生60年間に出会った人たち、親密だったりそうでなかったりする人たちが、慰めたり気づかせてくれたりした人たちが、みんなパートナーだったなと思うのです。私の感覚的なものがあって、それがこの人とお付き合いしてみようとか、そういうものが土台にあって色々な人たちに出会わせてくれたと思っています。もう少しいうと、もう一人の私みたいなのがいて、付き合いの方向を指示してくれるのです。最近では、インターネットの情報もそれに当てはまると思います。」

「世の中にはモノと結婚する人というのがいるらしいんです。中にはエッフェル塔と結婚した人がいるらしく、その時の求めているものによって人であったりモノであったりするのはありうるんじゃないでしょうか。」

「パートナーとは自分の何かを埋めてくれる存在だとすれば、それは機能的なものペースメーカーもそれに含まれるのではないでしょうか。」

「うーん…たしかにメガネなしじゃ生活できないけれど、メガネをパートナーだと思ったことはないなぁ…」

「足りないものを埋めるのもパートナーの役割だと思うけれど、私には毎年一回会う友達や10年に一度くらい会う友達もいて、彼女たちが足りないものを埋めている感じはしないです。その時に会ってお互い、相変わらずだなとか確かめて別れるものだけれど、それは自分の人生のパートを受け持ってくれているという感じで、足りないという感じでもない気がするのです。」

「当初テーマを立てたとき、人間同士の関係のことを想定していたのだけれど…、まさかモノがパートナーだという展開になるとは思ってもみませんでした。」

「私もお互いに協力し合うのがパートナーというイメージでした。」

「私の場合には、10年に一度会う友達も10年分も支えてくれているような存在であるという点でパートナーの中に入るという感覚があるんです。」

「人生のパートナー=結婚相手と答えられる人はものすごく幸せだと思います。わたしは娘と息子はかけがえのない大事な存在ですが、彼らは守り育てなければならない人たちなのでパートナーではありません。わたしにとってパートナーとは「信頼して自分をゆだねることができ、かつ同じ力量でお互いを想い合える相手」だと思うからです。そう考えると、てっとり早くパートナーを得るには、会社を作って共同経営者を探すのがいいような気もしますが、会社でのパートナーは経済的な基盤を共にするという点でしか結びつかないので、それは完全にその人を中心に、その人のありのままを大事にして生きていくことができません。なのでわたしにとってのパートナー定義は愛情由来でないと成立しないことになります。だから何回でも結婚ていいなって思ってしまうのです。」

「やはり、相互性の有無がパートナーの条件と言えるでしょう。」

「そう。だからパートナーになりうるのは、同じ種族でないとダメだと思います。」

「私の場合だと、人によってパートナーシップのパターンが違います。相手によって仕事のパートナーであったり、趣味のパートナーだったり、生活のパートナーだったり、その領域のパートナーは別々に存在すると思います。もう少しいうと、人生のパートナーとは自分自身との関係だと言う意見に賛成です。他者とのパートナシップの関係性は切れる可能性がありますが、この関係性だけは一生切っても切れないでしょう。」

「パートナーって時間が関係するのではないでしょうか?ダンスは踊っている間がパートナーだし。長い付き合いだからといって、パートナーとは限らないのではないでしょうか。」

「これまでの議論を聴いていると、パートナーシップの定義づけがわからないですね。それが確定していないところでは、そのとらえ方によって人でもモノでもOKになってしまいます。私はモノに対してパートナーシップを感じませんが。たとえば、パートナーシップは英語で訳すと「組合」になります。」

「たしかに、日本語としてパートナーに正確に対応する言葉はないのかもしれませんね。私の場合は「相棒」という意味で理解していますが、すると、先ほどの意見のようにみんながパートナーになりうるということには賛同できません。パートナーと言えるからには、その人でなければならない限定性があるとおもいます。」

「たしかに、パートナーには唯一性やかけがえのなさといった限定は条件になるのかもしれませんね。」

「もちろん、誰でもいいわけではないですが、私にとっては出会った人の多くがかけがえのない存在なので、ほとんどがパートナーと言えるのです。ただ、私のことを一番理解してくれているという点では、自分の子供たちかもしれません。そう考えるとパートナーは子供かなとも言えます。突き放すときは突き放すし、受け止めてくれるときは受け止めてくれる存在という意味ではそうですね。」

「先ほどの意見では、育てている途中の子供はその対象にならないと言っていましたが?」

「余裕のない子育ての時期には、パートナーとは思えなかったが、10年前程から人間的なやりとりのできる大人に成長できたからだと思います。」

「すると、対等な存在がパートナーと言えるのではないでしょうか。すると、モノはその対象に数えられないのではないでしょう。」

「バドミントンをやっていると、ダブルスで組んだ相手を選べないというケースや、相手の技量と対等でないケースがあったりします。そんな時はイライラしたりすることもあります。その点では、パートナーは理解者とは少し違うと思います。つまり、目指すべき目的があって、それに向かって何らかの協調関係にある相手であって、理解者とは違う気がします。」

「目的がパートナーの条件だというのであれば、成長させてくれる相手のことだと思います。会話の中で色々な気付きがあります。人と人と出会ったりモノと出会うことで、新しい次元に立つステップに立たせてくれるものや、その人といると穏やかで安らぐというのもパートナーであれば、そこには目的はではなくて、喜びや豊かさを与えてくれるような存在なのだと思います。」

「スポーツのパートナーにしても、基本は両思いでなければならないですよね。相手がパートナーとして認識していなければ、パートナーシップは成り立たない。」

「でも、それは持続するとは限らないですよね。」

「当初は愛情のパートナーが、経済的なパートナーに変わることもあるということですよね。」

「パートナーをなぜほしいかというと、単純に私の場合は不安を解消してくれる相手がほしいということです。互恵関係であっても互恵関係になくても、不安を解消してくれるのであれば、それはパートナーとしての価値が出てくると思います。」

「それはモノでもいいですよね。」

「モノでもいいです。相手の承認も必要ない。」

「不安を解消するためには相手の承認も必要ないとなれば、それってストーカーもありになりませんか?」

「ありになりますね。」

「でも、信頼関係と依存関係は違うよね?」

「これまでの議論を聴いていると、パートナーには二種類あって、目的のための手段としてのパートナー概念と、私の相手は無条件に『その人でなければいけない』という目的それ自体としてのパートナー概念です。これが混在している気がします。」

「私の意見は目的-手段説に近くて、目的がなければパートナーとは言わないんじゃないかなと思います。結婚も家族も何か目的があって成り立っているのではないでしょうか。それぞれ子供ほしいとか、大きい家がほしいとか、目的にふさわしい相手を求めるものでしょう。」

「たしかに、ナポレオンが制定したフランス民法典には、結婚は子どもの成人とともに解消されるということが規定されていました。つまり婚姻関係は、子育てという目的に下に成り立つパートナーシップ関係だということですよね。これが普遍的な考え方だとは言えませんが。でも、「人生のパートナー」といった場合には、「人生の目的」が前提になる問いです。すると、人生の目的とは何かということを考えなければ成り立たない問いになっていますね。いや、そうではなく、そもそも人生という大枠の下に結婚や子育てといった小目的があって、それぞれにおいてしかパートナーシップ性は成り立たないということなのでしょうか。すると、問いの設定そのものが、また誤っていたのかもしれませんね。」

「いま、人生の目的という話になりましたが、クリスチャンの場合、それは神が与えてくれたものとされていますよね。でも、ヨーロッパでさえ、神は死んだことになりつつあり、神が生きる目的を与えたという意識が希薄になっていると聞きます。すると、実存主義のように、生きる意味なんて最初からないんだよ、だから人生面白おかしく生きようよ、となってしまう。もし、その思想のように、人生の目的などないのだとなってしまえば、そもそも人生の目的に向かうパートナーなど不必要ではないかということになりませんか。」

「いや、私の考えでは、人生の目的がわからないからこそ、それを一緒に考えるためのパートナーが必要だということです。その究極的な対話の相手が自分自身だということになります。ただ、自分自身なんてたかが知れた存在です。だからこそ、人生の意味を考える上ではパートナーとしての他者の存在が必要なのです。」

「人間は生まれ変わるものというスピリチュアルな考え方からすれば、人生の目的はそれぞれ違うというのが前提ですが、その目的に向かうためのパートナーは生まれる前から決まっています。そして、魂のレベルアップのために色々な人と出会い、色々な経験をするのです。」

「でも、それって、生まれ変わりを信じている人の前提であって、人生が一度きりだという考え方の前提に立つと、求めるパートナーのとらえ方が変わるのではありませんか?」

「たしかに、30前後にして、結婚のパートナーとしてこの人でいいのか悩む人はけっこういます。この機会を逃したら、もう結婚のチャンスはないのではないかと思うと、パートナー選びはメリット・デメリットを計算に入れた戦略的思考にならざるを得ないでしょう。」

「人生一度きりだと考えると、『この人との結婚はボランティアだ』とは言えませんね。」

「メリットがなくなればパートナーでなくなるのでしょうか?」

「たしかに人生一度きりのものだし、パートナーは一瞬一瞬のものだと思います。だから、人生のパートナーが同じだとは限りません。」

「でも、この人がいなくなったら困るような存在と考えればどうでしょうか?この人がいなくなると精神的に立ち行かなくなったり、人生の継続が危うくなる存在がパートナーだと言えるのだとしたら…」

「ところで、パートナーを求めずにはいられないものなのでしょうか?」

「最近の若い人たちのあいだでは、傷つきたくないという理由で、パートナーを作ることに消極的になっているという話も聞きます。」

「ひとり暮らしになり、誰もいないアパートに帰ってきたときに寂しいと思ったとき、必要だなと感じました。」

マズローの欲求五段階説によると、生理的欲求から安全欲求が満たされて、社会的欲求、尊厳欲求、自己実現欲求に変わっていくと言います。だから、まず生命の安全が確保されていなければ、パートナーを求めるということに欲求が向かわないのではないでしょうか。」

「でも、安全欲求が満たされていないがゆえにパートナーを求める人もいますよね。たとえば、恋愛に依存的な人というのは、マズローでいえば、生理的欲求・安全欲求が満たされない段階でも他者を必要とするとも言えるのではないしょうか。」

「依存関係でも対等な関係でも搾取関係でも、そこに何か目的があるのであれば、パートナーを組むことで人生を楽しめばいいと思います。」

「個人的には結婚願望はないけれど、人間に生まれた以上、一度は結婚したり子供を持ったりしてもいいかなと思いました。」

「先ほどから人生のパートナーは人間であって、モノではないという議論が展開されてきましたが、私にとっては絵を描くことを失ったら生きている意味を感じられなくなってしまいます。そう考えると、絵をかくという行為がパートナーなのかなと思っています。それは単に自己満足ではなく、自分の考えたこと、伝えたいことを誰かに絵を描くことを通じて実現するという点で、単なる自己満足とは違うものだと思っています。」

「パートナーって、ぜんぜん人ではなくてもいいんですよね。」

「パートナーの条件に、生きる意味というのがつけ加えられましたね。」

「おっと、冒頭の議論に戻ってしまった!」

「これまでの話を聴いていて、頼れるのがパートナーなのか、頼られるのがパートナーなのかわからなくなりました。頼ってばかりいると依存していると思われるものなんだかなと思いますし…」

「これまでの議論では、パートナーシップの条件として信頼と依存の話も出てきて、対等性と相互性の話も出てきました。」

「対等性と依存に関していうと、自分の子どもが大人として対等に言ってくれると、何を言ってもいい心地よさを抱くようになりました。信頼は子供を通して学ばせてもらったと思います。」

「パートナー関係と依存関係の違いは、相手の分を負担しなければいけないモノがあるかないかだと思います。それは道連れといった方がいいかもしれない。共同生活にしている共益費等がそれに当たりますね。」

「人間との関係でいうと相互性とか対等性がカギになるが、コミュニケーションが成り立たないこのとの関係は、やはりパートナー関係になりえないのではないでしょうか。」



当初予想していた議論とは異なる展開に、戸惑いもありましたが、それが哲カフェのおもしろいところでもあります。
この後の懇親会では、さらにパートナーとは何かについて議論が深め、夜が更けていきました。
次回の哲学カフェ@ふくしまは、5月23日(土)を開催予定としています。
多くの皆さまにご参加いただければ幸いです。

第28回てつがくカフェ報告―〈信じる〉とは何か?―

2014年12月10日 00時04分25秒 | 定例てつがくカフェ記録
                 

第28回てつがくカフェ@ふくしまは、初のユニックスビル会議室で行われました。
テーマは「<信じる>とは何か?」。
なかなか哲学的な問いです。
が、前日の初雪や寒波のためでしょうか。
それとも、あらぬ風評被害のせいでしょうか。
参加者はいつもと比べると少ない14名でした。
しかし、いつも以上に発言のテンポが早く、しかも濃密な議論が展開されます。
それもこれも、今回はテーマについて「予習」してきた人ばかりだったからです。
まずは、その中のお一人が、家でまとめてきたレポート内容を読み上げるところから始められました。
それがこれです。

 「今日は会場(みなさん)があったまる前にトップバッターで発言しようと思い予習してきました。
 わたしは信じるとは希望だと思います。
 そもそも言葉のもたらす雰囲気がポジティブで自分にとって都合の悪いことに対してはあまり使わない言葉だと思うからです。
 なので、それは正しさよりもたくさん種類や個人差があってよいもので、すごく個別的なことだけど何よりも強いものに思います。
 わたしはサンタクロースを信じていますが、その信じるっていうのは、実際にいるかいないかを追及して解答を得たいわけではないからです。
 信じるには行為と感情のふたつの面があると思うのです。
 うまく説明できないのですが、信じようと決めることとごく自然に信じられることの両方があってでもやっぱりその原動力はどちらも希望じゃないかなと思います。」


「サンタクロースはいる」と信じるその参加者は、しかしそれはサンタがいるかいないかが問題ではないと言います。
それを信じることで幸せな気分になれることが大事なのであって、サンタの存在はどうでもいいのだそうです。
それゆえ、そうした良好な状態をもたらす効用が「信じる」ことの本質だというわけです。

この意見について別の参加者は、サンタとは「自分のほしいものを届けてくること」を本質とする存在で、それは恋人でも家族でもそれを体現してくれる人であれば誰でもよく、そこかしこにいるものではないかと言います。
「いないけれどいる」ような存在。
それは自分の願いがかなうようなワクワク感をもたらすもので、したがって「未来に向かう希望」こそが「信じる」ことの本質であると言うわけです。

また、「信じるとは〈待つ〉姿勢である」という意見も出されます。
それによれば、信じる対象は「予めわからないこと」であり、何かが「できる」ように願うのは、いまだ「できないから」であり、そこには「期待」という言葉を宛がうこともできます。
もちろん、待てば願いが叶うかといえば、そんなこともありません。
しかし、期待したことが叶わない(来ない)からと言って、それが嘘だとは言えないもの、それが「信じる」ことの対象ということになります。
すると、生きることそのものが何かを待つことだと言えそうだし、それはつまり「信じること」が生きることだと言いかえることもできるのではないか。
そして、それが生きていることの喜びを受け入れることに通じるのではないかというわけです。

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さらに、「希望」や「期待」という言葉から、てつがくカフェ@ふくしまの趣意書を結びつける意見も挙げられました。
そこにはこう書かれています。

「……もしかしたらそこには福島独特の新しい 〈てつがく〉文化が創造されるかもしれません。
そのような期待も込めて、私たちは福島へ向けて 〈てつがく〉 の種を蒔くことを目指します。
しかし、同時に私たちは、その蒔いた 〈てつがく〉 の種が福島を越えて拡散し、 開花していくことを期待します。」


たしかに、@ふくしまの趣意書には「種」や「期待」といった未来志向的な言葉が並べられていました。
(作った本人はすっかり忘れていましたが…
そして、それは信じられる場所があることに他ならない、という最高の褒め言葉までいただいてしまいました。

また、ある参加者は正しいかどうかを信じるということは、必ずしも100%の正しさを必要としているわけではなく、「信じられる」ものにも度合いがあるのではないかと言います。
この意見を聞いたとき、ワタクシ(渡部)はある果樹農家さんの話を思い出しました。
福島の農家が風評被害に苦しめられていることは周知のことですが、その根底には、徹底した食品の安全検査を実施しているにもかかわらず、その理解がなかなか世に広がらないことがあります。
するとその農家さんは、「測定の数値を見せると一人ひとり受け取り方が違うからそれについては何とも言えないけれど、少なくとも福島の農家はきちんと安全検査をしているということを示すことで信頼できる、と思ってもらえる努力をしている」と話して下さいました。
国が定めた食品の放射性物質の安全基準値はありますが、もちろんゼロでなければならないという人から、まったく数値を気にしない人もいます。
しかし、低線量被曝であれば、どのくらいの線量がどのくらいの健康障害をもたらすのかはわからないというのが実際のところでしょう。
そこには100%の正しさどころか、客観的な数値に対して無数の個別的な評価が存在します。
つまり、それは客観的と言えるどころか、信じることの主観性が拡散される事態を招いたわけです。
しかし、その農家さんがおっしゃった「信頼」とは、その数値とは別に、食に携わるものとして検査を詳らかに公開する姿勢によって得ようとするものです。
これは「わからないもの」に対して放置するでも断定的な評価を示すわけではなく、「わからなさ」を保持したまま、できる限りのことをする「誠実さ」のことではないしょうか。

これについては、「信頼」ということに関して3.11以降、数値を信じる/信じないではなく、人としての在り方を信じる対象として考えるようになったという意見が挙げられました。
さらに、信頼は「理屈じゃないところにそれはある」とも言います。
では、理屈じゃないとすれば、「信じる」ことの根拠となるものは一体何なのでしょうか?

      

序盤は、「信じる」ことに備わるポジティブさを指摘する意見から議論が展開されていきましたが、それに対して「盲信」という言葉があるように、「信じる」ことに備わるネガティブな面をどう考えればよいか、という問いが立てられました。
もちろん信じることで精神的にポジティブな効果を得られることはあるかもしれないが、信じたからと言って叶わないこともあるし、届かないこともある。
それをどう考えるべきか。

これに対しては、「信じる」の反対は「疑う」ことであり、疑わなくなることは、すなわち「考えない」ということになるのではないかという意見が出されました。
その結果、「狂信」を生み出すのではないか。
つまり「信じること」と「考えること」は対極的なものであり、信じている間は考えることはできないということが確認されました。
このことは「行為」とも関係するかもしれません。
誤っていようと「信じる力」はどんなことでも成し遂げようとする強い意志を生み出します。
一方、考えたり疑っている間は、行為を麻痺させます。
迷いを生じさせるというと、思考がネガティブなものに聞こえますが、実際考えることは信じて疑っていなかった行為にストップをかけたりするものです。
すると、やはり信じることは考えることを止めて、初めて成り立つものと言えるのかもしれません。
この「考えない」、すなわち思考停止と「信じること」の関係は、終盤で再論されます。

また、「信じる」ことのポジティブな面が「希望」であるのに対して、ネガティブな面としては叶うかどうかわからないものを待つという点で「忍耐を強いられることになり、それは結構しんどいことではないか」という意見が挙げられます。
そもそも「信じる」か否かという問題は、自分が望んでいない方向に事が進んでいるときに生じるもので、疑いなく受け入れている状態の時には問題にすらならないものだという意見も挙げられます。

これを「体験したことしか確信できない」という参加者は、体験していないこと、つまりわからないことを選択するときに「信じる」ことが働くと言います。
「知っている」や「わかったこと」、「認識」が「真実」に対応しているのに対し、「信じる」は「わからないこと」に対して用いるものです。
すると、この参加者にとって「わかる」ことは体験によってのみ得られることですから、体験していないことはすべて「信じる」対象だというわけです。
これはなかなか面白い意見で、その参加者によれば、三次元を超えた異次元の世界を体験したので、この世界とは別次元の世界があることを確信していると言いますが、それは「認識」の対象であって「信じる」対象ではないそうです。
ワタクシの友人には、いわゆる霊感をもつ人がいるのですが、まったくその世界を信じていないワタクシにとってその友人の見たものは存在しないものです。
しかし、その人が「見た」と言って確信を持っているものを、「存在しない」と証明することは意外と難しいのではないでしょうか。
その友人は、自分しか見えなかった心霊現象に関しては「それは見間違いだ」と納得するようにしているそうですが、しかしその場で複数の人で同時に見た心霊現象については「存在した」と言い切れると話していたことがあります。
認識とは何かを考えさせられる意見でした。

さらに、「信じる」ことを行為の選択の面から考える立場からは、どちらにしようか選択を迷っている状況をいいとこ取りをしようとする、腸内の「日和見菌」に喩える話も出ました。
けっきょく人間は「わかる」から行為を選択する以上に、迷いながら選択する方が多いのだとすれば、生活のほとんどは「信じる」ことによって営まれているのではないでしょうか。
(高層ビルは崩れる恐れがないという前提で、そこで働く人々は建築構造を理解して得たものではないでしょう。)

だからといって、事実認識と信仰のレベルはやはり異なるものだと区別する必要があるとの意見があがります。
むしろ、昨今では「信じる」と事実認識の使い方の混乱が甚だしくなっているのではないか。
そんな危惧は、原発事故以降、科学が判断の正しさを保障してくれるわけではないことが明らかになった今、深刻なようにも思えます。
そういえば、原発事故直後、科学の名のもとに怪しげな民間療法もたくさん出てきたこともありました。
ただし、それだってどこまでが科学的なのか、魔術的なものなのか、やはり判別が難しいものだったのではないでしょうか。

科学の進歩は確かにわかることを増やしてきましたが、しかしわかることが増えると同時に、益々わからない謎が深まるということはありうるでしょう。
このことを、かつて優秀な若者がオウム真理教に入信し、テロルに走ったことに重ね合わせた発言がありました。
私が大学生だったときのことですが、理論物理学を研究していた大学院生の先輩が、宇宙の誕生について研究していった行きついた結果、「神がいるとしか思えない」と話してくれたことがありました。
その先輩が熱心な新興宗教の信者だったと聞いたのは後々のことですが、最先端の科学を研究している人間が、信仰の世界に引き込まれるのは不思議ではないのかもしれません。
「わかる」ことは不安を払しょくしてくれます。
それゆえ、答えが出ない状況に追い込まれた人々が最後にすがりつくのが宗教だとすれば、その信じられるものに出会ったとき人は探究をやめるものではないか。
人は「わからなさ」に耐えられないものではないか。
だから「信じるもの」の力はスゴイ。
オウム真理教にせよイスラム国にせよ、その人たちにとってはポジティブな力が与えられているじゃないか。
やはり、「信じる」ことは肯定的な力を生み出すものだという見解にまとまりかけます。
しかし、本人にとって救いがもたらされたとしても、それがテロリズムに結びつくのだとしたら、それは「よいこと」とは言えません。
だからこそ、やはり「信じること」は個人的なもの、主観的なものにとどまるというわけです。

一方、事実認識のレベルが信仰のレベルと混同されているという問題は、歴史認識の問題にも言えることではないでしょうか。
先の体験だけが認識を可能にするという参加者の発言を踏まえれば、過去に起きた出来事は、その当時に戻って体験できるものではありません。
すると、歴史は「認識」ではなくて、「信じる」対象だということになるのでしょうか?
神話的な史観を歴史教科書に反映させようとする動きや、特定の歴史観から事実の認定を拒む、あるいは「ねつ造だ」と断罪する動きの背景には、実は歴史は事実認識ではなく「信じる」意識作用が潜んでいるのではないか。
この問題は最後に取り沙汰されることになります。

議論が終盤にさしかかり、「信じることと思考停止の問題を掘り下げたい」という問題提起が挙げられました。
これに対して、映画『ポーラーエクスプレス』の中に疑いを象徴する人物が登場するのだけれど、それは決して悪者としては描かれていないという話題が出されます。
つまり、そこには「信じること」と「疑うこと」とが微妙に交錯しながら描かれる場面が印象的であったというのです。
たしかに、何の疑いもなくストレートに信仰に向かうケースもあるけれど、実は「疑いのフィルターを経て残ったものの中に信じられるものがあるのかもしれない」という意見が出されました。
考えてみれば、歴史的に残ってきた宗教は様々な疑いや検討を経て残ってきたものでもあります。
すると、「疑うこと」は「信じること」の対極にあるどころか、その強度を増すための条件ですらあるかもしれません。

そういえば、かつて私はある勉強会で、カルト教団からの脱会を助ける活動に取り組んでいる牧師さんの話を伺う機会があったのですが、彼にカルトへ引き込まれないようにするために教育にできることは何か、と尋ねたところ「疑う力を育てること」と答えてもらいました。
信仰を生業とする牧師さんからこのような言葉を聞くのは驚きでしたが、どうも真の信仰へ到達するには懐疑の力を必要とするようです。

疑う力とは、すなわち考える力に他なりませんが、当初、考えることと信じることは相容れないという話で展開したことはすでに見てきました。
ところが、今や議論を経てそれらの境界は曖昧になっています。
さらに、アトピーで苦しんだ過去を持つ参加者からは、当時苦しさからある栄養補助食品を購入していたとの話が出されました。
今では症状が改善されたから言えることかもしれないが、健康であったら信じてその商品を購入することはなかったとのことです。
苦しいときにはすがらざるを得ない。
そのとき「信じる」ことが起動し始めます。
けれど、その参加者は「では、そのとき何も考えていなかったのかと問われれば、そんなことはなかった…」と思うと言います。
考えに考え抜いた結果、それでも「信じること」で最終的な選択に至った経験は、無邪気に考えずに選んだというものではなかったと言うのです。
しかも、症状が改善されたのは、あの食品のおかげだったのではないかとさえ思うこともあり、その点ですでに話にあがった100%正しいから信じられるというものではなく、境界線上のあいまいさの中で立ち上がってくるものなのかもしれません。
このことは放射能被ばくの問題を例に挙げるまでもないでしょう。
ホメオパシーの問題のように、民間療法ではこの種の疑いと信じることの境界線上で折り合いをつけていることなど、医学の世界ですらあるわけですから。

このように終盤は「疑うこと」と「信じること」との区分が揺らぎ、その関係性が問われる地点に到達した段階で落ち着いたように思われます。
これに関しては、2次会だけを目的にカフェの終盤に来場した参加者から、疑う/信じるという二項対立の関係でなく、そもそも「信じること」は「疑うこと」とは別のところにある気がするという、謎めいた言葉が出されました。
これについては2次会の自己紹介で語られることになるのですが、話が長すぎたのでここでの説明は割愛させていただきます。

さて、最後に、今回取材のため来場いただいた東京新聞の記者さんから私に向けて「歴史認識に関して、事実認識と信仰の問題の混乱があるのではないかいという点をもう少し聞きたい」との問いが投げかけられました。
そのときは、うまく答えられないままタイムアップ。
これについては、このように考えています。

昨今、自国のアイデンティティや誇りに役立つものこそ歴史だという主張が勢いを増しているように感じます。
もちろん、歴史をナショナリズムの構築に利用することは、昔も今もどこでも行われていることです。
けれど、その歴史の道具的使用は、ときに慎重な事実の認定よりも、安易な「信じられる事実」の選択に陥る危険があるものです。
たちが悪いのは、自らの歴史観や信念を守るために都合の悪い事実は「ねつ造」や「虚偽」のレッテルを貼ることです。
もちろん、その危険性はナショナリズムの対極に立つ歴史観についても同様に当てはまります。
それが相互のイデオロギー論争に陥ったとき、互いに壁を作って事実を共有する努力をせずに、自らの立場に合う歴史事実(と称する見方)や解釈だけを真実と見なす閉じた歴史認識が蔓延るのではないでしょうか。
彼の国と我が国の歴史認識が一致することはありえないと、他者との共有へ向かわない態度は主観的認識に留まろうとするものであり、その点で「信じる」レベルに限りなく近いと言わざるを得ないのではないか、と思うからです。
「わかる」とか「知る」という認識のレベルは少なくとも他者と共有される客観性を志向するものであり、「考える」というのは「確信」という名の「思い込み」、「独断」、「偏見」から解放してくれる営みを指すものです。
しかし、その努力を放棄ないしは諦めるということは、客観的認識の不可能性を嘯き、自らが「正しい」と思えることのみを真実と見なそうとして事実認識と信仰とを混同させるのではないかと思うわけです。

来年はもう戦後70年になります。
戦争経験者もどんどん鬼籍に入って減少する一方、その経験者たちの声すら「ねつ造だ」と言って憚らない風潮や、ある種の歴史観に不協和音を鳴らす声には耳を傾けない風潮があるとすれば、それは歴史認識を称した「信仰」にシフトしているように見えるのです。
そして、そこに反知性主義の萌芽があるように思えるのです。

さて、今年も残すところわずかとなりました。
おかげさまで、てつがくカフェ@ふくしまも多くの皆様に支えられて充実した一年を過ごさせていただきました。
来年は、新春1月9日にはあの名作『悪童日記』の映画化作品を見て、シネマdeてつがくカフェが開催されます。
また来年も多くの皆様と出会える場となるますよう、心からお待ち申し上げます。
では、よいお年を!

第27回てつがくカフェ@ふくしま報告―選挙に意味はあるのか?―

2014年10月26日 07時26分48秒 | 定例てつがくカフェ記録
昨日、第27回てつがくカフェ@ふくしまが「かーちゃん ふるさと農園わぃわぃ」で開催されました。
本日行われる福島県知事選挙を前にして、「選挙に意味はあるのか?―代表民主制を問う―」がテーマです。
参加者は23名。
かなり難しい議論にもなりましたが、今回は中学生や高校生の参加もあり、投票率低下が懸念される中で選挙の意味を問い直しました。

まず、直接民主制と代表民主制の違いについて、直接政治決定の場にいるか、その決定を代表者によって選択してもらうかの点で異なることが確認されました。
その上で、政治(県政)に参加している実感がないという発言が出されます。
それに対して、せっかく選ばれてもマニフェストを実現しなかったり、カネの問題を引き起こすなど、政治家の資質のなさが、その政治参加の実感のなさをもたらすのではないかという意見が出されます。
また、政治家養成学校をつくり、そこで立候補者は資質を高めることを学び、しっかりした政治を行ってくれれば、政治参加の実感も生まれるのではないかとの意見も出されます。
また、町内会など顔の見える範囲であれば、政治家に向いていると思われる人はみつけやすいから、その人を地域から選出し、その選出された人の中からさらに資質のある政治家を選べばよいのではないかとの意見も出されます。
これは代表民主制を肯定したものでしょう。

しかし、これに対しては、政治家に資質があれば政治参加の実感があるのか、との疑問が提起されました。
政治家だって人間である以上、間違いを起こすことは十分ありうる。
代表民主制はまだまだやれる制度だけれど、「それは政治が間違ったときに替えがきくシステムを大切にする限りで機能するものではないか」との意見が出されます。
あるいは、資質が高い人を選ぶのであれば、最初から選挙する必要もないし、そもそもある人には資質が高い人物と見えても、ある人にとっては資質がない人物と見えることがありうる以上、「替えがきく制度」という意味での代表民主制は意味があるとの意見が出されます。

むしろ、選挙を行う意味というのは、選挙で選ばれれば政治を行うものも、市民に支持されたことが明示されて、自らが政治を納得して行うことができるとの指摘も挙げられました。
その意味で選挙は政治の「正統性」を確保するという意味があると言います。

それにしても政治は町内会や顔の見える範囲を超えて、コアな人たちのものになってしまったという点があります。
周囲を見ても無関心な人の方が多い。
この政治との距離感をどう考えるべきか。
この論点について、家庭や地域で政治について話をしない日本の政治文化の問題を指摘する意見が挙げられました。
たしかに、子供の頃に親に選挙に連れられていったことがあっても、親がだれに投票したのかはわからない。
政治と宗教の話は同窓会でするな、という話もあります。
なぜなら、だれを支持する支持しないの話は仲違いの原因になりかねないからです。
しかし、フランスなどでの体験を示しながら、むしろ遠慮なく政治について語れる文化が日常にあることは、かなり重要で、そのことを教育で整備していく必要があるのではないか、という意見が出されました。
これは世代間の対話の重要性も指摘するものです。

しかし、他方で、世代間と人口の問題を指摘する声も挙げられました
少子高齢化がものすごい勢いで進む日本社会において、人口の多い年齢層を票田としたい政治家にとって、若者向けよりは高齢者向けの政策を提示したがるのは当然で、若者の投票率を挙げようとすれば、その問題を喚起する必要があるのではないかというわけです。
世代によって「政治」に対する意識やイメージが異なる点を指摘する声も挙げられました。
割と高齢に属す世代からは、政治と言えば政党政治であり、利権政治であり、選挙で投票するのは当たり前という意識がある一方、自分の子供世代からそもそも選挙制度の中にいるという選択肢と、その制度の外にいる選択肢があるという意識があることに驚いたと言います。
関心もなければ選択肢もない選挙であれば、その制度に参加しなくてもよいという選択肢があるというわけです。
だから、投票棄権もそれは積極的な意思表示の一つになるというわけでしょう。
果たして、それは意思表示なのでしょうか。

それにしても、なぜ、政治に対して無力感を覚えてしまうのか。
政治が「遠い」。
今回の議論ではこの問題が、しばしば取り沙汰されましたが、では「遠さ」の内実とは何でしょうか?
それについて「ほんとうに変わるのか?」という不信感を指摘する意見が挙げられました。
ここから議論は、次第に政治に対する無関心の問題へと移っていきます。
その原因を膨大で複雑な政治に関する知識がなければ理解できないという問題を指摘する声が挙げられました。
その意味でもっと政治の全容をとらえやすい透明性を確保する必要性や市民が理解しやすくする必要があるとのことです。
たしかに、これだけ現代社会の仕組みが複雑になり、分野ごとに専門家でなければわからないことが多すぎることは、政治に対して興味を失う大きな要因です。

また、その要因の一つに日本社会の政治文化の未熟さを指摘する声も挙げられました。
政治と言えば利権政治であった時代だったけれど、そこにはその政治を批判する対抗する力があった。
しかしその言論の力も弱まり、デモも盛り上がらない、組合組織率は低下して弱体化していく。
そのころから政治は面白くなくなっていったのではないか。
もし、政治をおもしろいものであり、身近なものにしていくためには、政治が変わる可能性を示せばよいのだけれど、しかしそれがないことによって「誰がやっても変わらない」という意識が蔓延するのではないか、というわけです。

しかし、これに対しては、誰がやっても政治は変わらないという感覚はないという意見が出されます。
最近の政治を見ても、たしかに一気に変化がもたらされています。
ただし、その変化は必ずしも「良い方向に向かっていない」という意味においてだと言います。
むしろ、政治の劣化は甚だしく、単に権力者が立憲主義の手続きも踏まずに憲政を骨抜きにすることを当たり前化していく政権は無法者そのもので、こんな政治は、かつて利権政治だと言われた時代の与党政権であってもありえなかった、というわけです。
また、SNSなどネットの普及で、たしかに政治は「見える化」したけれど、逆にちょっとしたキャンペーンやイメージ操作で民意が扇動的に動かされてしまう世の中においては、むしろ政治は変わ理易くなったという指摘も挙げられました。

ここで10代の参加者から、選挙に行かなくてはいけないというメッセージはよく聞かされるけれど、そもそもなぜ選挙に行かなくてはいいのか理由がわからないという問いが出されました。
これに対して20代の参加者は、「選挙に行かないということは政治に対する批判する権利を捨てることになる。ある意味で投票するのは社会参加の義務ともいえる」との答えが返されました。
しかし、この回答に対して40代の参加者からは、「投票するのが義務というは疑問だ。税金を払っている以上、市民としての義務は果たしているじゃないか。投票にいかなくてもいい権利も参政権には含まれているのではないか」との意見が出されます。
では、なぜ行かないのか?

これについて60代の参加者からは「幸せなんじゃない?」との問いかけがありました。
つまり幸せな人間は、えてして政治に関心を向けないものであり、現代の日本の若者は幸福な社会に生きている以上、政治に関心をもてないのは当然ではないかという意見です。
これについて、40代の参加者からは「今の若者はバブル時代を知っている自分たちと比べてかわいそうだと思う」という意見も出されます。
では、むしろ若者の政治意識は目覚めるはずではないでしょうか。
これについて20代の参加者は別に不幸だという意識はない、むしろ「一個人の幸せと一市民としての有権者としての意識は別である」と返します。
むしろ、かつての若者だった上の世代の一つは、なぜ政治に関心をもてたのか、その目覚めるきっかけはなんだったのかとの問いが投げ返されます。
これに対して60代の参加者は「戦争」をなくさなければならないという思い、からそれは目覚めたと言います。

しかし、幸福な人間だから政治に無関心になるというのではなく、むしろ不幸な人ほど政治に関心をもてなくなってしまうのではないか。
政治に関心を向けられるのは、自分の生活が安定していて初めて目を向けられるものであり、しかも選挙結果に対して暴動が起きてしまっては民主主義も何も成り立たない以上、政治的に安定した社会でないと成り立たないという意見が挙げられます。
その意味で、今回のテーマ自体、ものすごく幸せな問いなのかもしれません。

一方、不条理や悲しみを感じたとき政治に目覚めたという意見に対して、それは「選挙に行くか、武器を手にするか」と言う選択肢の間にそれほど決定的な違いがないのではないかという指摘も挙げられます。
社会に不満を持っている若者が「イスラム国」へ渡航するという話も報道されている以上、この社会に対する義憤が選挙では満たされないという問題を考えることは重要だと思われます。
そうであるにもかかわらず、やはりこの選挙という代表民主制は不完全かもしれないが、さしあたり人類が歴史を歩む過程でつくり上げてきた、いまのところ最も有効な制度であるという、選挙に意味を認める意見が多くの参加者から挙げられました。
最後に、自分の意見を突き詰めることの苦手な日本人は、やはり自分のしっかり意思を確立することと同時に、自分とは異なる考えをもつ他者を受け入れられる力を身につけることが選挙の前提条件であり、政治というのはそうしたつながりをもったコミュニティが膨らんでできあがるものではないかという意見が出されました。

さて、今日は福島県知事選挙です。
投票率も含めて、どのような結果になるのか。
乞うご期待です!

第26回てつがくカフェ@ふくしま報告―老いることは悪いことか?―

2014年09月21日 09時04分19秒 | 定例てつがくカフェ記録
    
昨日、第26回てつがくカフェ@ふくしまが開催されました。
テーマは「老いることは悪いことか―〈老い〉を問う―」。
参加者は19名。遠くは愛知県からお越しいただいた方もおられました。ありがたいことです。
今回は、初めて「かーちゃんふるさと農園わいわい」を会場として使用させていただきましたが、空間も広く、椅子や机の他にもピアノや大型TVまで備え付けられていました。
そして、今回はその大型TVにパソコンをつなぎ、初のマインドマップのソフトを用いて記録が表示されました。
それがこちらです ⇒ 

ホワイトボードに比べ、字が小さく読みにくいという難点がありましたが、毎度カフェ報告する身とすれば、とても読みやすくありがたいです。
何より概念的にきれいに整理・分類されています。
これは@ふくしまの新しい文化になるでしょう。

さて、カフェの議論はまず「老い」とは何かという問いから始められました。
「老い」とは生まれてから成長する過程の後半部分を指すものだという意見が挙げられます。
ある段階までは成長していきながら、ある点に到達すると下降し始める放物線のグラフの後半部分のようなものだというわけです。
               

その発言者は、個人的に更年期を迎えたことで、「衰え」を実感しながら生きることの見方が変わり、「老い」の始まりを認識したと言います。
また別の参加者も、「不活発になる」、「積極的でなくなる」、「好奇心がなくなる」、「あったはずのものが弱まる」、老眼や物忘れなどあらゆる機能が低下することが「老い」であり、それらの「なくなる」という事態が「老いは悪い」というイメージをもたらすのではないかといいます。

それに対して、「老い」は悪いことばかりではなく、むしろ「経験を積む」や「年功序列」といった言葉に表れているように「尊敬を集める」側面もあるとの指摘もなされました。
また、身体的な衰えは確かに大変であるものの、年配の参加者からは「個人的には生きるのはむしろ楽になり、おもしろさを感じるようになった」という意見も挙げられました。
年齢と共に経験が積み上げられたことで、若いころには見えなかったことがより多く見えるようになったというのです。

これらの意見は60代前後の年配の参加者(といっても、まだまだ「老人」とは言えない方々ばかりだと思うのですが…)から出されたものであり、その意味で経験を踏まえた含蓄のある言葉でした。
では、若い世代から「老い」はどのように見えるのでしょうか?
高校生を教える参加者からは、高校生が老人に対して「キタナイ」、「クサイ」というイメージをもっていることが述べられました。
そこには若いのが美しく、能力が低下することをバカにする傾向がみられると言います。
しかし、その一方で、老いた側にも経験至上主義ともいうべき態度が見られたり、そのことが若い世代を抑圧的に扱う「パワハラ」的な態度に結びつく問題もあるのではないかとの指摘もなされました。

こうして序盤は「老い」を規定しながら、それに対するいい/悪いという価値的な評価の根っこがどこにあるのか取り沙汰されてきました。
それに対して、80代の参加者からそもそも「老いに良いも悪いもないだろう」というツッコミが入れられました。
それによれば、「老い」は自然法則に基づく現象なのであり、自然に対して「悪いか」という問い自体がナンセンスだと言います。
毎度、世話人たちが設定したテーマに対しては、参加者からその不出来に批判が寄せられますが、今回もまた「老いは悪いのか?」という価値を問うこと自体に疑問が差し向けられたわけです。
その参加者によれば、「老い」とは人生という芸術作品の完成に向かっている終わりの部分だと言えるだけだとのことです。

これまでの議論の展開では、「老い」は個人における主観的現象として論じられてきました。
しかし、比較的年配の参加者の皆さんは、「衰え」は感じられるものの、一様に自らを「老いた」とは感じていない方々ばかりです。
すると、「老い」とはそもそも主観的認識できるものなのでしょうか?
この問いかけに対して、認知症の親を介護する経験をもつ参加者からは、「老い」は本人だけの問題ではないことが指摘されました。
健康な状態のままで老いることであれば、これまでの議論は通用しますが、自分や家族が誰であるかも忘れ、徘徊し、排便も自分では処理できなくなり、挙句の果てには妄想も伴う認知症の家族との格闘は、単に「老い」が個人的・主観的なものではなく、周囲を巻き込む社会的・関係的な概念であることを示しています。
これについては、「老い」が「所得がない」、「家族がいない」、「社会参加ができない」などの条件から規定していくことも重要ではないかとの意見も挙げられます。
それによれば、「~できない」という点を福祉などでサポートされながら「生き難さ」を感じなければ「老い」は前面にせり出してこないが、そのサポートが周囲から得られなくなったとき、「孤独死」など「老い」の問題が深刻化するのではないかといいます。
また、別の参加者からは、人生のステージでいえば、生まれて方保護・養育される存在だったものが、自立して生活できる存在になることを経て、最後はやはり誰かに面倒を見てもらう段階に至った時に「老いた」ということになるのだろうが、その段階では周囲から客観的に見て、「自分で自分の世話ができなくなった」と判定されるものではないかとの意見が挙げられました。

いや、それでも「老い」は老化現象のように物理的・生理的な客観的に判定される部分と、経験の積み重ねで若い時よりもよく見えるようになったという意味で主観的に判定できる部分があるのではないかとの意見が挙げられます。
ただし、そのモノの見方や世界観については、社会的に年齢相応の見方が遅れていることはあるのではないか、と言います。
かつての60歳といえば達観していた人生観が、現在ではそれに及んでいないケースが多いことは、しばしば青年期のモラトリアムの延長などで問題化されましたが、それが「老い」においても指摘されるということです。
60歳になっても「まだまだ青い」と言われる時代です。
その点でいえば、「老い」とは高齢社会に伴って自分よりも年齢が上の世代が増え続けることが、相対的にかつて「老人」と言われた年代に到達しても「老い」を感じにくいことにつながっているのではないかとの指摘も挙げられました。

さらに、「老い」とは社会制度につくられるものであるとの意見も出されます。
定年退職制度は、雇用者に対し「もうあなたは働けませんよ」と一方的に告げるものであり、働くことに生きがいや社会的存在としての自己を見出してきた者に対して、それらを恣意的に剥奪するものだといいます。
たしかに、還暦で赤いちゃんちゃんこをプレゼントされたり、それは本人が決めるものではなく、通過儀礼として設定される側面もあるでしょう。
しかし、生きがいや自尊心を社会的に奪われたりすることで「老い」を悪いものだと決めつけることではなく、歯が抜けても目が見えなくなっても「ありのままでよい」と「老い」を肯定する社会を目指すべきだという声も挙げられます。

では、「ありのままの老い」を肯定することはいかにして可能なのでしょうか?
祖母が亡くなる間際まで「周囲へ迷惑をかけたくない」としきりに言っていたという参加者の経験談から、「老い」が周囲へ迷惑をかけることへ抵抗があることから「悪い」というイメージがあることが浮かび上がります。
その上で、迷惑をかけることが前提にあり、「できなくなることはしょうがない」ということを本人も周囲も理解した上で関係性を築くことが重要ではないかと言います。
しかし、他方で、老化は脳にまで及ぶので、すると必然的にわがままになったり感情的になったり、理性を失っていくことも「老い」現象の一つだとすれば、そのように迷惑をかけることを前提とする合意すら成立が難しいかもしれません。
すると、「老いることは悪いことか?」という問いは「自律できなくなることは悪いことか?」という問い直すことができるかもしれません。
それに対しては、自立/自律観を社会的に組み替えていくことがどのように可能かという課題と結びつくという意見も挙げられました。

逆に、この段階で「よい老い方とは何か?」という問いが浮かび上がってきます。
いつまでも権力の座に居座り、「老害」と呼ばれる存在もいますが、これは「老い」を自覚していないことに原因があるとの指摘が為されました。
すると、「自覚」がよい老い方の条件の一つになりそうです。
しかし、前半ではすでに「老い」は自覚できるのかという問いが為されていました。
また、今回の年配の参加者の方々は一様に「老い」を感じている風には見えません。
これについては、「老い」の客観的な状況(老化現象など)を主観的にどう受け止めるか(評価できるか)が重要だとの指摘が挙げられました。
老害の場合、まず客観的な「老い」を認識すること、あるいはその評価を誤った際に起きることとも言えるでしょう。
それにしてもその自覚とは残酷なものです。
チャップリンの『ライムライト』はそのことをうまく表現しています。

さて、終盤に入り比較的若い30代、40代から「老い」に対するイメージが挙げられました。
印象的なのは、50代の参加者から「老いたくはないが長生きしたい」という人間の矛盾した欲求が挙げられたのに対し、
「老いることへの不安や恐れはあまりないが、それでも長く生きたいとは思わない」という声が、30.40代の参加者からあげられたことです。
生まれ育った時代背景もあるのでしょうか。
仏教の四苦(生老病死)でいえば、「老」や「死」よりも生きていることそのもの苦しみの方が大きいのかもしれません。
(※ちなみに、仏教の四苦の一つである「生」は「生きること」ではなく、「生まれること」の苦を意味しているそうです。)
その一つに、自立して生活することが今でも困難なのに、それが老いることでますますできなくなるのだとすれば、「老」をとばしてすぐにでも「死」に至りたいという意見がありました。
やはり「自立/自律」概念が社会的に抑圧的な力として作用しているのでしょうか。
これについて「人間としての尊厳を保ったまま老いること」を挙げられましたが、そこにはすでにそれを全うできる層とそうではない層とに分かれ、「老い」の「勝ち組と負け組」が生じる問題を指摘する声が上がりました。
これから迎える未曽有の少子高齢化社会に向けて、「老人がありのままでいられる」ことや「人間の尊厳を保ったまま老いられる」ことを、いかにして確保するかは社会的に重要な問題になるでしょう。
子どものいない者同士、老後をお互いに世話しあえる「老老介護の会」の構想も紹介しましたが、しかしそこには友人同士の関係においてでさえ、排泄処理や入浴の面倒など「ありのままの老い」を受け止めあえるかという課題の難しさが残るでしょう。
「ありのままの老い」と「人間の尊厳を保ったままの老い」とは両立しうるものなのか。
この問題は世代を超えてまだまだ問い続けなければならないように思われます。

次回のてつがくカフェ@ふくしまは10月25日(土)16:00~18:00、会場は今回と同じく「かーちゃんふるさと農園わいわい」での開催に案ります。
福島県知事選挙を翌日に控えたその日に、まさに「政治」を問うテーマで開催させていただきます。
福島の明日を問うために有意義な時間となることを期して、多くの皆様にご参加いただけるよう、お待ち申し上げます。

第25回てつがくカフェ@ふくしま報告―愛は地球を救えるか?―

2014年07月21日 18時10分44秒 | 定例てつがくカフェ記録
第25回てつがくカフェ@ふくしまは、agatoで開催されました。
agatoと言えば、閉店のため哲カフェの会場としては5月が最後であることを告げてましたが、その後8月まで営業を延期されたとのことで、幸いにも今回も会場として使用させていただけました。
とはいえ、これが本当にLast agatoです。
今回は、オーナーの吉成さんのご提案で「愛とは何か?―愛は地球を救えるか?-」というテーマでの開催となりました。
しかも、今回のファシリテーターは「すぎっち」こと、世話人・杉岡伸也の初登板です。
いつもはカフェマスターとして珈琲を淹れることに専念してもらっている「すぎっち」に、開始12分前、世話人同士の間での無茶振りから、彼の登板が決まりました。
はじめは緊張の面持ちでファシる「すぎっち」を温かいまなざしで見守っていた20名の参加者たちも、議論が熱くなるにつれ、次第に彼におかまいなしで議論を深めていきました。

「愛の対象は人類から家族、友人、ペット、モノなど対象が様々に広がり、難しいところがあります。が、愛の反対語は何かと考えたとき「憎しみ」が挙げられると思います。その点で愛と憎しみは表裏一体ではないでしょうか。しかし、憎しみが対象を破壊しようとするのに対し、愛は生きるための手段であるように思います。愛なくしては生きられないのです。」

「愛とは熱であり、光であり、エネルギーそのものです。そして、子育てのように相手のことを思うことにエネルギーを注ぐという点では、愛とは犠牲の上に成り立つものだと思います。そのためには我慢が必要で、相手を生かすためには自分を犠牲にしなければできないのです。」

「私は「愛は時間である」と述べたことがありますが、まさにそれは相手のためにどれだけ自分の時間を割いたかが愛の証であるという意味です。子育てはその意味でいうとまさに自分の時間を相手に割く愛の営みと言えるでしょう。ですが、先ほど愛の反対語は憎しみという意見がありましたが、実は愛と憎しみは表裏一体ではないかとも思うのです。というのも、実は憎んでいる相手のことって、意外とずっと考え込んだりしてしまうものですから。その意味でいうと憎しみも時間なのかな、と。」

「自閉症スペクトラムを例にとってみると、その症状にある人はしばしば「世界の色を失う」と言います。つまり、世界にリアリティがもてないというわけです。それに対しスウェーデンの精神医療の専門家たちが、その患者の傍にいながら常にその患者の発話に応答することで世界のリアリティを回復させるという事例を聞いたことがあります。その点でいうと、愛が成立する条件として、まず世界が明日も明後日も今と変わらぬように続くということと関係するのではないでしょうか。自閉症スペクトラムの渦中にある人は、その瞬間その瞬間の対象が異なると言います。つまり、自分自身の中でも過去―現在―未来の非連続性があるのですね。すると、世界そのものが非連続であるどころか、話している相手さえも非連続で非同一的な存在なのです。そのような他者を愛することどころか、愛されるということさえ不可能なことでしょう。つまり、愛とは時間であるということは、この世界の同一性という意味とも関係するのではないでしょうか。」

「私はチェ・ゲバラが好きなのですが、彼がインタビューで「革命家にとって大事なものは何か?」という質問に対し、「それは愛である」と述べています。自分の安定した生を擲って苦しんでいる他者のために闘う姿は愛そのものではないでしょうか。たしかに、多くの敵を殺害したけれども、戦うことも愛の形の一つです。」

「さきほどから愛は他者のために自己犠牲を伴うとか、愛の成立条件が世界のリアリティの回復だという意見が述べられていますが、私はむしろ愛は無世界的だし、他者を喪失することを本質としているように思われます。道端で抱きしめあっている恋人同士は、まさに自分たちだけの世界に浸っており、それ以外に世界はないでしょう。自己犠牲もしかり。子どものためにと思っている親の教育が、むしろ子供にとっては迷惑だったり、まさにその子の良さを殺してしまうということは珍しくないのではないでしょうか。」

「いや、それは愛ではなく単に欲望にすぎません。つまり、それは相手のためと言いながらも、実は自分自身の欲望を満たそうとしているだけです。本当の自己犠牲というものは、そのような自分の欲望を満たすようなものではないし、それは愛に値しません。愛と憎しみがワンセットになっているという意見がありましたが、愛を善で救い出す必要があります。」

「愛はそれ自体で成り立つのか、それともだれかとの関係によって成り立つものなのか。自分だけが愛しても相手に受け入れられていなければ成り立たないものなのか。それとも、相手の思いに関係なく成り立つものなのでしょうか。」

「恋人同士が自分たちの世界に浸っている無世界性を指摘する意見がありましたが、それは自己愛に近いですね。それは恋情に近い愛ですが、それだけが愛ではないでしょう。もっと幅の広い愛もあるはずです。」

「愛は相手を幸せにする行動であり、相手を理想の姿にさせることであって、相手が望むままにしておくとか、相手を慈しみ、認め続け、敬意をもつことだと思います。」

「いや、愛はもっとドロドロしたものではないでしょうか。自分の恋愛経験がそうだからなのかもしれませんが、初めは単にこっちを振り向かせたいなと思っていた相手も関係が深くなるにつれて、自分のものにしたいという感情と交じり合ってしまうものだと思うのです。」

「愛はエネルギーだと言いましたが、そのエネルギーが善として燃えるのか、悪として燃えるのかが重要です。愛は善として燃えるものですから、そうすると愛と理性は一体化しているのではないでしょうか。」

「「善だから愛であり、悪であるから愛ではない」ということではないでしょう。愛が自己犠牲を伴ったり相手のことを思うことを本質とすることには同意します。しかし、そのことがその相手を殺してしまったり、別の他者の犠牲を肯定することがありうるのは、善や正義と愛がごちゃ混ぜにされているからではないでしょうか。私が愛は無世界的であるというのは、自分が大切だと思える相手に対しては利他的でありうる行為も、その相手にとって敵となる他者は排除することを容易に認めてしまえるからです。その意味で愛は排他的であるという意味での無世界性を本質としていて、それが善とか正義と誤って結びつくと容易にテロを肯定してしまう原理になりうると思うわけです。」

「いや、人を殺すのは愛のエネルギーではありません。愛は善であるはずです。だから、みんなが国を愛すれば、決して戦争が起こるはずがありません。」

「では、問いを変えましょう。冒頭で、愛の対象が人類からペットまで様々にあるとの発言がありましたが、果たして愛の対象は無限なのでしょうか?身近なところで恋人や家族、友人への愛がありうるというのはわかるのですが、その愛し方を国家や人類といった対象にまで広げることには個人的に違和感があります。皆さんいかがでしょうか?」

「愛の対象が有限であるということになると、愛は地球を救えないということになりませんか?」

「私はまさにその意味において愛は地球を救えないと思っています。」

「私は愛の対象は無限であると言えます。自分の家族の中に変わった性癖をもつ者がいたとしても、私はその存在を認めることができますし、どんな相手でも違う生き方をする人を認めることはできると思います。私はそれをスピリチュアルの思想から得たとき、自分自身の生き方が変わりました。すると、自分の中で、たとえ殺人者でも、自分とは違うその人の生き方を選ぶことを尊重して受け入れることができるようになったのです。それができるのは愛があるからなのです。」

「いま、相手を受け入れることに〈尊重〉という言葉を使われましたが、それに近い言葉で〈尊敬〉というものがあります。たしかに、自分には理解できない相手の存在を受け入れるためには、尊重とか尊敬が必要になると思います。けれど、それは愛とは異なる概念だと思うのです。愛が相手との距離を近づける力を持つのに対し、尊敬は「敬遠」という野球用語にもあるように、むしろ敬して相手との距離をとることで成立するものです。それを物理では「斥力」と言いますが、それはべったりと引き付けあう愛ではなく、相手との距離感をとりつつも決して関係を切らないような力だと言えます。自分とは異なる他者の生き方を受け入れながら共生・共存するためには、むしろ愛よりも尊敬が必要なのだと思うます。たしかに、イエスやブッダのような心のレベルの高い人にとっては愛によってすべての他者を受容することができるかもしれないけれど、普通の人々にそれを要求するのは難しいのではないでしょうか。」

「愛にも感情にも心が関係します。人にはそれぞれ器があると思いますが、各人が心の器を大きくすればよいのではないでしょうか。」

「愛することができる対象は有限だと思います。ただし、そのような愛が他者にもあるということを理解できれば、地球を救えるのかもしれません。まさにジョン・レノンの「イマジン」が必要なのだと思います。」

「すべての人を尊重するのが愛です。そしてそれを実践する場が家族であって、それが次第に地球上の人々へ拡大していくものです。」

「愛には相手を〈許す〉ということも含まれています。許し続けるのはしんどいけれど、悪事を見過ごすのは愛ではないでしょう。その意味で、勇気をもってルールを破るものへの実力行使も愛だと思います。」

「これまでの議論を聴いていて、いかに自分の考えていた愛が自己中心的だったか考えさせられました。私にとっての正義に愛という便利な言葉を当てはめてきたのだなと感じました。」

「とりわけ政治の領域で愛を語るほど誤った用いられ方はないと思います。愛は政治の原理ではないでしょう。」

「仏教では愛は諸悪の根源とされていますが、キリスト教ではむしろ愛の宗教だとされます。その意味でいうと、「愛は地球を救う」というのは、キリスト教からの最大限のメッセージではないでしょうか。」

「でも、地球はそもそも自分を救ってほしいなんて思っていないでしょう。スピリチュアルな観点でいえば、けっきょく他者を救うことはできない。苦しむ他者を救うことは他者を低く見ていることになります。その他者にとって自分はせいぜい相手が成長するために気づかせてあげられる程度に役立つ存在です。だから、「地球を救う」という発想自体がおこがましいのです。」

「たしかに、愛は地球を救うというのは人間の勝手な考え方であって、地球の寿命は時間で決まっているのであって善悪で決まっていない。それよりも、原発避難してきた立場からすれば、コミュニティを存続させたいという思いが愛がなければできないものだということです。」

「同じく避難してきたものですが、その過程で人間の色々な様相を見てきました。賠償問題やら何やらで、穏やかだった村の人々の心が乱れてしまったことも。今、少しずつ昔の笑顔を取り戻しつつあり、腹を割って話せることを取り戻しつつあります。人間愛って何かを考えるきっかけになっています。まだまだ避難民の様子は暗いけれど、哲学カフェに参加するようになって、受け入れられて、安心して眠れるようになってきました。哲カフェのおかげです。」


今回は哲カフェ「愛」について語られたところで終了時刻を迎えましたが、わりとテーマに沿った議論が交わされたのではないでしょうか。
このようなテーマを与えて下さった吉成さんにあらためて感謝です。
そして、初ファシリテーターを無事こなした「すぎっち」にも感謝です。
「すぎっち」の感想は、「あんなに人の話を聴かなきゃならないことが大変だとは思わなかった」というものです。
ふだん、人の話って聞いているようで聴いていないものですよね。
人の話を聴くことがどれほど大変なことなのか体験したい方は、遠慮なくファシリテーターの体験希望をお申し出ください。
これから夏本番です。
福島市はこれからどんどん暑くなりますが、皆さまには充実した夏をお過ごしになられることをお祈り申し上げます。